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第??話 獣ノ刻 その10
しおりを挟む正気が戻ってくる。
顔を向けてくる師匠の視線から逃げるように目を瞑り、唇を噛みしめた。
――――彼に合わせる顔がありません。
恩知らずな真似をした。
破門されたとはいえ、今まで育ててもらった恩を返すこともせず、勝手に出ていった。そして自棄になって死にかけている。
助ける理由なんて、本当はもう、彼にはないはずです。それでも私を助けてくれたのは、彼が人として優しいから。
彼はぶっきらぼうなところもありますが、自分の子でもない私を心を砕いて育ててくれた優しい人です。日常生活を共に送る最中にもそれは伝わってきました。
彼が私を見る瞳には愛情と親愛が感じられていました。
私はそれを感じていた。信じていた。
でも――――もし、もうその愛情が消えてしまっていたら?
顔を見ることができない理由はもう1つ。
――――怖い。
嫌われてしまったのではないかという子どものような恐怖。それに襲われている。
想像するだけで息がつまり、背筋が寒くなる。私にとっては死ぬことよりも、ずっと怖い。
確かにあった愛情。その代わりに失望と落胆、そんな暗い感情が私を見る目に宿っていたら? 私は……耐えられる自信はありません。
何度も、何度も、確かにあったはずのそれが瞳からスッと消えていくさまを見てきた。
それは、どれだけ繰り返しても慣れることなんてなくて。向けられる愛情が大きく、過ごした年月が長いだけ、その恐怖が育っていく。
――――でも、それも全部自分のせい……ですよね。
感情を押し殺して、心は沈んでいく。
ごめんなさい……。
私では……師匠の期待に応えられませんでした……。
暗い感情が胸のうちに染まっていく。
――しかし
「無事で良かった……」
ぽんっ、と頭に手が乗せられる。
髪に遮られているはずなのに、何故かそこから暖かさを感じて。隔てられ、遠ざかっていた世界が手繰り寄せられてきたように感じた。
心に広がっていた暗い感情が、拭い去られていくように感じた。
「悪かったな。まさか飛び出してしまうとは思わなんだ」
そっと抱き起こされる。
伝わる暖かさに、冷たく凍りついた心の氷が解けていくように感じた。真っすぐに師匠が目を見つめてくる。
「あとでちゃんと話をしよう。だから勝手にいなくなるな……」
こくりと頷く。
普段はだらしなくて、デリカシーもなくて。
でもいざという時は頼りになる。そしてちょっぴり厳しくて、その心の底はとても優しい人。
私の――――師匠。
「悪いのう、森のヌシ。こいつはやれん。こんなんでもワシの弟子でな。こいつは今から飯をつくらにゃならんのだ」
……なんですかそれ。ご飯作らせる為だけに、命を懸けて助けに来るくる人なんて、見たことも聞いたこともないですよ。そんなことを言うのはあなたが初です。保証します。
思わず、ふっと笑みが溢れた。
気づけば恐怖の感情はとっくに溶けて消え去っていて。残っていたのは申し訳無さと、ちょっぴりの安心感だった。
自然と俯いていた顔が上がる。
本当に……この人は――。
見上げた先に。――パシャリと。
「うぶっ!?」
水!? なんでいきなり水が!?
思考が追いつかず、呆然としている私に容赦なく水が降り注ぐ。避けることもできない私に、止まることなくパシャパシャと。水の流れが止まっても、パチクリと瞬きをすることしかできなかった。ぴちょんと髪から垂れる雫が、唖然としていた私の口に落ちる。
――――あれ? この苦みは……。
「回復ポーションだ。これで多少は楽になるだろう」
神妙な表情をした師匠が、私の頭上で空になった瓶を振っている。
……ああ、なるほど。
体に意識を向けてみれば、確かに先程までの苦しさがマシになっていることを確認できた。
彼の言う通りなら、頭上から振りかけられたのは傷を治癒する効果が含まれた回復薬。実際に楽になった体と、口の中に感じる薬草のイガイガした苦みから事実でしょう。
常温のはずの液体が、熱を持った体にひんやりと気持ちいい。これは体の熱を下げ、傷の治療もでき、気付けもできるシンプルかつ合理的で効率的な完璧な処置!
……いや、そうじゃなくて。
本当に……この人は……!!
助けてもらった立場で言うのもなんですが。何なんですが!!
処置としては完璧かもしれませんが、もう少しこう、なんというか……、優しさとか、手心があっても良くないですか!!?
扱いが雑というか、情緒を大切にするとか……いえ、文句を言える立場ではないのですが!!
デリカシー……。この治療にデリカシーはついてこないんですか? そこになければない? そうですか……。
心のなかで百面相をしながら、それでもちゃんと、笑顔を向けた。
「……あ、ありがとうございます……」
感謝を伝える声が思わず震えてしまった。……これはきっと疲労のせい。そういうことにします。しました。
……まったく、もう。
おかげで視界が濡れて上手く見えません。助けて貰った身でなんですが酷い師匠ですね……。
そうこうする内に、ヌシの砲撃が収まりつつあった。
「さて、今は目の前の大きな問題を片付けるとするか。話し合いは、それが終わったあとだ」
ヌシの動きに目をやる。
「そうですね……。あれを倒さなくては」
脚は疲労で震えが止まらない。それでもと立ち上がろうとしたところで、師匠の手が頭に乗った。
「お前さんはここで休んでおれ。これ以上戦うのは無茶を通り越して無謀だ」
「でも師匠……」
「でももカカシもない」
呆れたような声が頭上から降ってくる。
「お前さん今、生命維持もギリギリだからな? どれほど死力を尽くしたらこうなる。やろうとしてできることじゃねぇぞ。普通無理だからな。ビビって勝手にブレーキがかかるもんだ。お前さんはよくやったよ」
「……そうなんでしょうか?」
彼の声は優しい。でも私はそれに納得はできなかった。
そうでもしないと勝てないというか、そうしても勝ててないんですよね……。
「ともかくこれ以上動くと気絶とかそんなレベルじゃなくて、そのまま死ぬ。黙って見ておれ」
「……わかりました」
「まあ安心しろ。こっから敗けやせんよ」
「ええ、まあ……」
師匠が負けることはあまり心配していないというか、押し付ける形になってしまったことが申し訳ないのですよ……。
「そんじゃ……手始めに。追記:騎洞」
師匠が発動中の《拒交神盾》の魔術陣に、後述する。そうすれば、私達を守っていた盾の魔術の形状が球状に変化し、囲いこんだ。
追記とは魔術に後付けで性質を変化させる技術なのですが……正直、レベルが違いすぎて何やっているのか全くわかりません。余白に追記して、変化と分岐を指定しているとか言ってました。
「これで良かろう。……勝手にいなくなるなよ」
「もちろんですよ」
どうだか、と嘆息した師匠がヌシに向けて踏み出した。
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