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救いの言葉は「結婚なんて罰ゲーム」
しおりを挟むブリアナはセスとの待ち合わせ場所に向かっていた。
包みこむような暖かさを背に受け、いつの間にか季節が変わりすっかり春になっていることに気がついた。
ブリアナが働いている子爵家のお嬢さまが結婚することになり準備に忙しく気持ちに余裕がなかったので、季節の移り変わりはぼんやり感じていたものの注意を払っていなかった。
待ち合わせの公園につくとアザレアが咲きほこり、そのあざやかなマゼンタ色が気持ちを浮き立たせてくれる。
「今日は別れ日和」という言葉がするりと口からこぼれ出た。
セスから元恋人のことが忘れられないと言われてから半年ほどたっている。
半年の間にお嬢さまの結婚が決まり、遠方に嫁ぐお嬢さまは不安から心身の調子をくずしブリアナは通いではなく住み込みでお嬢さまを支えることになった。
そのためまともに休みも取れなくなりセスと最後に会ったのがいつか思い出せないほど会うのは久しぶりだ。
セスから手紙をもらっていたが、手紙をありがとうと言うだけの返事しかしていない。
「やっと会えた!」
待ち合わせ場所にすでに来ていたセスがブリアナを見るなりかけより、思わずといった様子でブリアナを抱きしめた。
「状況は分かってたけど会えなくてさびしかった」
手をつなぎ公園を散歩しながらセスがブリアナと会えなくてどれほどさびしかったかや、会えなかった間のことをせわしなく話した。
適当に相づちをうちながら新緑に赤や黄色、白と彩りをそえる花に目をうばわれ、その美しい色彩だけでなく甘い香りに気持ちがほぐれた。
子爵家にも美しくととのえられた庭はあるが、ふさぎこんでいるお嬢さまは部屋にこもりがちで庭に出ることもなかったので春の訪れを感じる機会がほとんどなかった。
けんかをしているのではと思うほどさわがしい鳥のさえずりにブリアナがくすりと笑うとセスが立ち止まりブリアナを見た。
「ごめん、ブリアナに会えてうれしくて一人でしゃべりまくってた。もしかして体調があまりよくない? 顔色がすこし悪いけど」
セスの心配する顔におびえが混じっているような気がした。
「大丈夫だよ。あのね、今日は別れるためにきたの」
このタイミングで言うつもりはなかったのに言葉がすべりおちた。
何を言われたのか分からないという表情をしたセスが何度か意味をなさない音をだしたあと、
「別れるってどういうことだ? どうして? どういうことだよ? 冗談だよな? 子爵家で何かあったのか? 忙しいといってたのは嘘でほかの男を好きになって――」といったところでセスがブリアナを見て「なんで笑ってるんだよ!」怒りを爆発させた。
自分では笑っているつもりはなかったが他の男性を好きになったのかと言われ、何を馬鹿なことをいってるのだろうと思ったのが顔にでていたようだ。
この半年、とくに住み込みになってからは結婚に不安をもつお嬢さまに昼夜に関係なく寄りそう生活で、時間があれば体を休めることしかできなかっただけに的外れな言葉につい反応してしまったようだ。
「私ね、結婚するお嬢さまの婚家についていくことになったの。里帰りの休暇はもらえることになってるけど、移動に五日ぐらいかかる場所だからあまり戻ってこられないと思う。だから今日でお別れ。これまでありがとう」
セスに肩をつかまれ「そんな話は断れよ! どうして? なんで相談してくれなかったんだよ! 結婚しようと思ってたのは俺だけだったのか? どうしてだよ?」大声でわめかれた。
ブリアナが痛いと言うとセスは肩をつかんでいた手をゆるめてくれたが怒りで顔がゆがんでいる。
セスを落ち着かせようと近くにあるベンチに座らせると、セスはベンチに座ったとたん体を膝にあずけるように前かがみになり手に顔をうずめた。
セスの打ちひしがれた姿におどろき思わずセスの背中に手をそえるとセスが顔をあげた。
「俺のこと好きじゃなかったのか? 俺の気持ちをもてあそんだのかよ」
意外な言葉に反応できずにいるとセスが再び怒りだした。
「ブリアナがこんなひどい女とは思わなかった。好きなふりして捨てるなんて性格悪すぎだろう!」
セスを好きだった気持ちが打ち砕かれた。
元恋人に未練をのこし手近にいる女で失恋の傷を癒やそうとしたのはセスで、そのせいでブリアナが傷ついたとセスは考えたこともないだろう。どれだけ人を馬鹿にするのだと心が冷えた。
「それをいうならあなたの方がよっぽど性格が悪いでしょう? 元恋人をまだ好きだったくせに私のこと好きなふりして。
さびしかったから誰でもよかったんでしょう? 元恋人が結婚するって手紙をもらって彼女のことが忘れられないと目の前で泣かれた私がどんな気持ちになったか考えたことある?
