どうやら異世界の歪みに落ちた様ですっ!

伊織愁

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9話

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 チィーガルの山に向けて出発した綾は、ほぼ無計画だった。 何も持たずに出掛けるのは無謀だ。

 「マスター、待って!」
 「何?」

 慌てた綺麗が、綾を引き留める。 綾は少しだけ苛立った様に返事を返した。

 「マスター! どうやって行くの? ちゃん調べないと駄目だよ! 街の外は魔物が沢山、居るんだよ!」
 「あっ、そうだった! 魔物対策」

 まぁ、でも、死んでも始まりの街に戻るだけだし……。 あっ、また街からチィーガルの山を目指すのか。 そうなるとお金も掛かるし、何回も山道を登らないと。 正直、それは辛い。

 「死んでも大丈夫だけど、何度も同じ事を繰り返すのは、疲れるだろうなぁ」
 「えぇぇぇっ!!」

 綾の発言に、綺麗は叫び声を上げた。

 可愛らしいウリ坊の顔に、理解が出来ない、何を言っているんだと、狂気の沙汰じゃないと青ざめていた。

 「そんなに大袈裟に驚かなくてもっ」

 片手を顔の前で左右に振り、大袈裟に驚く綺麗に、眉尻を下げて苦笑を溢す。

 「大袈裟じゃないよっ! 死んだら人生終わりだよっ!」
 「まぁ、そうなんだけど」
 「マスター、死んだら駄目っ! 絶対に嫌だ!」

 物凄い勢いで、綺麗は綾の脛に額を擦り付けて来る。 綺麗の必死な様子に、綾は白旗を上げた。

 「分かった、分かった! 死なないからっ! 大丈夫よっ、死んだら面倒だし……」

 死んだら面倒だと発言した事にも、綺麗の顔は愕然としていた。 しかし、表情が豊かなウリ坊である。

 可愛いとしか、言いようがないけど。

 愕然としている綺麗は、小さく笑いかけてくる主に恐れ慄いている。

 綾は綺麗の様子に全く気づいていなかった。

 準備を整えた綾は荷物を確認し、護衛が付いている乗り合い馬車を探して、チィーガルの街、虎の姿をした精霊が守る街へ向かう。

 先ずは、今持っている荷物を確認する。

 財布に小型のナイフ、主に解体や素材採取に使用ている。 飲み物に簡易食、移動する時の食事は各自で持参らしい。

 そっか、親との旅行とか、ツアーじゃないから食事が出る訳ないか。 旅行会社なんて、ゲーム設定上無さそう。

 乾燥した干し肉が、移動の際、冒険者では当たり前の非常食だ。 一枚、齧ってみる。 普通に現実世界でも売っているジャーキーの味だ。

 うん、十分、食べられる。

 後は、タオルや毛布代わりにもなるマントだ。 勿論、布団などは用意されないし、用を足すのも草むらだ。 物凄く嫌だけど、仕方ない。 何故、ゲームなのに排泄があるのだと不思議に思った事はあるが、ゲームだと信じて疑わない綾は、此処までリアルにしなくても、と思っていた。

 後、武器は炎魔法の弓でいいとして、魔力切れした時の為に、何か別の武器を持っていないと駄目だ。

 「う~ん、どうしようかな。 魔法だけだと魔力切れの後、続かないんだよね」
 「魔力切れする前に倒さないとね。 後は勝てそうにない相手とは、無理して戦わない。 なるべく魔物と遭遇しない様にしないと」
 「魔物が蔓延る世界だと、それは無理じゃない? まぁ、まだ弱いしね、充分、気をつけるよ。 さて、荷物は少ない方がいいし、これで良いかな。 綺麗、行くよ」
 「うん、マスター」

