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酒とBL
マンハッタン
しおりを挟むここは路地にたたずむバー「ネフィリム」
ひとりでいても落ちつかないとき
だれかに話を聞いてほしい
そんな人々もバーの賑わいに引きよせられトビラをひらく。
*****
常連のマサノリがカウンターへ腰かけた。すっかり化粧を落とした姿は、駐屯する兵士のようにガタイがいい。
いつも道化みたいに饒舌なのに今日は無口、笑顔をうかべない彼はその風貌もあいまって近寄りがたい。
冷やしたグラスへウィスキーをベースとして酒を配合する。琥珀をおもわせる赤褐色のベルモットを注ぐとバニラとスパイスの甘い香りがただよう。
しずかに混ぜ、逆三角形のグラスへそそぐと上品で深い赤色が完成した。
カクテルの女王といわれるマンハッタン。
ひとくち飲んだマサノリは、グラスにしずむ赤い実をついばんだ。
「あら、これチェリーじゃないのね?」
「旬の食用ほおずきを砂糖と酒に漬けてみました。マサノリさんがどう反応するか楽しみで」
「甘酸っぱくておいしい。アタシも生で食べたことあるけど、生よりこっちの方が断然いいわ」
ほおずきを漬けたビンを提示すると、頬へ手をあてたマサノリがため息をついた。
「淡いオレンジ色なのね、みずみずしくて旬って感じ。……そうそう、うちの店に新しい子、入ったの」
ほおずきを口へ放りこんだマサノリは深い赤色の酒を口へふくむ。ひと息つき、さいきん入った新人のことを話した。
若くてきれい、化粧をすれば海外セレブのよう。
ドラァグ・クイーンはショーの世界だ。コミカルなのも受けがいいけど、やはりひと目みて美しい者がもてはやされる。
「アタシもマカロンも――マカロンってのは同い年の同僚、いい歳なのよねぇ。お肌もまがり角って感じ、いつまで続けられるのかしら」
酒をのめば日ごろの愚痴のひとつも出てくる。おかわりを頼んだマサノリは片頬をついたまま、ゆううつな時に耽る。
「くらべることないですよ! くりぃむさんは、くりぃむさんの味わいがあります!」
むこうの席から話しかけてきたのは常連サラリーマンのハジメさんだ。彼はこちらとマサノリへ目配せしてとなりへ腰をおろした。
「くりぃむさんって?」
「アタシの源氏名よ。シンヤちゃんも来たときは指名してね」
「くりぃむさんは声が渋くて、歌、すっごい上手いんですよ」
酒を注文したハジメはドラァグ・クイーンのときのマサノリを語った。彼の店にも足を運んでるようだ。
「ちょっと渋いなんて言わない、ハスキーなヴォイスって言って! 顔見たことあると思ってたらアンタ、ファンだったのね」
「マサノリさんは、渋柿みたいに酒にひたして干すと味わいがでるのだね」
近くで飲んでいた高齢の男性から横やりが入る。こちらは常連のシシドさん、いつもカウンターの片すみでしずかに飲んでいる。
「渋柿って言わない、せめてドライチェリーって言って!」
「マサノリさんはチェリーじゃないでしょ」
ハジメを皮切りに、方々から声がかかった。どうやらマサノリが浸っている間、顔見知りの人々は話す機会をうかがっていたようだ。カウンターは和気あいあいとした雰囲気になり笑いに包まれる。まるで長年の付き合いのある友人たちだ。
ふしぎなことに酒場だけのできごと、トビラを出たらみんな日常へもどる。
ここは日常とは切りはなされた空間。
ドラァグ・クイーンのマサノリも似ている。メイクをして着飾り、非現実的な夢を提供する。
「もう、アンタたち干からびすぎよ! お酒のんでうるおいなさい!」
「くりぃむさん、お酒のむと逆に脱水症状に……」
「うるさいわね! アータはアタシの店にも来て干からびなさい!」
ハジメさんはマサノリの店の10周年記念チケットを渡されていた。
「はあ"~、なんか吐きだしてスッキリした。シンヤちゃんも来れそうなら来てね」
「顔だしますよ」
10周年チケットがこちらにも差しだされる。受け取ろうとしたらマサノリの手がガッチリと握った。
「来たら、俺の低音ボイスを心ゆくまで聞かせてやるよ」
チケットごと握られた手を引っぱられ、耳元でささやかれた。耳のくすぐったさと得体のしれない危険信号に尻のあたりがムズムズする。
「シンヤさんだけずるい、僕にも低音ボイスをください!」
「10年早いわ。聞きたかったら、もっと店に通って筋肉つけてきなさい」
妖艶と男らしさをあわせ持つ男はさっそうと身をひるがえし、酒場を出ていった。
路地の草花のあいまに秋虫の鳴き声がきこえた。
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