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前編
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この大陸で最強なのは、と問えば誰もが同じ国の名前を口にするだろう。
だけど、出てくる名前は必ず二つ。
一つは広大な国土、強大な武力に技術力、全てを兼ね備えたこの大陸を統べる帝国。略奪を繰り返すことはしていないけど、他国を支配することなんて赤子の手をひねるくらい簡単なことだろう。
もう一つは、この世界を創造した神の血を引くと言われている聖王が存在する聖国。王族は人ならざる美貌と飛び抜けた魔力を持つ。この大陸の各国にある教会は、元を辿れば全て聖国に繋がっている。
□□□
婚約者と学校に通いたい、というのは完全な私のわがままだと自覚しているけれど、乙女の青春のため、各所にかかる迷惑には少し我慢してもらおう。
そう思っていたけど、編入初日、案内役の学園長が真っ青な顔で震えてるのを見て流石に申し訳なさを感じた。
一応弁明させてもらうけど、私の存在そのものに過剰反応している訳では無い。
ものすごく気を使って緊張している様子ではあったけど、大量の寄付もしている分、その顔は上気していて笑顔だった。
超超超VIP対応ではあるけど、私自身が爆弾なわけじゃない。そのスイッチではあるかもしれないけど。
「あら、久しぶりね。最近どうしていなかったの?」
「いなかったのはそっちじゃない?」
「呼び出されてしまっていたの。頼られるのは嬉しいけど大変ね。でも貴方に心配されると嬉しい」
学園長の顔が凍りついたのは目の前の女ひとりとそれを囲む男の集団に出会ってからだ。すごいハーレム。逆ハーレムとかって言うんだっけ?
この国は別にそういう文化がある訳じゃないはずだけど。
しかもその女はなぜか私と一緒にいた私の婚約者殿に近づいてきてそっとその腕に触れた。
「私もあなたに会いたかったわ。ところでそちらのご令嬢はどなたなの?」
照れたように笑って私の婚約者を見上げながらコテリと首を傾げる。サラリとした髪に手荒れひとつ無い指先、それから気品ある仕草。とりあえず彼女がこの国の貴族なのは確実だ。
私は貴族一覧なんて見ないから詳しくは知らないけど、学園長の様子からしても高位貴族なんだろうなとは予想がつく。
「俺の婚約者だけど」
それが何、と婚約者殿は絡みつきそうに動いたその細腕を振り払った。この人も貴族のはずなのにどうにも仕草が雑だ。
「婚約者……。そう、なのね。お名前を、お伺いしてもよろしいからしら」
一度辛そうに震えて、それでも涙を堪えて健気に笑顔を浮かべる。悲劇のヒロインみたいな茶番だな、と思った。
「ヴィーだよ」
「お前、正式な挨拶もできないのか」
「貴様、メイシェリーは公爵令嬢だということを知らないのか。どこの田舎から出てきた」
この国の貴族なんて知るか。
後ろからしゃしゃり出てきた男たちに思わずじとりと視線を向ける。貴族なんて覚えてないけど、王族の証の紋章には見覚えがあった。
なんだ、ただのこの国の王族か。
「二人とも、私は大丈夫。ヴィーって愛称なのかしら」
「ヴィーって名前なだけ」
「あら、そうなの。珍しいお名前なのね。家名も教えていただけないかしら」
「家名も無い、ただのヴィー」
「家名がない……。そういえば婚約者は平民だって話を聞いたことがあったかもしれないわ……。私はメイシェリー・リュペリアントよ」
にこりと微笑む姿は貴族らしく美しい。
「そう」
よろしくとは言わない。
そんな私の態度が気に入らないのか、周りで様子を見ていた生徒たちが一歩足を踏み出した。毛を逆立てた子猫みたい。
「ちよっと、あなた!ㅤメイシェリー様はこの国唯一の公爵令嬢で聖女でもあるのよ!」
「口の利き方にお気をつけなさい!」
聖女は癒しの力を持つ人間だ。珍しいと言うほどでは無いけど、力を持つ人間は少ないから重宝されている。ちなみに男なら聖人。各国の教会ではそれなりに大切に扱われる。
「聖女?」
「そうよ。ただの平民が口を聞くことすら恐れ多い存在なの」
「聖王様にも一番目置かれていらっしゃるんだから」
「へぇ、それはすごい」
聖王とはつまり聖国の王様。聖女聖人の管理をする教会は全て聖国につながっている。要するにそこのトップ。
聖国の王族は神の子孫と言われていて、王様なんてほぼ神様みたいなものだ。人間離れした美しすぎる容姿で、しかも歳もほとんど取らない。というか長寿すぎるせいで見た目が全然変わらない。
そんな聖国の王様が聖女一人の名前を覚えているなんて本当に驚きだ。初めて聞いた。
「みんな、気にしなくていいのよ。貴女も、気軽に接してちょうだいね。彼の婚約者なら、私も仲良くしたいもの」
明らかにこの目の前の女性は私の婚約者に気があるように見えるけど、その相手と仲良くする意味が私には全く分からない。
貴族の本妻と第二夫人じゃあるまいし。ていうかそっちのが泥沼案件か。
彼女が目の前に現れた瞬間に、私の婚約者は「うわ、出た」とそれは嫌そうに呟いていた声が私には聞こえたけど、目の前の彼女の様子に私はあえて尋ねることにした。
「付き合ってるの?ㅤ彼女と」
「は?ㅤ無い。無理。ありえない」
ぐるりと首が回ってこちらを見てからの即答。ていうか全否定がすごい。全力すぎる。
「そうよね、婚約者の前ではそう言うしかないわよね。その子が来るから私と距離を置いて……いえ、仕方ないわよね。みんな行きましょう」
じわりと大きな瞳に涙が滲む。儚げな容姿に悲壮感が溢れ出る姿に、周りの男たちが慌てだして随分と挙動不審だ。
泣き顔を見せないようにと慌てて背を向けて足を踏み出す彼女の後に続く彼女の周りの男たちに睨まれる。何故か周りの生徒達にも嫌な視線を向けられた。
なんだろうこの物語の悪役みたいな立ち位置。
「も、もももももも申し訳ございません」
学園長が必死に頭を下げて、下げすぎて薄めの頭の頂点が地面についてしまいそうで心配になる。大事にして欲しい。と言うかそんなことされたら更に悪役みたいだね。
「別に、気にしてないから気にしないで」
「 いえ、そういうわけにはっ。その、彼女はこの国の公爵令嬢で国王陛下にも大層気に入られていておりまして……」
「口を出しにくいと」
「いえ、もちろん貴女様が最優先でございますが」
「いいのいいの。別に特別扱いして欲しいとか思ってないから。それより続きの案内して欲しいな」
案内の続きをしてくれないとわたしの青春計画が台無しだ。ここに通うまでもなかなか大変だったんだから。
周りの冷たい視線なんて私は怖くない。
□□□
「で。さっきのなんなの?ㅤ何にも聞いてないけど」
土色の顔で歩き出した学園長の案内が終わって、私は婚約者と寮の自室のソファに座っていた。私は今日は説明だけだけど、婚約者殿は授業があるはずなのに完全なサボりだ。
随分と広い部屋を用意してくれたようで、家具もひと目でわかる良いものばかり。なんだか申し訳ない。
「あー、なんかごめん。彼女面して付きまとわれるようになって、だけど最近見なかったから諦めたと思ってたんだけど」
はぁ、と吐き出されたため息は心底嫌そうにきこえる。
「彼女、随分とファンが多いんだね」
有名劇団の女優か何かかもしれない。狂信的ファンしかいない大人気女優。それはそれでめんどくさそう。
「言ってた通り公爵令嬢だからこの学園の女子で一番身分が高い。一応国内で最高位の女性は王妃だけど、王族の親族で女児が数代産まれなくてそんな中で生まれたのが王弟の子供であるあの公爵令嬢ってことで王族全体で溺愛。その空気に飲まれて貴族みんなで溺愛らしい、って聞いた」
「らしいって、フォルスもこの国の貴族なのに他人事ね」
「まあ、興味無いし」
「そういうとこ好きだよ」
この婚約者様は随分とテキトーだ。私のせいで自国に興味をなくしてしまったのかもしれないと一瞬思ったけど、出会った頃からそんな感じだった気もする。
「久しぶりの姫ってことで周囲に蝶よ花よと可愛がられて本人もそれが当然と思ってるみたいだよ。自分が嫌われるはずないとか拒否されるはずないとか、無条件に愛されるって信じてる。それがかなりうざい」
