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第一章 二人の関係
5.変わりゆく二人
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俊成君の顔が驚きと衝撃でゆがむ。コロはかなり長い間彼の手を噛んでいたような気がしたけれど、実際はすぐに離れて吠え立てていた。私はそのコロの吠える声を聞いて、自分がとんでもないことをしでかしてしまったことに気が付いた。
私のせいで俊成君はコロに、犬に噛まれてしまったんだ。
そう思うと、余計にどうしたらよいか分からなくなって、ただもう、怖くなってしまった。コロを叱りつけるどころか、手放したリードを拾い上げる勇気も無くて、たまらなくなって私は泣き出した。本当は泣きたいのは俊成君のほうなのに。
どこまでも卑怯な私に比べ、健気なのは俊成君だった。彼はさっきまで自分に噛み付いていた犬のリードを右手で拾い上げ、そのまま私の目の前にぐっと突き出すと落ち着いた声で言った。
「ほら見てみな、血が出ていないだろ? ほんのちょっと噛み付かれただけだよ。だからもう泣くな、あず」
「俊、俊成君」
泣きじゃくりながらもうなずく私にリードを渡し、俊成君は道路に散らばったコンビニの袋とアイスを拾い上げる。慌てて私も手伝おうとしたけれど、その前に片付け終わってしまった。俊成君はコンビニの袋を無意識のうちに利き手の右手に持つけれど、すぐに苦痛そうに眉を寄せ左手に持ち直す。
「大丈夫?」
その問いに答えずに私の目を真っ直ぐ見ると、俊成君は短く促した。
「帰ろう」
「……うん」
コロは自分のしたことが分かっていないようで、無邪気に私の足元をうろついている。歩き出すと散歩が再開されたことを喜んで、ぱたぱたと尻尾を振った。
私の家までたどり着くと、俊成君は何も言わずにその先にある自分の家へ帰ろうとした。
「駄目だよ。待って!」
私は慌てて彼の持っているコンビニの袋を掴むと、玄関から台所に向かって叫ぶ。
「お母さんっ!俊成君が……」
「えー、なに?」
意味が分からずのんびりとした様子で出てきたお母さんだったけれど、娘の泣き顔と俊成君の青い顔に何かが起こったのを察したらしい。
「どうしたの?」
「俊成君の右手、コロに……」
最後まで言えずに涙が浮かぶ。お母さんは私を突き飛ばしかねない勢いで俊成君に駆け寄ると、右手首をそっと持ち上げた。
「親指、腫れているじゃない! あずさっ! なにやったの!?」
「犬が、驚いただけなんだ。俺、突然現れたから」
「病院、行きましょう。ああもう、俊ちゃんごめんなさいね。あずさはここで留守番よ。倉沢さんにも連絡しなくちゃ。おうち、誰かいる?」
お母さんはお財布を掴むと俊成君を連れて、あっという間に出て行ってしまった。残された私はコロを抱きしめ、あらためて泣き出してしまう。
「コロ、どうしよう」
コロはお母さんの勢いにさすがに今までとは違う空気を感じたらしく、不安そうにクーンと鳴いた。
気が付くと、下駄箱の上に放り出されていたコンビニ袋の中のアイスが、溶けて流れ出していた。
◇◇◇◇
「あずさ、あんた一体自分がなにしたか分かってんのっ?」
病院から戻ってきたお母さんにも、そしてもちろんお父さんにも怒られた私だったけれど、今回の件で一番恐ろしいのはお姉ちゃんだった。
奈緒子お姉ちゃんは普段はあまり姉の権威を妹に押し付けない。けれどこうやって怒り出すと、私なんかでは太刀打ちできなくなってしまうんだ。特に今回は、お姉ちゃんが主体となって飼いはじめた犬と私のやらかしたことだ。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら私のことを叩き、「これでコロが田舎に戻されたらどうするのよ?」と叫ばれて、その可能性を考えなかった私は愕然とした。
コロをうまく育てられなかったから、コロは人を噛んでしまう悪い犬だから、だから田舎に戻されちゃうの?
お姉ちゃんと二人、コロを抱きしめて目が腫れるくらいの勢いで大泣きした。
実際のその後の処分はというと、コロに対してのおとがめはなかった。その代わりという訳ではないけれど、お父さんが犬のしつけ教室のチラシを持ってきて、それに通うことになった。もちろんコロだけでなく、一家全員で。
俊成君のケガに関しては、本人の言ったとおりに大したことはなく、何日間か親指の付け根が腫れたくらいで済んだらしい。とはいえ、ケガが治るまでの俊成君の苦痛とか、ケガをさせてしまった私の責任とかが消えたわけではないけれど。
コロが噛み付いたあの時、俊成君が落ち着いて対応したからあの程度で済んだんだと思う。コロのお母さんは紀州犬で、狩猟とかに使われる犬らしい。コロにもその血は受け継がれているので、仲間を守ろうとか、逃げる獲物を捕まえようとする意識は強いんだと、その後のしつけ教室で教わった。俊成君があの時慌てて逃げていたら、もっと大変になっていたんだろうな。でも俊成君は逃げなかったし、決して私に怒ったりしなくてそれどころかずっと私を気遣ってくれていた。
俊成君は変わってゆく。
小学二年生のときにも感じたけれど、それは悪い意味なんかではなく、男の子として確実に成長してるんだ。それを目のあたりにして、なんだか不思議だった。
私のせいで俊成君はコロに、犬に噛まれてしまったんだ。
そう思うと、余計にどうしたらよいか分からなくなって、ただもう、怖くなってしまった。コロを叱りつけるどころか、手放したリードを拾い上げる勇気も無くて、たまらなくなって私は泣き出した。本当は泣きたいのは俊成君のほうなのに。
どこまでも卑怯な私に比べ、健気なのは俊成君だった。彼はさっきまで自分に噛み付いていた犬のリードを右手で拾い上げ、そのまま私の目の前にぐっと突き出すと落ち着いた声で言った。
「ほら見てみな、血が出ていないだろ? ほんのちょっと噛み付かれただけだよ。だからもう泣くな、あず」
「俊、俊成君」
泣きじゃくりながらもうなずく私にリードを渡し、俊成君は道路に散らばったコンビニの袋とアイスを拾い上げる。慌てて私も手伝おうとしたけれど、その前に片付け終わってしまった。俊成君はコンビニの袋を無意識のうちに利き手の右手に持つけれど、すぐに苦痛そうに眉を寄せ左手に持ち直す。
「大丈夫?」
その問いに答えずに私の目を真っ直ぐ見ると、俊成君は短く促した。
「帰ろう」
「……うん」
コロは自分のしたことが分かっていないようで、無邪気に私の足元をうろついている。歩き出すと散歩が再開されたことを喜んで、ぱたぱたと尻尾を振った。
私の家までたどり着くと、俊成君は何も言わずにその先にある自分の家へ帰ろうとした。
「駄目だよ。待って!」
私は慌てて彼の持っているコンビニの袋を掴むと、玄関から台所に向かって叫ぶ。
「お母さんっ!俊成君が……」
「えー、なに?」
意味が分からずのんびりとした様子で出てきたお母さんだったけれど、娘の泣き顔と俊成君の青い顔に何かが起こったのを察したらしい。
「どうしたの?」
「俊成君の右手、コロに……」
最後まで言えずに涙が浮かぶ。お母さんは私を突き飛ばしかねない勢いで俊成君に駆け寄ると、右手首をそっと持ち上げた。
「親指、腫れているじゃない! あずさっ! なにやったの!?」
「犬が、驚いただけなんだ。俺、突然現れたから」
「病院、行きましょう。ああもう、俊ちゃんごめんなさいね。あずさはここで留守番よ。倉沢さんにも連絡しなくちゃ。おうち、誰かいる?」
お母さんはお財布を掴むと俊成君を連れて、あっという間に出て行ってしまった。残された私はコロを抱きしめ、あらためて泣き出してしまう。
「コロ、どうしよう」
コロはお母さんの勢いにさすがに今までとは違う空気を感じたらしく、不安そうにクーンと鳴いた。
気が付くと、下駄箱の上に放り出されていたコンビニ袋の中のアイスが、溶けて流れ出していた。
◇◇◇◇
「あずさ、あんた一体自分がなにしたか分かってんのっ?」
病院から戻ってきたお母さんにも、そしてもちろんお父さんにも怒られた私だったけれど、今回の件で一番恐ろしいのはお姉ちゃんだった。
奈緒子お姉ちゃんは普段はあまり姉の権威を妹に押し付けない。けれどこうやって怒り出すと、私なんかでは太刀打ちできなくなってしまうんだ。特に今回は、お姉ちゃんが主体となって飼いはじめた犬と私のやらかしたことだ。ぼろぼろと大粒の涙を流しながら私のことを叩き、「これでコロが田舎に戻されたらどうするのよ?」と叫ばれて、その可能性を考えなかった私は愕然とした。
コロをうまく育てられなかったから、コロは人を噛んでしまう悪い犬だから、だから田舎に戻されちゃうの?
お姉ちゃんと二人、コロを抱きしめて目が腫れるくらいの勢いで大泣きした。
実際のその後の処分はというと、コロに対してのおとがめはなかった。その代わりという訳ではないけれど、お父さんが犬のしつけ教室のチラシを持ってきて、それに通うことになった。もちろんコロだけでなく、一家全員で。
俊成君のケガに関しては、本人の言ったとおりに大したことはなく、何日間か親指の付け根が腫れたくらいで済んだらしい。とはいえ、ケガが治るまでの俊成君の苦痛とか、ケガをさせてしまった私の責任とかが消えたわけではないけれど。
コロが噛み付いたあの時、俊成君が落ち着いて対応したからあの程度で済んだんだと思う。コロのお母さんは紀州犬で、狩猟とかに使われる犬らしい。コロにもその血は受け継がれているので、仲間を守ろうとか、逃げる獲物を捕まえようとする意識は強いんだと、その後のしつけ教室で教わった。俊成君があの時慌てて逃げていたら、もっと大変になっていたんだろうな。でも俊成君は逃げなかったし、決して私に怒ったりしなくてそれどころかずっと私を気遣ってくれていた。
俊成君は変わってゆく。
小学二年生のときにも感じたけれど、それは悪い意味なんかではなく、男の子として確実に成長してるんだ。それを目のあたりにして、なんだか不思議だった。
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