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第5章 最終章
第8話 お別れ1
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火竜は、表情のない顔で、空中からじっとリリーたちを見下ろしていた。ただ見下ろされているだけなのに、とてつもない圧迫を感じる。
火竜が羽ばたくたびに、周囲にものすごい風圧が生じる。近くの家の庭の木が大きく揺れ、細い枝が耐え切れずに折れて舞った。道の乾いた砂が飛び散り、家を囲う木の柵に当たって、無数の弾けるような音を立てた。
中腰になって耐えながら、リリーは自分の足が、その場に縫い付けられたように感じていた。竜から目が離せない。喉が、まるで干上がったようにカラカラになる。心臓が耳に移動したかのように、自分の脈拍が耳のすぐそばで聞こえる。
上から押さえつけられるような圧力だけではない。これは恐怖だ、とリリーの頭の冷静な部分が告げた。自分は絶対にかなわない圧倒的な存在を前にして、リリーは本能的な恐怖を感じていた。
目を見開いて竜を凝視していたリリーの視界の端で、砂埃が立ち上がった。すぐに、心配そうな顔をしたライオが、リリーたちの所へやってきた。
「どうしたの?」
リリーは驚き、怒りも同時に感じた。なぜこんな危ない所にわざわざ戻って来たのか。もし火竜が攻撃してきたら、無事では済まないのはわかりきったことだ。
眉を釣り上げるリリーに、「心配で」とライオはちょっと困ったような顔をした。
「村のみんなのことは大丈夫だよ。バンや消防団や夜警の人たちが守ってくれてる。だから、バーナードに頼んで戻らせてもらったんだ」
「でも、危ないんだよ。私たちで何とかするから、ライオはみんなの所に戻って」
「大丈夫だよ、僕は足が速いから。僕にもできることがあるかもしれないだろ?」
それは確かにそうだった。ライオはここにいる誰よりも足が速い。逃げ切れる可能性が一番あるのはライオだ。それでも、危ないことに変わりはない。
引き返させようと体を押すリリーの肩を、ライオが掴んだ。
「心配なんだよ、リリー。お願いだから、僕も一緒にいさせて」
いつになく真剣なライオの表情に、リリーの胸は突然高鳴り出した。
「リリー?」とライオに顔を覗かれて、リリーは思わず、顎を引くようにこくりとうなずいた。承諾されたと受け取ったライオは、ほっとしたようにまたいつもの優しい笑顔を見せた。
リリーの肩から手を離したライオは、火竜を見上げて表情を引き締めた。その横顔を見つめながら、リリーは、ライオに掴まれていた肩が、熱を持ったようにほてるのを感じていた。
火竜が、ゆっくりと下りてきた。近くにあった家の柵を踏みつぶしながら地面に降り立つ。竜は、苛立ちを示すように太く長い尻尾で地面を薙いだ。えぐられた土と壊れた柵が、辺りに撒き散らされた。
リリーは眉根を寄せた。懸念していたとおり、火竜は、この村の人間たちが自分の子どもをさらったと思っているようだった。問答無用で攻撃されずにいるのは、運がいいのかもしれない。それが竜の余裕によるものなのか、それともこちらの出方をうかがっているのか、竜の様子からは判断しかねた。
ごくりと唾をのむ音が聞こえた。誰のものだったのかわからない。もしかしたら自分だったのかなと、リリーは思った。ほとんど無意識に、リリーは緊張を緩めようと唇をそっと舐めた。
張り詰めた空気の中、火竜に向かって、子どもの竜を抱えたマートが歩き出すのが見えた。
「あんた、この子の親か?」
マートの声は震えていた。怖いのだろう。当たり前だ、とリリーは思った。あんな圧倒的なものを前にして、落ち着いていられる者がいるとは思えない。無表情に見下ろす火竜に、震えながらも話しかけるマートの勇気に、リリーは目を見張った。
「この子から話は聞いてる。親子でこの近くの山の上を飛んでた時に親とはぐれたって、この子が言ってた。俺たちは、この子が自分で飛んでいけるようになるまで、この子を保護することにしたんだ」
マートは一度言葉を切り、火竜をじっと見上げた。もしかしたら、火竜が何か返事をしたのかもしれない。彼らの声を聞くことができないリリーは、不安な思いでマートと火竜を交互に見た。
火竜から反応がなかったのか、それとも会話が成立しているのかわからないが、マートはふと目に優しさを浮かべ、再び口を開いた。
「この子はずっといい子だったよ。悪さなんて、一度もしなかった。みんなに好かれてた」
マートは、まだ自分の腕の中で眠ったままの火竜の子どもに目を落とした。
「でも、ごめん。何でかわかんないけど、魔法をかけられたみたいなんだ。目を覚まさないんだ」
マートの声は、もう震えていなかった。竜に見下ろされている恐怖よりも、竜の子を思う気持ちのほうが勝ったようだった。マートは火竜を見上げ、夜の暗さの中で緑に輝く火竜の瞳を真っすぐに見返した。
「俺たちには、どうすることもできないんだ。ごめん。この子をちゃんと守ってやれなかった」
マートの瞳が揺れて光った。ああ、マートさんが泣いてる……。マートの心に共鳴したように、リリーの胸も苦しくなった。
じっとマートを見つめていた火竜が、おもむろにその巨体を前傾させ、右の前足をマートに向かって伸ばした。子どもをこちらへ寄越せ、ということだろう。マートの真剣な思いを聞き取ってくれたのだろうか。そうであってほしい、とリリーは願うように思った。
リリーは、ライオとどちらともなく手をつないで、息を詰めて火竜とマートを見つめた。
マートは、竜の長く鋭い爪に竜の子どもが傷つかないよう、そっと竜の手の中に子どもの体を移した。
火竜は、器用に子どもを手の中に包み込むと、その手を顔の前まで持っていき、じっくり眺めた。そして唐突に、フッと息を吹きかけた。竜の子の体が、炎に包まれた。
火竜が羽ばたくたびに、周囲にものすごい風圧が生じる。近くの家の庭の木が大きく揺れ、細い枝が耐え切れずに折れて舞った。道の乾いた砂が飛び散り、家を囲う木の柵に当たって、無数の弾けるような音を立てた。
中腰になって耐えながら、リリーは自分の足が、その場に縫い付けられたように感じていた。竜から目が離せない。喉が、まるで干上がったようにカラカラになる。心臓が耳に移動したかのように、自分の脈拍が耳のすぐそばで聞こえる。
上から押さえつけられるような圧力だけではない。これは恐怖だ、とリリーの頭の冷静な部分が告げた。自分は絶対にかなわない圧倒的な存在を前にして、リリーは本能的な恐怖を感じていた。
目を見開いて竜を凝視していたリリーの視界の端で、砂埃が立ち上がった。すぐに、心配そうな顔をしたライオが、リリーたちの所へやってきた。
「どうしたの?」
リリーは驚き、怒りも同時に感じた。なぜこんな危ない所にわざわざ戻って来たのか。もし火竜が攻撃してきたら、無事では済まないのはわかりきったことだ。
眉を釣り上げるリリーに、「心配で」とライオはちょっと困ったような顔をした。
「村のみんなのことは大丈夫だよ。バンや消防団や夜警の人たちが守ってくれてる。だから、バーナードに頼んで戻らせてもらったんだ」
「でも、危ないんだよ。私たちで何とかするから、ライオはみんなの所に戻って」
「大丈夫だよ、僕は足が速いから。僕にもできることがあるかもしれないだろ?」
それは確かにそうだった。ライオはここにいる誰よりも足が速い。逃げ切れる可能性が一番あるのはライオだ。それでも、危ないことに変わりはない。
引き返させようと体を押すリリーの肩を、ライオが掴んだ。
「心配なんだよ、リリー。お願いだから、僕も一緒にいさせて」
いつになく真剣なライオの表情に、リリーの胸は突然高鳴り出した。
「リリー?」とライオに顔を覗かれて、リリーは思わず、顎を引くようにこくりとうなずいた。承諾されたと受け取ったライオは、ほっとしたようにまたいつもの優しい笑顔を見せた。
リリーの肩から手を離したライオは、火竜を見上げて表情を引き締めた。その横顔を見つめながら、リリーは、ライオに掴まれていた肩が、熱を持ったようにほてるのを感じていた。
火竜が、ゆっくりと下りてきた。近くにあった家の柵を踏みつぶしながら地面に降り立つ。竜は、苛立ちを示すように太く長い尻尾で地面を薙いだ。えぐられた土と壊れた柵が、辺りに撒き散らされた。
リリーは眉根を寄せた。懸念していたとおり、火竜は、この村の人間たちが自分の子どもをさらったと思っているようだった。問答無用で攻撃されずにいるのは、運がいいのかもしれない。それが竜の余裕によるものなのか、それともこちらの出方をうかがっているのか、竜の様子からは判断しかねた。
ごくりと唾をのむ音が聞こえた。誰のものだったのかわからない。もしかしたら自分だったのかなと、リリーは思った。ほとんど無意識に、リリーは緊張を緩めようと唇をそっと舐めた。
張り詰めた空気の中、火竜に向かって、子どもの竜を抱えたマートが歩き出すのが見えた。
「あんた、この子の親か?」
マートの声は震えていた。怖いのだろう。当たり前だ、とリリーは思った。あんな圧倒的なものを前にして、落ち着いていられる者がいるとは思えない。無表情に見下ろす火竜に、震えながらも話しかけるマートの勇気に、リリーは目を見張った。
「この子から話は聞いてる。親子でこの近くの山の上を飛んでた時に親とはぐれたって、この子が言ってた。俺たちは、この子が自分で飛んでいけるようになるまで、この子を保護することにしたんだ」
マートは一度言葉を切り、火竜をじっと見上げた。もしかしたら、火竜が何か返事をしたのかもしれない。彼らの声を聞くことができないリリーは、不安な思いでマートと火竜を交互に見た。
火竜から反応がなかったのか、それとも会話が成立しているのかわからないが、マートはふと目に優しさを浮かべ、再び口を開いた。
「この子はずっといい子だったよ。悪さなんて、一度もしなかった。みんなに好かれてた」
マートは、まだ自分の腕の中で眠ったままの火竜の子どもに目を落とした。
「でも、ごめん。何でかわかんないけど、魔法をかけられたみたいなんだ。目を覚まさないんだ」
マートの声は、もう震えていなかった。竜に見下ろされている恐怖よりも、竜の子を思う気持ちのほうが勝ったようだった。マートは火竜を見上げ、夜の暗さの中で緑に輝く火竜の瞳を真っすぐに見返した。
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