1 / 2
前編 対ビックスライム
しおりを挟む
「『スライムが雑魚だ』って言ったのは、誰なんだろうな!」
青年は子供の頃にハマった、某国民的大人気RPGを思い出しながら、スライムを片手半剣で斬りつけた。
スライムは想像より、ずっと恐ろしいモンスターだ。
その半透明のゼリーのような体は、不定形ながらも弾力が強く、片手半剣で切りつけてもなかなか刃が通らない。
弱点は分かりやすく、中心に浮かんでいる核なのだが、よほどの戦士でないと、そこまで刃を通すのは至難の業だ。
ときおり、皮膚が溶けるくらいの酸弾も飛ばしてくるので、中距離でも気をつけなければならない。
ましてや体に取りつかれたら最後、徐々に動きを封じられ、顔を覆い窒息させようとしてくる。
それを防ぐことは、並の人間にはまず不可能だろう。
救いとしては動きが大変鈍く、人の歩く速度くらいしかないので、走れば逃げられる点だろうか。
「……大気よ、アタシ、ルリが命ずる、無形の力よ、全てのモノを貫く錐となれ! <トラスト!>」
青年の隣に浮いている妖精が、中級風魔法をスライムに放つ。
束ねられた風の力で、スライムの側面が棒で突かれたように凹むが、数瞬後、何事もなかったかのように元の形へと戻ってしまった。
「ダメだよツカサー、ぜんぜん効いてない!」
そう、通常のスライムですら脅威だと言うのに、二人の目の前のスライムはとてもとても巨大だったのだ。
一般的なスライムは、人間の大人の頭くらいのサイズしかない。
だがいま目の前にいるのは、大きめの自動車サイズだ。
表面をいくら切ったりしても、ほとんどダメージは与えられない。
「んー、やっぱり俺の剣でも、ルリの魔法でも、核までは届かないか」
青年は大きく距離をとって、自分の剣を地面に突き刺した。
妖精は呆れた顔で、青年の隣に浮いている。
「ツカサったら、やる前から分かっていたじゃない」
「いや。見ると聞くとじゃ大違い、実際に試してみることは大切だからね。とりあえず実験は済んだし、さっさと片付けちゃおうか」
飛んでくる酸弾を避けながら、青年は巨大スライムに手を向ける。
「じゃあ行くぞ。<ティンダー><ショット>!」
掛け声と共に、ゴルフボール大の炎が空中に生まれ、真っ直ぐ巨大スライムに飛んでいき着弾した。
痛覚があるのか分からないが、のたうち回る巨大スライム。
「うん、確かに『スライムは火に弱い』みたいだ」
「わぁー、ポッカリとえぐれているけど……大きすぎて、ぜんぜん効いているようにはみえないよ?」
「そうだね、大きすぎて、一発や二発打ち込んでも倒せないだろう。それならたくさん打ち込んだらいいと思わないかい」
青年は再度手を向け、大きく息を吸い込んだ。
「<ティンダー><ショット>!」
再び飛んでいく、小さな炎。
だが今度はこれでは終わらなかった。
「<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>!」
間を開けずに、連発される魔法。
「<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>!<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! 」
無数の光がきらめき、巨大スライムへと降りそそぐ。
一発いっぱつは大したことはないが、雨あられと唱えられた魔法の炎によって、巨大スライムの体は削られていく。
数分後、巨大スライムは核だけを残して、蒸発していた。