「ふーん。なんかものすごく聞いたことのある設定だけど、同じ環境でもこんなに本人に差が出るもんなんだねぇ」
私のよく知ってる人は溺愛を跳ね返す肝っ玉母さんだ。愛されるより愛したい人で守られるどころか一人でどんどん進んでいく。
「あれも特殊だと思うよ、俺は」
そんな話をして私の濃すぎる身内を思い浮かべたのか、フォルスは深く重い息を吐き出した。
「あんまり大ごとにするのヴィーは好きじゃないと思って放置してたけど、これは絶対殺される」
「えー、大丈夫でしょ。誰が私の愛する婚約者を殺せるっていうの」
「いや、殺されないとしても。ヴィーの後ろで昔からずっと睨まれてるし。あの視線怖いんだよね」
フォルスは顔を青くする。
「何を怖がるっていうの?ㅤ世界の全てに愛されてるなんて勘違いはしてないけど、私の一言で世界を終わらせられるくらいにはある意味私は最強な自覚があるのに」
私のはあの女の勘違いと違ってただの事実である。
その私と一緒にいて怖いものなんてあるわけが無い。
特にフォルスが怖がっている人達にとって私の言葉は絶対なのを私が一番知ってる。
「あの女、後ろに王族がいるし、この国だと一番影響力があって面倒なんだよ。ヴィーにちょっかいかけてきそうだし、もうこのまま一緒に学校やめない?」
「つまり虎の威を借る狐ってこと?ㅤ私とお揃いだ。でも私は絡まれても気にしないよ」
「相変わらず強すぎ」
「それに、フォルスと学校通うために私頑張ったんだから。あちこち説得して愛想も振りまいて、この学校に個人資産でいっぱい寄付もした。青春したい~」
だめ?ㅤと上目遣いを意識する。
私は正直、美人とかでは無い。なんていうか普通だ。母さんは美人だけど、しっかり平凡顔の父さんの血を引き継いだ。茶色の神に焦げ茶の瞳。頭も別に良くないし、全てが平々凡々。
それでもこの可愛い子しか使えないだろう必殺技が通じる相手が何人かいる。もちろんフォルスもその一人だ。
「またそうやって可愛い顔で解決しようとする。この国破滅しそうだな」
「私そんなに凶悪じゃないんだけど」
「ヴィーはね」
ヴィーの周りは違うでしょ、と聞こえた気がした。
□□□
フォルスっと嬉しそうに声を上げては、私の姿を見てハッと目を伏せる。
この学園に通い始めて見慣れた光景だ。
悲劇のヒロインすぎて、私にはそういう演劇にしか見えない。持参したお菓子をポリポリと食べながらその光景を見守っている。
不安なんてない。だってフォルスがものすごい嫌そうな顔してるし。まるでゴミでも見てるようなその顔も何だか面白い。
その姿をどう見たら本当は好きなのに婚約者のせいで愛を囁けなくて辛そうな顔になるんだろう。
「ねぇ、ヴィー。貴女、お金で無理矢理フォルスを縛り付けているんでしょう?ㅤ愛を買うなんて良くないと思うのよ」
私を敵にするくせに何故か友達ポジションで喋りかけてくるのも意味が分からなくて面白い。
「私は私を愛してくれる人じゃなきゃ好きにならないよ。フォルスと貴女の間に愛があるなら、私に隠れてでも会いに行くと思わない?」
純粋な疑問だ。あまりに相思相愛を主張してくるから、聞いてみたくなった。フォルスは確かに見た目は凄く整ってるから目の前の美少女と並んだら絵にはなると思うけど、お似合いって言うのと愛し合ってるって言うのはまた別問題だと思うの。
こてりと首を傾げる私に、目の前の悲劇のヒロインはまた瞳を潤ませる。
「それは、だって、貴女が引き止めているんでしょう」
「四六時中一緒にいるわけじゃないし、時間はいくらでもあると思うよ。それに、私は浮気自体は別にいいの」
「え?」
「お金と権力のために私と結婚するって人でもね。私にバレないように徹底的に隠して二重生活するってならそれはある意味愛だと思うし」
でもフォルスはそこまでしていない。だから貴女への愛は認めない。
「フォルスは誠実なのよ。貴女を裏切るみたいにコソコソとなんてできないの」
ね、と儚く笑う美少女は傍から見ると美しいけど。
