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本 編
16. 目覚める性
しおりを挟む消毒液の匂いがする……
病院に居るのかな……?
何だか頭がぼんやりして、ハッキリしない。
何で、病院にいるんだっけ?
ジェイ……は……?
そうだ……ジェイとまた繋がった……訳が分からない程イかされて、スパームもいっぱい胎内に出された。
子供……出来たかな……?
セックスしてただけなのに、何で? 何で病院?
腫れぼったい瞼を開けると、見覚えのない病院だった。
……喉が渇いた。
ベッドの周りを目だけ動かして観察する。床頭台が冷蔵庫なのかな。
水が欲しくて、モゾモゾと身体を動かす。
身体が固まっているのか、凄く動かし辛い。
ノロノロと動いていたら、扉がノックされて神田先生が入って来た。
「雪乃くん、本当に目が覚めたんだね。どうしたの? 水が欲しいのかい?」
床頭台に手を伸ばしていたからか、神田先生は俺の欲しいものが分かったみたいだ。
正直、助かった。素直に頷くと水を取り出してくれて、いつかみたいにペットボトルにストローを挿してくれた。
水を一頻り飲んで、ほっと息を吐く。
「神田先生。俺、どうして病院に居るんですか……?」
神田先生は、俺の腕に巻かれたバイタルをチェックしながら答えてくれた。
「雪乃くんは、一ヶ月の間、眠っていたんだよ」
「ええ……?」
本当に、運命の番を切り捨てた時みたいだ……
ジェイとえっちなことをしたから? え? えっちしたら入院するって、どういうこと……?
それよりも、確認したいことがある。
「神田先生、俺……妊娠してます……?」
一ヶ月も経っていれば、分かるはずだよね。
「――してないよ」
「そっ、か……」
あからさまにガッカリとした俺を見て、神田先生は苦笑した。
「じゃあ、何で病院にいるんですか? 病気ですか?」
俺が首を傾げると、神田先生は首を横に振った。
「病気じゃないよ。雪乃くんのオメガ性が目覚めたんだよ」
「え?」
「雪乃くん、僕のフェロモンの匂いが分かるかい?」
神田先生が顔を近付けて来る。俺も顔を近付けて匂いを嗅ぐ。
ふわりと、神田先生の匂いがした。オメガ性が眠る前に、よく嗅いだことがある匂いだ。
「あれ……? 神田先生の匂いがする……」
神田先生は、微笑んだ。
「うん。雪乃くんの匂いも、ちゃんとするよ?」
俺の匂い……フェロモンの匂い……?
「俺の匂いが、するんですか?」
「してる。これからは、ヒートも来るよ。ベータの生活は、終わりだよ?」
「…………」
ヒートが来る……? ベータの生活は終わり……? 番もいないのに、ヒートが来ても困る……
「……何で、急にオメガ性が目覚めたんですか?」
今まで、眠っていたのに……どうして急に?
「アルファの因子をたくさん摂取したからだろうね」
「アルファの因子……?」
「アルファの唾液とか、精液とかだね」
それを聞いて、カッと顔が熱くなった。
え、え? それって、ジェイといっぱいキスしたり、胎内にいっぱい貰ったりしたから……?
「でも、番がいないのにヒートが来ても……」
辛いだけだよな。
「アースキングさんと番わないのかい?」
「それは……」
「彼の子供が欲しかったんだろう? 子供が欲しいって思うくらい、彼のことが好きだってことだよね?」
神田先生の言葉に、ゆっくりと頷いた。
「雪乃くんが納得いくまで、悩めば良いと思うよ」
神田先生は、にこにこと笑いながら言った。
その時、扉がノックされて父さんが入って来た。
ぶわりと香った匂いに、懐かしさが溢れ出した。
父さんの匂いだ……
思わず、父さんに両手を伸ばす。父さんは真っ直ぐに俺の傍に来てくれて、俺の上半身を抱き締めてくれた。
「雪乃……良かった。目覚めたんだな」
立ったままの父さんの鳩尾に顔を埋めて、胴体に抱き着く。懐かしい匂いをスンスンと嗅いだ。
「父さんの……匂いがする……」
「っ!? 雪乃……!」
父さんのお腹に擦り寄っていると、ぎゅうぅっと抱き締められた。
父さんの匂いに混じって、母さんの匂いもする。
凄い、安心する……『我が家』って感じだ。
ずっと、家に居たはずなのに、我が家に漸く帰って来た、って感じがする……
「父さんと母さんの匂い……懐かしい……」
父さんは、俺の頭を撫でながらマーキングもして来る。嬉しい。
一頻り抱き合ったあと、父さんが神田先生に声を掛けた。
「神田先生、雪乃の容態はどうなんだ?」
父さんは、俺をお腹にくっ付けたまま、神田先生に尋ねる。
「とても、安定しています。ずっと眠っていたので、ちょっと運動不足なだけですね。オメガ性も目覚めたようですし、正常ですよ」
神田先生は、にこやかに答えた。
「なら、雪乃を連れ出しても良いか?」
「何処にです?」
不思議そうに尋ねる神田先生に、父さんは苦々しく笑った。
「ジェイデンに会わせる。そろそろ、まずい状態だからな……」
「え……ジェイが……どうかしたの?」
ジェイがまずい状態……? 俺が一ヶ月寝ていた間に、何かあったんだろうか。
父さんは、苦笑するだけで答えてはくれなかった。
気になって、落ち着かなくなって来た。
「ああ……構いませんよ。ただ、僕も付いて行って良いですか? ちょっと、個人的に確認したいこともあるので……」
神田先生が言うと父さんは、益々、難しい顔をした。
「んー……かなり荒れているからなあ。神田先生にはキツイかも知れないぞ? 仁乃が抑えてはいるが……」
仁乃兄さんが……? ジェイを抑えている?
「なるべく、昂雅さんの後ろにいます。倒れた時は……その時です」
神田先生は、肩を竦めて苦笑した。
父さんは、渋々、頷いた。
それからは、ゆっくりとシャワーを浴びて父さんが用意してくれた服に着替えた。黒のストレートのパンツに、インディゴブルーのTシャツ、ダークグレーのパーカーだ。
着替え終わると父さんに、もう一度ハグされてマーキングされた。
その後は、三人で車に乗ってジェイの邸宅に向かう。
「神田先生は、何を確認したいんですか?」
車中で、神田先生に尋ねる。
因みに、神田先生は、父さんが雇用しているオメガの専属医師だ。今回の旅行には、大神一族のオメガ達の為に同行している。もう二人、アルファとベータの専属医師も同行しているんだって。
「ふふっ、前に面白い論文があるって話をしただろう?」
神田先生が悪戯っぽく笑った。
論文? 少し考えて、直ぐに思い至った。
「ああ……アルファの、サイズの話ですか?」
父さんの前なので、陰茎と言う言葉は避けた。
神田先生は、大きく頷いた。
「サイズ……?」
父さんが首を傾げている。
神田先生は父さんにも頷いて、隠すことなく論文の内容を説明し始めた。
流石、医師だ……医学的説明をしているように、臆することなく、父さんにアルファの陰茎の話をしている。番の身長の大きさがアルファの陰茎の大きさだと、真剣に話している。
「ああ、成る程。確かにそうかも知れないな」
父さんは、苦笑しながらも納得したみたいだ。
まあ、父さんの場合は巨根に属するから怒りはしないんだろうけど……母さんの背が大きいし……女性オメガだし。
「その話をした時に、僕が雪乃くんに言ったことを覚えているかい? 医学的には、何の根拠もない世間話だよ」
あの時の世間話といったら……
「俺の運命が……変わったかもっていう話ですか?」
神田先生が大きく頷いた。
「……ジェイが俺の運命になったかも、ってことですか……?」
まさか……本当にそんなことが……? もし、本当にそんなことがあったら……嬉しい、けど……本当に?
「それを確かめたいんだよ」
神田先生が、にこりと笑った。
「成る程、あり得なくはないな」
父さんも納得したように、頷いた。
「父さん……?」
どういうこと? あんまり、期待させないで欲しい……違った時のショックが大き過ぎるから。
「ジェイデンは、雪乃に会いたがっているんだよ」
「ジェイが?」
俺に会いたがっている?……何だか、嬉しい。
ジェイも、俺に会いたがってくれているんだ……
顔が綻びそうになる俺とは真逆に、父さんの顔は益々、渋面になった。
「雪乃に会うと言って、邸宅から出ようとするから、麻酔銃で撃って眠らせているよ」
「えっ!? そ、そんなことして、ジェイはっ……!? ジェイはっ、大丈夫なのっ!?」
麻酔銃で撃つ……!? そんなっ……! まるで猛獣みたいな扱いじゃないかっ……!!
俺の顔から血の気が引く。
「そうでもして止めないと、大変なことになるんだよ、雪乃。ジェイデンがもし、雪乃が傍に居ない状態で病院に乗り込んで来たら、多くの人が亡くなる可能性がある」
「え……」
多くの人が亡くなる……?
