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●
声に、ならない想いがある。
声に、出せない想いがある。
人が見る夢は、余りに甘く。
そして現実は、余りに苦い。
どうするべきだったのか。
どう言うべきだったのか。
答えも見えぬまま、後悔だけが頭を過ぎる。
だが、全て取り返しの付かない今。
悔やむ以外に、自分がすべき事は。
●
彼は、悩んでいた。
否、悶えていた。
「・・・神よ・・・罪深き私をお赦し下さい・・・」
神の偶像の前で祈りながらも、心は晴れない。『私も修行が足りないな』と開き直ってしまえばいい気もするが、修行だけではどうにもならない感情というものは存在するのだ。
ここで毎日懺悔する事には、理由がある。ある人を、好きになってしまった。
大層、美しい人だった。流れるような銀髪、心の内を表すかのような優しい瑠璃色の瞳。柔らかい物腰と、細い体つき。そして詩人が歌うような、澄み切った声。自分の心を的に例えるならば、綺麗に真ん中に矢が刺さったような。そんな衝撃を伴って、その人は微笑でもって自分に会釈をした。続いて名乗った名を聞いた時も、まだ彼は夢見心地だったのだ。理想。まさしく理想が人の形を伴って、自分の目の前に現れた、と思った。エルフは人間よりも遥かに数が少ない。更には彼らの主だった居住区である森の中ではなく、このような町中に居るエルフなど。だから、美しいと思ったエルフの女性には声を掛けてきた。布教も兼ねて、自分の長い将来を見据えて、共に歩む人を探し続けてきたのだ。
独り身で居た甲斐があったと、初めてその時、彼は思った。天の使いであるかのような美しさを全身に纏い、まさしく慈悲とはこの事かと頷かざるを得ないほどの優しき心を持ち合わせたその人。理想だ。全てに於いて。自分の隣に居て貰う事が出来たら、それが申し訳ないくらいに、一層自分が精進し励まなくては釣り合わなかろうと思えるくらいに。
だが・・・。
「・・・無論・・・諦める心積もりでおります。この事は一生心に秘め、口に出す事など致しません」
慈悲深き女神は、全ての人に慈悲の心を捧げるのだと言う。だがそんな女神でも、祝福できないものがあった。
まず一つ。それは、女神にも、人と呼ばれる種族の全てにも、等しく被害を与える害物でしかないイキモノ。悪魔である。勿論、慈悲深き女神は、悪の限りを尽くす悪魔達にも慈悲の心を捧げる。慈悲の名の下に、その存在を抹消するのだ。悪魔は等しく、『悪い魔』である。善きものは悪魔と呼ばないし、悪魔が善い事をしたとすれば、それは、次にそれを上回る悪事をする為だ。例外は無い。全ての悪魔は、悪しき存在なのである。
二つ目。それは、異種族同士の恋愛だ。この世には、人間以外の多種多様なる知的人型生命体が存在する。勿論知能が低くて話にならない種族も多いが、エルフを始めとした知的生命体は、人間社会で当たり前のように暮らしていた。そうなると、何時しか恋愛に発展する事もある。やがて結婚を考える事も。だが、神はそれをお赦しにはならない。異種族同士の結婚。それはつまり、異種族間の子供を授かると言う事だ。新しい命の誕生は祝福の瞬間でもあるが、異種族間の子供が必ずしも美しい生命体として誕生するとは限らない。そもそも神は、異種族間での婚姻を想定していなかったのだ。元々、彼らは住まいを別として接触する事など殆ど無い暮らしをしていた。それが、文明の発達によって交流が始まり、共に暮らし始めるようになった。神がお決めになった世界のルールから外れるから、そこに生まれた命は歪なものとなる。故にそれは呪われた子供として世間に知られ、迫害を受ける。
彼にとって、ここまでは当たり前の事だった。他の人はともかく、敬虔なる神の僕、神の教えを広める立場にある者として、他者の模範とあらねばならない。悪魔の事は言うに及ばず、異種族の事だって、友は沢山居るが、彼女達と恋愛を始めるつもりは端から無い。
問題は。
問題は・・・。
三つ目。
「・・・我が胸の内には惑いもございます。恐れも、迷いも未だ。されど、何時か克服してみせます」
同性との恋愛を禁ず。
当然と言えば、当然の事だ。無論自分だって、この教えに一度だって違和感を持った覚えは無かった。そう、少し前までは。そう。彼と会うまでは。
そしてやはり当然ながら、『彼女』と思っていた人物が『彼』だと分かった後は、その淡い想いを否定したのだ。さりげなく姉妹が居ないかも尋ねてみたが、それもこれも、同性相手では話にならないと思ったからで。だが。だが・・・。
「えぇ、いつか必ず克服を・・・」
「珍しいですね、神父様」
膝を付き両手を組んで祈っていた彼は、後方から掛けられた声に大きく振り返った。
「まっ・・・魔術師殿・・・」