 小さくなった綺麗に腕を差し出すと、肩の上へ登って来た。 綾の青い瞳には、憂いの色は滲んではいない。 

 チィーガルで契約精霊に出会える期待の光りが宿っていた。

 チィーガル行きの馬車は直ぐに見つかり、意気揚々と乗り込む。 綾を乗せた乗り合い馬車が静かに走り出し、サングリエの街を囲う門を潜った。

 ◇

 チィーガルの山では、圭一朗が相変わらず、修行に勤しみ、森に住む動物たちの困り事を聞いていた。

 「生まれ変わってから、もう10日くらいか。 猪俣は大丈夫だろうか」

 空を見上げ、何処かで同じ空の下に居るだろう生徒だった綾を思う。 契約でチィーガルの山に縛られている圭一朗は、山から降りる事が出来ない。

 何とも不甲斐なく、もどかしいんだろうと、圭一朗は眉間に皺を寄せる。

 圭一朗も人間に生まれ変わっていたら、自身の足で綾を探しに行けたのにと。

 「人生って、儘ならないものだな」
 
 隣で伏せていた紫月が小さく首を傾げ、もう一体、精霊が側で伏せていた。

 白夜だ。 彼は片眉だけ上げ、焦茶色の瞳には『何を今更』という感情が浮かんでいる。 圭一朗を盗み見て、呆れた様な小さい息を吐き出した。

 白夜の様子に、圭一朗も眉尻を下げて苦笑を溢す。 人間みたいだと。

 今の時間は修行を終え、まったりとした休憩時間だ。 ずっと気を張り詰めていても、ストレスになって効率よくレベルが上げられない。 

 適度に心を休める時間は欲しい。

 「この時間は特に、猪俣の事を思い出すな」
 
 猪俣は本当に大丈夫なのかと、何時も考えてしまう。 今頃、ログアウトが出来なくて、おかしいと思っているだろうか。

 修行を重ね、圭一朗の炎レベルは6になっていた。 炎を纏いし剣もレベルが上がり、赤から黄色のグラデーションだった色は、黄色から白に近い黄色のグラデーションに変化していた。 

 大分、高温を出せる様になり、広範囲に山火事を起こせる様になっていた。 

 人間にとっては、大災害級だ。

 こんなに力を付けてどうするんだろうな。

 圭一朗が考えている事が分かったのか、クロガネから爆弾発言が投入された。

 「それは、最終的に圭一朗様が八岐大蛇を退治する為ですね」
 「えっ、八岐大蛇?! 嘘だろうっ?」
 「嘘ではないですよ、クロガネが嘘を吐いてどうするんです? 八岐大蛇の討伐は、精霊王になる為の試練ですよ」
 
 紫月がにっこり笑って宣った。

 少し離れた場所で子虎たちを相手にしていたクロガネが紫月の言葉を受け、嫌な笑みを浮かべる。

 どうやら本当に本当らしい。 圭一朗の脳内で自身が死ぬ未来が見える。

 もしかしなくても、綾にも八岐大蛇と戦う事を強いしまうのか、圭一朗は愕然とした。 しかし、この世界は綾がプレイしていたゲームに酷似した世界だ。

 綾が既に知っていると思われる。

 「だけど、猪俣をそんな危険な事に巻き込むのもなぁ。 いや、でも、誰かに契約を解いてもらわないと、俺は一生、この山で暮らすのか……」

 暫し考え、今までの暮らしを思い出した。 脳裏に浮かぶのは、楽しかった事や辛かった事。 序でにクロガネの嫌な笑みを浮かべる姿も思い出してしまった。

 しかし、圭一朗にはもう一つ、やる事がある。 猪俣に自身が置かれている現状を伝える事だ。 結局はどちらにしても、猪俣には会わざるを得ないのだ。

 吐き出された深い溜め息には、色々な感情や感傷が乗せられていた。

 圭一朗の心配を他所に、綾は乗り合い馬車を乗り継ぎ、チィーガルの街へやって来ていた。 

 二人の再会は後もう少し、綾が真実を知るのも後少しである。

 誰にも告げづに出て来てしまい、サルトゥ家の人々が心配している事に気づかず、綾は家族の事に全く思いを馳せなかった。

 綺麗も綾の『死んでも大丈夫』だと宣った事で、家族に連絡する事をすっかり忘れ、綾に忠告する事を失念していた。
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