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20 湯の中にて
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「そうそう。山頂から転がり落ちたときはもうだめかと思ったけど、結果的に石から出られたしこうやって湯も出てくるし、修造とこうやって一緒にいられるし、宗二郎さんには悪いけどぼくとしては良かったよね」
ぱちゃりと湯をすくい、赫は微笑んだ。赤い爪を伝って、水滴が垂れていく。
「そういえば赫、お前どうして石の中なんかに閉じ込められてたんだ」
温泉の横に転がる、自分の背丈より大きい岩を見上げる。断面がまだ綺麗だし、きっとこれが赫を閉じ込めていたというやつだろう。山頂にあった時は何とも思わなかったが、こうやって見るとずいぶんと圧迫感がある。
「あー……えっと」
横を振り向くと、また耳をぺたりとさせた赫が修造を上目遣いで見ていた。するりと尻尾を引っ込められる。白い水面と修造の顔を何度か見比べたのち、赫は水面下で膝を抱えたようだった。
「あの、ね……人を、食べようとした」
「……」
修造が思わず黙り込むと、くぅん、と赫は鳴いた。
「えっとね、食べたかったわけじゃなくて、いや食べたかったんだけどそうじゃなくて……あの、ね、人にね、なりたかったの」
「はあ」
「んっと……ぼくがね、この村に来たとき、ちょうど庄屋さんの娘さんが出産したばかりだったんだ」
いつのことだろう。気にはなったが、遮るほどではない。頷くと、水面の揺れが広がっていき、やがて赫にぶつかった。
「赤ちゃんはね、何にもできないのに、皆にかわいがってもらえて、抱っこしてもらえて、たらふくお乳ももらえてて……それが、いいなって。羨ましかった。でも、その頃はまだぼく、人に化けられなくて……だから、その子を食べて力をつけて、僕がその子に化けて……なり替わればいいって、思ったんだ」
「……ふうん」
「でも、ええと、旅のお坊さんに捕まっちゃって、それで……石に、なってた」
言いながら、赫の目からはぽろぽろと涙が落ちていた。水気を含んで頭に貼り付いた赤い髪の上に手を置き、逃げていきそうになる頭を少し強引に引き寄せる。
「……寂しかったんだな」
それが嘘だと分かっていても、他人を騙してでも、それでも愛されてみたかった――ぐすぐすと泣く赫はひどく儚げで、瞬きすると湯気の向こうに消えてしまいそうだった。
二度と寂しい思いをさせてなるものか。焦燥感に駆られて手を伸ばす。
餅のような頬を伝う水滴を、指先で拭う。「ふえっ」と変な声を出して赫が固まった。その両脇に手を入れると、小柄な身体は水中で簡単に浮く。それを自分の膝の上に乗せた修造は、赫の背中から手を回して細い体を抱きしめた。
「ほら、これでどうだ?」
「ん、しゅ、修造っ……!」
振り向いてきた赫の唇に口づける。柔らかい唇を軽く食んでから顔を離すと、耳をピンと立てた赫が今にも零れ落ちそうなほど目を見開いていた。その顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「抱っこしてほしかったんだろ」
「も、もうそんな子供じゃないし……それに……知らないっ!」
拗ねたような口ぶりだったが、ぷいっと前を向いた赫は修造の膝から降りなかった。水に広がる長い髪の間から見える、桜色になったうなじにまた軽く口をつけると、「んっ」と可愛らしい声がして大きな耳が揺れる。
赫は、確かに化け狐なのだろう、と修造は思った。
だが、昔修造の家族を奪ったあの狐とは違う。自分の命を張ることすら躊躇わずに人を助ける強さを持っているくせに、名前を呼ばれないだけで拗ね、修造が家に帰るというだけでめそめそと泣き出すような奴なのだ。
修造が腕の力を強くしても赫は何も言わなかった。ただ、修造と赫の間に挟まれた太い尾が、もそもそと落ち着かなげに動いていた。
綿入れが火の玉に炙られてすっかり乾いた頃、二人は湯から上がった。ぶるると勢いよく身体を振って水を跳ね飛ばす赫に思わず目を閉じると、次に開けたときにはふかふかに乾いた大きな狐に変わっていた。
「便利だな、お前」
これはもしかして、乾かす時の心配などせず髪の毛をじゃぶじゃぶ洗ってしまって良かったのではないだろうか。考えながら手ぬぐいで身体の水気を取った修造は、急いで綿入れに袖を通した。身体はそれでいいものの濡れた頭が寒い。身を震わせると、「そうだ、こうすればいい」と赫が修造の肩に足先を置いた。それが軽くなったかと思うと、修造は毛皮でできた長羽織に包まれていた。
「おお……?」
「どうかな」
声は羽織の首辺りから聞こえる。触ってみると、ぴょこりと飛び出た耳があった。赫の体温なのか、ふわふわした毛によるものか、非常に暖かくて気持ちがいい。赫の頭のあたりを掻いてやると、きゅきゅきゅという喜色にあふれた鳴き声と共に、修造の後ろから伸びた三本の尻尾が揺れた。