「いや、俺はヴィーしか興味無いから」
必死に空気に溶け込んで目立たないようにしていたフォルスが私に恨めしげな視線を向ける。
大丈夫、そこは分かってるから。
「シェリー様がお可哀想」
「敬語も勉強できていない平民のくせに」
「成金風情が。どうせそれだけの金を貢ぎこんだんだろう」
どこからか、いや、すぐ側からそんな声が聞こえてくる。向けられる声はひとつじゃないけど、何度も言うように私には響いてこない。
周りの教師たちは心配そうにこちらを見ていたから気にしないでとこっそり手を振った。
この学園内はある意味無法地帯みたいなものだ。寮があるから家族との関わりは薄いし外部からの干渉は簡単にできない。
だから黙っててくれればいい。私も誰かに助けてなんていうつもりは無いし。
「やめて。そんなことを言って責めるのはよくないわ。私はヴィーを傷つけたくなんてないの」
彼女の一言で、周囲は黙る。私を睨むのは変わらないけど。
というか、私はさっきあなたに責められていた気がするんだけど、都合の悪いことは忘れてしまう頭なのかもしれない。羨ましい。
「別にいいよ。敬語を使えないのも平民なのも、フォルスの家にたくさんお金を渡したのもほんとのことだもん」
私の家は平民だけど商売が上手くいっていてかなりの大金持ちだ。私のお小遣いだけでも一生遊んで暮らせるくらい。
フォルスの家は貴族で名家だけど、ここ数代は度重なる問題で財政難。元は侯爵だったのに伯爵まで身分が落ちていたところをお金の援助で再び侯爵まで押し上げたのはこの私だ。
だからどれも事実。事実を叫ばれて傷つくわけもない。
「やっぱりお金で……。そんなのって酷いわ」
「貴族は政略結婚が普通なのに酷いって言うの?」
「愛は大切よ。一人を愛して、愛し続けることが幸せでしょう?ㅤ浮気も愛の無い結婚も行為も、残酷なことなのよ」
ハラハラとその瞳から涙がこぼれ落ちる。胸の前で手を組んで訴えかけるその様子は慈愛の天使のようだけど、私はおかしなことを言うなぁと思った。
「あなた、聖女なのにそんなこと言うんだね」
「聖女だからこそ、言っているのよ。聖女も聖人も、ただの肩書きだけど、私は誇りを持っているの。聖女として私は愛を伝えていくの」
聖女の誇りがその言葉だなんて。教会は聖国所属になるのに不思議すぎる勘違いだ。聖国に喧嘩でも売るつもりなのかな。
「がんばってね」
その喧嘩はむしろ見てみたい。にこりと笑った私にフォルスは顔を引き攣らせた。
「ヴィー、行こう」
「あれ、帰るの?」
「もういいでしょ」
もうここにいたくない、と顔に書いてある。
「わかった」
ほら、と差し出された手を掴んで、私はブラブラと大きく手を振った。
「彼女、面白いこと言うね。聖国に関係してるのに一途な愛だなんて」
しばらく歩いたところで思い出し笑い。
聖国は愛の国だ。聖王の血を持つものは愛情深いことで有名で、だからこそ慈愛の精神で宗教を広めている。
私にしてみれば、愛というかあれは最早執着というか、そんな綺麗なものだとは思えないけど。嫌いではないんだけどね、別に。
「聖国は博愛主義ってだけなのに、思い込みが激しいんだよ」
うんざりと言うフォルスに「あぁ」と同情してしまう。確かに思い込み激しいのは事実だった。
「博愛主義っていうのも美化しすぎだけどね。国民はまだしも、王族は神の血を引くと言われるだけあって寿命が長いし、それだけの間に愛する人間が一人だけ、なんてこと、歴史の中でもほとんど無いのにね」
聖王の今の奥さんも何人目だったか。とは言っても王族よりも寿命が短い妻が先立つ度に正妻を迎えて、たまに側室も作るって言うだけの今の聖王はまだマシな方。
先代はもう後宮どころじゃない女性を囲っていて、聖王含めた兄弟は数え切れないし同じ年の兄弟がいるのは当たり前。引退した今も現役らしいと言うんだから元気すぎる。
まあまだ見た目は初老前くらいだし元気なのは分からなくもないけど。
「聖国行ったら倒れちゃうんじゃない?ㅤあれ」
「一回行ってみて欲しいよ」
