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12 暗闇に木苺
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心当たりはなかった。だが、放っておくわけにもいかない。土間に籠とザルを置いていると、松明の準備をしながら「聞いたか」と貞宗が声をかけてきた。
「正一がいなくなったんだろ」
言いながらまた表に出ていこうとすると「おいどこ行くんだよ」と貞宗がついてくる。
「いや、狐に聞いてみようかと……」
「あー、お前の旦那か」
「旦那……まあ……」
夫……ではないだろうが、友人というわけでもない。何と表現すればいいか分からず、もごもごと言葉を濁す。ただ、あの狐なら迷子になった子供くらい見つけてくれるだろう――そんな気がした。
「権治、ちょっと来てくれ」
「は? 何だよ!」
焦りからだろう、怒鳴るように指示を飛ばしている権治を手招き、また修造は山へと歩き始めた。
「狐に聞いてみる。あまり期待はしないでほしいが……山狩りなどしなくても、見つかるかもしれない」
「狐?」
山の中は、葉を落とした木が立ち並んでいた。昼間はそれが明るく感じたのに、いまはただ寒々と冷たく、侘しく見える。
「松明消してくれ」
「えっ、でもそんなことしたら暗く……」
「いいから」
渋々、といった様子で権治が松明を消す。
「着ていたのは? いつもの紺絣か」
「多分」
「どこら辺で遊んでたんだ」
「ふもとの方の、キイチゴの採れるところだ。妹にもあげたいからもうちょっと取ってくる、って奥の方に行って……それっきり、らしい」
そうか、と返した瞬間、修造の視界の端でふわりと炎のような尻尾が揺れた。声を張り上げる。
「狐ッ! 聞いてたか⁉ 正一が山から戻らないんだ! お願いだ、探してくれないか!」
きゅーうーん、と返答が聞こえた。
「すげ」
「うわっ」
貞宗と権治の声は無視して、キイチゴの生えている方――修造が昼に登っていたのとは違う、沢の方に向かう分かれ道に進む。
「おーい、正一!」
「しょーいちー!」
名前を呼びながら歩いていくと、ケン、と鋭い声と共に森の向こう側に火の玉が浮かんだ。
「あっちだ」
藪をかき分けて進むと、三人を誘うように火の玉はふわふわと先へ飛んでいく。
「修造、ちょっと待ってくれ! こう暗くっちゃ……うわ!」
権治は猟師ではないし、修造のように毎日山に入っているわけでもない。あちこちで滑ったり躓いたりする権治のために、はやる気持ちを押さえながら歩く速度を落とす。
やがてちょろちょろと沢の水音が聞こえてきた。ゆらり、と火の玉が止まる。
目を細めると、数歩先から岩場になって谷になっている地面と、その先を流れる沢が見えた。それから、その淵に落ちているキイチゴも。
「修造、見えるのか?」
「ああ……ここだ」
横から首を突き出した貞宗に頷く。キイチゴが生えていたあたりからは大分離れているが、おそらく迷って闇雲に歩いているうちに、沢に落ちてしまったのだろう。
「おいっ、正一っ! いるのか! いるなら返事しろっ! 正一!」
「権治、お前はここにいろ。今連れてきてやるから」
権治まで落ちたら修造と貞宗だけでは対処できない。そう言い残して修造は岩場を降りた。散らかっているキイチゴを拾い集め、腰のかごを置いてきてしまったことを後悔しながらたもとに突っ込む。
「ほら正一、帰ろう。みんな待ってるぞ」
そして岩場の下にいた、物言わぬ正一を抱き上げる。
「キイチゴな、うまいもんな……いっぱいとってってやったら、喜ぶと思ったんだよなあ」
淵の向こう側には、見送るように火の玉が浮いていた。
権治の家の前の道は、通夜の前から降っていた雪で白く覆われていた。低くさす太陽はその表面をきらきらと照らすばかりで、一向に溶かす気配はない。黒い羽織を着た修造がぐるりと見まわすと、華燭山も白い冠を被っているのが見えた。
(あの家の庭にも、今頃雪が積もっているんだろうか)
「おい、こっちだ」
ぼうっと山を見ているところを宗二郎に促され、提灯を先頭にした野辺送りの列に並ぶ。家の中から碗を持った白無垢姿の権治の妻が出てくるのが見えて、ああ、今度は本当に葬列なんだな、と実感する。
自分のような、真似事ではなく。
不意に、家の中から小さな叫び声が聞こえた。
「おいっ、修造!」
続いて聞こえてきた怒鳴り声に振り向くと、権治が銃を構えて修造を睨みつけていた。
「どうして正一を殺したっ!」
燃えるような怒りと暗さを内包する目と銃口は、まっすぐに修造の方に向けられていた。修造と権治、二人を中心として人がはけていく。
「は? 何の話だ?」
