黒き刻印と騎士団長に捧ぐ心

ゆゆじ

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城門をくぐった瞬間、ざわめきが耳を打った。
空気は湿り気を帯び広場は熱気に満ちている。

「今日は子爵の処刑だ」
「裏切り者に相応しい最期だな」
「子爵が何をしたと言うんだ…」
「どうせ子爵は何もしていない。今日も皇帝の気分だろう」
「本日は皇帝陛下と皇子様、皇女様がご覧になると聞いたぞ」

期待と好奇、恐怖と興奮が入り混じった群衆の声が渦を巻く。柵を押しのけんばかりに人が集まり、見世物を待つ顔は獣のようにぎらついている。

その様子を見ながら、俺はわざとゆっくり広場に入った。

人々がざわめき、口々に「悪虐皇子だ」と囁く声が聞こえる。その視線に晒されながら俺は唇に冷笑を貼りつけた。
これは仮面だ。
心の奥にある吐き気をこらえながらでも俺は悪虐を演じなければならない。

玉座の横に並んだ椅子の一つに腰を下ろすと、前方の処刑台に囚われの子爵が引き立てられてきた。

「リュシアン…後少しでお前を処刑していた」

鋭利で冷たい目をした皇帝が玉座越しに話しかけてきた。生まれてこの方、一度でも温かい目で見られたことも微笑みかけられたこともなかった。もちろん未来でもない⸻巻き戻っても変わらない皇帝に吐き気がした。

「申し訳ございません。…本日の剣を選んでおりました」

予想できた返答だったからか、興味を失った皇帝はリュシアンから視線を外した。

「…フン。点数稼ぎご苦労だなリュシアン」
「兄上、能力もないアイツには処刑しか取り柄がないのだから、そう言っては可哀想だよ」
「そうですわ。悪虐皇子お兄様、本日もお手汚し係をお疲れ様ですわ…まぁ、これしかお父様に貢献できないのだからお疲れにはならないと思うのですけれど」

横に座っている兄妹皇族たちが次々にリュシアンを嘲笑するが、これもいつも通りだったためリュシアンは相手せず処刑場に目を向けた。



子爵はまだ二十代半ば。家を継いで日も浅く、早すぎる死を与えられるにはあまりに理不尽だった。縄で縛られた手足からは血が滴り、歩くたびにつまずく。兵士に背を蹴られて膝をついた彼の顔は血と泥に汚れている。それでも彼の瞳は絶望の中必死に生を求めていた。

「罪人を前に!」
兵士が叫ぶと群衆から「おおっ」と声が上がった。

「裏切り者に死を!」
「陛下に仇なす愚か者め!」

罪の有無は関係なく、処刑を楽しみにしている者たちから次々と罵声が飛ぶ。だが彼は無実だ。皇帝の気分により処刑となり、ここに連れてこられたに過ぎない。

子爵は必死に叫んでいた。
「私は……私は謀反など企んでおりませぬ! 証人を、どうか証人を呼んでくだされば……!皇帝陛下ァァァアッ………」

無惨にも声は群衆の歓声に掻き消され、笑いに呑まれた。「まだ言うか」「命乞いをしろ」石が投げられ、子爵の額から血が滴った。


リュシアンは拳を握りしめ、己の無力さに苛まれていた。だが、この場で逆らえば皇帝の機嫌を損ね、ただ自分が殺されるだけだ。

⸻必ず救うから…すまない、子爵。


広場の空気を裂くように、重厚な声が響いた。

「リュシアン」

皇帝が玉座から立ち、獰猛な笑みを浮かべてリュシアンを見据えた。

「この者を裁け」

群衆が一斉に息を呑んだ。処刑の役をリュシアンに命じる。だがそれは栄誉ではなく試練だ。いつものことである。皇帝は常にリュシアンを試していた。

喉奥に冷たい塊が落ちる。
だが同時に、顔には残酷な笑みを浮かべ皇帝に跪く。

「陛下の、御心のままに」

歓声が広場を揺らした。
「悪虐皇子が処刑を!」「やはり血に飢えた御方だ!」

悪虐皇子の仮面は脱いではいけない。脱いでしまえば処刑台に立つのはリュシアンになるだろう⸻。



リュシアンは処刑台に上がった。
間近で見る子爵の顔は、蒼白を通り越して灰色に見えた。目は必死に何かを訴えている。
「助けて」⸻唇がそう動いた。
胸が抉られる。
だが、今は助けることはできない。後で必ず助けると心に誓い、剣を抜く。

「裏切り者には死を」

群衆がどっと沸く。
リュシアンは薄氷の刃を振り下ろした。
血が石に散る。子爵の体が痙攣し、そして動かなくなった。
それを見ながらリュシアンは顔色ひとつ変えずに剣を収めた。だが胸の奥では声にならぬ悲鳴が渦巻いている。

(すまない。だが必ず⸻必ず取り戻す)


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