あるわけないよね。私のことなんて初めからどうでもよかったんだし」
セスが呆然とした顔をしているのを見て、どれほど自分のことを下に見ていたのかを痛感する。
「違う! あれは違う!」といったがセスの言葉はつづかなかった。
「この半年はもう別れたような状態だったし、これからは会うこともないからすっきりお別れしよう。都合のいい女扱いはうれしくなかったけど楽しいこともたくさんあったしありがとう。お元気で」
ブリアナが立ち上がると「待って」とセスに手首をつかまれ説明させてほしいと言われた。
「あの時泣いたのは―― 元恋人が俺と付き合ったのは彼女の別れた恋人への当てつけだったんだ。
俺は……彼女に都合よく使われただけだった。自分の記憶から消してしまいたいほど情けなくて恥ずかしい話だから誰にも言ったことがない。
あの日受け取った手紙は彼女からじゃなくて今は彼女の夫になった別れた恋人からで、彼女と結婚することと、彼女が田舎者の俺と付き合ってからかうのは楽しかったと言ってたと好き勝手に書きやがって、それが悔しくて。
彼女にプロポーズを断られた時に俺が食い下がったら、どうせもういなくなる相手だしと取りつくろうのも面倒になったんだろうな。
ものすごく冷たい態度で元恋人への当てつけで付き合っただけといわれた。それ以外にもいろいろ言われたけどショックが大きすぎてよく覚えてない。
彼女は俺が三年の期限付きで王都に来てるのを知ってたし、俺が彼女に告白した時は元恋人と別れたばかりで、田舎者を馬鹿にしている元恋人に当てつけたかったんだろうな。そういう意味で俺は彼女にとってものすごく都合がよかったんだ」
セスの話すことが本当かどうかは分からないが、ブリアナが知っているセスであれば王都の男性と張り合えるようなシャレたことは出来ないのでありえそうな話だと思えた。
「彼女のことが忘れられないのは悔しかったからで、彼女に未練があるとか、まだ好きだからといったことじゃないんだ。
本当ならこんな話をブリアナにするつもりなんてなかった。あまりにも情けなさすぎだろう。彼女に好かれてると勘違いして俺だけが普通に付き合ってると思ってたなんて。
あの時、思わず悔し泣きして情けない姿をブリアナに見せて、ものすごくあせってたから変なことも口走ったかもしれない。ごめん」
ブリアナから顔をそむけ恥じるような顔をしたあとセスがブリアナと視線を合わせた。
「ブリアナはあの日のことで俺に見切りをつけたんだな……。俺は―― ブリアナにものすごく情けない姿をさらしたのに、そんな俺を受けとめてくれたとうれしかったんだ。
ブリアナと俺の関係はお互いの気持ちがつながってると感じられて安心したんだ。
悔し泣きをしてすっきりしたらブリアナへの気持ちでいっぱいになって、次の日にプロポーズしたいぐらい気持ちが盛りあがってた。
でも元恋人が結婚するって泣いた姿を見せた次の日にプロポーズなんてしたら、それこそ当てつけでやってるだろうと思われると気付いて止めた。
あの時から俺の気持ちは変わってない。ブリアナのことが好きだし、結婚するならブリアナしかいないと思ってる」
セスが嘘をついているようには見えなかった。
息をするように嘘をつける人ではなく、どちらかといえば自分の思っていることを正直に言いすぎて損をする人だ。
それに嘘であったとしても最後に嫌なことを言われるよりもよっぽどましだ。
「最後にあの時のことを聞けてよかったよ。セスにとって私は都合のいい女だったんだって苦しかったから。
あの時にお互い今のような話ができてたら良かったんだろうけど、こうしてタイミングが合わないのもお互い何かしら上手くやっていけないサインなんだと思った。
来週にはここを出発するの。だから今日でお別れ。ありがとう。モテない女だからうっかりだまされちゃったと落ち込んだけど、そうじゃなかったんだって分かって気持ちが救われた」