安全のため巨大スライムが身動きできないのを確認したあと、青年は近づいて、核に剣を振り下ろしたのだった。
◇ ◇ ◇
「ふわぁ~……ぁ……。……っと」
シトリは思わず出てしまったあくびを噛み殺して、そっと周りを見渡す。
幸い隣の席の同僚は、帳面とにらめっこをしていて気付かなかったようだ。
窓に目をやると、暖かな日差しが室内へとたっぷりと射し込んできている。
昼食後のこの時間が一番睡魔が強くなる時間帯であり、再度あくびがでそうになるのをこらえて、冒険者ギルドの受付嬢であるシトリは背筋を正した。
ここはアンゼリカの街。
街の西側にある冒険者ギルドは、閑散としていた。
ギルドでは討伐や採取など、多種多様な依頼を取り扱っている。
だがそれらの依頼の多くは早朝にギルドロビーの掲示板に張り出されるのだ。
冒険者もその時間を狙ってくるので、朝は大混雑することも珍しくはない。
だがお昼過ぎになると、めぼしい依頼はほぼ無くなり、人も少なくなるのだ。
そのとき室内に、入り口のスィングドアの鐘の音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ!」
入ってきたのは黒髪の青年と、その肩に乗った小さな妖精の二人だった。
どこか冷たい印象を受ける二十歳すぎくらいの青年は、動きやすさを重視しているのか、要所に銀を打ち付けた革鎧の上にマントを羽織っている。見たところ武器は携帯していないようだが、どこかに置いてあるのだろうか。
妖精は大きさ20cmくらいだろうか。二対四枚の上の羽の先には、ハートマークの模様が浮かぶ。リボンとスカートをはためかせて、一切羽ばたかずに空中を飛び回る彼女は、もしかしたらレアな水晶妖精なのかも知れない。
青年はこちらを一瞥したあと、掲示板へと向かう。
手慣れた様子で依頼をチェックしたあと、一枚の用紙を剥がし、カウンターへ冒険者証と共に置いた。
「この依頼を頼む」
抑揚がない、どこか突き放すような距離感を感じる男の声音。
「ありがとうございます。では冒険者証を拝見させていただきますね」
あら、とシトリは思いながら冒険者証の情報を専用の装置で読み取り初める。
青年が持ってきた用紙には、上部に赤線が引っ張ってあった。
これは緊急を意味する証で、先ほどギルドに届けられたばかりの依頼なのだ。
(明日までこのままかと思ったけど、早く捌けて助かったわ)
普通こういった類いの依頼は、死傷者が出ているものが多い。
だが早朝以外は冒険者の出入りが少ないので、普通なら明日まで放置されていた可能性が高かったからだ。
それはギルド職員として、人として、何となく落ち着かない気分になるのだ。
「Cランク冒険者の、ツカサ様ですね。依頼は、北の街道に出現したトロール一匹の退治……。失礼ですが、ツカサ様はパーティはお組みでしょうか?」
「いや、俺はソロだ。コイツもいるが」
ツカサは、肩に乗ってつまらなそうに欠伸をしている妖精を指差して答える。
「ご存知だとは思いますが、トロールはCランクの魔物です。通常ですとCランク冒険者数人か、Bランク以上の冒険者でないと危険なケースなのですが」
「大丈夫だ、俺は今まで何度もソロで狩っているからな」
「えっ、少々お待ち下さい」
シトリはツカサの冒険者証の討伐履歴を開き、ざっと目を通す。
すると確かに、一人でトロールを討伐した履歴がいくつも並んでいた。
(他に……Cランク・ビックスライムやCランク・サラマンダーも倒したの!?)
