王様のお気に入り

七生雨巳

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 馬にはどうにか乗れるようになった。 
 剣も弓も、形だけなら、な。誰かと対戦するのも、狩りに出かけるのも、苦手だけど、付き合えと云われれば付き合わないわけにもいかない。
 なぜって、付き合えって云うのは、陛下がほとんどで、あとは、ジュリオだからだ。
 忙しい陛下が毎日みたいにオレに会いにきてその日の成果を見たいと云われたら、畏れ多すぎて、断るなんて出来ない。
 ジーンは、ジュリオがオレに近づくのをあまり快くは思ってないみたいだけど、それでも、兄上と云って慕ってこられると、無碍にも出来ない。
 たまに、おしのびで狩りにと誘われると、やっぱり、断れないだろ。
 どう考えたって、オレなんかにふたりが気を使ってくれてるんだってわかるんだから。
 陛下といえば、夕飯以外のときにも、最近はオレを身近に置くようになった。
 結構これがきつくてさ。
 毎日の勉強に加えて、陛下が執務室での仕事や謁見をしているとき、その傍で見ていなければならない。ぼんやりと見てるだけじゃなくちゃんと目や頭を働かせてないと、不意打ちみたいに問いかけてくるから、気を抜けない。
 陛下の家臣の目もあるから、下手なこと云えないし。
 オレがどれだけ神経をすり減らしてるか、わかって欲しい。
 なのに、ジュリオは、
「兄上がうらやましい」
って、云うんだ。
 なんでよって、思った。
 そりゃあオレは今は皇太子なんだけど、その前は、ジュリオが一番その座に近かったわけだ。だから、陛下は、今のオレにしているようなことを、とっくにジュリオにしてるはずだって思ってた。
 けど、違ったんだ。
「兄上が行方不明のあいだも、私は第二王子というだけの存在でしたから。第二王子なんて、父上にとってはいてもいなくてもかまわない存在に過ぎないんです」
 今も昔も―――――
 なんて、寂しそうに云うんだ。
「今も昔も、父上が愛されているのは、お后さまと兄上だけなんです」
 夕飯すら一緒にしたことがないと云って、オレよりも大人びてるジュリオが諦めたように笑って見せるのに、なにが云えただろう。
 金髪で青い目のジュリオは、オレよりも頭ひとつぶん背が高い。南方の血をひいている浅黒い肌は、たくましさを際立たせている。まだ十四なのに堂々とした態度は本当に、彼こそが次の王には相応しいといわれるのももっともだって思ってしまう。
 だから、ジュリオの母親にオレが嫌われてても仕方がない。
 ジュリオによく似た豪華な美女である彼の母さんは、后じゃない。あくまでも、妃にすぎないんだそうだ。王の妃ということは、その、妾ということなんだそうで、ジュリオは、あくまでも妾腹ということになるらしい。
 三年前引き合わされたときの彼女のあでやかな笑みに、怖さを感じてしまったのは、あながちオレの不安ばかりのせいではなかったのだろう。
 そんなことも頭にあったんだって思う。

 ―――ああ、呼称な。突然変わったって、びっくりしただろ。

 うん。変えて一年くらいになる。
 オレは、自分を僕と呼ぶことをやめたんだ。本当なら、私とか気取ったほうがいいんだろうけど。そのほうが、だから流れの民は――なんて眉を顰められないで済むんだろうけど、あの時は、いろんなことに腹が立ってたんだ。
 いくらオレが内にこもるタイプだっていったって、堪え切れなくなるときだってある。
 そう。
 一年前。
 とにかく当時のオレは、必死でがんばってた。
 自分向きじゃないって重々わかってることを――だ。
 それでも、陛下とジュリオとジーン以外は、眉をひそめる。
 だから、オレは疲れちまってて、陛下にお願いしたんだ。
 陛下がオレに甘いってことは、周囲が一番嫌う現実だったけど、背に腹は変えられなかった。
 陛下のことを、オレは、まだ、一度も父上と呼んだことはない。陛下も、別に、気にはしていないみたいに見えてた。でも、なんとなく、陛下がオレを見る視線に、オレの態度に対する苛立ちのようなものがあるって云うことは、うっすらとだけど気づいてたんだ。だからって、呼べるはずもない。オレにとっては、陛下は、陛下なんだ。自分が陛下の血を引いてるなんて、どう考えたって、本当のことのようには思えない。そんなオレを知ってて、陛下は、オレを甘やかすんじゃないかなって、なんとなく、そんなふうに思ってたんだ。
 だから、陛下はきっと叶えてくれるだろうって、たかをくくってたのかもしれない。

 ―――なにを言っている。

 低い声だった。
 いつものように、食堂でオレは陛下の隣の席について夕飯を食べていた。
 ぼんやりと、ただ、食べてたんだ。
 味なんかわからない。
 心もからだも疲れてた。
 何をどうすれば、オレを認めてくれるのか。
 頭の中は、混乱しきってたし。
 だから、無意識のうちに、溜息をついてしまってたらしい。
 ワイングラスをテーブルにもどす音が、かすかにした。
「心配ごとがあるのか」
 静かな声だった。
 確認するまでもない。陛下がオレを見てる。
 視線を痛いくらいに感じた。
 返事をしないわけにはいかない。
 そっぽを向いているのも、不自然だし、礼儀にかなわない。
 右斜めを見れば、陛下の黒い瞳がオレを見ていた。
 かすかな苛立ちめいたものは、見えない。ただ、オレを慮ってくれているのが、わかった。
 ふと、辺境にいる母さんと父さんを思い出した。
 焦った。
 二年にもなるのに、まだ、馴染めないのか。
 そう思うだけでこみあげてくるものに、オレは、蓋をしようと、必死になった。
 情けないだろう。
 人前で。
 しかも、食事中なんて。
 限界だったんだ。
 だから、涙を堪える代わりに、云ってしまった。
 絶対に、陛下に向かって云ってはいけない言葉を。
「帰りたいんです」
 刹那。
 温度が下がったような錯覚を覚えた。
 陛下のまなざしがたちまち凍りつくのを、オレは、見たんだ。
 けど、一度堰を切ってしまった感情を押しとどめるすべを、オレは、失ってた。
「皇太子の地位を返上したいんです」
 留まらない。
「僕には、荷が重過ぎるんです」
 だから、お願いです。
 こらえていた涙まで流して、オレは、訴えていたんだ。
 けど――――
「なにを、言っている」
 陛下の声は、氷点下の厳しさだった。
「そなたは、皇太子だ。私が見出し、認めた。私の唯一の嫡子は、おまえだけだ」
「…………ジュ、リオは」
「関係ない」
 冷酷なほどあっさりと切って捨てる。
 椅子から立ち上がり、王が、オレの背後に移った。
 椅子の背ごとオレを抱きしめ、オレの髪を掻きあげた。
「ユゥフェミアによく似た顔をして、私を裏切ろうというのか」
 きつい拘束に、からだが震える。
 怖い。
 忘れていた感情を、思い出す。
「陛下っ」
 瞬間、オレは、激痛を感じていた。
「父と呼ぶようにと、何度言えば覚えるのだ」
 髪の毛を鷲掴みにして、陛下がオレを仰のかせる。
「そなたの父は、私だけだ」
 ごめんなさい―――――と。
 何度も、
 父上、許してください――――そう云って、オレは、謝ったんだ。



 陛下が、怖い。
 あれから、陛下の視線が、やけに、恐ろしく思えるようになってしまった。
 情けないけど、あの時の恐怖があるから、必死で、陛下を父上と呼ぼうとがんばった。
 それで、つっかえながら、どうにか、父上と呼べるようにはなったんだ。
 けど。
 わかるだろう。
 心の中では、陛下は陛下のままなんだ。
 一緒にいた時間が違いすぎるんだ。
 だろう?
 陛下のすっと釣り上がり気味の眉が、が、オレがつっかえるたびに、顰められる。
 陛下の意志の強そうに引き結ばれたくちびるが、何かを云いたそうに引き攣れる。
 また、あんなに怒られやしないだろうかって、オレの背中が、ぴりぴりと逆毛立つ。
 だけど。
 オレはどうしたって、木彫り職人の息子だっていう意識が抜けない。
 木彫りで身を立てたいって、強く思うようになってしまった。
 多分、これは、逃避なんだろう。
 わかってるんだ。
 それでも。
 どれだけ眠くても、木切れと小刀を持たないではいられなくなっていた。
 木を掘りながら、うとうとしていたらしい。
 危ないだろう―――と、ジーンが小さくささやく。
「明日もはやいんだし」
 こっそりとささやく言葉は、あまり昔と変わらない。少し、やわらかな口調になってるけど、それは、仕方ないのかもしれない。誰が聞き耳たててるかわからないしな。あえて変えないようにしてるんだろうと、ジーンのやさしさが、心に染みる。
 声が普通の大きさのときは、ジーンも、丁寧な言葉を使う。
 それが、寂しくてなんなくてさ。
 まだ、ここに来たばかりのときだったから、盛大にごねたんだ。
 こっそりと、離れのみんなの家に行ったときだったけど。
 そのときの約束を、ジーンが忘れないでいてくれるのが、オレにとっての慰めだった。
 はっきり云って、ジーンがいなけりゃ、オレは、きっと、どうやってでも城から逃げ出したに違いないんだ。
 ジーンは、時々オレに勉強を教えてくれている偉い学者先生と対等に話したりしているから、ここで時間を貰って勉強することが楽しいんだろう。
 ジーンの勉強時間は、オレが勉強したり武術の訓練をしている間なんだ。どうも、これって、特別扱いらしいんだけど。でも、ジーンの頭がいいことは、いつの間にかまわりに知られるようになってたから、表立っては誰も何も云われないみたいなんだ。
 あまりオレも邪魔はしたくないけど。
 ジーンは、多分、オレより忙しいはずだから。
 まじめに復習したり予習したりしてるのに、オレの面倒を見なけりゃならないし。いったいいつ寝てるんだろう。
 ジーンが勉強してる間は、オレの身の回りは、別の小姓がみてくれてる。けど、オレがやらないといけないことを終えた後は、ジーンがみてくれる。そういう決まりになっているらしい。
 ジュリオにきいたんだけど、ひとりの王族に小姓は十人近くいるみたいだから、オレの世話をやいてくれる小姓の数が特別多いってわけじゃないんだろう。それでも、オレ、服を着るのも風呂にはいるのも、靴を履くのだって、基本独りでできるんだ。当然だろう、赤ん坊じゃあるまいし。
 風呂なんか、裸を他人に見られたくないって意識のほうが強すぎる。
 オレのからだは、どんなに鍛えても、悲しいかな、筋肉がつかない性質らしくて、まだ、あばら骨が見えるんだ。そんなの、ジーン以外に見られたくない。
 色々あって、結局、オレは、ジーンに頼っちまうんだ。
 甘えてるよな。
 当然って、甘えてる。
 変なところで、オレ、我儘になってるみたいで、なんか、ジーンに申し訳ない。
 でも、そう云ったら、
「俺は、お前の面倒を見るって云うことで、勉強させてもらってるからな。それに、お前の我儘なんかなんてことないしなぁ」
って、笑いながら、答えてくれたんだ。
 オレ、思わず泣きそうになって、
「泣くやつがあるか。まだまだ、ガキンちょだな」
って、ジーンに額をこつかれちまった。
 こんなとこ誰かに見られてたらことだから、こっそりとだけどな。
「おまえが王さまになりたくないって、知ってるけど――。けど、王さまって、悪くないだろ」
 ジーンとオレ以外には誰もいない寝室で、寝る前に飲まされてる薬の準備をしてくれながら、ジーンが小さな声で云う。
「やだよ。オレの一言で、何でもかんでも決まっちまうんだ。今日だって陛下は、罪人の処罰の書類に署名してたけど。あれのうちの何枚かは死刑の決定だった…………。ひとの生死とか決めなきゃなんないなんて、考えられない。そりゃあ、罪の報いなんだろうけど、けど、さ。それに、外交なんて、捌ききる自信ないって」
 銀の盆に銀のずっしりとした杯が乗っている。それを受け取りながら、オレは顔を顰めた。
「軽く考えるっていうのも問題だけど、おまえみたく考えすぎっていうのも、問題だよな」
 ジーンの青い目が、ランプの明りにきらめく。
「まぁ、今の王さまが出来過ぎっていうのもあるんだろうな。お前が、そこまで萎縮してるのは」
 蜂蜜をひとたらしほんのり甘い、けど、癖の強い薬湯を、オレは、凝視する。
「もっと鷹揚にかまえてもいいと思うぞ。オレは、お前じゃないから、こう云えるんだろうけど。そうだなぁ。王さまの周りには、出来のいい相談役とかが何人もいて、王さまは彼らに相談したり任せたり、自分はなんにもしないっていうひとだっているんらしいんだけどさ」
 ――――それでも、いいんじゃないか?
 がんばって、それでも駄目なら、そういうのだってありだろう?
「傀儡でいろって?」
 薬を飲む勇気が出ない。
 これは、毒なんだ。
 毒にからだを慣らさなきゃならないんだ。
「ま、それができるようなら、はなっから悩まないよな」
 ――――オレが、相談役になれるようにしっかり勉強してやるよ。
「ほんと?」
「ああ。その代わり、オレがおまえを傀儡にするかもしれないけどな」
「ジーンなら、いいか」
 杯の中で、薬の面が、揺れている。
「馬鹿、冗談だって。まったく。生真面目すぎるんだよな。おまえってば。………あんまり悩みすぎるなよ。さっさとそれ飲んで、寝ちまえ」
 王さまになってもずっと、ジーンが傍にいてくれるんだったら、それなら、がんばれるかもしれない。
 そう。
 いつだって、ジーンは、頼りになる兄さんなんだ。
 けど、いつかはオレの傍からいなくなるかもしれない。父さんと母さんのところに戻って、オレはここで独りっきりになるんだ。――――考えてみれば、そんな不安がいつだってオレの心の底にはあったらしい。
 不安が現実になるのが嫌で、ジーンに面と向かって訊ねることすらできなかった。
 いつか、帰るんだろう? ―――― って、聞いて、肯定されることが怖かったんだ。
 それがオレの単なる悪い妄想なのだったら、だったら、オレも、ジーンが安心して勉強できるように、力になろう。
 ずっと、ここにいてもらえるように。
 陛下が怖いって、云ってられない。
 陛下の跡継ぎに相応しいように、努力しよう。
 なんとなく、久しぶりに胸の痞(つか)えが取れたような気がして、オレは、一息に毒を飲み干したんだ。
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