「しらばっくれるな! お前、自分が食われるのが嫌だからって狐と取引したんだろう、『自分の代わりの人間を出すから、どうか見逃してくれ』ってな! すぐに帰ってきたときからおかしいと思ってたんだよ!」
「……取引なんか、していない」
「正一がいなくなったんだろ」
言いながらまた表に出ていこうとすると「おいどこ行くんだよ」と貞宗がついてくる。
「いや、狐に聞いてみようかと……」
「あー、お前の旦那か」
「旦那……まあ……」
夫……ではないだろうが、友人というわけでもない。何と表現すればいいか分からず、もごもごと言葉を濁す。ただ、あの狐なら迷子になった子供くらい見つけてくれるだろう――そんな気がした。
「権治、ちょっと来てくれ」
「は? 何だよ!」
焦りからだろう、怒鳴るように指示を飛ばしている権治を手招き、また修造は山へと歩き始めた。
「狐に聞いてみる。あまり期待はしないでほしいが……山狩りなどしなくても、見つかるかもしれない」
「狐?」
山の中は、葉を落とした木が立ち並んでいた。昼間はそれが明るく感じたのに、いまはただ寒々と冷たく、侘しく見える。
「松明消してくれ」
「えっ、でもそんなことしたら暗く……」
「いいから」
渋々、といった様子で権治が松明を消す。
「着ていたのは? いつもの紺絣か」
「多分」
「どこら辺で遊んでたんだ」
「ふもとの方の、キイチゴの採れるところだ。妹にもあげたいからもうちょっと取ってくる、って奥の方に行って……それっきり、らしい」
そうか、と返した瞬間、修造の視界の端でふわりと炎のような尻尾が揺れた。声を張り上げる。
「狐ッ! 聞いてたか⁉ 正一が山から戻らないんだ! お願いだ、探してくれないか!」
きゅーうーん、と返答が聞こえた。
「すげ」
「うわっ」
貞宗と権治の声は無視して、キイチゴの生えている方――修造が昼に登っていたのとは違う、沢の方に向かう分かれ道に進む。
「おーい、正一!」
「しょーいちー!」
名前を呼びながら歩いていくと、ケン、と鋭い声と共に森の向こう側に火の玉が浮かんだ。
「あっちだ」
藪をかき分けて進むと、三人を誘うように火の玉はふわふわと先へ飛んでいく。
「修造、ちょっと待ってくれ! こう暗くっちゃ……うわ!」
権治は猟師ではないし、修造のように毎日山に入っているわけでもない。あちこちで滑ったり躓いたりする権治のために、はやる気持ちを押さえながら歩く速度を落とす。
やがてちょろちょろと沢の水音が聞こえてきた。ゆらり、と火の玉が止まる。
目を細めると、数歩先から岩場になって谷になっている地面と、その先を流れる沢が見えた。それから、その淵に落ちているキイチゴも。
「修造、見えるのか?」
「ああ……ここだ」
横から首を突き出した貞宗に頷く。キイチゴが生えていたあたりからは大分離れているが、おそらく迷って闇雲に歩いているうちに、沢に落ちてしまったのだろう。
「おいっ、正一っ! いるのか! いるなら返事しろっ! 正一!」
「権治、お前はここにいろ。今連れてきてやるから」
権治まで落ちたら修造と貞宗だけでは対処できない。そう言い残して修造は岩場を降りた。散らかっているキイチゴを拾い集め、腰のかごを置いてきてしまったことを後悔しながらたもとに突っ込む。
「ほら正一、帰ろう。みんな待ってるぞ」
そして岩場の下にいた、物言わぬ正一を抱き上げる。
「キイチゴな、うまいもんな……いっぱいとってってやったら、喜ぶと思ったんだよなあ」
淵の向こう側には、見送るように火の玉が浮いていた。
権治の家の前の道は、通夜の前から降っていた雪で白く覆われていた。低くさす太陽はその表面をきらきらと照らすばかりで、一向に溶かす気配はない。黒い羽織を着た修造がぐるりと見まわすと、華燭山も白い冠を被っているのが見えた。
(あの家の庭にも、今頃雪が積もっているんだろうか)
「おい、こっちだ」
ぼうっと山を見ているところを宗二郎に促され、提灯を先頭にした野辺送りの列に並ぶ。家の中から碗を持った白無垢姿の権治の妻が出てくるのが見えて、ああ、今度は本当に葬列なんだな、と実感する。
自分のような、真似事ではなく。
不意に、家の中から小さな叫び声が聞こえた。
「おいっ、修造!」
続いて聞こえてきた怒鳴り声に振り向くと、権治が銃を構えて修造を睨みつけていた。
「どうして正一を殺したっ!」
燃えるような怒りと暗さを内包する目と銃口は、まっすぐに修造の方に向けられていた。修造と権治、二人を中心として人がはけていく。
「は? 何の話だ?」
「しらばっくれるな! お前、自分が食われるのが嫌だからって狐と取引したんだろう、『自分の代わりの人間を出すから、どうか見逃してくれ』ってな! すぐに帰ってきたときからおかしいと思ってたんだよ!」
「……取引なんか、していない」
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