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第176回 復員兵の悪夢
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都市伝説レポート 第176回
「復員兵の悪夢」
取材・文: 野々宮圭介
筆者のもとに一通の手紙が届いたのは、桜の散り始めた四月の午後だった。差出人は都内在住の九十代の女性で、亡き夫が生前語っていた奇妙な話を誌面で取り上げてもらえないかという内容だった。
「主人は戦後復員した兵士たちの話をよく聞かせてくれましたが、中でも忘れられない話があります」
手紙にはそう記されていた。
筆者は早速、手紙の主である田中ハナさん(仮名)の自宅を訪れた。昭和初期に建てられたと思われる木造住宅は、時代の重みを感じさせる佇まいだった。
「あの頃の復員兵の皆さんは、皆どこか憑かれたような目をしていました」
田中さんは湯呑みを手に、ゆっくりと話し始めた。
「主人がよく話していたのは、近所に住んでいた山田という復員兵の話でした。山田さんは南方から帰ってきた方で、いつもガラスの小瓶を持ち歩いていたそうです」
山田氏(仮名)は昭和二十年の秋、南方戦線から復員してきた元陸軍兵士だった。戦時中の記録によると、兵士たちの間では疲労回復や作業効率向上を目的として、覚醒剤の一種である「ヒロポン」が配給されていたという事実がある。これは当時の軍需産業の記録からも確認できる。
「山田さんは『眠ると戦友の声が聞こえる』と言って、毎晩のように街を歩き回っていました。三日も四日も眠らずに、です」
田中さんの証言では、山田氏は復員後も戦時中の習慣を続けていたという。近所の人々は当初、戦地での体験による精神的な影響だと考えていたそうだ。
筆者は当時の記録を調べるため、区役所の古い文書を閲覧した。昭和二十年代の人口動態記録には、確かに交通事故死として処理された男性の記録が残されていた。死亡日時は昭和二十二年二月十五日午前三時頃、場所は現在の○○区△△交差点だった。
「その日も山田さんは夜通し歩いていました。近所の人が見た時には、何かに向かって叫んでいたそうです」
田中さんは当時を思い出すように目を細めた。
「『井上!待ってくれ!』『佐藤!先に行くな!』そんな風に、戦友の名前を呼んでいたと聞きました」
事故現場を目撃した通行人の証言(当時の警察記録より)によると、山田氏は突然車道に飛び出し、対向車と衝突したという。しかし奇妙なことに、目撃者の一人は「まるで誰かに引っ張られるように飛び出していった」と証言していた。
さらに興味深いのは、遺体の傍らに落ちていた小さなガラス製のアンプルである。
「警察の方が『陸軍病薬』と書かれた小瓶を拾い上げていたそうです。中身は空でしたが」
田中さんの証言では、そのアンプルは軍用の医薬品容器だったという。当時の軍事記録を調べると、確かに「陸軍病薬」と記載された覚醒剤が存在していたことが確認できる。
筆者は事故現場となった交差点を訪れた。現在は近代的なビルが立ち並ぶ一角だが、地元の古老に話を聞くと、この場所では戦後しばらくの間、深夜に男性の叫び声が聞こえるという噂があったという。
「『待ってくれ』『置いていくな』そんな声が聞こえるって、よく言われていました」
喫茶店を営む老人は、そう振り返った。
「でも、昭和三十年頃を境に、そういう話は聞かなくなりましたね」
興味深いことに、この時期は戦後復興が本格化し、戦争の記憶が薄れ始めた頃と重なる。
山田氏の死後、遺族は故郷の山形県に帰郷したため、詳細な事情を確認することはできなかった。しかし、戦後の混乱期に起きた類似の事例は、他の地域でも散見される。
厚生労働省の統計によると、戦後復員した兵士の中で、精神的な問題を抱えた者は決して少なくなかったという。特に覚醒剤の依存症状は、当時の社会問題の一つでもあった。
筆者が調査を進める中で民俗学者の乙羽教授は、この現象について興味深い見解を示した。
「戦地で亡くなった兵士たちの魂が、生還した戦友を呼んでいるという解釈も可能です。民俗学的には、共同体の絆が死を超えて続くという観念は珍しくありません」
一方で、医学的な観点からは、覚醒剤の長期使用による幻覚症状という説明も考えられる。
田中さんは最後にこう語った。
「真実がどうであれ、山田さんは最後まで戦友を想い続けていたのでしょう。それは確かなことだと思います」
現在、事故現場となった交差点に慰霊碑等は設置されていない。しかし、地元の人々の間では今でも、戦後の混乱期に起きた悲劇の一つとして語り継がれている。
戦争が終わっても、戦場の記憶は兵士たちの心に深く刻まれていた。山田氏の体験した「戦友の声」が、果たして薬物による幻覚だったのか、それとも別の何かだったのか。