どちらも危険な魔物の上、単純な剣の腕前だけでは勝つのが難しい相手だ。
彼は強力な魔法が使えるのか、特殊なスキルを所持しているのだろう。シトリはそう結論づける。
「失礼いたしました。実績を確認しましたので、依頼を発行しますね」
◇ ◇ ◇
もろもろの手続きを終え、二人を見送った後、また暇になったシトリは先ほど気になったことを思い出した。
「そういえば、結局どんな能力を持っている方なのかしら?」
冒険者証には、持ち主の能力値のデータも入力されている。
能力の多寡によってはギルド側の判断で、依頼を受理しないこともあるからだ。
「えっと、身体系能力は普通ね。だいたいCランククラスかしら。魔法系能力は、Aランク……いえ、それ以上! きっとすごい魔法が使えるのね」
所持スキルも『魔法術式合成』や『魔法詠唱破棄』、『魔法消費MP1/10』や『MP自然回復速度100倍』等など、魔法使い向けの強力なものが揃っているようだ。
だが使用できる魔法のレベルを見たシトリは、目を疑った。
「ええっ! 魔法レベルは、初級!?」
ツカサは魔法系に関してはチートレベルのステータスとスキルを所持しているのに、火・水・土・風等など、全ての魔法レベルは一番下の初級だったのだ。
魔法のレベルは初級・中級・上級、そして神級に分かれている。
だが初級は生活魔法と揶揄されるように、まったく戦闘向きではないのだ。
おそらく普通に使っても、ゴブリンの一匹を倒すことすら難しいだろう。
「いったい、どんな方法でモンスターを倒すのかしら……」
シトリは二人が出ていったドアを見て、そう呟いたのだった。
◇ ◇ ◇
「あーあ。毎回めんどくさいのよねー、依頼の手続き」
ルリは不満を吹き飛ばすかのように、空中で大きく伸びをした。
街を出て、川沿いに北の街道を歩くツカサとルリ。
馬車一台が通れるくらいの土が固められただけの道の左手には、小さな川が流れ、右手には収穫を待つばかりの豊かな穀物畑が広がっている。
「仕方ないさ、ルリ。俺はまだCランクだからな、信用が無いし」
先ほどまでの冷たい雰囲気はどこへ行ったのか、ツカサの語り口はとても柔らかなものだった。
「でもさ、ツカサはたくさん魔物を倒してきたじゃない」
「昇級審査は、半年に一回しかないからね。次は……もうすぐだったかな」
「そうしたらツカサも、Bランクね!」
オーバーリアクション気味に、ツカサの眼前に出るルリ。
ツカサは苦笑を浮かべながら、ルリの頭を撫でる。
「そうだね。これもルリのおかげだよ」
「えへへっ。そうかな、そうかなー♪」
「ルリのおかげで、旅の目標ができたんだ。そうでなきゃ、俺は当てもなく彷徨うばかりだっただろうし、途中で死んでいたと思う」
「うん! ……ツカサの、早く解けるといいね」
「ああ。きっと、ね」
◇ ◇ ◇
しばらく歩くと日が傾き、西の空がオレンジ色に染まり始めた。
「今急いでも到着は夜になってしまうし、今日はここで野宿しよう」
「うん! それじゃアタシは、辺りを見てくるねー」
スイッと空高く舞い上がるルリを見送り、ツカサは準備を始めた。
木々の間にロープを渡し、雨や朝露避けのシートを張る。
その隣に石を組んで、即席のかまどを作り上げた。
森に落ちている乾いた薪を集めている頃、ルリが戻ってくる。
「近くに魔物も、危険な動物もいなかったよー」
「ありがとう、ルリ。それじゃ夕飯をとってくるから、休んでいて」
ツカサは川辺に立ち、水の中を覗いていた。
緩やかに流れる川の広さは5mほど、深さは1mくらいだろうか。
小川と言ってもいいくらいの川には、何匹かの魚影が見えた。
ツカサはその影に向かって手を向け、魔法を唱える。
「<ショック><ショット>!」
術者の近くに軽く痺れるくらいの電撃を放つ、初級電撃魔法<ショック>。
対象の物を十数メートル飛ばすだけの、初級風魔法<ショット>。
その二つの魔法を組み合わせて、ツカサは電気の塊を遠くに飛ばした。
小川の真ん中あたりに着弾した魔法は、水面だけでなく水中へと衝撃を伸ばす。
数匹の魚が耐えきれず浮かび上がり、バシャバシャと水面で暴れだした。
「やっぱり一発じゃ無理か。<ショック><ショット>!」
踊り狂う魚に対して、ツカサはもう一度同じ魔法を撃ち込む。
今度こそ気絶したのか、魚は力なくぷかりと水面へ漂ったのであった。
「じゃあ火を着けるよ。<ティンダー>!」
ツカサが手を向け、初級火魔法を唱えると、かまどの中に小さな火が灯った。
かまどの上に置いた鉄鍋の中の水がグツグツと沸騰したのを確認すると、下処理した魚をぶつ切りにしたものと、森で採ってきた野草と塩を投入する。
美味しそうに煮えていく魚のアクと灰を取りながら、時間は過ぎていった。
◇ ◇ ◇
食事も終わり、空はすっかり暗くなっていた。
辺りに人影もなく、聞こえるのは水面の音と、焚き火が燃える音だけ。
虫除けに焚いたお香の匂いに、ルリは鼻をしかめた。
「アタシ、この匂い嫌いー……」
「この辺も毒虫とかいるからさ、我慢してね」
「うん。代わりに、甘いものちょーだい♪」
「まったく……少しだけだよ。<インベントリ>!」
すると虚空に、両手を広げたくらいの黒い穴が空いた。
ツカサはそこに手を突っ込み、皮袋を取り出し、中身の乾燥させたブドウを数粒差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとー! ツカサ、大好き♪」
「ははっ。ほんと現金だよね、ルリは」
嬉しそうにレーズンに齧りつくルリ。
ツカサはそれを優しげな目で眺めていたのだった。
青年は子供の頃にハマった、某国民的大人気RPGを思い出しながら、スライムを片手半剣で斬りつけた。
スライムは想像より、ずっと恐ろしいモンスターだ。
その半透明のゼリーのような体は、不定形ながらも弾力が強く、片手半剣で切りつけてもなかなか刃が通らない。
弱点は分かりやすく、中心に浮かんでいる核なのだが、よほどの戦士でないと、そこまで刃を通すのは至難の業だ。
ときおり、皮膚が溶けるくらいの酸弾も飛ばしてくるので、中距離でも気をつけなければならない。
ましてや体に取りつかれたら最後、徐々に動きを封じられ、顔を覆い窒息させようとしてくる。
それを防ぐことは、並の人間にはまず不可能だろう。
救いとしては動きが大変鈍く、人の歩く速度くらいしかないので、走れば逃げられる点だろうか。
「……大気よ、アタシ、ルリが命ずる、無形の力よ、全てのモノを貫く錐となれ! <トラスト!>」
青年の隣に浮いている妖精が、中級風魔法をスライムに放つ。
束ねられた風の力で、スライムの側面が棒で突かれたように凹むが、数瞬後、何事もなかったかのように元の形へと戻ってしまった。
「ダメだよツカサー、ぜんぜん効いてない!」
そう、通常のスライムですら脅威だと言うのに、二人の目の前のスライムはとてもとても巨大だったのだ。
一般的なスライムは、人間の大人の頭くらいのサイズしかない。
だがいま目の前にいるのは、大きめの自動車サイズだ。
表面をいくら切ったりしても、ほとんどダメージは与えられない。
「んー、やっぱり俺の剣でも、ルリの魔法でも、核までは届かないか」
青年は大きく距離をとって、自分の剣を地面に突き刺した。
妖精は呆れた顔で、青年の隣に浮いている。
「ツカサったら、やる前から分かっていたじゃない」
「いや。見ると聞くとじゃ大違い、実際に試してみることは大切だからね。とりあえず実験は済んだし、さっさと片付けちゃおうか」
飛んでくる酸弾を避けながら、青年は巨大スライムに手を向ける。
「じゃあ行くぞ。<ティンダー><ショット>!」
掛け声と共に、ゴルフボール大の炎が空中に生まれ、真っ直ぐ巨大スライムに飛んでいき着弾した。
痛覚があるのか分からないが、のたうち回る巨大スライム。
「うん、確かに『スライムは火に弱い』みたいだ」
「わぁー、ポッカリとえぐれているけど……大きすぎて、ぜんぜん効いているようにはみえないよ?」
「そうだね、大きすぎて、一発や二発打ち込んでも倒せないだろう。それならたくさん打ち込んだらいいと思わないかい」
青年は再度手を向け、大きく息を吸い込んだ。
「<ティンダー><ショット>!」
再び飛んでいく、小さな炎。
だが今度はこれでは終わらなかった。
「<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>!」
間を開けずに、連発される魔法。
「<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>!<ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! <ティンダー><ショット>! 」
無数の光がきらめき、巨大スライムへと降りそそぐ。
一発いっぱつは大したことはないが、雨あられと唱えられた魔法の炎によって、巨大スライムの体は削られていく。
数分後、巨大スライムは核だけを残して、蒸発していた。
安全のため巨大スライムが身動きできないのを確認したあと、青年は近づいて、核に剣を振り下ろしたのだった。
◇ ◇ ◇
「ふわぁ~……ぁ……。……っと」
シトリは思わず出てしまったあくびを噛み殺して、そっと周りを見渡す。
幸い隣の席の同僚は、帳面とにらめっこをしていて気付かなかったようだ。
窓に目をやると、暖かな日差しが室内へとたっぷりと射し込んできている。
昼食後のこの時間が一番睡魔が強くなる時間帯であり、再度あくびがでそうになるのをこらえて、冒険者ギルドの受付嬢であるシトリは背筋を正した。
ここはアンゼリカの街。
街の西側にある冒険者ギルドは、閑散としていた。
ギルドでは討伐や採取など、多種多様な依頼を取り扱っている。
だがそれらの依頼の多くは早朝にギルドロビーの掲示板に張り出されるのだ。
冒険者もその時間を狙ってくるので、朝は大混雑することも珍しくはない。
だがお昼過ぎになると、めぼしい依頼はほぼ無くなり、人も少なくなるのだ。
そのとき室内に、入り口のスィングドアの鐘の音が鳴り響いた。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ!」
入ってきたのは黒髪の青年と、その肩に乗った小さな妖精の二人だった。
どこか冷たい印象を受ける二十歳すぎくらいの青年は、動きやすさを重視しているのか、要所に銀を打ち付けた革鎧の上にマントを羽織っている。見たところ武器は携帯していないようだが、どこかに置いてあるのだろうか。
妖精は大きさ20cmくらいだろうか。二対四枚の上の羽の先には、ハートマークの模様が浮かぶ。リボンとスカートをはためかせて、一切羽ばたかずに空中を飛び回る彼女は、もしかしたらレアな水晶妖精なのかも知れない。
青年はこちらを一瞥したあと、掲示板へと向かう。
手慣れた様子で依頼をチェックしたあと、一枚の用紙を剥がし、カウンターへ冒険者証と共に置いた。
「この依頼を頼む」
抑揚がない、どこか突き放すような距離感を感じる男の声音。
「ありがとうございます。では冒険者証を拝見させていただきますね」
あら、とシトリは思いながら冒険者証の情報を専用の装置で読み取り初める。
青年が持ってきた用紙には、上部に赤線が引っ張ってあった。
これは緊急を意味する証で、先ほどギルドに届けられたばかりの依頼なのだ。
(明日までこのままかと思ったけど、早く捌けて助かったわ)
普通こういった類いの依頼は、死傷者が出ているものが多い。
だが早朝以外は冒険者の出入りが少ないので、普通なら明日まで放置されていた可能性が高かったからだ。
それはギルド職員として、人として、何となく落ち着かない気分になるのだ。
「Cランク冒険者の、ツカサ様ですね。依頼は、北の街道に出現したトロール一匹の退治……。失礼ですが、ツカサ様はパーティはお組みでしょうか?」
「いや、俺はソロだ。コイツもいるが」
ツカサは、肩に乗ってつまらなそうに欠伸をしている妖精を指差して答える。
「ご存知だとは思いますが、トロールはCランクの魔物です。通常ですとCランク冒険者数人か、Bランク以上の冒険者でないと危険なケースなのですが」
「大丈夫だ、俺は今まで何度もソロで狩っているからな」
「えっ、少々お待ち下さい」
シトリはツカサの冒険者証の討伐履歴を開き、ざっと目を通す。
すると確かに、一人でトロールを討伐した履歴がいくつも並んでいた。
(他に……Cランク・ビックスライムやCランク・サラマンダーも倒したの!?)