「あっ・・・ごめんなさい。びっくりさせてしまいましたか・・・?」
声を掛けられたほうも大いに驚いたが、掛けたほうも、相手の反応に驚いたらしい。目を大きく見開き、ひそとした柔らかい声で尋ねた。その控えめな微笑。だが彼の目には神の後光を携えているのかと思わんばかりに眩しく映るのである。
「いえ、神との対話をしておりましただけで・・・。まぁ、多少は驚きもしましたが・・・そんな事よりも今日はどうしました?」
「会いに来てはいけませんか?」
小首を傾げて、魔術師は彼・・・神父を見上げた。媚びるような声では勿論無い。ただ静かで、そしていつでも人を気遣うような優しさを内包する、そんな声と表情だ。
「いけない事などありませんよ。ここは教会です。誰にでも心広く門戸を開き、迎え入れる。我らの女神の慈悲は、どのような人にでも・・・それで、魔術師殿は」
言いかけて、後の言葉を飲み込む。魔術師自身には自覚は無いだろう。これは惚れた弱みであり、惚れたからこそ歪んで見える、人の煩悩だ。ただ会いに来たと言われただけで、あらぬ想像まで抱いてしまう。相手に他意など無いのは百も承知なのに。
「はい。お茶のお誘いに」
水を向けられたと思ったか。にっこり笑い、魔術師はそう答えた。
「昨今、穏やかな日々が続いておりますでしょう?騎士団の皆さんも、この前大層退屈だとおっしゃっていましたので、お茶会を開きましょうかと申し出ました。団長を始めとして、都に残っておられる20名の団員様方が参加なさいますから・・・神父様も是非に、と」
「そういう話でしたら勿論、喜んで。しかし、昨今の平穏が退屈などとは。1年前の戦いで先代団長を失い、数多くの同士を失ったとは思えない口ぶりですね、全く」
呆れたように言うと、魔術師は表情を曇らせる。その陰影さえもぞっとするほどに美しい。
「・・・傷は・・・簡単に癒えるものでは無いと思います。その傷を癒す為に・・・茶会で穏やかな日常をお過ごしになりたいのではないかと」
「そうですね。隠す為かもしれませんが・・・。どちらにせよ、貴方の誘いを無碍に断るような男ではありませんよ、私は」
「ありがとうございます」
軽く含みを加えたが、勿論相手には届かなかったようだ。いつもと同じ微笑が返ってきて、神父は同じように笑みを返した。
言うわけにはいかない。今はこの人の事は諦めきれないが、友人として付き合っていればいつかその想いも薄れるだろう。そう、信じるしかない。
●
思えば、騎士団主催の茶会に参加する事はもう、2年ぶりの話だった。
騎士団と共に行動し時には戦場をも共に駆け抜ける。そんな従軍司祭である神父は、他のどの神職者よりも騎士団とは懇意の仲だ。騎士団所属の医療班。その班長職と従軍司祭長職を兼ねているのは、彼が元々医療班の一員だったからである。1年前の大戦で、多くの騎士団員とそれに付随する多くの班員を、この国は失った。その中には医療班員も含み、命を失った医療班長の代わりに班長職に就き・・・。
「やぁ。久しぶりだね」
茶会が開かれている宿舎の中庭で真っ先に2人を出迎えたのは、常に楽しそうな笑顔を見せる男だった。騎士団の副団長を務める男だ。先の大戦での数少ない生き残りの1人。大戦で命を落とした団長の傍で最後まで戦い続けていた男だが、本性は戦いを嫌い、このような平時に輝きを見せる。
「副長も相変わらずお元気で何よりです」
「嫌味かい?あぁ魔術師さん。君のお茶を待っていたんだ。宜しく」
「はい。お待たせして申し訳なく・・・」
「気にしなくて構いませんよ、魔術師殿。せっかちな騎士の速度に合わせる必要はありませんから」
「で、ですけれど・・・」
「先に、団長に挨拶をして来ましょうか」
誘って、庭の中心に立っている男へと歩み寄った。
大戦で命を落とした先代は人間の女だったが、1年前に就任したばかり今代の団長は、エルフの男だった。月夜に煌くハープの弦のように細く、されど美しくも鋭く輝く金の髪。深き湖畔のように静かな色を湛える蒼の双眸。神父よりも些か背も低く、人間の騎士たちの間にあってはその細い身体がやけに目立つ。エルフとしては標準的な体型と言えようが、こうして囲まれると女のようにも見えた。
彼は、2人が近付いてくると気付いて目線をよこす。
「お久しぶりです、団長。如何です?団員達には慣れましたか?」
そう尋ねたのは、半壊以上全壊未満の被害を出した騎士団員の補充に、半年を費やしたからだ。数少ない生き残った者の半数は、戦う為の力を失った。五体満足で居る者が少なかったくらいだ。その為、都の復旧に力と時間を費やすと同時に、彼は団員を集める仕事に着手したのである。とりあえず最低限、形に出る程度の騎士を集めて団員に組み込むことが出来たのが、ようやく半年前、というわけだ。
「慣れねばならない。これから共に戦っていく仲間だ」