あなたはどう思うだろうか。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「復員兵の悪夢」
取材・文: 野々宮圭介
筆者のもとに一通の手紙が届いたのは、桜の散り始めた四月の午後だった。差出人は都内在住の九十代の女性で、亡き夫が生前語っていた奇妙な話を誌面で取り上げてもらえないかという内容だった。
「主人は戦後復員した兵士たちの話をよく聞かせてくれましたが、中でも忘れられない話があります」
手紙にはそう記されていた。
筆者は早速、手紙の主である田中ハナさん(仮名)の自宅を訪れた。昭和初期に建てられたと思われる木造住宅は、時代の重みを感じさせる佇まいだった。
「あの頃の復員兵の皆さんは、皆どこか憑かれたような目をしていました」
田中さんは湯呑みを手に、ゆっくりと話し始めた。
「主人がよく話していたのは、近所に住んでいた山田という復員兵の話でした。山田さんは南方から帰ってきた方で、いつもガラスの小瓶を持ち歩いていたそうです」
山田氏(仮名)は昭和二十年の秋、南方戦線から復員してきた元陸軍兵士だった。戦時中の記録によると、兵士たちの間では疲労回復や作業効率向上を目的として、覚醒剤の一種である「ヒロポン」が配給されていたという事実がある。これは当時の軍需産業の記録からも確認できる。
「山田さんは『眠ると戦友の声が聞こえる』と言って、毎晩のように街を歩き回っていました。三日も四日も眠らずに、です」
田中さんの証言では、山田氏は復員後も戦時中の習慣を続けていたという。近所の人々は当初、戦地での体験による精神的な影響だと考えていたそうだ。
筆者は当時の記録を調べるため、区役所の古い文書を閲覧した。昭和二十年代の人口動態記録には、確かに交通事故死として処理された男性の記録が残されていた。死亡日時は昭和二十二年二月十五日午前三時頃、場所は現在の○○区△△交差点だった。
「その日も山田さんは夜通し歩いていました。近所の人が見た時には、何かに向かって叫んでいたそうです」
田中さんは当時を思い出すように目を細めた。
「『井上!待ってくれ!』『佐藤!先に行くな!』そんな風に、戦友の名前を呼んでいたと聞きました」
事故現場を目撃した通行人の証言(当時の警察記録より)によると、山田氏は突然車道に飛び出し、対向車と衝突したという。しかし奇妙なことに、目撃者の一人は「まるで誰かに引っ張られるように飛び出していった」と証言していた。
さらに興味深いのは、遺体の傍らに落ちていた小さなガラス製のアンプルである。
「警察の方が『陸軍病薬』と書かれた小瓶を拾い上げていたそうです。中身は空でしたが」
田中さんの証言では、そのアンプルは軍用の医薬品容器だったという。当時の軍事記録を調べると、確かに「陸軍病薬」と記載された覚醒剤が存在していたことが確認できる。
筆者は事故現場となった交差点を訪れた。現在は近代的なビルが立ち並ぶ一角だが、地元の古老に話を聞くと、この場所では戦後しばらくの間、深夜に男性の叫び声が聞こえるという噂があったという。
「『待ってくれ』『置いていくな』そんな声が聞こえるって、よく言われていました」
喫茶店を営む老人は、そう振り返った。
「でも、昭和三十年頃を境に、そういう話は聞かなくなりましたね」
興味深いことに、この時期は戦後復興が本格化し、戦争の記憶が薄れ始めた頃と重なる。
山田氏の死後、遺族は故郷の山形県に帰郷したため、詳細な事情を確認することはできなかった。しかし、戦後の混乱期に起きた類似の事例は、他の地域でも散見される。
厚生労働省の統計によると、戦後復員した兵士の中で、精神的な問題を抱えた者は決して少なくなかったという。特に覚醒剤の依存症状は、当時の社会問題の一つでもあった。
筆者が調査を進める中で民俗学者の乙羽教授は、この現象について興味深い見解を示した。
「戦地で亡くなった兵士たちの魂が、生還した戦友を呼んでいるという解釈も可能です。民俗学的には、共同体の絆が死を超えて続くという観念は珍しくありません」
一方で、医学的な観点からは、覚醒剤の長期使用による幻覚症状という説明も考えられる。
田中さんは最後にこう語った。
「真実がどうであれ、山田さんは最後まで戦友を想い続けていたのでしょう。それは確かなことだと思います」
現在、事故現場となった交差点に慰霊碑等は設置されていない。しかし、地元の人々の間では今でも、戦後の混乱期に起きた悲劇の一つとして語り継がれている。
戦争が終わっても、戦場の記憶は兵士たちの心に深く刻まれていた。山田氏の体験した「戦友の声」が、果たして薬物による幻覚だったのか、それとも別の何かだったのか。
あなたはどう思うだろうか。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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