どちらも危険な魔物の上、単純な剣の腕前だけでは勝つのが難しい相手だ。
彼は強力な魔法が使えるのか、特殊なスキルを所持しているのだろう。シトリはそう結論づける。
「失礼いたしました。実績を確認しましたので、依頼を発行しますね」
◇ ◇ ◇
もろもろの手続きを終え、二人を見送った後、また暇になったシトリは先ほど気になったことを思い出した。
「そういえば、結局どんな能力を持っている方なのかしら?」
冒険者証には、持ち主の能力値のデータも入力されている。
能力の多寡によってはギルド側の判断で、依頼を受理しないこともあるからだ。
「えっと、身体系能力は普通ね。だいたいCランククラスかしら。魔法系能力は、Aランク……いえ、それ以上! きっとすごい魔法が使えるのね」
所持スキルも『魔法術式合成』や『魔法詠唱破棄』、『魔法消費MP1/10』や『MP自然回復速度100倍』等など、魔法使い向けの強力なものが揃っているようだ。
だが使用できる魔法のレベルを見たシトリは、目を疑った。
「ええっ! 魔法レベルは、初級!?」
ツカサは魔法系に関してはチートレベルのステータスとスキルを所持しているのに、火・水・土・風等など、全ての魔法レベルは一番下の初級だったのだ。
魔法のレベルは初級・中級・上級、そして神級に分かれている。
だが初級は生活魔法と揶揄されるように、まったく戦闘向きではないのだ。
おそらく普通に使っても、ゴブリンの一匹を倒すことすら難しいだろう。
「いったい、どんな方法でモンスターを倒すのかしら……」
シトリは二人が出ていったドアを見て、そう呟いたのだった。
◇ ◇ ◇
「あーあ。毎回めんどくさいのよねー、依頼の手続き」
ルリは不満を吹き飛ばすかのように、空中で大きく伸びをした。
街を出て、川沿いに北の街道を歩くツカサとルリ。
馬車一台が通れるくらいの土が固められただけの道の左手には、小さな川が流れ、右手には収穫を待つばかりの豊かな穀物畑が広がっている。
「仕方ないさ、ルリ。俺はまだCランクだからな、信用が無いし」
先ほどまでの冷たい雰囲気はどこへ行ったのか、ツカサの語り口はとても柔らかなものだった。
「でもさ、ツカサはたくさん魔物を倒してきたじゃない」
「昇級審査は、半年に一回しかないからね。次は……もうすぐだったかな」
「そうしたらツカサも、Bランクね!」
オーバーリアクション気味に、ツカサの眼前に出るルリ。
ツカサは苦笑を浮かべながら、ルリの頭を撫でる。
「そうだね。これもルリのおかげだよ」
「えへへっ。そうかな、そうかなー♪」
「ルリのおかげで、旅の目標ができたんだ。そうでなきゃ、俺は当てもなく彷徨うばかりだっただろうし、途中で死んでいたと思う」
「うん! ……ツカサの、早く解けるといいね」
「ああ。きっと、ね」
◇ ◇ ◇
しばらく歩くと日が傾き、西の空がオレンジ色に染まり始めた。
「今急いでも到着は夜になってしまうし、今日はここで野宿しよう」
「うん! それじゃアタシは、辺りを見てくるねー」
スイッと空高く舞い上がるルリを見送り、ツカサは準備を始めた。
木々の間にロープを渡し、雨や朝露避けのシートを張る。
その隣に石を組んで、即席のかまどを作り上げた。
森に落ちている乾いた薪を集めている頃、ルリが戻ってくる。
「近くに魔物も、危険な動物もいなかったよー」
「ありがとう、ルリ。それじゃ夕飯をとってくるから、休んでいて」
ツカサは川辺に立ち、水の中を覗いていた。
緩やかに流れる川の広さは5mほど、深さは1mくらいだろうか。
小川と言ってもいいくらいの川には、何匹かの魚影が見えた。
ツカサはその影に向かって手を向け、魔法を唱える。
「<ショック><ショット>!」
術者の近くに軽く痺れるくらいの電撃を放つ、初級電撃魔法<ショック>。
対象の物を十数メートル飛ばすだけの、初級風魔法<ショット>。
その二つの魔法を組み合わせて、ツカサは電気の塊を遠くに飛ばした。
小川の真ん中あたりに着弾した魔法は、水面だけでなく水中へと衝撃を伸ばす。
数匹の魚が耐えきれず浮かび上がり、バシャバシャと水面で暴れだした。
「やっぱり一発じゃ無理か。<ショック><ショット>!」
踊り狂う魚に対して、ツカサはもう一度同じ魔法を撃ち込む。
今度こそ気絶したのか、魚は力なくぷかりと水面へ漂ったのであった。
「じゃあ火を着けるよ。<ティンダー>!」
ツカサが手を向け、初級火魔法を唱えると、かまどの中に小さな火が灯った。
かまどの上に置いた鉄鍋の中の水がグツグツと沸騰したのを確認すると、下処理した魚をぶつ切りにしたものと、森で採ってきた野草と塩を投入する。
美味しそうに煮えていく魚のアクと灰を取りながら、時間は過ぎていった。
◇ ◇ ◇
食事も終わり、空はすっかり暗くなっていた。
辺りに人影もなく、聞こえるのは水面の音と、焚き火が燃える音だけ。
虫除けに焚いたお香の匂いに、ルリは鼻をしかめた。
「アタシ、この匂い嫌いー……」
「この辺も毒虫とかいるからさ、我慢してね」
「うん。代わりに、甘いものちょーだい♪」
「まったく……少しだけだよ。<インベントリ>!」
すると虚空に、両手を広げたくらいの黒い穴が空いた。
ツカサはそこに手を突っ込み、皮袋を取り出し、中身の乾燥させたブドウを数粒差し出す。
「はい、どうぞ」
「ありがとー! ツカサ、大好き♪」
「ははっ。ほんと現金だよね、ルリは」
嬉しそうにレーズンに齧りつくルリ。
ツカサはそれを優しげな目で眺めていたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
転生小説家の華麗なる円満離婚計画
鈴木かなえ
ファンタジー
キルステン伯爵家の令嬢として生を受けたクラリッサには、日本人だった前世の記憶がある。
両親と弟には疎まれているクラリッサだが、異母妹マリアンネとその兄エルヴィンと三人で仲良く育ち、前世の記憶を利用して小説家として密かに活躍していた。
ある時、夜会に連れ出されたクラリッサは、弟にハメられて見知らぬ男に襲われそうになる。
その男を返り討ちにして、逃げ出そうとしたところで美貌の貴公子ヘンリックと出会った。
逞しく想像力豊かなクラリッサと、その家族三人の物語です。
1つだけ何でも望んで良いと言われたので、即答で答えました
竹桜
ファンタジー
誰にでもある憧れを抱いていた男は最後にただ見捨てられないというだけで人助けをした。
その結果、男は神らしき存在に何でも1つだけ望んでから異世界に転生することになったのだ。
男は即答で答え、異世界で竜騎兵となる。
自らの憧れを叶える為に。
【完結】追放された子爵令嬢は実力で這い上がる〜家に帰ってこい?いえ、そんなのお断りです〜
Nekoyama
ファンタジー
魔法が優れた強い者が家督を継ぐ。そんな実力主義の子爵家の養女に入って4年、マリーナは魔法もマナーも勉学も頑張り、貴族令嬢にふさわしい教養を身に付けた。来年に魔法学園への入学をひかえ、期待に胸を膨らませていた矢先、家を追放されてしまう。放り出されたマリーナは怒りを胸に立ち上がり、幸せを掴んでいく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる