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汗ばむ肌、白いシャツ、あなたの広い胸
しおりを挟むビルの中は空調がきいていた。冷たい風が剥き出しの肌から熱を奪っていく。けれども、奪われた熱を感じる暇もなく熱い体に抱きしめられる。汗ばんだ肌に、清潔な白いシャツ。七海の肌に馴染むよく知った体。
「っ、たくみさ、」
「待って……ちょっと色々……落ち着けてるから……」
強く抱きしめられて、身動きひとつ取れない。何度か顔を擦り付けられたあと、匠は何かに耐えるように声を絞り出した。
七海は言われた通りじっと次の言葉を待つ。静寂が二人を包み、匠の熱を全身で感じる。
時間にすると、ほんの数秒だった。自分の場所だと大きな声で宣言してしまいたい。そのくらい七海にとって匠の側は当たり前の場所だった。
(ずっとここにいたい)
この時が永遠に続けばいいと七海は思ってしまう。すると頭の上で大きなため息が聞こえて来る。
「はぁ……忙しかったら仕方ないって言い聞かせてたけど、実際やっぱり期待してた」
「……期待?」
「うん。約束するとお互い大変だからって言ってたけど、実際七海ちゃんが出てこなかったからすごい落ち込んだ」
それって期待してたってことだろ? と耳元で囁かれる。その声の甘さに、七海はこくりと喉を鳴らした。早く仕事に戻らなければと思いながらも体が動かない。
「追いかけてきてくれてありがとう」
「簡単に諦めちゃったのかと思った」
「うん。ごめん……余裕を持って大人の対応と思ってたけど、結局七海ちゃんを悲しませてたら意味ないね」
ちゅ、と額に唇が落ちてくる。誰か来るかもしれないのに、と思いながらも伝わる熱に喜んでしまう。
匠の動く気配を感じて、七海がそろりと顔をあげようとするがそのまま胸の中に閉じ込められた。
ため息混じりの小さな声が鼓膜を揺らす。
「会いたかった。すごく」
「はい……私も」
「許されるなら、このまま……」
その続きを知りたいが、匠は口にするのを我慢しているのだろう。くっ、と息を飲む音を肌を通して感じた。
「七海……」
ため息混じりの吐息が首をくすぐる。背の高い匠に全身包まれており、逃げ場がない。腕を回してしまえば、離れられなくなってしまうと七海は知っていた。
忙しくなってほとんど会えず、夜の情事からも遠ざかっていた。匠の声にそのかけらが含まれているような気がする。どきどきと胸が高鳴り、何かを期待してしまう。空調が効いていて涼しいが、汗が首を伝って流れていく。
「っ、あ」
ひたりとした、生ぬるい感触が首を這う。まさかの行為に思わず声が漏れ出てしまう。
「七海」
「ぁ……」
執拗に首を舐め取られ、隠せないあえぎが断続的に出てしまう。くすぐったさの奥に潜む快楽に目覚めてしまいそうだ。視界の端に映る匠を見ると、なぜか彼はビルの入口だけを見つめていく。誰か来ないか見張っているのかと思っていたが、匠の視線が鋭さを孕んでいる。
見たこともない匠に、驚きつつも、なぜかときめきが止まらない。 就業前でまだ結んでいなかった髪を横に流され、隠されていたうなじが顕になる。顕になった部分に息が吹きかけられる。
「たく、みさ……」
強く唇を押し当てられ、七海は堪らず名前を呼ぶ。すると熱情を含んだ唇がゆっくり離れていく。
「……知らない虫がついているようだ」
「むし……?」
「ん? もう追い払ったよ」
先程の鋭さはもう無い。何だったんだろうと思っていたらゆっくり匠が離れていく。ヒヤリとした風が七海を包み、心細さを感じた。
「もう行かないと」
「……っ、そうですね」
「七海ちゃんも頑張ってるから、俺も頑張る」
「はい」
手渡した保冷バッグを軽く持ち上げて、匠が少しだけ寂しそうに笑みを浮かべる。自分に会えないことでそんな顔をさせていると思うと、ギュッと胸の奥が締め付けられる。
「あの、匠さん」
「ん?」
「今日、そのお弁当は匠さんのことだけを思って作ったんで……」
七海は離れた距離を詰める。そして、驚いて目を丸くしている匠を視界の端に入れながらそっと唇を重ねた。
「感想、聞かせてください」
互いの残り香を堪能する暇もなく、そっと距離を取る。航大を置いてきてしまったし、ランチの準備もしなければならない。七海は名残惜しさを隠せずに、ゆっくりと背中を向ける。
「次の約束、楽しみにしていますね」
「七海!」
駆け出そうとしていた背中に、叫ぶような声が飛んでくる。首だけ振り返ると、先程の寂しさなどなかったかのように匠が優しい笑みを見せていた。
「電話する。あと、これ」
匠から手渡されたのは一枚の封筒。急いでいたせいか、少しだけ皺が寄っていた。何だろうと理解するよりも、匠の熱を感じていたかった。
「メールも、電話もいいけど、こうして誰かを思って何かを作るのは命が吹き込まれるような気がして……気づいたら手紙を書いてた」
「手紙……」
「恥ずかしいから一人で読んで」
分かりましたと返事をして、今度こそまた別れがやってくる。今生の別れでもなく、きっとまたすぐ会えるだろうと思いながらもやはり離れ難い。
しかし、七海は今自分がすべきことを思い出し、泣く泣く匠とは反対方向に向かって歩き出す。
「七海ちゃん」
「っ」
「暑いから体調に気をつけてね」
どんなときでも優しさを忘れない匠に、胸がまた締め付けられた。泣きそうになるのをグッとこらえる。
「匠さんも!」
彼が百点満点と褒めてくれた笑顔を浮かべて、七海は真っ直ぐ駆け出した。
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