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31 焼け焦げる
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かさりとも音を立てず、岸辺の葦の中に入っていく赫を見送る。その尻が振り上げられた、と思った瞬間、大きく炎色の身体が飛び上がっていた。ばさばさばさ、と付近の鴨が飛んでいく。
「……おお」
「んっふふ」
体を起こした赫の口には、丸々と肥った鴨が咥えられていた。
「凄ぇな」
「まぁね? 一応狐だからね、これくらいお手の物さ」
得意げに目を細める赫から鴨を受け取り、首のあたりを掻いてやる。
「待ってな修造、今に持ちきれないほど――」
赫が修造に体を擦りつけた瞬間、ぴしりと修造は背筋が凍りつくほどの怖気を覚えた。生臭く気持ち悪い風が二人に吹き付け、息が詰まる。ギャアと声を上げ、池にいた鳥たちが一斉に飛び立っていった。
「……!」
覚えのある感覚に、修造の毛穴が粟立った。本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。
視線だけを動かすと、池の向こうに狐がいるのが見えた。
黒い、九尾の狐だった。修造と同じくらいの丈はありそうな体躯に、黒い毛皮がぬらぬらと光っている。赫と同じく紅い、だが酷薄な色をした目に睨まれているのがこの距離からでも分かった。太い尻尾は葦よりも高く、蛇のようににょろにょろと動いている。
赫の首を掻いた姿勢のまま動けずにいると、修造を押しやるように赫が修造の前に割り込んだ。毛の逆立った尻尾がぶわりと広がる。
「そんなことで褒められて満足か、出来損ないめ」
一町は離れているであろう向こうから、その声ははっきりと修造の頭に響いた。
低く、暗く、同時に駄々をこねる子どものようでもある不思議な響き。
「兄弟のよしみで待ってやっていたが……いい加減出ていけ。お前にこの村はもったいない。俺が貰ってやる」
「そ、んなこと言われて……出ていくわけがないだろう!」
対岸に向かって赫が叫び返す。だがその耳はぺたりと下を向いており、必死で踏ん張っているものの腰も引けてしまっている。
勝てるはずがない。そう赫自身も思ってしまっているのが目に見えていた。
「ここは、ぼくの縄張りだ!」
それでも、明らかに向こうより小さな体を精一杯大きく膨らませながら赫は抵抗した。修造がそっと背中に手を置くと、その下の体はぶるぶると震えている。
その様子に、黒狐は呆れたようにふんと鼻を鳴らすような仕草をした。
「そんなにその男が大事かい」
空から何かがポトリと降ってきて、池の中に墜落する。
「じゃあ、そいつがいなくなったら出て行ってくれるかな」
じゅうと音を立てて煙を上げたそれは、赫が捕まえたものよりよほど大きい鴨の、黒焦げになったものだった。
強い力で引っ張られた、と思った瞬間、周囲の景色が飛んで行った。息もできないほどの風を感じたのもつかの間、修造は赫の家の座敷に転がっていた。
「お……おい、大丈夫か」
修造の襟から口を離し、舌を出して腹這いになる赫に、たらいに汲んだ水を差し出す。噛むように水を飲む赫を撫でていると、やがて赫は鼻先を上げ、ふうと深呼吸した。
「修造、逃げてくれ」
「嫌だね」
即答すると、赫の耳が向こう側にべたりと寝た。きゃおぉ、と威嚇するように口を開きかけてまた閉じる。
「何いってんだよ! 見てただろ! あいつ修造のことを……っ、こ、殺すって! 早くしないと、今にここまで来ちゃうだろ!」
「……落ち着けよ、赫」
おろおろと畳を引っ掻く前足の上に手を載せる。焦げた鴨の臭いは、まだ鼻の奥にこびりついていた。
恐らく、あの黒狐はもっと前からこの辺りにいたはずだ。そして、赫を追い出そうと「お前もいずれこうしてやる」とずっと警告をしていた。それがあの謎のはやにえで、赫は――赫は、それに気づいていながらずっと黙っていたのだ。
どうして言ってくれなかったのか。焦げた鳥を見て赫が変な反応をしたと思った時になぜもっと問いたださなかったのか。兄弟って何の話だ。修造自身も怒りと憎しみで煮えくり返りそうだったし、聞きたいことがいくつもあったが、尻尾を丸めて震える赫にその気持ちが萎えていく。
修造は大きく息を吸った。いつ黒狐が追ってくるか分からない以上、まずはこれからどうするかを決めなくてはならない。詳しい話はそれからだ。
「あのな、オレだけ逃げてどうすんだよ。お前を置いていけるわけないだろ」
「駄目だ修造ッ、そんなことしたら修造が焼かれちまう」
「それに……お前一人であいつに立ち向かおうって気持ちはあれだけど……無謀だろ、それは」
「でもっ、このままじゃっ、あいつこの村に居座っちまうじゃないかっ! それは、そんなことは、させちゃだめだっ、ぼくと違ってあいつは人を食うんだ、この村の人達が食われちまう!」
「……おお」
「んっふふ」
体を起こした赫の口には、丸々と肥った鴨が咥えられていた。
「凄ぇな」
「まぁね? 一応狐だからね、これくらいお手の物さ」
得意げに目を細める赫から鴨を受け取り、首のあたりを掻いてやる。
「待ってな修造、今に持ちきれないほど――」
赫が修造に体を擦りつけた瞬間、ぴしりと修造は背筋が凍りつくほどの怖気を覚えた。生臭く気持ち悪い風が二人に吹き付け、息が詰まる。ギャアと声を上げ、池にいた鳥たちが一斉に飛び立っていった。
「……!」
覚えのある感覚に、修造の毛穴が粟立った。本能が逃げろと警鐘を鳴らしている。
視線だけを動かすと、池の向こうに狐がいるのが見えた。
黒い、九尾の狐だった。修造と同じくらいの丈はありそうな体躯に、黒い毛皮がぬらぬらと光っている。赫と同じく紅い、だが酷薄な色をした目に睨まれているのがこの距離からでも分かった。太い尻尾は葦よりも高く、蛇のようににょろにょろと動いている。
赫の首を掻いた姿勢のまま動けずにいると、修造を押しやるように赫が修造の前に割り込んだ。毛の逆立った尻尾がぶわりと広がる。
「そんなことで褒められて満足か、出来損ないめ」
一町は離れているであろう向こうから、その声ははっきりと修造の頭に響いた。
低く、暗く、同時に駄々をこねる子どものようでもある不思議な響き。
「兄弟のよしみで待ってやっていたが……いい加減出ていけ。お前にこの村はもったいない。俺が貰ってやる」
「そ、んなこと言われて……出ていくわけがないだろう!」
対岸に向かって赫が叫び返す。だがその耳はぺたりと下を向いており、必死で踏ん張っているものの腰も引けてしまっている。
勝てるはずがない。そう赫自身も思ってしまっているのが目に見えていた。
「ここは、ぼくの縄張りだ!」
それでも、明らかに向こうより小さな体を精一杯大きく膨らませながら赫は抵抗した。修造がそっと背中に手を置くと、その下の体はぶるぶると震えている。
その様子に、黒狐は呆れたようにふんと鼻を鳴らすような仕草をした。
「そんなにその男が大事かい」
空から何かがポトリと降ってきて、池の中に墜落する。
「じゃあ、そいつがいなくなったら出て行ってくれるかな」
じゅうと音を立てて煙を上げたそれは、赫が捕まえたものよりよほど大きい鴨の、黒焦げになったものだった。
強い力で引っ張られた、と思った瞬間、周囲の景色が飛んで行った。息もできないほどの風を感じたのもつかの間、修造は赫の家の座敷に転がっていた。
「お……おい、大丈夫か」
修造の襟から口を離し、舌を出して腹這いになる赫に、たらいに汲んだ水を差し出す。噛むように水を飲む赫を撫でていると、やがて赫は鼻先を上げ、ふうと深呼吸した。
「修造、逃げてくれ」
「嫌だね」
即答すると、赫の耳が向こう側にべたりと寝た。きゃおぉ、と威嚇するように口を開きかけてまた閉じる。
「何いってんだよ! 見てただろ! あいつ修造のことを……っ、こ、殺すって! 早くしないと、今にここまで来ちゃうだろ!」
「……落ち着けよ、赫」
おろおろと畳を引っ掻く前足の上に手を載せる。焦げた鴨の臭いは、まだ鼻の奥にこびりついていた。
恐らく、あの黒狐はもっと前からこの辺りにいたはずだ。そして、赫を追い出そうと「お前もいずれこうしてやる」とずっと警告をしていた。それがあの謎のはやにえで、赫は――赫は、それに気づいていながらずっと黙っていたのだ。
どうして言ってくれなかったのか。焦げた鳥を見て赫が変な反応をしたと思った時になぜもっと問いたださなかったのか。兄弟って何の話だ。修造自身も怒りと憎しみで煮えくり返りそうだったし、聞きたいことがいくつもあったが、尻尾を丸めて震える赫にその気持ちが萎えていく。
修造は大きく息を吸った。いつ黒狐が追ってくるか分からない以上、まずはこれからどうするかを決めなくてはならない。詳しい話はそれからだ。
「あのな、オレだけ逃げてどうすんだよ。お前を置いていけるわけないだろ」
「駄目だ修造ッ、そんなことしたら修造が焼かれちまう」
「それに……お前一人であいつに立ち向かおうって気持ちはあれだけど……無謀だろ、それは」
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