知り合いみんなで一人の男共有してる、みたいなある意味地獄みたいな状況があの国では普通だからね。心は入れ替えられるかもしれない。
だけど、出てくる名前は必ず二つ。
一つは広大な国土、強大な武力に技術力、全てを兼ね備えたこの大陸を統べる帝国。略奪を繰り返すことはしていないけど、他国を支配することなんて赤子の手をひねるくらい簡単なことだろう。
もう一つは、この世界を創造した神の血を引くと言われている聖王が存在する聖国。王族は人ならざる美貌と飛び抜けた魔力を持つ。この大陸の各国にある教会は、元を辿れば全て聖国に繋がっている。
□□□
婚約者と学校に通いたい、というのは完全な私のわがままだと自覚しているけれど、乙女の青春のため、各所にかかる迷惑には少し我慢してもらおう。
そう思っていたけど、編入初日、案内役の学園長が真っ青な顔で震えてるのを見て流石に申し訳なさを感じた。
一応弁明させてもらうけど、私の存在そのものに過剰反応している訳では無い。
ものすごく気を使って緊張している様子ではあったけど、大量の寄付もしている分、その顔は上気していて笑顔だった。
超超超VIP対応ではあるけど、私自身が爆弾なわけじゃない。そのスイッチではあるかもしれないけど。
「あら、久しぶりね。最近どうしていなかったの?」
「いなかったのはそっちじゃない?」
「呼び出されてしまっていたの。頼られるのは嬉しいけど大変ね。でも貴方に心配されると嬉しい」
学園長の顔が凍りついたのは目の前の女ひとりとそれを囲む男の集団に出会ってからだ。すごいハーレム。逆ハーレムとかって言うんだっけ?
この国は別にそういう文化がある訳じゃないはずだけど。
しかもその女はなぜか私と一緒にいた私の婚約者殿に近づいてきてそっとその腕に触れた。
「私もあなたに会いたかったわ。ところでそちらのご令嬢はどなたなの?」
照れたように笑って私の婚約者を見上げながらコテリと首を傾げる。サラリとした髪に手荒れひとつ無い指先、それから気品ある仕草。とりあえず彼女がこの国の貴族なのは確実だ。
私は貴族一覧なんて見ないから詳しくは知らないけど、学園長の様子からしても高位貴族なんだろうなとは予想がつく。
「俺の婚約者だけど」
それが何、と婚約者殿は絡みつきそうに動いたその細腕を振り払った。この人も貴族のはずなのにどうにも仕草が雑だ。
「婚約者……。そう、なのね。お名前を、お伺いしてもよろしいからしら」
一度辛そうに震えて、それでも涙を堪えて健気に笑顔を浮かべる。悲劇のヒロインみたいな茶番だな、と思った。
「ヴィーだよ」
「お前、正式な挨拶もできないのか」
「貴様、メイシェリーは公爵令嬢だということを知らないのか。どこの田舎から出てきた」
この国の貴族なんて知るか。
後ろからしゃしゃり出てきた男たちに思わずじとりと視線を向ける。貴族なんて覚えてないけど、王族の証の紋章には見覚えがあった。
なんだ、ただのこの国の王族か。
「二人とも、私は大丈夫。ヴィーって愛称なのかしら」
「ヴィーって名前なだけ」
「あら、そうなの。珍しいお名前なのね。家名も教えていただけないかしら」
「家名も無い、ただのヴィー」
「家名がない……。そういえば婚約者は平民だって話を聞いたことがあったかもしれないわ……。私はメイシェリー・リュペリアントよ」
にこりと微笑む姿は貴族らしく美しい。
「そう」
よろしくとは言わない。
そんな私の態度が気に入らないのか、周りで様子を見ていた生徒たちが一歩足を踏み出した。毛を逆立てた子猫みたい。
「ちよっと、あなた!ㅤメイシェリー様はこの国唯一の公爵令嬢で聖女でもあるのよ!」
「口の利き方にお気をつけなさい!」
聖女は癒しの力を持つ人間だ。珍しいと言うほどでは無いけど、力を持つ人間は少ないから重宝されている。ちなみに男なら聖人。各国の教会ではそれなりに大切に扱われる。
「聖女?」
「そうよ。ただの平民が口を聞くことすら恐れ多い存在なの」
「聖王様にも一番目置かれていらっしゃるんだから」
「へぇ、それはすごい」
聖王とはつまり聖国の王様。聖女聖人の管理をする教会は全て聖国につながっている。要するにそこのトップ。
聖国の王族は神の子孫と言われていて、王様なんてほぼ神様みたいなものだ。人間離れした美しすぎる容姿で、しかも歳もほとんど取らない。というか長寿すぎるせいで見た目が全然変わらない。
そんな聖国の王様が聖女一人の名前を覚えているなんて本当に驚きだ。初めて聞いた。
「みんな、気にしなくていいのよ。貴女も、気軽に接してちょうだいね。彼の婚約者なら、私も仲良くしたいもの」
明らかにこの目の前の女性は私の婚約者に気があるように見えるけど、その相手と仲良くする意味が私には全く分からない。
貴族の本妻と第二夫人じゃあるまいし。ていうかそっちのが泥沼案件か。
彼女が目の前に現れた瞬間に、私の婚約者は「うわ、出た」とそれは嫌そうに呟いていた声が私には聞こえたけど、目の前の彼女の様子に私はあえて尋ねることにした。
「付き合ってるの?ㅤ彼女と」
「は?ㅤ無い。無理。ありえない」
ぐるりと首が回ってこちらを見てからの即答。ていうか全否定がすごい。全力すぎる。
「そうよね、婚約者の前ではそう言うしかないわよね。その子が来るから私と距離を置いて……いえ、仕方ないわよね。みんな行きましょう」
じわりと大きな瞳に涙が滲む。儚げな容姿に悲壮感が溢れ出る姿に、周りの男たちが慌てだして随分と挙動不審だ。
泣き顔を見せないようにと慌てて背を向けて足を踏み出す彼女の後に続く彼女の周りの男たちに睨まれる。何故か周りの生徒達にも嫌な視線を向けられた。
なんだろうこの物語の悪役みたいな立ち位置。
「も、もももももも申し訳ございません」
学園長が必死に頭を下げて、下げすぎて薄めの頭の頂点が地面についてしまいそうで心配になる。大事にして欲しい。と言うかそんなことされたら更に悪役みたいだね。
「別に、気にしてないから気にしないで」
「 いえ、そういうわけにはっ。その、彼女はこの国の公爵令嬢で国王陛下にも大層気に入られていておりまして……」
「口を出しにくいと」
「いえ、もちろん貴女様が最優先でございますが」
「いいのいいの。別に特別扱いして欲しいとか思ってないから。それより続きの案内して欲しいな」
案内の続きをしてくれないとわたしの青春計画が台無しだ。ここに通うまでもなかなか大変だったんだから。
周りの冷たい視線なんて私は怖くない。
□□□
「で。さっきのなんなの?ㅤ何にも聞いてないけど」
土色の顔で歩き出した学園長の案内が終わって、私は婚約者と寮の自室のソファに座っていた。私は今日は説明だけだけど、婚約者殿は授業があるはずなのに完全なサボりだ。
随分と広い部屋を用意してくれたようで、家具もひと目でわかる良いものばかり。なんだか申し訳ない。
「あー、なんかごめん。彼女面して付きまとわれるようになって、だけど最近見なかったから諦めたと思ってたんだけど」
はぁ、と吐き出されたため息は心底嫌そうにきこえる。
「彼女、随分とファンが多いんだね」
有名劇団の女優か何かかもしれない。狂信的ファンしかいない大人気女優。それはそれでめんどくさそう。
「言ってた通り公爵令嬢だからこの学園の女子で一番身分が高い。一応国内で最高位の女性は王妃だけど、王族の親族で女児が数代産まれなくてそんな中で生まれたのが王弟の子供であるあの公爵令嬢ってことで王族全体で溺愛。その空気に飲まれて貴族みんなで溺愛らしい、って聞いた」
「らしいって、フォルスもこの国の貴族なのに他人事ね」
「まあ、興味無いし」
「そういうとこ好きだよ」
この婚約者様は随分とテキトーだ。私のせいで自国に興味をなくしてしまったのかもしれないと一瞬思ったけど、出会った頃からそんな感じだった気もする。
「久しぶりの姫ってことで周囲に蝶よ花よと可愛がられて本人もそれが当然と思ってるみたいだよ。自分が嫌われるはずないとか拒否されるはずないとか、無条件に愛されるって信じてる。それがかなりうざい」
「ふーん。なんかものすごく聞いたことのある設定だけど、同じ環境でもこんなに本人に差が出るもんなんだねぇ」
私のよく知ってる人は溺愛を跳ね返す肝っ玉母さんだ。愛されるより愛したい人で守られるどころか一人でどんどん進んでいく。
「あれも特殊だと思うよ、俺は」
そんな話をして私の濃すぎる身内を思い浮かべたのか、フォルスは深く重い息を吐き出した。
「あんまり大ごとにするのヴィーは好きじゃないと思って放置してたけど、これは絶対殺される」
「えー、大丈夫でしょ。誰が私の愛する婚約者を殺せるっていうの」
「いや、殺されないとしても。ヴィーの後ろで昔からずっと睨まれてるし。あの視線怖いんだよね」
フォルスは顔を青くする。
「何を怖がるっていうの?ㅤ世界の全てに愛されてるなんて勘違いはしてないけど、私の一言で世界を終わらせられるくらいにはある意味私は最強な自覚があるのに」
私のはあの女の勘違いと違ってただの事実である。
その私と一緒にいて怖いものなんてあるわけが無い。
特にフォルスが怖がっている人達にとって私の言葉は絶対なのを私が一番知ってる。
「あの女、後ろに王族がいるし、この国だと一番影響力があって面倒なんだよ。ヴィーにちょっかいかけてきそうだし、もうこのまま一緒に学校やめない?」
「つまり虎の威を借る狐ってこと?ㅤ私とお揃いだ。でも私は絡まれても気にしないよ」
「相変わらず強すぎ」
「それに、フォルスと学校通うために私頑張ったんだから。あちこち説得して愛想も振りまいて、この学校に個人資産でいっぱい寄付もした。青春したい~」
だめ?ㅤと上目遣いを意識する。
私は正直、美人とかでは無い。なんていうか普通だ。母さんは美人だけど、しっかり平凡顔の父さんの血を引き継いだ。茶色の神に焦げ茶の瞳。頭も別に良くないし、全てが平々凡々。
それでもこの可愛い子しか使えないだろう必殺技が通じる相手が何人かいる。もちろんフォルスもその一人だ。
「またそうやって可愛い顔で解決しようとする。この国破滅しそうだな」
「私そんなに凶悪じゃないんだけど」
「ヴィーはね」
ヴィーの周りは違うでしょ、と聞こえた気がした。
□□□
フォルスっと嬉しそうに声を上げては、私の姿を見てハッと目を伏せる。
この学園に通い始めて見慣れた光景だ。
悲劇のヒロインすぎて、私にはそういう演劇にしか見えない。持参したお菓子をポリポリと食べながらその光景を見守っている。
不安なんてない。だってフォルスがものすごい嫌そうな顔してるし。まるでゴミでも見てるようなその顔も何だか面白い。
その姿をどう見たら本当は好きなのに婚約者のせいで愛を囁けなくて辛そうな顔になるんだろう。
「ねぇ、ヴィー。貴女、お金で無理矢理フォルスを縛り付けているんでしょう?ㅤ愛を買うなんて良くないと思うのよ」
私を敵にするくせに何故か友達ポジションで喋りかけてくるのも意味が分からなくて面白い。
「私は私を愛してくれる人じゃなきゃ好きにならないよ。フォルスと貴女の間に愛があるなら、私に隠れてでも会いに行くと思わない?」
純粋な疑問だ。あまりに相思相愛を主張してくるから、聞いてみたくなった。フォルスは確かに見た目は凄く整ってるから目の前の美少女と並んだら絵にはなると思うけど、お似合いって言うのと愛し合ってるって言うのはまた別問題だと思うの。
こてりと首を傾げる私に、目の前の悲劇のヒロインはまた瞳を潤ませる。
「それは、だって、貴女が引き止めているんでしょう」
「四六時中一緒にいるわけじゃないし、時間はいくらでもあると思うよ。それに、私は浮気自体は別にいいの」
「え?」
「お金と権力のために私と結婚するって人でもね。私にバレないように徹底的に隠して二重生活するってならそれはある意味愛だと思うし」
でもフォルスはそこまでしていない。だから貴女への愛は認めない。
「フォルスは誠実なのよ。貴女を裏切るみたいにコソコソとなんてできないの」
ね、と儚く笑う美少女は傍から見ると美しいけど。
「いや、俺はヴィーしか興味無いから」
必死に空気に溶け込んで目立たないようにしていたフォルスが私に恨めしげな視線を向ける。
大丈夫、そこは分かってるから。
「シェリー様がお可哀想」
「敬語も勉強できていない平民のくせに」
「成金風情が。どうせそれだけの金を貢ぎこんだんだろう」
どこからか、いや、すぐ側からそんな声が聞こえてくる。向けられる声はひとつじゃないけど、何度も言うように私には響いてこない。
周りの教師たちは心配そうにこちらを見ていたから気にしないでとこっそり手を振った。
この学園内はある意味無法地帯みたいなものだ。寮があるから家族との関わりは薄いし外部からの干渉は簡単にできない。
だから黙っててくれればいい。私も誰かに助けてなんていうつもりは無いし。
「やめて。そんなことを言って責めるのはよくないわ。私はヴィーを傷つけたくなんてないの」
彼女の一言で、周囲は黙る。私を睨むのは変わらないけど。
というか、私はさっきあなたに責められていた気がするんだけど、都合の悪いことは忘れてしまう頭なのかもしれない。羨ましい。
「別にいいよ。敬語を使えないのも平民なのも、フォルスの家にたくさんお金を渡したのもほんとのことだもん」
私の家は平民だけど商売が上手くいっていてかなりの大金持ちだ。私のお小遣いだけでも一生遊んで暮らせるくらい。
フォルスの家は貴族で名家だけど、ここ数代は度重なる問題で財政難。元は侯爵だったのに伯爵まで身分が落ちていたところをお金の援助で再び侯爵まで押し上げたのはこの私だ。
だからどれも事実。事実を叫ばれて傷つくわけもない。
「やっぱりお金で……。そんなのって酷いわ」
「貴族は政略結婚が普通なのに酷いって言うの?」
「愛は大切よ。一人を愛して、愛し続けることが幸せでしょう?ㅤ浮気も愛の無い結婚も行為も、残酷なことなのよ」
ハラハラとその瞳から涙がこぼれ落ちる。胸の前で手を組んで訴えかけるその様子は慈愛の天使のようだけど、私はおかしなことを言うなぁと思った。
「あなた、聖女なのにそんなこと言うんだね」
「聖女だからこそ、言っているのよ。聖女も聖人も、ただの肩書きだけど、私は誇りを持っているの。聖女として私は愛を伝えていくの」
聖女の誇りがその言葉だなんて。教会は聖国所属になるのに不思議すぎる勘違いだ。聖国に喧嘩でも売るつもりなのかな。
「がんばってね」
その喧嘩はむしろ見てみたい。にこりと笑った私にフォルスは顔を引き攣らせた。
「ヴィー、行こう」
「あれ、帰るの?」
「もういいでしょ」
もうここにいたくない、と顔に書いてある。
「わかった」
ほら、と差し出された手を掴んで、私はブラブラと大きく手を振った。
「彼女、面白いこと言うね。聖国に関係してるのに一途な愛だなんて」
しばらく歩いたところで思い出し笑い。
聖国は愛の国だ。聖王の血を持つものは愛情深いことで有名で、だからこそ慈愛の精神で宗教を広めている。
私にしてみれば、愛というかあれは最早執着というか、そんな綺麗なものだとは思えないけど。嫌いではないんだけどね、別に。
「聖国は博愛主義ってだけなのに、思い込みが激しいんだよ」
うんざりと言うフォルスに「あぁ」と同情してしまう。確かに思い込み激しいのは事実だった。
「博愛主義っていうのも美化しすぎだけどね。国民はまだしも、王族は神の血を引くと言われるだけあって寿命が長いし、それだけの間に愛する人間が一人だけ、なんてこと、歴史の中でもほとんど無いのにね」
聖王の今の奥さんも何人目だったか。とは言っても王族よりも寿命が短い妻が先立つ度に正妻を迎えて、たまに側室も作るって言うだけの今の聖王はまだマシな方。
先代はもう後宮どころじゃない女性を囲っていて、聖王含めた兄弟は数え切れないし同じ年の兄弟がいるのは当たり前。引退した今も現役らしいと言うんだから元気すぎる。
まあまだ見た目は初老前くらいだし元気なのは分からなくもないけど。
「聖国行ったら倒れちゃうんじゃない?ㅤあれ」
「一回行ってみて欲しいよ」
知り合いみんなで一人の男共有してる、みたいなある意味地獄みたいな状況があの国では普通だからね。心は入れ替えられるかもしれない。
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