異世界シンママ ~モブ顔シングルマザーと銀獅子将軍~【完結】

多摩ゆら

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19.報告

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 侯爵邸での仕事を始めたその日の夜。ケイは本邸のヴォルクの書斎の前で、心を落ち着かせるように胸に手を当てていた。
 朝に約束した通り、初日の報告に来ただけだ。たまたま夜遅くになったのもヴォルクの帰宅が遅くなったからで、他意はない。

(特別扱い…ではない! ちょっと報告したらすぐ帰るし)

 ラスタは子供の世話があるのでこの時間までは侯爵邸にはいられない。誰にともなく言い訳をしてもう一度息を吸って心を決めると、ノックをして扉を押し開けた。

「失礼します。……あの、ヴォルク…さん。別邸の報告に参りました」

「ケイか。遅くまで悪いな」

 念のため室内に他の人がいないのを確認してから名を呼ぶと、椅子に座っていたヴォルクが顔を上げた。
 彼自身もこんな時間まで何かの書物だか書類だかに目を通していたようだ。いつもは後ろに撫でつけられている銀髪がサイドから数束落ち、目元に影を落としている。少し疲れたような顔で腰かけるヴォルクは一片の隙もない昼間の姿とは一味違って妙な色気が漂い、ケイはドギマギと手元を見つめた。

「いえ、ヴェルクさんこそお疲れ様です。ごはん頂きました? 少しお疲れみたいですが」

「ああ、食べた。この時間になると目の疲労がな……。ケイも夕食は食べたか? ココはどうしたのだ」

 眉間を揉みながら答えるヴォルクにケイは同情的な視線を向けた。この時間にも持ち帰りの仕事があるとは、侯爵と将軍職の掛け持ちはケイが想像する以上に大変なのかもしれない。その上、伯母の面倒まで見ているだなんて。

「使用人棟でいただきました。ココは食後にすぐ寝てしまって……。ベビーシッターさん…じゃなかった、お世話してくださる使用人さんに、可愛がってもらったみたいです」

「そうか。それは良かった」

 小さく笑うと、ヴォルクはケイの言葉を待つように体を背もたれに預けた。厳格な上司の部下になったような気分で、ケイは姿勢をぴっと正す。

「レダさんたちに、フィアルカ様のお世話について色々教えていただきました。介護自体は、問題なく行えると思います。お気持ちに寄り添えるかはまだまだこれからですが……」

「そうか。ありがとう。大きな問題はないようで良かった」

 ふうと息をつき、ヴォルクがまなざしを和らげる。彼は手元に視線を落とすとケイを静かに見つめた。

「それと、今朝も……助かった。私はなかなか伯母の言葉が聞き取れなくてな……。まさか、気遣いの言葉をかけてくれるとは思わなかった」

「ああ……。慣れてないと、聞き取りづらいのは仕方ないですよ。今日お話しした感じだと、構音こうおん――ええと、呂律ろれつが回りにくいだけじゃなくて、言葉が出てきづらい感じもあったので、フィアルカ様ももどかしそうなご様子でした」

「そうなのか。やはり、本職はすごいな。私の前だと伯母もなかなか話そうとしてくれなくてな……。病気になる前は共に食事をしたりもしていたのだが」

 少し寂しげにヴォルクが呟く。ケイはなんとなくフィアルカの気持ちも分かるような気がした。

 ケイたち介助者にはあれこれと話しかけていても、以前のように言葉を伝えられないことを恥じて、もしくは相手になかなか聞き取ってもらえないのに諦めや怒りを感じて、身内相手にはなかなか話したがらない要介護者は多いものだ。
 ヴォルクとフィアルカも、それでなんとなくよそよそしい雰囲気になってしまったのかもしれない。

「私も専門家ではないので、どうしたらヴォルクさんが聞き取りやすいかとか、どうしたらフィアルカ様が話しやすくなるかとかはお伝えできないんですけど……フィアルカ様はヴォルクさんのこと、いつも心配されていると思いますよ。今日一日だけでも、『オーヴ』って何度かおっしゃってましたから。何を言いたいかはちょっと聞き取れなかったんですけど」

「……っ。そう…なのか」

 ヴォルクが意外そうに目を瞬いた。ケイがうなずくと、無表情な伯母の顔を思い浮かべるように遠くに視線をやる。

「ヴォルクさんが小さい頃、よく面倒を見てもらっていたってレダさんに聞きましたけど、優しい伯母様だったんですか?」

「ああ、そうだな。伯母は子供がいなかったゆえ、実家に顔を出すたびに世話をしてもらってな。私の両親もそれに甘えていた部分もある。この屋敷に前妻が来てからは、伯母も遠慮してなかなか顔を見せなくなったが」

「……っ」

 急に降って湧いた「前妻」の単語にケイはぎくっと顔を強張らせた。なぜ動揺してしまったのかは分からない。ヴォルクの口から初めて聞いたその言葉に、かつての「妻」の存在が急に実体を伴って感じられ、胸がきゅっと詰まった。
 そんな動揺を振り切るように、ケイは話題を転換する。

「何か、フィアルカ様が興味を持っていただけそうなことをこれから探してみようと思います。そうしたら、少しは会話の糸口になるかもしれませんし。あの、それで一つお願いがあるんですが……」

「なんだ?」

 話題が逸れたことに少しホッとしながら、ケイはラスタと考えている「あるもの」の構想と材料について話した。ヴォルクは興味深そうにケイの話に聞き入る。



「木製の車輪と、小さい車輪か……。軍で使わなくなった荷車などを調べれば、余りはあると思うが」

「良かった! 新しく作ってもらうのはさすがに気が引けて……。用意できそうだったら、お願いします。あとはラスタの旦那さんが作ってくれると言ってたので」

「分かった。ラスタにもありがとうと伝えてくれ。製作費と謝礼は私が出す。……遅くまですまなかったな。引き続き、よろしく頼む」

 ケイの話を聞き終えたヴォルクがやがてうなずき、求められた報告の時間はそれで終了となった。再び書類を持ち上げたヴォルクは、左目を閉じてこめかみを揉む。
 退出しようとしたケイは思わずもう一度ヴォルクに話しかけた。

「……目、おつらいんですか? だいぶお疲れみたいですけど」

「ああ……。すまんな、気遣わせて。こちらに古傷があるだろう? そのせいか、左目だけ疲れやすくてな。ひどいと下まぶたがけいれんする」

「えっ。見え方とかは大丈夫なんですか?」

「それは問題ない。もう、とうに癒えたと思ったんだがな」

 ヴォルクの左目の下には、横に走る傷跡がある。完治してもこれだけ残るということは、怪我をした当初はかなり大きく酷い傷だったということだ。

「ココに、弓矢で負ったと言ってましたね」

「よく覚えているな。10年前のグラキエス侵攻のときに、当たってな……。目そのものをやられなかっただけ幸運だが、しばらく血が止まらなくて大変だった」

「そうだったんですか……。大変でしたね」

 今はすっかり落ち着いたように見えても、この国にも戦乱の歴史があり、そして目の前の彼はその渦中にいた人なのだ。
 元いた世界で一人だけ出会った、従軍経験のある老人の姿を思い出す。銃弾で肉をえぐられたふくらはぎの傷跡が痛々しくて、歩くのに不自由していた。たまに軽くマッサージをしてあげたものだ。

「さて、本当に遅くなってしまうな。そろそろ――」

「あの、少し触りますね」

「……? どうし――、っ……」

 ヴォルクの背後に回り込むと、ケイはそっとその首の上端に触れた。指でぐっと押すと、ヴォルクの背がびくりと強張る。

「あ、すみません。痛かったですか。……凝ってるの、ここですか?」

「い、いや……。ああ……そうだな」

 普段、介護相手に接するような調子でヴォルクに触れたケイは、気付かなかった。急所ともいえる後頚部に急に――しかも女人に触れられ、ヴォルクが動揺したことになど。
 襟足の筋肉が盛り上がっているあたりを親指と人差し指で挟み、ケイはぐっと指を押し込む。

「……っ」

「あー、固いですね……。ここ、目の疲れに効くツボなんですって。前の職場に出入りしていた人に教えてもらって……あとこっちとか。力、強すぎませんか?」

「……大丈夫だ」

 眼精疲労に効くツボと言えばまずは眉の周りやこめかみだろうが、さすがに顔に触れるのはためらわれて後頚部を押すと、ヴォルクが一瞬息を止めたあと大きく吐き出した。体から力が抜けるのを見計らって、ぐっぐっと首筋から肩に向かって指を下ろしていく。

(首、太いなあ……。天然の銀髪って、白髪と違ってキラキラ光らないものなんだな……)

 必要以上に触れないように気を付けながら、ケイは普段は身長差であまり見ることのないヴォルクの後頭部と肩回りをなんとなく観察していた。
 広い肩幅に厚い体。服を着ていても、その上半身が鍛え上げた筋肉で覆われているのが想像できてしまい、なんとなく中空に目を逸らす。

 一方ヴォルクも、ケイから他意なく施される揉みほぐしに目を閉じて集中しようとした。……が、首筋から伝わるケイの指の温かさと、力を込める時に無意識に出てしまうらしい吐息が気になって集中できない。
 幼い頃に剣の師から聞いた精神統一法を久々に思い返し、静かに呼吸を繰り返す。しばし、侯爵邸の書斎はどこか緊張した沈黙に支配された。


「――よし。どうですか……?」

 ほんの数分だったが、雇用主と使用人としては――いや、侯爵とその客人だとしても近すぎる距離感は、ケイの終了を告げる声によって解消した。
 ヴォルクは首を左右に傾けると目を開閉する。重だるかった視界が開け、頭まですっきりとしていた。

「……楽になった」

「良かった! 頭皮もマッサージするともっと目が楽になりますから、やってみてください。でも、無理しないのが一番ですよ」

「ああ。……ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。それじゃ、失礼します。おやすみなさい」


 いい加減戻らないとココが心配なのか、あっさりと告げたケイが足早に部屋を去る。
 残されたヴォルクは、首筋に残るケイの指の感触と体温を思い出し、難しい顔で口元を覆った。

(あれが彼女の『普通』なのか……? 陛下に負けず劣らず気安くて、心配になるぞ)


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