前世の女 夢の男

藤雪花(ふじゆきはな)

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『女』
 
 男と目が合った途端、美羽の心臓は跳ね上がり、茶をこぼしそうになった。
 男は張り出した腹をスリーピースの高級スーツに身を包み、世界を市場にしてビジネスで成功したもの独特の傲慢さで周囲を委縮させていた。
 男にも、男の胸ポケットからこぼれる金の鎖にも、見覚えがあった。
 外見は違えど受ける印象は同じだから。
 美羽の夢に、子供のころから繰り返し現れるこの男は、新土地開発コンサルタント会社を経営する一条史彦と名乗った。


 会合の後、二日も開けず一条は今度はひとりで再訪する。
 目当ては美羽。
 開発を進めるのも取りやめにするのも自分次第だとにおわせる。
 一条史彦に妻子がいることはネットで確認した。
「新ホテルの核となるメンバーに美羽くんの名前があるよ」
「……わたし、ですか」
「君が推薦する人がいるのなら、一緒に採用してやろう」
 若くも美人でもないのにどうしてあんたが気に入られているのよ、と先輩姉さんたちの視線が突き刺さる。
 沈みゆく船に男が手を差し伸べるのは他の誰でもない美羽だけ。
 夢の中で、男は美羽を見いだしてきたように。美羽はこの日が来ることを予感していた。

 悪夢の男が、
 現実に追いつき、
 美羽を貪り喰らう日を。

 夢の中でこの男は美羽に執着し、呼吸さえ管理した。
 一度でも男の甘言に乗せられれば、夢の中の美羽のように壊れるまで踊らされ続ける人形のような日々が待っている。身体も心も男の思う通りにねじ曲げられ、毒々しく飾り立てられ、男の横でトロフィーのようにSNSに晒されるかもしれない。
 美羽は実のところ、贅沢や名誉や権力にまったく興味がない。
 四季を感じる里山で平穏に日々を過ごすことが心からの望みだった。
 都会を離れ、寂れた漁村の旅館で働くのも、日本の昔ながらの生活が落ち着くから。どこの海辺も同じ景色にするリゾートホテルなどこの漁村には不要だった。
 自分の価値観をなすりつける独善的な愛は、愛ではない。
 美羽は、どんな未来であれ自分の意思で生きたいと願う。
 だから、一条史彦に完全に絡め取られる前に、彼を葬り去らなければならなかった。
 ようやく生まれてこの方、美羽を苦しめ続けた悪夢に終止符を打てる日が来たのだ。

 美羽は、雪を割って伸びる黄色の水仙を葉ごと手折った。
 葉だけみればニラとよく似ている。
 数年に一度、山菜採りに来た都会人が水仙とニラを取り違え中毒死したのがニュースになるが、このあたりに住むものは絶対に間違えることはない。水仙にはあの独特のにおいがないから。
 水仙の葉を、男に出される予定の山菜の籠の中に紛れ込ませた。間違えないものをあえて確認する人はいない。
 悪夢を払うために用意していたのは、他にスズラン、トリカブト、チョウセンアサガオ、イヌサフラン……。
 美羽は、笑いを噛み殺した。


前世の女 完


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