13 / 44
13
しおりを挟む甲板へ出ると、爽やかに吹き抜けた早朝の潮風が頬の火照りを冷ましてくれた。
「ふぅ……」
ルーチェはため息をついた。次の寄港地まではまだかなりかかる。それまで、エリアスと密室で二人きりなのだ。
──少し触れただけで、あんなにもドキドキするのに私はこれから、大丈夫なのかしら。いいえ、もうエリアス様のことでうじうじ悩んだり、振り回されたりするのはやめると決めたのだから、日中は別行動をすればいいの。あと数日の辛抱なのだし。
ルーチェが甲板に身を預け、ぎゅっとこぶしを握ったそのときだった。
「ねぇねぇ、君」
「はい?」
不意に声をかけられて、ルーチェはついつい返事をしてしまった。ルーチェ・エドマンズ公爵令嬢という身分から解き放たれた旅の開放感がそうさせたのは間違いがなかった。
しかし、ルーチェはその軽はずみな言動をすぐに後悔することになる。
「あ、やっぱり。君ってかわいいねー!」
「……」
振り向いてすぐに、ルーチェはこれが「ナンパ」だと理解した。
声をかけてきた人物は年のころは二十代なかばで、エリアスよりはいくつか年上に見えた。帽子を斜めにかぶり、高級そうな衣服を着ているものの、どこか着こなしがだらしなく、朝から香水の匂いをぷんぷんとさせている。
「こんな朝から、ぽつんと寂しそうにしちゃって、もしかして一人旅?」
「……」
外見よりも、ルーチェを辟易とさせたのはその馴れ馴れしさだ。男はルーチェの隣に立ち、まるで品定めでもするようにじろじろと全身をなめ回すように見ている。
「ねえ、今暇?」
ルーチェの無視にもかかわらず、男はぐいぐいと距離を詰めてくる。ルーチェが後ずされば相手も同じだけ前に進むのだ。
「……お答えする必要なないかと」
「ってことは、ヒマってことで合ってる?」
「……いえ。忙しいです」
「またまた~。ちょっとでいいから、俺と付き合ってよ。船の中って退屈でさ、こう……話し相手がほしくて」
無言は拒絶の意思表示のつもりだったが、このナンパ男には通用しないようで、彼はルーチェのそばから離れない。
「俺の実家は商会をやっていて、この船の調度品を揃えたのはウチなんだ。その縁で客室を用意して貰っていて。著名人を招いて船上パーティーをやっているんだ。君も良かったら……」
男はペラペラとルーチェにとっては面白くもなんともない自慢話をしてくる。
使い古された口説き文句とずうずうしい間合いの詰め方に辟易として、ルーチェはその場を立ち去ろうとした。
「私、次の用事がありますので失礼しま……」
「そんなつれないこと言うなよ! 男漁りに来てるんだろ?」
言いかけたその瞬間に男の手がぬっと伸びてきて、ルーチェは思わず小さく声を上げた。それとほとんど同時に、ぐいっと強い腕が背中から回り込んでルーチェの肩を抱き寄せた。
驚きで硬直してしまったルーチェの耳元で、よく通る声が風を裂いた。
「彼女は、僕の婚約者だ」
「エ、エリアス様……!」
「勝手に触れるのはやめていただけるかな」
──怒ってる!
口調は丁寧だが、ルーチェにはそれがはっきりとわかった。
温厚なエリアスが怒ったところを、ルーチェは見たことがなかった。正しくは、ゲームのスチルでなら見たことがあるのだが。
「そ、そうでしたか。これは失礼を……」
気圧されたのか、男は気まずそうに帽子を取ってルーチェに謝罪した。だが、エリアスの表情は笑顔を貼り付けたままで動かない。これは相手を威嚇するための笑顔だとルーチェは知っている。
「もし、彼女がパーティーに参加したいようなら、僕もぜひ同席させていただきたいね」
「はは、いやあ、それは……じゃあ、失礼するよ」
男は気まずさをごまかすように笑い、足早に踵を返して去っていった。
エリアスは腕の中にしっかりとルーチェを抱き抱えたまま、その後ろ姿を無言で見送った。やがて足音が消えたのを確認してから、ルーチェはようやく開放された。
「ごめん。ちょっと強引だったかな」
その声はさっきとは打って変わって柔らかくて、温度差で風邪を引きそうだとルーチェは思う。
「……あれくらい、ひとりでどうにかなりました」
赤くなった顔を隠すために、ルーチェはそっぽをむいた。
「本当?」
「で、できましたってば……」
背中にエリアスの視線を感じて、ルーチェは視線を泳がせた。
「でも……ありがとうございます。心配して、様子を見に来てくれたんですね」
「もちろん。僕はどこまでも君についていく」
「またそんなことを……」
本当に、ルーチェを連れ戻すためにここまで下手に出るなんて、本当に王子としての使命感に溢れた人だとルーチェは思う。
「気を取り直して。……散歩に、行ってきます」
「僕もついていくよ。まだ心配だから」
「……ご、ご自由にどうぞ」
トラブルに巻き込まれてしまった後では、突き放すこともできず、ルーチェはエリアスと朝の散歩に臨むことになったのだった。
233
あなたにおすすめの小説
日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話
下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。
そんな彼に見事に捕まる主人公。
そんなお話です。
ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。
転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?
朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!
「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」
王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。
不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。
もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた?
他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
唯一の味方だった婚約者に裏切られ失意の底で顔も知らぬ相手に身を任せた結果溺愛されました
ララ
恋愛
侯爵家の嫡女として生まれた私は恵まれていた。優しい両親や信頼できる使用人、領民たちに囲まれて。
けれどその幸せは唐突に終わる。
両親が死んでから何もかもが変わってしまった。
叔父を名乗る家族に騙され、奪われた。
今では使用人以下の生活を強いられている。そんな中で唯一の味方だった婚約者にまで裏切られる。
どうして?ーーどうしてこんなことに‥‥??
もう嫌ーー
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
悪役令嬢だとわかったので身を引こうとしたところ、何故か溺愛されました。
香取鞠里
恋愛
公爵令嬢のマリエッタは、皇太子妃候補として育てられてきた。
皇太子殿下との仲はまずまずだったが、ある日、伝説の女神として現れたサクラに皇太子妃の座を奪われてしまう。
さらには、サクラの陰謀により、マリエッタは反逆罪により国外追放されて、のたれ死んでしまう。
しかし、死んだと思っていたのに、気づけばサクラが現れる二年前の16歳のある日の朝に戻っていた。
それは避けなければと別の行き方を探るが、なぜか殿下に一度目の人生の時以上に溺愛されてしまい……!?
幼い頃、義母に酸で顔を焼かれた公爵令嬢は、それでも愛してくれた王太子が冤罪で追放されたので、ついていくことにしました。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
設定はゆるくなっています、気になる方は最初から読まないでください。
ウィンターレン公爵家令嬢ジェミーは、幼い頃に義母のアイラに酸で顔を焼かれてしまった。何とか命は助かったものの、とても社交界にデビューできるような顔ではなかった。だが不屈の精神力と仮面をつける事で、社交界にデビューを果たした。そんなジェミーを、心優しく人の本質を見抜ける王太子レオナルドが見初めた。王太子はジェミーを婚約者に選び、幸せな家庭を築くかに思われたが、王位を狙う邪悪な弟に冤罪を着せられ追放刑にされてしまった。
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる