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十三 届鳥
しおりを挟む目の前に広がった光景に、ヴィオルリツィーオは感激し、思わず駆け出していた。
それまではあっちこっちに生え、育ちに育った危険植物の除去作業が鬱陶しくて面倒くさくて堪らなかった。こんなもの、火を放てば一瞬で燃え、灰になるだろうに。触れられない、その一点だけの理由にここまで手こずらされるだなんて、本当に鬱陶しかった。
しかしそれを突破した途端、森の中へ出現した美しい湖には苦労の甲斐もあって感動した。湖の奥の方には小さいが滝のように流れ落ちる水流が確認できた。ということはおそらくこれは、更に上流からながれてくる川から出来た湖。おそらく淡水だ。淡水ならば飲み水にもなる。
一瞬でそのことまで思考を及ばせたヴィオルリツィーオは駆け込んだ。
湖の側まであっという間だった。覗き込めば、なかなか深みのある湖だが、底が見えるほどに水は透き通り美しい。その中を悠々と泳ぐ魚も多く、ここで釣り竿か銛を用いれば食料にありつける。
「魚! 魚がいるぞユエ!」
感激のままに、後ろを振り返って知らせた。
その時は、まさか、この後そんな展開になろうとは思ってもみなかった。
「ビオッ!」
鋭いどころか、刺すような声音で呼びつけられ、ヴィオルリツィーオは弾かれたみたいに振り向いた。
そのあとも、ユエは何事かを叫んでいたけれど、それはおそらく他国の言語。ヴィオルリツィーオには理解出来ず、こちらへ走ってくる彼女が腕を広げながら体当たりの如く抱き着いて時にはもっと驚いた。
湖を発見できて喜んでいるのかと最初は思ったが、それが自分の勘違いであろうことはすぐに察せた。ユエの形相は、只事ではないと物語っていたからだ。
しかしヴィオルリツィーオにはあっという間の出来事で、ユエをただ、抱き止めることしかできなかった。その直後だ。
彼女の腕へ蛇がぶら下がっている光景を目にしたのは。
そして更に、その直後だ。
ピキィーッ、と鳴き声が聞こえた。
その鳴き声に、ヴィオルリツィーオは聞き覚えがあった。だが今はそれどころではない。
ユエはおそらく、自分を庇って、蛇に噛まれたのだ。
「ユエ!」
ヴィオルリツィーオは腰のナイフを引き抜いた。そのナイフで蛇の首を切り落とす算段だった。しかし。
羽音が近付いてきたかと思えば、視界を薄黄色がビュンと横切った。同時にユエが「いッ……っ」と鋭く呻く。
気付いた時には、ユエの腕から蛇は消えていた。その理由に、ヴィオルリツィーオはピンと来て、上空を仰ぎ見た。
薄黄色の鳥が、長い紐のような物体。蛇を両脚と嘴で捕らえたまま飛んでいる。
「あの野郎……! 急に引っこ抜いてく奴があるか……!」
ヴィオルリツィーオは舌打ちをしたが、今はユエが優先だった。
「おいっ、大丈夫か⁉」
「……大丈夫、です。神経毒は、ない、みたいです」
「毒⁉ 毒のある蛇だったのか⁉」
「わかりません……蛇を確認しないと……」
ユエの腕からは血が出ている。彼女は片手でその箇所を押さえ、苦痛に表情を歪めながら、空を仰ぎ見た。ユエの目にも、鳥が蛇を攫っていったことは明白だったらしい。
ヴィオルリツィーオは彼女を襲ったのが毒蛇かもしれない事態に気付かされると、血の気が引く思いだった。しかし、やるべきことをしなければ。叫ぶべく、胸が膨らむほどに息を吸い込む。
「レモォ!!!!」
怒号に近い。
船の上では波音も風音も激しく、このような大声をよく張り上げていたが、この島へ来てからは喋るばかりで数日振りにこんなデカイ声を出した。喉がビリビリする感覚を懐かしく感じながら、ヴィオルリツィーオは指を口に咥えて吹き鳴らす。
吹く加減で緩急をつけた甲高い音。来い、と指示を出せば、愛鳥は蛇を捉えたまま旋回し、こちらへ向かって滑空してくる。
「その蛇! 寄越せ!」
腕を振り下ろして合図をすれば、レモはヴィオルリツィーオの側に降り立つ寸前、嘴と鋭い爪から獲物を解放した。ボトリと地へ落とされた蛇は、遠慮加減なく嘴や爪に抉られた身体が痛むのか、傷から血を流しながら長い体を自分に絡ませるかのようにのたうち回っている。
ヴィオルリツィーオは腰のナイフを引き抜くと、一閃。蛇は首と、それより下に、二分された。
それでも体のうねりは止まらない。その仕組みはタコやイカと似たようなものなのかもしれない。
しかし今は、切り落とした首以下が蠢く仕組みなぞどうでも良かった。ヴィオルリツィーオはのたうつ首より下を蹴り飛ばすと、蛇の首を真上から見下ろした。
蛇の頭は、丸みを帯びている。ユエから聞いた判別の仕方を当て嵌めるならば、この蛇は有毒種ではない。が。
「ユエ、この蛇、分かるかっ?」
自分では正確な判断ができない。ヴィオルリツィーオは悔しさを覚えながら、ユエに蛇の首を示しながら、彼女を返り見た。
ユエから目を離したのは、十数秒のことだ。が、見遣った彼女は胸を押さえているし、表情も強張っている。
そんな姿を目にしたヴィオルリツィーオは、心臓が縮まる思いで彼女に駆け寄った。
「心臓が痛ぇのか⁉ 毒が回ったのか⁉」
「ど、ぇ、いえ、毒は……」
ふるふるっと彼女は首を振り、切り落とされた蛇の首へ近付いてじっと観察すると、また首を振った。
「大丈夫です。これは毒を持たない蛇です」
ユエから診断が下って、ヴィオルリツィーオは……腰が抜けるような感覚に襲われ、その場に膝をついた。
「び、ビオっ?」
「……大丈夫だ。安心したら腰抜けそうになっただけだ。立てる」
ユエが心配するから立ち上がったけれど、正直腰が怠くて仕方ない。一晩中腰を振った翌日かと思うくらいに、怠い。
「あ、あの」
「ああ。手当てしよう」
「ち、違います。ビオ、ここは日向です。水場でもあります。ここには蛇が多く集まります。危険ですから避難しましょう」
「馬鹿野郎」
普段ならば怒号レベルの声量で言う台詞だが、今のヴィオルリツィーオにはそれだけの力はなかった。
「毒がねぇと言っても蛇に噛まれたんだぞ。傷口は水洗いしねぇと」
「そ、それはそうですが……」
ユエはしきりに周囲を見回している。自分の腕の傷から血が出ているというのに、だ。
ヴィオルリツィーオは肩を落として、近くにあった木の枝を拾うと周囲の草を叩いて回る。こうすれば蛇は逃げていくか、姿を現わすかのどちらかだと思ってのことだが、なんとユエに怒られた。そんなことをして逆に蛇が攻撃してきたらどうするつもりだ、と怒っている。
ヴィオルリツィーオはしょぼくれた。
――お前が自分の手当ても無視して避難とか言うから、俺は蛇をだな……。
ぶつぶつと文句を垂れたいところだが、今はユエが優先だ。
「……じゃあもう止めて大人しくするから、ユエは傷口を洗ってくれ」
「分かりました」
湖の側に屈み、腕を浸して洗う彼女。その背後へ立ち、周囲へ警戒の視線を張り巡らせるヴィオルリツィーオ。
そして少し離れた場所で、切り落とされた首から下の蛇を啄み、皮を剥いでは食べている届鳥。
あの鳥こそ、ヴィオルリツィーオが心待ちにしていた救助のひとり。レモである。
がしかし、ヴィオルリツィーオは到底喜べる心境ではなかった。いや、喜ぶべきことなのだし、レモが自分を探し出してくれたことは嬉しいのだが、それ以上に今の出来事に心が荒れ狂っていて、自分の感情が落ち着かない。
心臓は未だにドクドクしているし、頭に響くドックドックとした血の巡りも、まだまだ大きい。
――久々に大声で叫んだせいか?
いや違う。
――蛇の首を刎ねたせいか?
いいや違う。
「……」
ヴィオルリツィーオは肩越しに、彼女を振り返った。
傷を丁寧に洗浄しているのだろう。水音が聞こえる。
「……」
ヴィオルリツィーオは、自分の正面へ視線を戻し、奥歯を噛み締めた。その脳裏へ、耳の奥へ、未だ濃く残り続けている焼き付いた記憶。
『あなたを無事に帰すまで、わたしの命はあなたの為に使います』
きっぱりと言い切ったユエの台詞。声音。表情。
それが嘘ではないと証明した、先程のユエの行動。
「……」
ヴィオルリツィーオはぐしゃぐしゃと前髪の付け根を掻きまわした。
――あんな事言われたのも、させたのも、初めてだ……。
この事態をどのように受け止めればいいのか、人生初の体験に、ヴィオルリツィーオは完全に戸惑っていた。
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