平民女とお貴族様[完]

綾崎オトイ

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大人気のエメのお悩み相談室

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 この侯爵家に訪れる人間は少なくない。私が来る前も、来てからも。私の部屋に居ると暇つぶしなのか噂話がよく聞こえてくる。
 最近よく話題になるのはエメ・アスタテトアについて。つまり侯爵夫人になった平民、私のことなんだけど、何故か聞こえてくる話は高評価ばかり。
 それに加えて私に会いたいという予約が埋まっているらしい。

 予約なんて受け付けた記憶は無いんだけど、と口から出た独り言に、会えるかどうかはエメ様の気分次第と了承を得て受け付けております、と返事が来た時には何も言えなかった。
 胡散臭い顔の見えない、それなのに当たると評判の占い師、みたいな扱いだ。

 女性からは恋愛相談や体型維持の相談が多い。好きな物食べて好きに動け、としか答えられないけど。それこそ胡散臭い占いを頼った方がいい。

 ついには娘に私のことを聞いたというお貴族様までやってきた。爵位を持った正真正銘のお貴族様だ。名前を聞いても分からないし、娘が誰なのかももちろん全く分からない。

「なんの用」

 お偉いお貴族様にも私は媚びへつらうつもりはないけど、目の前の人の良さそうな恰幅の良いお貴族様は気分を害する様子もなかった。

「実は、次に投資する場所を迷っておりまして。どこがいいでしょうか」

 投資、という言葉は知っているけど、ただの踊り子だった私に、投資なんて経験も知識もあるわけが無い。今までで1番私にするべきじゃない相談だ。
 目の前に、おそらく投資するつもりらしい何かの詳細が書かれた資料がいくつか広げられるけど、見ても何が何だかさっぱり分からない。

「いや、知るわけない。選べるわけないでしょ」

 綺麗に並べて棒でも倒して選んでみるべきか、それとも目を瞑って1枚選ぶか、そんな方法しか浮かばない私にどうしろと言うのか。

 無意識に声に出ていた本音に、恰幅のいいお貴族様は神妙な顔ででふむと頷いた。

「なるほど。ここにあるのはどれも良くないのですな。じつはもういくつか迷っていたものがありまして、候補から外していたのですがそちらにいたします」

 そうじゃない。
 勘違いも甚だしい。

 面倒になって残りは相槌だけで乗り切った私に、お貴族様は満足そうに帰って行った。

 暇しかないから人の相手をすることは別に構わないんだけど、これはどうなの。

 手土産の果実ゼリー美味しい、とソファに半分寝転びながら食べていれば、この家の主であるお貴族様が帰ってきた。日はまだ高いところにあるというのに今日もまた帰りが早い。

 さっきまでいたお貴族様とは輝きが違う。同じお貴族様でもやはり何かが飛び抜けているらしい。

 流れるように私の向かいの席に腰を下ろす主に、優秀な使用人たちも同じく流れるように目の前のティーセットを取り替えていく。何度見ても、作り込まれた劇みたいに動きにブレがない。

「また客が来ていたのか」
「今日はどこかの当主とか言ってた。投資の相談だって」
「貴女は投資まで詳しいのか」
「いや、分かるわけないでしょ」

 本気で驚いたような声を上げる無駄に整った男の口に、食べようと思って掬っていたゼリーの乗ったスプーンを突っ込んだ。
 青色と赤色の2層になっているゼリーは甘くて食べやすくていい。

 口を数回動かして飲み込んだ姿に浮かんでくるこの気持ちは母性本能とでも言うのだろうか。こんな美形な息子がいたら苦労しそうだ。

「なかなか美味しい」
「手土産選ぶセンスはあるんだから、投資も何とかなるんじゃないの」
「貴女はいつの間にか社交界で人気者になってしまったようだ」

 そう言ってお貴族様はお上品にくつくつと笑う。

「社交界なんてお貴族様の集まり、私は入った覚え無いんだけど」
「貴女のように媚びることも無く忖度することもない意見をくれる人は貴重だから、人が集まってしまうのは仕方がない」
「決まった意見の後押しが欲しいってことでしょう。だからみんな都合のいい答えを出して帰ってく」

 お貴族様は、いや、人間みんな同じ。みんな揃って勝手な生き物だ。

「貴女は立派な侯爵夫人だ。僕が何かする必要はなさそうだな」
「何の話?」
「いや、なんでも無い」

 お貴族様は私に手を伸ばして、最近お気に入りらしい私の髪の手触りを確認する。使用人の真似をしたがるこの人は、そのうち私の髪でも結いだしそうだ。

「最近私の部屋に通いすぎだと思うけど、暇ならお姫様に会いに行った方がいいんじゃないの」

 何のために私と結婚したのか、これではわからない。

「お姫様……フェリシテか?」
「そうそうそのフェリ……姫様」

 ダンスのステップとは違って、人の名前を覚えるのは得意じゃない。

「フェリシテは別にお姫様じゃないんだが。今日も王宮に用事があったから挨拶はしてきたんだ。昨日もすれ違ったな」
「そういうんじゃなくて。私という妻を隠れ蓑に堂々と想い人と触れ合って愛を深めるんじゃないの、って言ってるの」
「フェリシテの事は好きだ。僕にとって唯一であることは変わらない。だが、彼女の幸せが確認できるなら、僕の立場はなんでもいい」

 どこまでもこの人の愛は純粋らしい。物語の中でもなかなか見ない純愛だ、と悲恋のオペラでも見ている気分になる。

「ほんと変わってる」

 私の呆れた溜息に、お貴族様は一瞬目を逸らした。

「貴女が彼女の代わりになっている、と言ったら軽蔑するだろうか」

 戻ってきた視線に小さな声。

「何言ってんの。最低な男だって、最初に自分で言ってたでしょ」

 今更改めて、と思うだけで切ないとも悲しいとも思わない私は冷たい人間なのか。恋愛だってそこそこ経験してきて、小さなことで一喜一憂できるほど、目の前のお貴族様みたいに純粋ではない。

「そうだな。僕は初めから間違えていた。だけど、貴女には傍にいてほしい」

 懇願するような、上目遣いの仕草にはどうも弱い。そこに宿る熱を向けられたことは何度か経験がある。

「もしかして私のこと、好きなの?」
「エメ」
「なんて、流石に勘違いか」
「いや……。エメの事が好きだ。ずっと、僕の傍にいてほしい」

 瞳に宿る熱、なんてのは本当は誰にも分からない。雰囲気とか感じるとるものはあるけど、形として存在するものなんて何一つなくて、全ては願望とか期待とか、そういうものから勝手に思い込んでいるだけだと、私は理解しているつもりだ。

 だから別に、言ってみただけだったのに。
 目の前のお貴族様はあっさりと肯定して、そのことに少し呆気にとられてしまった。

「私の居場所はここにしかないよ」

 王太子とその婚約者の話は、毎日のように誰かが噂をしている。今日は二人で視察に行った、今日は二人でお忍びで下町のカフェにいた、今日も仲睦まじく手を繋いでいた。
 行動全て監視されてるような、一挙一動全てを国民全員で見守っているような、私みたいな存在からしたら息が詰まって逃げたくなりそうだと思うけど、婚約が決まってからの二人は誰が見ても良好な関係だと誰もが知って応援している。私の耳にも毎日聞こえてくるほどに。

 本人に割り入る気は無くても、想い人のそんな姿を毎日見るのは疲れてしまうんだろう。
 だからきっとそんなことを言い出してしまったに違いない。

 家族もいなく、たった一人の拠り所を失ってしまうのは悲しくて寂しいことだからね。このお貴族様も、他の客人たちのように弱音を吐ける存在が必要らしい。

 お姫様の代わりでいられるうちは、それが私の仕事だ。
 気づけばその形のいい頭に手を伸ばしていた。

「エメ?」
「まだ仕事するんでしょ。私はちょっと散歩に行ってくる」
「僕も一緒に行こう」
「大丈夫。食べたもの消化したいだけだから。お仕事頑張って」

 立ち上がればサラリと指の間をシルバーアッシュの髪が流れていき、仕事用にセットしていた前髪が崩れた。想像以上の髪質の良さはもう少し触っていたい気もする。
 男性にこの美貌と髪質良さを与えるなんて、神様とやらは随分と不公平で、世の中の女性に恨まれてしまうに違いない。
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