【R18】恋を知らない聖剣の乙女は勇者の口づけに甘くほどける。

古堂 素央

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第39話 追いつ追われつ

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 あれから数か月。
 聞いたこともない街に流れ着いたアメリは、住み込みで働きながらなんとか生計を立てていた。
 任された仕事は雑貨屋の店番で、たまに来る客の相手をする程度の単純なものだ。平和としか言いようがない毎日が淡々と過ぎていく。

 そんな中、ふとしたときにアメリは討伐の旅を思い起こしていた。
 あんなにも充実した日々はもう二度と訪れることはない。体力的はきついことも多かったが、未知の冒険は今となってはかけがえのない思い出だ。
 ロランと過ごした短い時間を宝物のように抱きしめながら、アメリはこれからも平凡な人生を歩んでいくのだろう。
 役立たずな自分にしては贅沢過ぎる思いができたと、すっかり隠居生活モードに入っているアメリだった。

 今日も物思いにふけっていると、店のドアベルがチリンと鳴った。
 荷物を小脇にかかえた女が入ってくる。

「なぁに、また随分とおっきなため息ね」
「ドナさん……」

 ドナはこの店のおかみだ。着の身着のまま出てきてしまったアメリを、ドナ夫婦は快く雇ってくれた。
 訳ありのアメリに何を聞くでもなく、そっと見守ってくれている優しい人たちだ。

「店番ありがと。レベッカ、一度休憩に入ってちょうだい」

 この街でアメリは亡くなった母親の名を騙って過ごしていた。
 誰も自分を探しになど来ないはずだ。
 そう思いつつ偽名を使ったのは、やはり追いかけてきてほしいというアメリの本音の現れなのかもしれない。

「休みの日くらい好きに出かけたっていいのよ? 家のこと手伝ってくれるのはわたしも助かるけど」
「いえ、やりたいことも特にないですし」

 言いながらカウンターの裏にある子供用の低い丸椅子に腰かける。
 客からは見えない場所なので、奥まったここは休憩時のアメリの定位置だった。
 ドナもカウンターの中に入ってきて、買い物袋の中身を確認しながら棚にしまっていく。

「あ、ねぇ、隣町の話って聞いた?」
「隣町? いいえ」
「勇者が来たってちょっとした騒ぎになってるみたい」
「ゆ、勇者!?」
「ね、びっくりよね。ほら、隣町って最近魔物の被害がひどかったじゃない? それをあっという間に解決してくれたんだって」

 ドナの話にアメリは言葉を失った。
 ロランがそばに来ている。会いたいと思う気持ちと、見つかったらどうしようという気持ちが、アメリの中でせめぎ合う。

「たまたま通りがかったらしくって、隣町も運がいいわよね」
「それって、本物……なんですかね?」
「確かにニセ勇者の話も聞くけど、魔物を退治してくれたんだから本物なんじゃない? うらやましいわぁ。ここにも来てくれないかしら」
「でもこの街には魔物がいないし……」
「あはは、それもそうね」

 魔物のいない土地に勇者が立ち寄ることはない。そう思ってアメリはわざわざこの場所を選んだのだ。
 魔王討伐の旅の途中で、たまたま近くを通っただけなのだろう。だからロランがこの街を通ることはまずあり得ない。
 ましてやアメリを追って来たなどと、そんな馬鹿げた期待を抱く自分が恥ずかしくなってくる。
 アメリの出した聖剣は折れてしまった。そのせいでロランは大怪我を負ったのだ。こんな役立たずのアメリを、どうしてロランが探しに来るというのか。おこがましいにも程がある。

「そうそう、話は変わるけど、パン屋のひとり息子のジャンがいるじゃない? なんだかレベッカのこと気になってるみたいでさ。今度ふたりで出かけてみない?」
「すみません……お断りします」
「そう言わずにさ、会うだけでも会ってみたら?」
「わたし、そういうのはもういいんです……」
「まぁた、そんな枯れたこと言って。別にジャンにしろとは言わないけどさ、レベッカの年ならいくらでもやり直しできるわよ?」

 そう言われても、誰かとの未来にピンとこない。
 キスされたり、体に触れられたり。何よりもロラン以外の男にどうこうされる自分の姿など、アメリにはまったく想像ができなかった。
 返答に困っていると、ドナが憐みの目を向けてくる。

「レベッカってば、よっぽどひどい目に合ってきたのね……」
「え? そんなことは」
「いいのいいの隠さなくたって。大方、どうしようもない暴力男から逃げ出してきたってトコなんでしょう?」
「彼は……」

 そんな人じゃない。
 そう反論しようとしたとき、ドアベルの音が客の訪れを知らせてきた。

「いらっしゃい。旦那、ここいらじゃ見ない顔ね」

 警戒するようなドナの硬い声に、アメリはカウンターの奥で身を潜めた。
 今は休憩中だ。厄介な客なら顔を出さずに様子を見た方がいいだろう。
 万が一トラブルになったら迷わずドナを助けようと、アメリはひとまず息を殺して聞き耳を立てた。

「悪いが俺は客じゃない。人を探している」

 耳に届いた声にアメリの呼吸が止まった。
 聞き間違うはずはない。それは忘れることなどできないロランの声だった。

「人を?」
「ああ、アメリという女性だ」
「アメリ……知らないわね」
「この店に似た人間がいると聞いて来た。この女性だ」

 カウンターの上で、紙を広げるような音がする。
 一瞬固まったドナが、ちらっと横にいるアメリに視線をよこしてきた。
 青ざめた顔で、アメリは小さく首を振る。ロランに向き直ったドナは、大丈夫だと言うように手でサインを送ってくれた。

「ああ……この子なら確かにここにいたわね。でもちょっと前にいきなりいなくなっちゃったわ。随分と目をかけてあげてたのに、こっちもいい迷惑よ」

 肩をすくめてドナはフンと鼻を鳴らした。

「出て行ったのはいつ頃のことだ?」
「そうね……一週間くらい前だったかしら?」
「どこへ行ったか見当はつかないのか?」
「さぁ? 女ひとりだし、行くとしたら治安のいい王都方面なんじゃない?」
「王都か……分かった。礼を言う」

 静かに言ったロランが、何かをカウンターに置いた。
 アメリからは良く見えなかったが、布袋のようだった。

「彼女が迷惑をかけた。詫びに取っておいてくれ」

 足音が遠ざかって、ドアベルが鳴らされる。軋んだ音を立てながら、ほどなく扉は閉じていった。
 しばらくの静寂のあと、そばでしゃがんだドナがアメリの顔を覗き込んでくる。
 口元に手を当てて、アメリは音もなく涙を流していた。
 唇が震え、次第に嗚咽が堪えられなくなる。

「ねぇ、レベッカ……あなた、なんかとんでもない男に追われてるみたいね」

 ドナが布袋を見せてきた。
 中にはずっしりと硬貨が詰まっている。

「彼は何者? とてもじゃないけど堅気には見えなかったわ」

 アメリはただ唇を噛みしめた。
 ロランが勇者であることを告げると、アメリが聖剣の乙女だったことも話さなくてはならなくなってしまう。

「浮浪者みたいな無精ひげの上、あんなに包帯だらけだなんて……」
「包帯だらけ? 彼は怪我してたんですか?」

 ロランのそばには新しく聖剣の乙女に選ばれたベリンダがいるはずだ。
 それなのになぜ。訝しげになったアメリに、ドナが困惑の顔を返した。

「腕も首もグルグル巻きだったけど。血もにじんでて、ろくに手当も受けてないように見えたわ。こんなにお金を持ってるくせに、医者にもかからないなんておかしすぎるんじゃない?」
「そんな……ベリンダは一体何をやってるの!」
「ベリンダ?」
「あ、いえ、すみません……」

 ドナに言っても何にもならないだろう。
 我に返ったアメリはざわつく心を必死になだめた。

「とにかく、厄介事には巻き込まれたくないの。悪いんだけど、これ渡すからできるだけ早く出て行ってくれない?」

 とっさにドナがついてくれた嘘の作り話だ。
 街の人間に聞けばすぐに嘘がばれて、ロランが戻ってきてしまうかもしれなかった。

「……分かりました」

 親切にしてくれたドナたちに、これ以上迷惑をかけることはできない。
 アメリは今まで働いた分だけお金を受け取って、残りはドナの元に置いていくことにした。

 来たときと同じく荷物もほとんど持たず、アメリは逃げるように街を出た。

「一度村に戻ってみよう」

 村まで行けば、ロランとベリンダのことも聞けるかもしれない。
 幼馴染のモニカに借りたお金を返す必要もあるし、そっち方面に行けば討伐の旅を続ける一行と鉢合わせすることもないだろう。

 辻馬車を乗り継いで、数日後アメリは再び故郷の土を踏みしめていた。

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