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第7章 自覚する恋心
02 ご機嫌斜めのお姫様
しおりを挟む「お腹、すきましたね」
「もう一時かあ、昼時間過ぎちゃったなー」
一同は口々に空腹の訴えだ。
「ズレましたが、ここから一時間の休憩にします。開始は二時から」
「やった」
「係長、ありがとうございます」
「今日は本当にありがとうございます。みんなの力がなせる技。助かりました」
「今日が山場でしたね。ここまで納得させられれば、あとは進めていくだけです」
渡辺も心底ホッとしたらしい。
「今日は、また寿命が数年縮まりました」
「田口の予算書案、よくできてたな!」
谷口に振られて、田口はタジタジだ。
「いえ。係長の指示どおりに作成しただけですから」
「んなこと言ったって、見やすかったし。局長への説明もなかなかだったぞ」
矢部や谷口に褒められて、それはそれで嬉しいが。本当は、一番に褒めてもらいたいのは……保住なのだ。しかしちらりと見ると、保住はプライベート携帯を眺めて顔をしかめていた。
「係長?」
思わず心配になって声をかけてみる。保住はその声に弾かれたように顔を上げた。
「いや、すまない。私用の電話で。先に昼食休憩をしてください」
保住は、そう言うと事務室を出て行った。
「珍しいな。私用なんて」
「女か?」
——女?
ドキドキした。
「今日は、終始ご機嫌斜めなお姫様だからな。会議も滞った」
谷口は肩を叩く真似をする。みんな気がついていることだ。
「珍しいんだけど、たまにあるよねー。ご機嫌斜め」
「あるんですね。初めて見ました」
「キャパオーバーになるとね。まあ、なにがオーバーさせてるのかの理由は分からないけど」
渡辺が答える。
「仕事でキャパオーバーはありえなそうだし。プライベートじゃないのかな?」
「プライベート、ですか」
——プライベート……。
正直、こんなに関わっていても、田口にはまだ理解できていない領域。
「しかし会議が長丁場でどうなることやらだったが、田口の説明でしまったな。お前、係長の右腕になれる素質ありだな!」
嫌味ではなく、純粋に喜んで話す谷口は人がいいのだろう。
「そんな」
「澤井局長に言葉が通じる奴は、なかなかいないそうだぞ」
「でっかく成長してくれて、おれたちは嬉しい!」
渡辺も矢部も泣き真似をした。困ったものだ。あまり褒められるのは慣れていない。田口は慌てて席を立った。
「おれ、昼メシないんだった。買ってきます」
「売店は大したの残ってないぞ」
「なんでもいいんで大丈夫です!」
ともかく逃げないと。そういう思いで、事務所を出ると、階段を駆け下りた。
***
売店に足を運ぶと、矢部の言葉を実感した。本当になにもなかったのだ。お弁当類は売り切れ。残っているのは、おにぎりとサンドイッチくらいだった。
困ってそれらを眺めていると、売店のおばちゃんが怪しむかのように眺める。サボりだと思われたのだろうか。
別に言い訳をする必要もない。おばちゃんにどう思われようと関係ないはずなのだが、おにぎりを二個持ってレジに立ってから、言い訳のようにおばちゃんに話しかけた。
「会議が押して。昼飯がずれ込んだんです。——ああ、お腹空きました」
わざとらしい、よそよそしい言葉だ。おばちゃんは、じろりと田口を見上げて、黙ってレジを打つ。愛想のないおばちゃんだ。
——よくクビにならないものだ。
そんなことを思っていると、おばちゃんはおにぎりを入れた袋にサンドイッチを入れた。
「あの」
「おまけ。お疲れ様」
「——おばちゃん」
本当は優しい人だったのか。おばちゃんは黙って、おつりとおにぎりの袋を差し出した。
「ありがとうございます」
人は見た目ではない。冷たそうに見えても心の中は温かい。事務所に戻ろうとして廊下を歩いて行くと、ふと視線が止まった。
「あれ?」
中庭に保住がいた。彼は中庭の桜の樹の下にあるベンチに座っていた。
「昼飯、食べないのかな?」
ご機嫌斜めな彼に、ちょっかいを出すのは嫌がられるかもしれない。しかし放って置けないのだ。田口は中庭に繋がる扉を押して、足を向けた。
***
保住はベンチに座り、ぼんやりと昨晩のことを思い出していた。
明日の会議は山場。田口にも迷惑をかけていることを知りながらも、頼ってしまう自分もいる。今までは全て自分一人でやってきた。大切なところを人任せにはできなかったのだ。だけど、「田口だったら大丈夫だ」と思ってしまう自分がいたのだ。
「予算のところをやり直しさせたら、徹夜だな。すまないな田口」
田口にメールを打ってからため息を吐くと、実家の母親から電話が入った。彼女から連絡が来るときはロクなものではない。出る気もしないが、出ないなら出ないでしつこくかかってくる。嫌なことは一度で済ませてしまいたい。
『尚? 元気? 身体は大丈夫?』
「まあね」
ハスキーな母親の声は、機械を通してよく聞こえた。熱中症で入院してから、そう顔を合わせていない気がする。年末年始すら仕事にかこつけて、実家には帰っていないのだった。
「なに? なんの用なの。忙しいんだけど」
『まあ、ぶっきらぼうね。そんなんじゃ、彼女もできないからね』
「用事がないなら切るが」
『ちょっと、そうじゃなくて。電話したのはおじいさんのこと』
「あの人がどうしたって」
——やっぱり。面倒そうな話だ。
『体調を崩したみたいで入院しているようなの。お見舞いに行こうかどうしようか迷っているんだけど』
「別に行くことはないだろう」
『でも、結構な御年でしょう? なにかあったらって思うと』
母親は迷うように話をするが、内容的には「見舞いに行く」という行為の正当性を認めて欲しいということがよくわかった。なにせ、自分が否定的な言葉を並べても「でも」と切り返してくるのだ。
——勝手に行けばいいだろう。
保住は大きくため息を吐いてから言い切った。
「父さんが死んだときだって顔を出さなかった人だ。あの人が死んでも、おれたちが行く義理はないだろう?」
『尚は冷たいんだから』
「ともかく。明日、大事な会議があって立て込んでいるんだ。用事がそれだけなら切る」
『ちょっと、尚?』
さっさと携帯を切った。嫌な話題を耳にしたものだ。躰のどこかに引っかかって、離れてくれない。気持ちが重くなった。
——別に嫌いなわけではない。物心ついた時から、出会ったこともない人だから。
しかし、こうしてなにかと関わってくるのは面倒だったのだ。
***
あれのことが、ずっと心に引っかかっているのだ。ドロドロとしたものが、心のどこかに引っかかって——気分が悪い。田口に八つ当たりをしても仕方がないのに。馬鹿みたいだ。冷静さを欠くなんて、自分らしくもない。大きくため息を吐いた。
自分で自分が嫌になっていると、人が近付いて来る気配がして、顔を上げた。すると、そこには田口が白いビニール袋を提げて立っていた。
「昼飯。食べていないですよね」
彼はそう言って保住の隣に座った。
——この男は散々当たり散らして、徹夜まがいのことまでさせたのに、こうして近寄って来るのか。呆れられていると思ったが。
保住は内心、戸惑っていた。
「別にいらない」
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