103 / 231
第13章 変態野郎の集まり
02 遠い距離感
しおりを挟む翌日。保住の案がなんなのか、わからないまま日が昇った。
田口は、どうしたらいいのか、心配で眠れなかった。保住にメールをしようかと思案したのだが、結局は下書きまでしかたどり着かなかった。
——なぜだろう?
神崎の家政夫事件以来、保住との距離感が大きく横たわっている。近づきたくても近づけない。
なんだか眠れなかったせいで、早めに出勤することにして身支度を整えた。事務所の扉を開くと保住だけが出てきていた。
「おはようございます。あの……」
田口は言葉を切る。人を寄せ付けない雰囲気に、言葉が出ないのだ。
——なぜ? どうして?
自問自答しても、答えは見つからない。
今日の彼は、余所行きの恰好をしていた。教育長研修会の時を、彷彿させる出で立ちだ。黒のスーツに赤いネクタイをしていた。
「係長、今日はなにか……」
「今日は一日出張だ」
「どこへですか」
「東京に行ってくる」
聞いていない。
——突然の? 昨日の件?
いつもだったら、色々教えてもらえるのに。やはり彼との距離が遠いのだ。
——嫌われた? 避けられている?
「あ、あの。係長……」
声をかけて手を伸ばした瞬間。
「準備できたか」
そこに澤井が顔を出した。
「ええ」
田口を見ていたはずの保住の視線は、澤井に向いてしまった。ここのところいつものことだ。
——保住さんはおれを見てくれない。
「そうか。正念場だ。気合い入れとけよ」
「わかっていますよ」
——澤井と一緒?
田口は目を瞬かせた。
「帰りは何時になるか分からない。渡辺さんにはメールしておいたから。じゃ」
保住はそう言い残すと、澤井と事務所を出て行った。
「いってらっしゃい……」
なぜだろう。
「やっぱりまだ怒ってるのかな……」
いいや。なにかが違う。そんな話ではない気がする。
怒っていたら、きっと感情をぶつけてくる人だ。八つ当たりされたり、甘えられたり、頼られたり。それなのに……遠い。手を伸ばせば届く距離なのに。
「保住さん」と名前で呼ぶのが憚られた。
——どうして。
「なんで?」
田口はため息を吐いた。
***
「お疲れさまです」その一言が打てない。田口は携帯をソファに投げ出して、ため息を吐いた。
「ダメだ。メールが送れない……」
結局、保住と澤井は帰ってこなかった。残業をして粘ったが、渡辺に「お前も切り上げろ」と言われて渋々帰宅したのだ。
首を横に振ってから、ビールを飲む。気持ちが通じなくてもいい。そばに居られれば。そう思っていたのに。贅沢だ。欲張りだ。そばに居るだけではダメなくせに——。
「保住さん……」
悶々としてしまう。相談できる相手もいない。眠れるわけもない。田口は走ってこようと外に出た。
深夜に差し掛かっている時間だが、田口の家の界隈には飲み屋が多いので、人通りが絶えなかった。外に出て、周囲を見渡すと、ふと紫の看板ライトが光を放っているのが目についた。『バー ラプソディ』だ。古ぼけた壁と日に焼けてくすんだ色の扉を見ると、なんだか昭和の匂いがするスナックみたい。
——まだやっているのだろうか?
なんとなく人恋しくて扉を押すと、中からはピアノの音が流れてきた。
「生演奏?」
驚いて目を瞬かせると、無愛想な女がカウンター越しに田口を見てから、プイッと顔を背けた。
「初めてはダメですか?」
拒否されているような気がして尋ねると、カウンターに座っていた男が笑う。
「大丈夫だよ、入りなよ」
——店の人? じゃないな。客か。
彼はウイスキーの水割りを飲んでいたからだ。
「桜、愛想良くしないと新しいお客様がビビるだろう」
男は女を茶化すが、彼女は面倒だと言わんばかりの表情をしただけ。本当に無愛想だ。田口は店内を見渡してみた。大して広くないようだ。カウンターに五、六人が座れて、後は丸テーブルがいくつかある程度。
ただ、目を見張るのは、店の奥にあるグランドピアノだ。あれは——。
「スタンウェイ?」
確か、星音堂が所有する、高額なピアノと同じメーカーだ。
「お! 兄ちゃん、音楽わかるの?」
男は嬉しそうに田口を招き、隣に座らせた。
「いえ。すみません。仕事柄知っているだけで、おれ自身、音楽はよくわかりません」
スタンウェイを弾くのは若い男。静かな雰囲気の曲は田口の心を落ち着かせてくれた。
「仕事って?」
桜が珍しく口を開く。
「えっと、役所です」
「役所でスタンウェイと出会える部署なんてあんの?」
「文化課です。星野一郎記念館を担当しています」
「ああ、なるほど」
桜は笑った。無愛想なのに笑顔は素敵。なんだか保住を思い出した。
彼がいない、田口の世界は色あせていく。モノクロの世界だ。田口は表情を暗くした。
「ここに来る奴は、なにか背負ってるもんだ。野木にでも話してみたら」
桜はそう言って男を見た。見られた男——野木は胸をドンっと叩いた。
「ああ、おれは野木。この店の一番の古株な。いつもは大人しいけど、音楽にはちとうるさいぜ」
「田口です。音楽関係の方ですか?」
田口の問いに桜が口を挟んだ。
「野木は自分では全く演奏できないんだよな! こんなに楽器下手なセンスのない奴は初めてみたくらいだ」
酷い言い様だが、野木は笑う。
「そうなんだよ。こんなに音楽を愛しているのにさ。全くダメ。ピアノ、歌、ギター、パーカッション、なんでもトライしたんだが」
「全部センスゼロ。全て講師から印籠を渡されたんだ」
「そうなんですね」
しかしものすごい執念だ。そんなに音楽が好きなのか。
0
あなたにおすすめの小説
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
*******************
その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
うちの鬼上司が僕だけに甘い理由(わけ)
藤吉めぐみ
BL
匠が勤める建築デザイン事務所には、洗練された見た目と完璧な仕事で社員誰もが憧れる一流デザイナーの克彦がいる。しかしとにかく仕事に厳しい姿に、陰で『鬼上司』と呼ばれていた。
そんな克彦が家に帰ると甘く変わることを知っているのは、同棲している恋人の匠だけだった。
けれどこの関係の始まりはお互いに惹かれ合って始めたものではない。
始めは甘やかされることが嬉しかったが、次第に自分の気持ちも克彦の気持ちも分からなくなり、この関係に不安を感じるようになる匠だが――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる