百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【陸】百々目登場

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 洋館を出て離れに向かう途中、犬神零は赤松を見つけた。裏門の手前の人目のない場所で、ひとり煙草を吸っている。……これは珍しい。
 零が近付くと、赤松は慌てた様子で紙巻き煙草を踏み消した。
「おや、赤松警部補も煙草をお吸いになるんですね」
 バツが悪そうに赤松は答えた。
「頭がムシャクシャしている時だけ吸う。吸い過ぎは体に良くないからな」
「まあ、そう言わず、もう一本いかがですか? ……それと、私にも火を貸してください」
 零は腰の煙草入れから煙管を取り出し、刻み煙草を詰めた。
「若いのに、随分と骨董品を使うんだな」
「私、何歳だと思います?」
「息子と同じくらいだろう。……百々目警部殿と同じくらい」
 赤松は紙巻き煙草にマッチで火を点け、零にも回した。
「息子さんがいらっしゃるんですね」
「出来の悪い息子だよ。……警察官になぞなりよって」
「親の背を見て子は育つ。素晴らしいじゃありませんか」
「こんな因果な商売。息子には、別の道を歩んで欲しかったんだがな」
「弱気ですね。らしくありません」
 煙を吐きながら、赤松は自嘲した。
「おまえのような素人に見透かされるようでは、俺も大した事はないな」

 ――赤松は、丸井勝太の聴取の際、ついうっかり余計な事を言って、久芳春子と口裏合わせをさせてしまったのだ。
 水川咲哉の証言と、久芳春子が丸井勝太と一緒にいたという証言が食い違っていたため、彼の証言が非常に重要なものであったにも関わらず。
 百々目に先へ先へと捜査を進められ、焦りがなかったかと言えば嘘になる。そのため、丸井勝太のたどたどしい口ぶりに、苛立ちが出たのだろう。
 こうなると、その証言を覆すのは非常に困難だ。百々目は何も言わなかったが、赤松の自負をズタズタに傷付けるには十分な失敗だった。

「私も先程、らしくなく取り乱しましてね」
 色を失っていく夏の空に煙を吐き出し、零も笑った。
「桜子さんにグサッと言われてしまいました」
「所詮、自分らしさなど、自分を取り繕う仮面にすぎん。……だが、仮面を外すまいと必死に取り繕っているからこそ、自分でいられるんだよな」
「面倒なもんです、自分らしさというのは」
 零は指に挟んだ煙管を弄びながら赤松を見た。
「……正直、どうです? 今回の事件は」
「嫌な事件だよ。見たくも聞きたくもない事実が次々と出てくる」
「――百々目警部殿に、解決できるとお思いですか?」
「どういう意味かね?」
 目を丸くする赤松を、零は見返した。
「頭脳、知性、行動力、全て申し分ない。むしろ、他に並ぶ者のない程の実力の持ち主です。……しかし、ひとつだけ、彼にはないものがあります」
「それは、一体?」
「……経験、ですよ」
「…………」
「私は、全ての能力に於いて、経験ほど重いものはないと思っています。むしろ、他の全てがなくとも、経験さえあれば、事は成し遂げられると思う程度に」
 零は灰を落とし、煙管を煙草入れに収めた。
「あなたの経験は、百々目警部の比ではない。それに、このように人間関係の入り組んだ事件を、頭脳だけで解決するのは困難かと。……あなたの存在は、この事件に必須なんですよ」
 赤松は丸い目で零の顔を見ていたが、煙草が燃え尽きアチッと取り落とすと、不敵な笑いを浮かべた。
「煽てても何も出んぞ」
「煽ててなんかいません。事実を言っているだけです」
 赤松はハハハと笑い、零の肩に手を置くと声を低めた。
「警部殿は、水川咲哉の取り調べを厳しくするつもりだ」
 零は目を細めた。彼には、先程の丸井勝太とのやり取りを知る由はない。しかし、何か動きがあった事は察した。
「俺みたいな凡人には、頭の切れ過ぎる警部殿の考えは分からん。しかし俺は、奴はシロだと思っている。……経験からの勘だ。それを証明するのに力を貸してくれるのなら、俺は何だってする」
「いい顔ですよ、刑事の顔です」
 零は赤松の肩を叩き返し、その場を去った。



「……春ちゃん、春ちゃん」
 来住野家を訪れたその足で、丸井勝太は善浄寺を訪れた。
 時は夕暮れ。石段を上ると、木陰や祠に身を隠しながら境内を回り込み、寺務所の奥の住居部にある窓を叩いた。……春子の部屋だ。
 すぐに春子は現れた。数日振りの逢瀬を喜び、そして勝太は春子を見た。
「……あの日、一晩中、僕と一緒にいた事にして、いいんだな?」
「……うん」
 春子は嬉しそうに微笑んだ。
「もう、お父さんにもお母さんにも、何も言わせない。私、勝ちゃんのお嫁さんになる」
 窓越しに、二人は抱き合った。
「あの日はずっと一緒にいたの。勝ちゃんと、一晩中」
「あぁ、あぁ、そうだよ。僕たちは一緒にいたよ」
「絶対、絶対、一緒にいたんだよ」



 ――午後四時半。

 親族である水川兄弟とその一族は、来住野家に到着していた。
 通夜は六時から。広間には数多くの座布団が並べられ、続々と花輪が運び込まれている。
 地元一の名士の弔事である。しかも、次期帝国議員候補者とある。花輪の提供者の名前は、錚々そうそうたるものである事は言うまでもない。
 水川夢子は、祭壇の前に腰を据え、数珠を鳴らして手を合わせていた。何やらブツブツとお経のようなものを唱えているが、水川信一郎には、それが天狗の伝承にまつわるものだと分かった。貧乏ゆすりをしながら、彼は妻を咎めた。
「止めないか、夢子。縁起でもない」
「あなたには分からないのよ。天狗の祟りの恐ろしさが」
 すると、祭壇に歩み寄ったのは十四郎である。夢子の数珠を掴むと、思い切り引っ張った。数珠は切れ、珠が畳に散らばる。
「いい加減にしろ! 天狗など、いる訳がないだろう!」
 怒声を上げる十四郎をキッと睨み上げた夢子の形相は、鬼をも震えさせるものだった。
「……あんたが大天狗なの? あんたが悪鬼なの? ……それならば、人形は壊さなくてはならないわ」
 その剣幕に、さすがの十四郎もたじろいた。
「……何を言ってるんだ……!」
「大天狗よ! あんたが大天狗よ! ……ああ恐ろしい、ナムサバンダラ……」
「大叔母様、お疲れなんですわ、どうぞ、こちらに」
 不知火松子が、広間の横の控え室に夢子を連れて行く。
「……娘の杏子が亡くなってから、何かあると、ずっとあの調子で」
「仕事にかまけて、兄さんが彼女を構わないからだろう。寂しいんだよ」
 水川滝二郎は座布団に胡座をかき、隣に座る息子の咲哉に目配せする。少し離れて座る、来住野梅子にアプローチさせようとしているのだ。
 どきまぎと腰を浮かせ、水川咲哉が梅子の横に移動する。漆黒のドレスをまとい、黒のヴェールで顔を覆う彼女は、じっと前を見ていた。
「あ、あの……。ご機嫌、どう?」
 すると、梅子の首が動いた。からくり人形のように首を回す。ヴェール越しに、微塵も表情のない声でこう言った。
「天狗の祟りは恐ろしいものよ」
「……な、何を言ってるのかな、梅子ちゃんは……」
「姉は、天狗に殺されたの。生贄に持って行かれたの。生き残った私は、叛乱者の虜になるの。何もかも、仕組まれた運命なの」
「…………」
 あまりに気味が悪くなった咲哉は、そそくさと父の隣に戻る。さすがの滝二郎も、梅子の様子に顔をしかめた。
 その様子をぼんやりと眺めていた来住野鶴代が声を上げる。
「そろそろ、お夕食の時間ですわ。食堂に行かないと」
 そして、真っ直ぐに広間を出て行った。

 ――そんな中に入ってきたのが、百々目潔宣である。
 彼は水川滝二郎父子の前に立つと、こう言った。
「来住野竹子氏殺害の件で、水川咲哉君、君から詳しく事情を聞きたいので、しばらく身柄をこちらで預らせて頂きたいのですが」
 あんぐりと口を開けて百々目を見上げる咲哉に代わり、滝二郎が声を荒げる。
「どういう意味だ! そ、そんな横暴が、ゆ、許されると思ってるのか!」
 百々目は氷のように冷たい目を滝二郎に向けた。
「息子さんの血液型は、B型ですね?」
 滝二郎は青くなった。

「――ちょっと、もう阿鼻叫喚が始まってるみたいよ」
「そのようですね」
 犬神零と椎葉桜子は、その様子を広縁の外、洋館との隙間にしつらえてある中庭の木陰で眺めていた。
「ですが……」
 犬神零は顎を撫でながら広間に視線を送る。
「――本当の阿鼻叫喚は、これからですよ」
 その目の色は、氷点下の氷柱つららとも地獄の業火とも、虚無の深淵とも思えた。
 ……とんでもない男を、今目の前にしているのかもしれない。桜子はゾクッと肩を震わせた。
「……さて」
と零は振り返ると、ニコリと微笑み、目の色を隠した。
「お風呂、行きたいでしょう?」
「……え?」
「行きましょう、お風呂に」
「どこの?」
「多摩荘の露天風呂ですよ」
 そして、さっさと歩きだす。
「お通夜、行かなくていいの?」
「この格好です。歓迎されませんよ」
 そのままスタスタと本宅の脇を過ぎ、裏門に出る。桜子も慌ててついて行く。と、そこに立つ警官に声を掛けた。
「どうもどうも、裏方に徹する公僕のかがみの小木曽巡査じゃありませんか」
 小木曽はギクッと彼に顔を向けた。
「こ、今度は何の用だ?」
「ちょっとお風呂に行ってきますから、ご挨拶に」
「……はぁ? 貴様、屋敷の外に出るなとあれほど……」
 喚き立てる小木曽の目の前に、零は札を見せた。
「通行証です。赤松警部補のお墨付きの」
「…………」
「では、頑張ってください」
 零は小木曽の肩をポンと叩いて裏門を出た。

「……いつの間に、赤松警部補をたらし込んだの?」
「たらし込んだなどと人聞きの悪い。共同戦線を敷いたんですよ。――真実を解き明かすために」
 道を長屋門の方へ曲がると、報道陣が集まっていた。長屋門の奥にカメラを向け、主役――政治部にとっては来住野十四郎、芸能部にとっては不知火松子――が出て来ないかと、待ち構えている。
 勤勉な記者数人は、前夜祭からずっと見る顔である。しかし今日は、その数倍に及ぶ人数だ。

 ――もうすぐここで、この一家を破滅に追い込む、大芝居が始まる。

「……見たいですか?」
 零が桜子を見る。彼女は目を逸らした。
「見てられないわ」

 二人はカメラの隙間を抜け、つづら折れへ下りて行った。
 ――そろそろ、来賓や参列者がやって来る。
 柴田の運転するハイヤーが、与党幹事長を乗せて長屋門に横付けした。
 彼を迎える来住野十四郎は、迫り来る惨劇を、まだ知らない。



《第一部――幕》
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