セスに乱暴に抱きしめられ「いやだ。行かないでくれ。捨てないでくれ。やり直そう。やり直してほしい」と泣きながらすがられた。
好きになり結婚したいと思った人だ。
すがられて気持ちがまったく動かないほど冷めてはいないが、「いまさら」と思う気持ちの方が大きかった。
「ごめんね」
何を言われてもごめんとしか言いようがなく繰り返しているとセスがあきらめ顔になっていた。
「俺、また捨てられたんだな」
これまで知らなかったセスの事情が分かっても「私があなたを捨てたんじゃなくて、あなたが私を捨てたのに」と思う気持ちがわき起こったが、「もうどうでもいい」としか思えない自分に気付いた。
セスが言いたいことは十分聞いたはずだ。
「さようなら」
今度はセスにすがられることはなかった。
自分でもおどろくほどセスと別れたことに動揺していなかった。
昨晩はさまざまなことを考え眠りが浅く、出かける前は緊張していたが春の陽気に気持ちが軽くなり戸惑うことなく別れを口にしていた。
「よ――く聞きなさい。結婚なんて女に男の世話をさせて子供をうませるための罰ゲーム。女にとって結婚は罰ゲーム!」
メイド長の言葉が思いうかび笑いがもれた。
セスの元恋人への未練を知りとても傷ついたが、モテない女が結婚できる可能性を捨てることなど出来ないとセスへのわだかまりを持ちながらモヤモヤしていた時に、メイド長が下働きの女の子を叱っている最中に叫んだ言葉がブリアナを救った。
美人で仕事が的確なメイド長は夫と婚家に恵まれず苦労の連続で、未婚の女の子に結婚相手は慎重にえらぶよう機会があるごとに言っていた。
婚約者の浮気で結婚の話が流れた下働きの女の子の仕事ぶりがあまりにもひどいのでメイド長が注意したところ、彼女に「メイド長みたいに見た目がよくて仕事もできる人にブスで頭も悪くて結婚できない女の子の気持ちなんて分かるはずない!」と言われメイド長が切れた。
「結婚なんてあなたが思うようないいもんじゃない! まったく話が通じなければ、俺は男だと何もせずふんぞりかえってる夫の世話をさせられるのよ。
それだけじゃなく義家族から世間の常識からはずれまくった変な家のルールを押しつけられて、嫁は自分たちの使用人かなんかと思ってるから自分たちがやりたくないことを押しつける。
子供も人の言うことなんて聞かないし何もできないくせに口だけは達者。こっちの体調や気持ちなんておかまいなしで自分の世話や相手をしろ、欲しいものを与えろとうるさい。
仕事はね、お給料をもらえるし良い仕事をすれば評価される。でも結婚はね何をしても評価されないどころか文句をいわれて無給よ。
結婚って女を体良く酷使するためにある制度なの。私がいま知ってる結婚の実態を若い頃に知ってたら、ぜ――ったいに結婚なんてしない!」
メイド長のあけすけな言葉に、それまで使用人控え室で息をひそめるように二人のやりとりを見守っていた同僚たちが一斉に反応しさわがしくなった。
結婚するのは当たり前、行き遅れは恥ずかしいといった言葉に踊らされていたが、離婚をしたくてもできないので不満を持ちながら結婚生活をつづけている人はブリアナが考えるよりも多いと思えた瞬間だった。
既婚女性が夫や義家族の愚痴をこぼすだけでなく別れたいということはよくあった。
しかし離婚は複雑な手続きが必要なだけでなく費用も高額で貴族でもよほどのことがない限り離婚することはない。不幸な結婚生活を強いられるのはめずらしくなかった。
「もうすでに行き遅れだし、ここまできたらあせって妥協するんじゃなくて幸せになれると思った人と出会えたら結婚すればいいよね」
ブリアナは鳥のさえずりを聞きながら春は鳥にとって求愛の季節なのを思い出し、さえずっている鳥の求愛がうまくいくことを願いながら公園をあとにした。
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