「こりゃ狐になったみてえだな」
「んっふふ、修造狐だ」
ぱちゃりと湯をすくい、赫は微笑んだ。赤い爪を伝って、水滴が垂れていく。
「そういえば赫、お前どうして石の中なんかに閉じ込められてたんだ」
温泉の横に転がる、自分の背丈より大きい岩を見上げる。断面がまだ綺麗だし、きっとこれが赫を閉じ込めていたというやつだろう。山頂にあった時は何とも思わなかったが、こうやって見るとずいぶんと圧迫感がある。
「あー……えっと」
横を振り向くと、また耳をぺたりとさせた赫が修造を上目遣いで見ていた。するりと尻尾を引っ込められる。白い水面と修造の顔を何度か見比べたのち、赫は水面下で膝を抱えたようだった。
「あの、ね……人を、食べようとした」
「……」
修造が思わず黙り込むと、くぅん、と赫は鳴いた。
「えっとね、食べたかったわけじゃなくて、いや食べたかったんだけどそうじゃなくて……あの、ね、人にね、なりたかったの」
「はあ」
「んっと……ぼくがね、この村に来たとき、ちょうど庄屋さんの娘さんが出産したばかりだったんだ」
いつのことだろう。気にはなったが、遮るほどではない。頷くと、水面の揺れが広がっていき、やがて赫にぶつかった。
「赤ちゃんはね、何にもできないのに、皆にかわいがってもらえて、抱っこしてもらえて、たらふくお乳ももらえてて……それが、いいなって。羨ましかった。でも、その頃はまだぼく、人に化けられなくて……だから、その子を食べて力をつけて、僕がその子に化けて……なり替わればいいって、思ったんだ」
「……ふうん」
「でも、ええと、旅のお坊さんに捕まっちゃって、それで……石に、なってた」
言いながら、赫の目からはぽろぽろと涙が落ちていた。水気を含んで頭に貼り付いた赤い髪の上に手を置き、逃げていきそうになる頭を少し強引に引き寄せる。
「……寂しかったんだな」
それが嘘だと分かっていても、他人を騙してでも、それでも愛されてみたかった――ぐすぐすと泣く赫はひどく儚げで、瞬きすると湯気の向こうに消えてしまいそうだった。
二度と寂しい思いをさせてなるものか。焦燥感に駆られて手を伸ばす。
餅のような頬を伝う水滴を、指先で拭う。「ふえっ」と変な声を出して赫が固まった。その両脇に手を入れると、小柄な身体は水中で簡単に浮く。それを自分の膝の上に乗せた修造は、赫の背中から手を回して細い体を抱きしめた。
「ほら、これでどうだ?」
「ん、しゅ、修造っ……!」
振り向いてきた赫の唇に口づける。柔らかい唇を軽く食んでから顔を離すと、耳をピンと立てた赫が今にも零れ落ちそうなほど目を見開いていた。その顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「抱っこしてほしかったんだろ」
「も、もうそんな子供じゃないし……それに……知らないっ!」
拗ねたような口ぶりだったが、ぷいっと前を向いた赫は修造の膝から降りなかった。水に広がる長い髪の間から見える、桜色になったうなじにまた軽く口をつけると、「んっ」と可愛らしい声がして大きな耳が揺れる。
赫は、確かに化け狐なのだろう、と修造は思った。
だが、昔修造の家族を奪ったあの狐とは違う。自分の命を張ることすら躊躇わずに人を助ける強さを持っているくせに、名前を呼ばれないだけで拗ね、修造が家に帰るというだけでめそめそと泣き出すような奴なのだ。
修造が腕の力を強くしても赫は何も言わなかった。ただ、修造と赫の間に挟まれた太い尾が、もそもそと落ち着かなげに動いていた。
綿入れが火の玉に炙られてすっかり乾いた頃、二人は湯から上がった。ぶるると勢いよく身体を振って水を跳ね飛ばす赫に思わず目を閉じると、次に開けたときにはふかふかに乾いた大きな狐に変わっていた。
「便利だな、お前」
これはもしかして、乾かす時の心配などせず髪の毛をじゃぶじゃぶ洗ってしまって良かったのではないだろうか。考えながら手ぬぐいで身体の水気を取った修造は、急いで綿入れに袖を通した。身体はそれでいいものの濡れた頭が寒い。身を震わせると、「そうだ、こうすればいい」と赫が修造の肩に足先を置いた。それが軽くなったかと思うと、修造は毛皮でできた長羽織に包まれていた。
「おお……?」
「どうかな」
声は羽織の首辺りから聞こえる。触ってみると、ぴょこりと飛び出た耳があった。赫の体温なのか、ふわふわした毛によるものか、非常に暖かくて気持ちがいい。赫の頭のあたりを掻いてやると、きゅきゅきゅという喜色にあふれた鳴き声と共に、修造の後ろから伸びた三本の尻尾が揺れた。
「こりゃ狐になったみてえだな」
「んっふふ、修造狐だ」
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