14 / 30
4
しおりを挟むカズキの仕事ぶりは文句のない内容だったしなにをそんなにイライラしているのかと花奈実はいぶかしむ。
――あ、もしかしてお腹すいてる?
蜜也がいつから寝ていたのかはわからないが、今日は朝からなにも食べていない可能性もある。
「蜜也くん、シチュー好き?」
「は? シチュー?」
「うん。あのね、もし……もしだよ? もし良かったら私が作ったシチューが台所にあるから、食べて欲しいなって」
「え、うそ。あれ花奈実が作ったの?」
自宅の台所を勝手に使われて気分を害しただろうかと不安になって花奈実はこわごわと頷く。
「うわ。まじ……」
口元に手を当てて絶句した蜜也の表情は良く読み取れなくて、花奈実はますます不安になる。
「ご、ごめんね。勝手に料理して」
蜜也ははあー、と長いため息をつくとその場にしゃがみ込んだ。
「み、蜜也くん!? 本当ごめんなさい」
土下座をする勢いで花奈実も膝をつくと、顔を上げた蜜也と目があう。
その顔に浮かんでいるのは怒りの色ではなかった。
「すげえうれしい。ありがとう」
意外にも素直にお礼を言われて胸がきゅんと高鳴る。
――よっぽどシチューが好きなんだね。
大量にストックされていた牛乳からそのメニューを導き出した自分を心の中で褒め称える。
「なあ、この後暇? シチューたくさんあるからお前も食べてけば」
「え、いいの?」
男の子だからたくさん食べるだろうと多めに作っておいた自分を再度、胸中で褒めた。
食材を買い足して、テーブルにはシチューと野菜サラダ、軽く焼いたパンが並ぶ。蜜也の家にあった食器類はどれもしゃれていて、自分が作ったなんの変哲もない料理でもそれなりに見えた。
「蜜也くん、料理しないのに食器は持ってるんだね」
「まあ、一応来客用。あと撮影の小道具にも使えるから。花奈実、アルコールは?」
「あんまり強くないけど、少しなら」
「赤と白、どっち好き」
蜜也は台所にあったストッカーから、ワインボトルを2本取り出し、両手に持って見せてくる。
花奈実はといえばワインは料理用の紙パックに入った安いものぐらいしかなじみがない。シチューには何色のワインが合うのかさっぱりわからなかった。
「お、お任せで」
「ん」
蜜也は白ワインのコルクを開けにかかる。
ソムリエナイフでボトルに切れ込みを入れると、コルクにスクリューを差し込む。ワインはポンと音を立ててあいた。よどみない動きだった。
「はい」
「ありがとう……」
飲み口が金色で縁取られたグラスを渡される。
なんだか浮ついていた気持ちが少し沈んだ気がした。
――蜜也くんは何でもできてすごい。私なんかとは住む世界が違いすぎるよ。
昨日今日会ったばかりの人にならこんなことは思わなかった。いかんせん、小学生のころ田んぼに囲まれて一緒に過ごしたこともあるのでついそう思ってしまう。
蜜也はなにもかも洗練されているように、花奈実には見えた。
紙パックワインの自分と、コルクで栓をされたワインの蜜也。それが自分たちの関係のようにも思えた。安っぽくて野暮ったい自分と、垢抜けて高級感のある蜜也はどう考えても釣り合わない。
ワインはさわやかなマスカットの香りに加えてすっきりとした甘口で、花奈実にも飲みやすかった。素直においしいと思う。
けれどこれが自分の作ったシチューに合うのかと言われればよくわからない。シチューがワインに負けているのではという不安だけがある。
「これ、好きじゃない?」
蜜也が不安げに顔をのぞき込んできて、花奈実は慌てて笑顔を作る。
「ううん。おいしいよ」
「そっか。これ、ワインあんまり飲まない人でも飲みやすいからさ」
「……蜜也くんはすごいね。ワインのことなんて私全然わかんないよ。ていうかどのお酒がおいしいのかなんてなにも知らない」
「知らないなら覚えればいいじゃん。どの酒がうまいかなんて人によるし」
あっさりと言われてしまい、言葉に詰まる。
こういうところが一番違うのかもしれない。
グズグズと悩んでしまう花奈実にとって、あっけらかんと「知らないなら覚えれば」と言える蜜也はまぶしく見えた。きっと蜜也は今までも、花奈実なら立ち止まって頭を抱えるような問題でも、行動でどうにかしてきたのだろう。
「俺がワイン飲むのってフランスにいたからだしな。ずっと日本にいたら多分そんなに興味持ってなかったかも。ほら、向こうの人ってめちゃくちゃワイン飲むから」
「そうなの?」
「日本じゃ高いワインがいいものだと思われてるけど、本場じゃあんまり関係ない。それこそ水の代わりみたいにがぶがぶ飲むから」
フランスには優雅なイメージを持っていたが、蜜也の話を聞いていると結構豪快なところもあるのかもしれない。
「ねえ、食っていい? 俺昨日の夜からなにも食ってないから、腹減って死にそう」
空きっ腹とは思えないほどぐびぐびとワインを流し込んでいた蜜也は拗ねた顔を向けてくる。
「ご、ごめん。どうぞ」
「ん、――めちゃくちゃうまい」
一口食べた蜜也の感想にホッとする。
なんの変哲もないただのシチューだったが口に合って良かった。
「よく料理とかすんの」
「う、うん。一応一人暮らしだから」
「なんだ。お前も凄いじゃん。俺、料理だけは一生できる気がしねえもん」
蜜也にストレートに褒められてなんだかそわそわと落ち着かない。
花奈実も料理が好きなわけではなかったが、節約のために自炊してきたことがやっと活かせた気がした。
「今日の撮影も、良かったよ」
「本当?」
「うん。やっぱ段々慣れてきたよ、花奈実」
じわりと胸に熱いものが広がっていく。
――うれしい、な。
蜜也に迷惑をかけてまで練習したことはちゃんと身になっていた。蜜也の役に立っていると言ってもらえたようで心が躍る。
実際、花奈実自身もカメラの前に立つことが前ほど緊張しなくなっていると思う。蜜也が作ったドレスを着ていると思うだけで、カメラのこちら側に一人じゃないと思えた。
「でも、もっと上手になりたい。もっとドレスの魅力を伝えられるようになりたいって思うんだ」
「偉いじゃん」
蜜也は上機嫌でワインをあおっている。
「ララさんにはね、もっと色気があったほうがいいって言われたの。好きな人に抱いてもらいなさいって」
「ごほっ、げほっ」
「だ、大丈夫!?」
蜜也が盛大にむせて、花奈実は慌てて背中をさすってやる。
「おま、なに言って……」
「いや、ララさんなりのアドバイスだと思うんだけど……」
その時花奈実のスマートフォンが短く震え、無料通話アプリのポップアップが表示される。
連絡をしてきたのはカズキだった。
『今日はありがとー! あのこと、よろしくね』
そう短いメッセージが送られてきた。
テーブルに置いてあったそれを蜜也も凝視している。
「……なに、連絡先交換してんの」
「え? あ、今日友達になって」
「あのことってなに」
「それは……」
ララに恋人がいるかどうか、そして好きなタイプを聞くという話だ。
けれど蜜也に言うことはできない。カズキだって誰にでも話している内容ではないだろう。花奈実を信用して話してくれたのに、人のプライベートをべらべらと他言したくなかった。
蜜也はぎろりとにらみを利かせてくる。
――さっきまで仲良くできていたのに……。
やっと蜜也に対して苦手意識がなくなったと思っていたのに。それは過去のトラウマが原因だと思えたのに、やっぱり厳しい態度を取られると萎縮してしまう。だからといってカズキの秘密は話せない。
「い、言えないよ……」
「俺には言えない話かよ」
「そ、そうじゃなくて。二人の秘密だから」
「はあ!?」
余計に怒らせてしまったようで、蜜也が大きな声を出す。花奈実は肩をびくりと跳ねさせた。
「プ、プライベートのことだから。仕事は関係なくて。だから……」
「今日あったばかりの奴とプライベートの話とかするわけ」
「撮影の後友達になって……」
「お前さ、ばかなの? 下心に決まってんだろ。ほいほい連絡先なんか教えやがって」
その言葉にはさすがにむっとしてしまう。
「下心は絶対にないよ。カズキくんは絶対」
「なんで言い切れるんだよ」
好きな人の相談をされたからだと言えないのがもどかしい。
0
あなたにおすすめの小説
イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。
楠ノ木雫
恋愛
蒸発した母の借金を擦り付けられた主人公瑠奈は、お見合い代行のアルバイトを受けた。だが、そのお見合い相手、矢野湊に借金の事を見破られ3ヶ月間恋人役を務めるアルバイトを提案された。瑠奈はその報酬に飛びついたが……
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈
玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳
大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。
でも、これはただのお見合いではないらしい。
初出はエブリスタ様にて。
また番外編を追加する予定です。
シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。
表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。
恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-
プリオネ
恋愛
せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。
ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。
恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる