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酒場のエメ
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身一つで家も食べるものもお金も無い状態だったけど、仕事は案外すぐに見つかった。
屋敷から平民街へ徒歩で歩き続けたのは少し疲れたけど、侯爵家で食べすぎた分のダイエットだと思えば苦痛も和らぐ。それどころか達成感さえ感じてしまう。動くことは大事だ。
着てきたシンプルなドレスは生地は良いものだけど、私の平民らしさのおかげか変なのに絡まれることもなかった。お貴族様なら年増だろうと老人だろうと一番の餌食になるところだろう。
生粋の平民オーラで良かったと思う。
「エメちゃん、これあそこのテーブルよろしく」
「はーい」
カウンターに用意されたジョッキを持って指示されたテーブルに持っていく。この酒場で働き始めて数日だけど、踊り子時代に似たような仕事もしたしもう慣れたものだ。
「おねーさん、いくら?ㅤ高く買うよ」
ニヤリと笑って掴まれた腕を自然な動きで振り払って、私もニコリと笑顔をサービスしてやる。
「悪いけど、そういうサービスはしてないんだよね。でも個人的に口説いてくれるなら考える」
「えー、じゃあ一緒に飲もうよー」
連れ込み宿でもなんでもない普通の酒場だけど、大通りから少し奥まった所にあるせいもあって治安はあまり良いとは言えない。ここ暫くはお貴族様のお上品な世界を見ていたから、そことの差に目が回りそうになる。
「んじゃお客さんの奢りで一杯。毎度あり」
貰える物は貰っておく。それはどこでも変わらない、私のモットーだ。
絡まれる度に1杯奢らせていく。手馴れたものだ、と我ながら拍手したい。
「エメちゃん流石だね~」
「ほんと助かるわ。うちはあまり静かな店じゃないから、若い子は辞めちゃうことが多くて」
カウンターに行けばすぐに私用のドリンクが差し出される。店主夫妻も好意的で、客に絡まれることは少なくないがそれでも居心地はいい。
確かに絡まれることも多いし下品な話も少なくないけど、いい具合に受け流すのは踊り子時代に鍛え上げてきたからそこまで苦痛も感じていないし。
「ここはお酒もご飯も美味しいし、私は好きだけど」
働いている私は基本食べ飲み放題。メニューも多くて味もいい。
面倒ではあってもタチの悪いゴロツキは少ないのもいいところだ。
「嬉しいこと言ってくれるね 」
「あ、そろそろステージの時間だわ。今日もお願いできるかしら?」
「もちろん」
酒場の給仕の仕事だけど、私の仕事はそれ以外にもある。
店の奥へと足を向けようとしたのに、服の裾を引っ張られる感覚に足を止めて振り返った。
「お姉さんどこ行くの?」
くん、と私の服を引っ張りながら首を傾げる男に見覚えは無い。ただの酔っぱらいのようだ。平民にしては整った顔の男。それなのに何も感じないのはお貴族様の美しすぎる顔に見慣れてしまったからかもしれない。
あれを見てしまったら、あとはもう美術品くらいにしか心が動かされそうにない。美術品なんて見る機会は平民にはあまりやって来ないから、私はもう一生トキメキとやらとは無縁かもしれない。
「お姉さん俺と飲もうよ~。奢るから。高いボトルでもいいよ」
ね、と誘われるそれは魅力的だけど、残念ながらタイミングが悪かった。それに、凄く酔っている雰囲気は無いけど、面倒くさそうな男だ。これは感だけど。
私は私の仕事をしたい。
だけど冷たく突き放すのはそれはそれで面倒事になりかねない。
「それは素敵なお誘いだね」
近づいてくる女将さんを横目に乗り気な返事をしてみれば、私の服を掴んでいた手がゆっくりと離された。
「それじゃうちのとっておき出しちゃおうかしら」
「へ」
「いっぱい呑んじゃうわよ」
「ちょ」
「これからショータイムだからね、見ながらの酒は美味しいのよ。あ、このお酒のつまみはこれ頼まないと。うちのオススメ」
私と男の間を遮るように女将さんが入り込んできて、流れるように注文する。遠慮なくこの店でかなり高い酒を頼んでいるから流石だと思う。男の身なりからもさっきまで飲んでいる酒の種類からも金を取れると確信したんだろう。
「あんたは呼んでな、」
「あら、照れてるのかしら。私はこの店で一番の売れっ子よ」
「ここそういう店じゃないだろ」
「あなたが誘ったんじゃない」
こちらにウインクする女将さんは男に完全に目をつけたようで、店主の旦那さんは呆れているようだけど、その手には既にボトルが用意されている。旦那さんも容赦がない。
「私もあとで1杯ちょーだい」
あれはご馳走にならなければ、とヒラヒラと手を振って愛想を振りまいてやる。
最近の流行りはか弱い可憐な女性とはいえ、こういった場所では私もまだまだ受けがいい。使えるものは使って、もらえるものはもらわないと。
□□□
裏で軽く身なりを整えてから、店の奥にある舞台に上がる。大きくは無いけれど、店内から見やすくて形も整っているから悪くない。
この店の売りのひとつはこの舞台で、毎夜演者がそれぞれの物を披露する。歌だったり楽器だったり、出演は割と自由。特定の演者がいる訳でも無い。
貸出料も取っていないから、まだ新人やこの街に来たばかりの演者が名を売るために舞台に上がっていく事が多いんだとか。
そんな中、私はここの給仕半分、この舞台で踊り子をすること半分にこの店で住み込み食事付きで雇ってもらった。
エメ・スカーレットの名前が役に立って、私のことを知っていた店主が二つ返事で歓迎してくれたのは何よりの幸運だ。
ほかの演者と同じように、もらったチップは全て懐に入れていいというのも気前が良い。この店では私もまだまだ現役扱いで、この数日でそれなりにいい反応を貰っている。
お貴族様の御屋敷と比べたらもちろん質は天と地の差だろうけど、ご飯は美味しくて踊りも踊れて、この場所もそれなりに居心地がいい。
今日は舞台の上には既に異国風の楽器を持った少年が待っていた。彼が演奏を担当してくれるのだろう。目が合って軽く会釈をし合う。
演奏がある時もあるし無い時もある。その日その時間次第だ。
打ち合わせも何もしていないけど、お互いに好き勝手やっていく。一応初めにどんなものかと楽器の演奏を聴いてみるけど、その後は感覚だ。私は元々決まった踊りをすることは少なかったし、こういうやり方も中々合っているらしい。
お貴族様のダンスは型が決まっている物だったけど、あれはあれで私の中では珍しくて楽しかった、とほんの少しだけ思いを寄せる。
シャン、シャン、と体に付けた鈴が鳴り響く。演奏とぶつからないように、とリズムを合わせればお互いの呼吸が揃うようで心地がいい。
ちらりと視線を向ければ、あちらも私を見ていて目が合った。動きを止めない一瞬のこの通じ合う感覚というか、そういうのもここでの楽しさだ。
そして演奏に合わせて、最後のターンに合わせて大袈裟な動作で頭を下げれば降ってくるのは溢れんばかりの拍手とチップたち。
隣では楽器を下ろした奏者が裏返した帽子を手に立っている。その中に積もっていくチップの山は今日も盛況な証拠だ。私もやり切れたことへの達成感に浸る。
お貴族様のことはたまに思い出すけど、結局踊りが好きな私にはこれがやめられない。
私の人生で珍しく深く心を動かしてしまった相手だけど、きっとそのうち溶けて消えていくだろう。
体の関係が無くて良かったとこっそり思う。
心と体が覚えてしまえば、人間そう簡単に忘れられない物だから。
屋敷から平民街へ徒歩で歩き続けたのは少し疲れたけど、侯爵家で食べすぎた分のダイエットだと思えば苦痛も和らぐ。それどころか達成感さえ感じてしまう。動くことは大事だ。
着てきたシンプルなドレスは生地は良いものだけど、私の平民らしさのおかげか変なのに絡まれることもなかった。お貴族様なら年増だろうと老人だろうと一番の餌食になるところだろう。
生粋の平民オーラで良かったと思う。
「エメちゃん、これあそこのテーブルよろしく」
「はーい」
カウンターに用意されたジョッキを持って指示されたテーブルに持っていく。この酒場で働き始めて数日だけど、踊り子時代に似たような仕事もしたしもう慣れたものだ。
「おねーさん、いくら?ㅤ高く買うよ」
ニヤリと笑って掴まれた腕を自然な動きで振り払って、私もニコリと笑顔をサービスしてやる。
「悪いけど、そういうサービスはしてないんだよね。でも個人的に口説いてくれるなら考える」
「えー、じゃあ一緒に飲もうよー」
連れ込み宿でもなんでもない普通の酒場だけど、大通りから少し奥まった所にあるせいもあって治安はあまり良いとは言えない。ここ暫くはお貴族様のお上品な世界を見ていたから、そことの差に目が回りそうになる。
「んじゃお客さんの奢りで一杯。毎度あり」
貰える物は貰っておく。それはどこでも変わらない、私のモットーだ。
絡まれる度に1杯奢らせていく。手馴れたものだ、と我ながら拍手したい。
「エメちゃん流石だね~」
「ほんと助かるわ。うちはあまり静かな店じゃないから、若い子は辞めちゃうことが多くて」
カウンターに行けばすぐに私用のドリンクが差し出される。店主夫妻も好意的で、客に絡まれることは少なくないがそれでも居心地はいい。
確かに絡まれることも多いし下品な話も少なくないけど、いい具合に受け流すのは踊り子時代に鍛え上げてきたからそこまで苦痛も感じていないし。
「ここはお酒もご飯も美味しいし、私は好きだけど」
働いている私は基本食べ飲み放題。メニューも多くて味もいい。
面倒ではあってもタチの悪いゴロツキは少ないのもいいところだ。
「嬉しいこと言ってくれるね 」
「あ、そろそろステージの時間だわ。今日もお願いできるかしら?」
「もちろん」
酒場の給仕の仕事だけど、私の仕事はそれ以外にもある。
店の奥へと足を向けようとしたのに、服の裾を引っ張られる感覚に足を止めて振り返った。
「お姉さんどこ行くの?」
くん、と私の服を引っ張りながら首を傾げる男に見覚えは無い。ただの酔っぱらいのようだ。平民にしては整った顔の男。それなのに何も感じないのはお貴族様の美しすぎる顔に見慣れてしまったからかもしれない。
あれを見てしまったら、あとはもう美術品くらいにしか心が動かされそうにない。美術品なんて見る機会は平民にはあまりやって来ないから、私はもう一生トキメキとやらとは無縁かもしれない。
「お姉さん俺と飲もうよ~。奢るから。高いボトルでもいいよ」
ね、と誘われるそれは魅力的だけど、残念ながらタイミングが悪かった。それに、凄く酔っている雰囲気は無いけど、面倒くさそうな男だ。これは感だけど。
私は私の仕事をしたい。
だけど冷たく突き放すのはそれはそれで面倒事になりかねない。
「それは素敵なお誘いだね」
近づいてくる女将さんを横目に乗り気な返事をしてみれば、私の服を掴んでいた手がゆっくりと離された。
「それじゃうちのとっておき出しちゃおうかしら」
「へ」
「いっぱい呑んじゃうわよ」
「ちょ」
「これからショータイムだからね、見ながらの酒は美味しいのよ。あ、このお酒のつまみはこれ頼まないと。うちのオススメ」
私と男の間を遮るように女将さんが入り込んできて、流れるように注文する。遠慮なくこの店でかなり高い酒を頼んでいるから流石だと思う。男の身なりからもさっきまで飲んでいる酒の種類からも金を取れると確信したんだろう。
「あんたは呼んでな、」
「あら、照れてるのかしら。私はこの店で一番の売れっ子よ」
「ここそういう店じゃないだろ」
「あなたが誘ったんじゃない」
こちらにウインクする女将さんは男に完全に目をつけたようで、店主の旦那さんは呆れているようだけど、その手には既にボトルが用意されている。旦那さんも容赦がない。
「私もあとで1杯ちょーだい」
あれはご馳走にならなければ、とヒラヒラと手を振って愛想を振りまいてやる。
最近の流行りはか弱い可憐な女性とはいえ、こういった場所では私もまだまだ受けがいい。使えるものは使って、もらえるものはもらわないと。
□□□
裏で軽く身なりを整えてから、店の奥にある舞台に上がる。大きくは無いけれど、店内から見やすくて形も整っているから悪くない。
この店の売りのひとつはこの舞台で、毎夜演者がそれぞれの物を披露する。歌だったり楽器だったり、出演は割と自由。特定の演者がいる訳でも無い。
貸出料も取っていないから、まだ新人やこの街に来たばかりの演者が名を売るために舞台に上がっていく事が多いんだとか。
そんな中、私はここの給仕半分、この舞台で踊り子をすること半分にこの店で住み込み食事付きで雇ってもらった。
エメ・スカーレットの名前が役に立って、私のことを知っていた店主が二つ返事で歓迎してくれたのは何よりの幸運だ。
ほかの演者と同じように、もらったチップは全て懐に入れていいというのも気前が良い。この店では私もまだまだ現役扱いで、この数日でそれなりにいい反応を貰っている。
お貴族様の御屋敷と比べたらもちろん質は天と地の差だろうけど、ご飯は美味しくて踊りも踊れて、この場所もそれなりに居心地がいい。
今日は舞台の上には既に異国風の楽器を持った少年が待っていた。彼が演奏を担当してくれるのだろう。目が合って軽く会釈をし合う。
演奏がある時もあるし無い時もある。その日その時間次第だ。
打ち合わせも何もしていないけど、お互いに好き勝手やっていく。一応初めにどんなものかと楽器の演奏を聴いてみるけど、その後は感覚だ。私は元々決まった踊りをすることは少なかったし、こういうやり方も中々合っているらしい。
お貴族様のダンスは型が決まっている物だったけど、あれはあれで私の中では珍しくて楽しかった、とほんの少しだけ思いを寄せる。
シャン、シャン、と体に付けた鈴が鳴り響く。演奏とぶつからないように、とリズムを合わせればお互いの呼吸が揃うようで心地がいい。
ちらりと視線を向ければ、あちらも私を見ていて目が合った。動きを止めない一瞬のこの通じ合う感覚というか、そういうのもここでの楽しさだ。
そして演奏に合わせて、最後のターンに合わせて大袈裟な動作で頭を下げれば降ってくるのは溢れんばかりの拍手とチップたち。
隣では楽器を下ろした奏者が裏返した帽子を手に立っている。その中に積もっていくチップの山は今日も盛況な証拠だ。私もやり切れたことへの達成感に浸る。
お貴族様のことはたまに思い出すけど、結局踊りが好きな私にはこれがやめられない。
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