魯坊人外伝~のじゃ姫のあばれ旅珍道中~

牛一/冬星明

文字の大きさ
6 / 9
第一章 お市ちゃんの関東あばれ旅

第一話.小田原の町(五)

しおりを挟む
今朝のお市は不機嫌であった。
宿で一番に目を覚まし、布団から飛び起きて「鎌倉に出発じゃ」と元気よく叫んだ。
お市に続いて鳥の音が聞こえると、他の旅人が荷を持って出発してゆく。
そわそわするお市に千雨が朝食の予約を入れてあると言った。
早起きが無駄になった。
朝一番に出発する客がいなくなった頃に宿の朝食がはじまり、素早く食事を終えて旅立ってゆく。
千雨が食事を取りながら今日の予定を述べた。

「まず、ういろう屋を訪ねて関東の道案内を紹介していただきます。向こうの都合がよければ、お昼前に鎌倉に向けて出発する予定としております」
「何故、ういろう屋なのじゃ」
「ういろう屋を営む外郎ういろう家は将軍家とも縁が深い家であり、魯坊丸様が道案内を頼まれました。道案内なしとなれば、鹿島行きが中止となります」
「それは駄目なのじゃ」
「では、ういろう屋に行ってから、その後を決めます。宜しいですね」
「わらわは聞いておらん」
「出発前に言いました。ちゃんと聞いておらぬお市様が悪いのです」

難しい話はお栄任せ、準備は千雨任せであった。
出発前から関東の武者を戦うことにワクワクしていたお市は、千雨の話など上の空で聞き流すという失敗をしていた。
宿の客がほとんど出発しても、千雨は「まだ店は開いておりません」と言ってゆっくりとしていた。
早起きが無駄になり、不機嫌なお市は宿の中庭で犬千代相手に掛かり稽古をはじめた。
お市が相手では本気が出せない犬千代である。
一方的な攻撃ばかりが続く。

「犬千代。もっと本気を出すのじゃ」
「これで目一杯でございます」
「お市様。犬千代は力任せに突撃する先駆け武将でございます。戦場にこそ花がございますが、相稽古では生きません」
「相手によって力を出せぬのは未熟な証拠じゃ。わらわに手加減しようとしているのはわかるのじゃが、下手くそなのじゃ。じゃが、それは獲物に振り回されてせいで、手加減を覚えれば獲物が自在に操られるようになり、如何なる相手でも十二分に力を発揮できるのじゃと師匠が言っておったのじゃ」
「その通りでございます。この犬千代。まだまだ未熟でございます。どうか存分に鍛えてくださいませ」
「よう言うたのじゃ。手加減はなしなのじゃ」

犬千代は槍の代わりに持った丈を振り回す。
しかし、それをお市に軽々と避けられ、そのまま懐に入ったお市が細身の菜箸で攻撃を繰り出した。
本当に一方的であった。
お市の獲物が菜箸なのでどんなに強く打っても体中にミミズ腫れができる程度である。
無数の傷が犬千代の体に刻まれた。
軽罰の『百叩きの刑』のように。
千雨も止めない。
運動をして不満が発散されればと、そう考えてしばらく眺めていた。
日が差してきた頃に相稽古が終わる。
一度部屋に戻ると、千雨はお市の汗を拭いて身綺麗に髪も整えてから宿を出た。

「千雨。ういろう屋に行けば、すぐに出発できるのかや」
「それはわかりません。ですが、昨日の内、捨丸を先触れとして出しておきました。お市様が到着するのは知らせてあります」
「先触れじゃと?」
「うりろう屋の主人はお市様の事情を知っております。旅の共も探してくれることになっております」
「うぅぅぃ、わらわは今日中に出発したいのじゃ」
「努力はしますが、期待はしないでください」
「しおしおなのじゃ」

ういろう屋はお市が織田家の姫と知っているという。
そう知ったお市は憂鬱になる。
お市姫を出迎えた屋敷が、すぐに追い出すような接待を受けたことがない。
それならば、昨日の内にういろう屋に顔を出した方がよかったと思い、それを口にすると、「織田家の姫と知れている相手に、先触れを出さずに訪れるのは礼に外れるのでできない」と千雨は答えられた。
正論であって、ぐぅの音もでない。
お市はスネながら「わかっているのじゃ。言ってみただけなのじゃ」という。
お市も礼儀・作法は嫌というほど叩き込まれおり、わかっているから行きたくないこともある。
お市らが取った宿は、町に入った近くだったので、ういろう屋がある大手口前の大通りまで少し歩かねばならなかった。
お市らは小田原城の外堀に沿って続く道を歩いた。
道の両側に店が並んでおり、堀は見えないが『お堀通り』と呼ばれる。
しばらく東に歩くと、城の角にあたる宮前口という入り口が見え、その次の道を左に曲がると、大手門から続く大通りが見えてくる。
大きな十字路の曲がり角にういろう屋の大きな看板が見えた。

「三階建てじゃ。屋敷のような大きな店なのじゃ」
「外郎家は河越に領地をいただいて代官をしておりますので、屋敷で間違いないかもしれません」
「屋敷の軒先に店がある感じなのかや」
「そうかもしれません」

元々、ういろう屋は元朝も官僚であった陳延祐ちんえんゆうが倭国に亡命してきたことにはじまる。
陳外郎と名乗り、外郎を唐音で「ういろう」と読ませた。
陳家は元の医療に通じており、陳外郎の子が三代将軍の足利あしかが-義満よしみつに誘致されて京に拠点を移した。
外郎家は薬を営み、その口直しに出した菓子が『外郎ういろう』のはじまりであった。
時は移り、幕府御用人だった伊勢いせ-新九郎しんくろうさんこと北条ほうじょう-早雲そううんが相模を奪うと、相模を発展させる為に薬屋の外郎家を呼んだ。
京は『応仁の乱』で荒れており、外郎家の将来に不安を感じた五代目外郎ういろう-藤右衛門とうえもん-定治さだはるは弟に京の店を譲り、永正元年(1504年)に小田原に移住を決意したと伝わる。
小田原に来てくれた定治を早雲が厚遇したのは当然の流れであり、大手口前の大通りに大きな店が多いのはそのためであった。
その中で一際大きな店がういろう屋である。
その広い大通りを横切ったとき、お市の目が少し横に流れた。
千雨もその先を昨日のチンピラを見て嫌な予感が走る。
懲りずに仕返しを考えているのだろうか?
尾張ならそんな馬鹿はいないのに…………他国は面倒だ。
千雨はそう思わずにいられない。
しかし、お市らは何も気にするでもなく、ういろう屋の暖簾をくぐると、ういろう屋の七代目藤右衛門と一同が出迎えてくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

影武者の天下盗り

井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」 百姓の男が“信長”を演じ続けた。 やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。 貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。 戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。 炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。 家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。 偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。 「俺が、信長だ」 虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。 時は戦国。 貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。 そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。 その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。 歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。 (このドラマは史実を基にしたフィクションです)

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

処理中です...