「手術中の医師や看護師がジェイデンの威圧に当てられて気を失ったら、患者はどうなる? 生死の狭間を彷徨っている患者は? 心臓の弱い患者はどうなる? 急患は?」
「…………」
俺は、何も言えなかった。
ジェイは、本当に一人で外の世界には行けないんだ……
初めて、ジェイの不自由さが分かった気がした。テーマパークには一緒に行けていたから、そこまで酷いことになるかも知れないなんて、考えていなかった。
父さんは、落ち込む俺の頭を撫でた。
「あの、ジェイデンの雪乃を求める執着は、運命の番に向けるものと変わらないと思えるんだよ。それに、ジェイデンは希少種だ。思いも寄らないことが起こっても、不思議じゃない」
「そうですね。希少種アルファの中には、自分で運命を決める方もいましたからね。かの有名な、ベータをランク付けした希少種アルファは、上位アルファをビッチングしてオメガに変えたことは、有名な話ですからね。……しかも、希少種オメガに変えたんだから……」
神田先生が、何処か呆れたような顔で溜め息を吐いた。
「ははっ、それはちょっと違うよ、神田先生。ビッチングは、されていない。彼は元々、希少種オメガだったそうだよ」
「「えっ!?」」
俺と神田先生の驚きの声が揃った。
「私の曾祖父が面識があったらしいからね。事実だよ。上位アルファを圧倒する程の希少種オメガだったらしいよ。運命の番に出逢うまではヒートもなかったらしいし、見た目からも上位アルファと思われていたそうだよ。本人もそう思い込んでいたらしいしな」
俺と神田先生は、驚きの事実にポカーンとしてしまった。
「……それは、凄い事実ですよ……? 今まで、どれ程の医療関係者がビッチングの謎を解き明かそうと研究してきたことか……今は、アルファ因子の他にオメガ因子も多く持っていたのでは?……と、いう説が有力なのに……」
神田先生は、茫然としていた。
「そうなのか? ビッチングなんて、出来る訳がないだろう。後付けで、新たな臓器を作り出すなんて……有り得ない。ましてや、子宮なんて複雑な臓器が出来るわけないだろ。ビッチングされたと思われている者は、元々、オメガなだけだ。……雪乃みたいに、オメガ性を眠らせていたんだろうな」
「そんな……医療研究の根本が崩れる話じゃないですか……でも、確かに……ビッチングされた者の臓器は、目立たなかっただけで後から大きく成長したように自然な臓器ですね……」
神田先生は、脱力して座席に沈んだ。
「じゃあ……希少種アルファの力っていうのは?」
ビッチングが違うと言うなら、特殊な力って何だろう? 俺は首を傾げる。
「それは、色々だな……ただ、ビッチングされたと思い込んでいる者達は、運命の番に出逢った瞬間にヒートを起こしたり、相手のアルファもマストは起きないと聞く。何度か身体を重ねて、アルファ因子でオメガ性を目覚めさせられるのさ」
「どういうこと? 運命の番にされるってこと……?」
もし、ジェイにもそんな力があるのなら、俺を運命の番にして貰えるんだろうか……?
「はは、最初から運命だよ。発情しないだけで、惹かれ合うのは変わらない。希少種オメガに認めて貰えないと、オメガ性を目覚めさせられないのかも知れないな」
父さんの言葉に、頷く。
俺は、希少種オメガじゃない……でも、ジェイには惹かれている……とても、惹かれている……
オメガ性も、ジェイによって目覚めたけど……俺の場合は、他に運命の番がいた訳だし……何より、オメガ性が眠る前は、ちゃんとオメガだった。
駄目だ……変に期待したら、落とされた後が辛くなる。
俺が浮かない顔をしていると、神田先生が真剣な顔で俺を見てくる。
「雪乃くんのオメガ性が目覚めたのは、アルファの因子を摂取したからだと言ったよね」
神田先生の言葉に、頬を赤らめながら頷いた。
アルファ因子って、結局はアルファの体液だし……父さんの前だから、余計に恥ずかしい……
「アルファの因子なら、誰でも良いって訳じゃないんだよ?」
「え?」
「雪乃くんは、上位アルファには目もくれず、希少種アルファだけに反応していたじゃないか。その中でも、アースキングさんを一番欲しがっていただろう?」
「え……」
どういうこと? ジェイを欲しがった……?
神田先生が笑った。
「あはは、覚えていないのかい? 雪乃くんは、昂雅さんよりも、アースキングさんを美味しそうって……食べたいって言っていたよ?」
「えぇっ……!? 俺がっ!?」
そんなこと、言った覚えはない……誂われてる訳じゃないよな……?
「一日だけ検査入院した時も、雪乃くんはアースキングさんから少しも離れなかったよ。検査の為に、少しだけ離そうとしても泣いて嫌がって、大変だった……雪乃くんは、アースキングさんの因子だけが欲しかったんだよ」
泣いて嫌がった……? 身に覚えがない……
驚いて固まっている俺を神田先生は、慈愛の籠もった目で見て来る。
「オメガ性が目覚めた雪乃くんと、アースキングさんがどんな反応を見せるか、興味があるんだよ。まあ……ヒートは、流石に起きないだろうね。まだ、オメガ性が目覚めたばかりで卵子が作られていないからね」
神田先生が微笑んだ。
それっきり、何も話さなかった。
俺が、ジェイの因子を欲しがった?
確かに、ジェイとのキスはいつも美味しいと感じていた。でも、ジェイを食べたいなんて言った記憶はない。
熱があった時は、記憶があやふやで……よく覚えていない。
何か、ソワソワする……
ジェイに早く会いたいから……?
麻酔銃で撃たれたなんて……大丈夫なのかな……
…………ジェイ…………
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