「まだ先代全盛期の半数程度ですしね。医療班のほうは、概ね補充し終わりましたが」
「あの・・・団長。ご無理、なさらないで下さいね」
大戦が始まった時、悩みながらも魔術師が戦場に立った事を、神父は知っている。彼は戦いを好まない。だから騎士団所属の魔術師ではあるけれども、彼自身が戦場に出る事は余り多く無かった。だが先の大戦で後方支援をしていた彼も、余りの被害に言葉を失い、そして自ら前線に赴く事を決意したのだ。大事な友達、仲間、多くの民の命。これ以上失いたくないと彼は呟いた。だから、傍に居なさいと彼に告げたのだ。多くの人の命を救う為に行動するのが神父の役割だったが、魔術師を失う事だけは、絶対に避けたかった。万が一怪我をしたとしても、即座に治療できる。自分が傍に居れば、彼を死なせる事は無い。
そうして生き残った2人だけれども、魔術師は想像以上の被害に心を痛め、人の心を癒す事に心を配って各地を回った。慈悲の体現とはこういう事なのだろうと。神父はその姿を見ながら思い続けたものだ。彼こそ正に、天が遣わした使いではないかと。姿形だけではなく、その心までも。
そんな魔術師だから、団長が忙しなく働いている様を見れば心痛め、手伝わせて欲しいと言うであろう事は分かっていた。そして。
「無理はしていないよ。心配り感謝する」
団長のほうも又、簡単に人の助けを借りるような人間では無いという事も、分かっていた。
「いえ、団長に何かあれば皆さん心配なさいますし・・・。大戦が終わってようやく1年です。まだまだお仕事も山積みでは無いかと・・・」
「そうだね。大丈夫。団員達にも手伝って貰っている。君こそ未だ各地の被災者の救援を行っているとか。私達は騎士だ。まだ体力もある。だが君は魔術師だ。くれぐれも無理せぬように」
「ふふ・・・そうですね。私も、気をつけるように致します」
穏やかな会話には勿論他意はない。神父とて分かってはいるのだが。
「ささ、魔術師殿。そろそろお茶を淹れねば」
「あ!そうでした。申し訳ありません、団長。又、後ほど・・・」
優雅にお辞儀を残し、魔術師は茶を淹れる為にテーブルへと向かった。その後を追いながら、神父は複雑な自らの心境について考える。
自分のようにこの人に心奪われる男はきっと、他にも居るだろう。何と言っても女性と見紛うばかりか、女性でさえ滅多にお目に掛けられぬレベルの美しさだ。優雅な仕草に優しい笑みと言葉を掛けられて、ころっと落ちない男女はそうは居ないに違いない。だからこそしっかり守らねばと思う一方で、それが泥沼化を引き起こしている要因でもあると分かっていた。
離れれば、神の教義に反するこの想いはきっと、薄れる。だが分かっていても、離れ難い。自分のものになど成り得ないのに、女性ならばともかく他の男と何らかの関係になるかもしれないなど。そのような事になったら、自分が相手の男に何をしでかすか・・・想像もつかなかった。
「私は・・・どこまでも愚かだ」
空を仰いで呟く。
分かっていてもどうにもならない自身の心を持て余して、彼は深く嘆息した。
●
だが、彼はその頃想像さえしていなかった。
愛する人の前から自分が姿を消す想像は幾度と無くしていたが、愛する人が先に姿を晦ませる事など。
そう。魔術師は。
それから僅か1ヶ月後に、忽然と姿を消したのである。
声に、ならない想いがある。
声に、出せない想いがある。
人が見る夢は、余りに甘く。
そして現実は、余りに苦い。
どうするべきだったのか。
どう言うべきだったのか。
答えも見えぬまま、後悔だけが頭を過ぎる。
だが、全て取り返しの付かない今。
悔やむ以外に、自分がすべき事は。
●
彼は、悩んでいた。
否、悶えていた。
「・・・神よ・・・罪深き私をお赦し下さい・・・」
神の偶像の前で祈りながらも、心は晴れない。『私も修行が足りないな』と開き直ってしまえばいい気もするが、修行だけではどうにもならない感情というものは存在するのだ。
ここで毎日懺悔する事には、理由がある。ある人を、好きになってしまった。
大層、美しい人だった。流れるような銀髪、心の内を表すかのような優しい瑠璃色の瞳。柔らかい物腰と、細い体つき。そして詩人が歌うような、澄み切った声。自分の心を的に例えるならば、綺麗に真ん中に矢が刺さったような。そんな衝撃を伴って、その人は微笑でもって自分に会釈をした。続いて名乗った名を聞いた時も、まだ彼は夢見心地だったのだ。理想。まさしく理想が人の形を伴って、自分の目の前に現れた、と思った。エルフは人間よりも遥かに数が少ない。更には彼らの主だった居住区である森の中ではなく、このような町中に居るエルフなど。だから、美しいと思ったエルフの女性には声を掛けてきた。布教も兼ねて、自分の長い将来を見据えて、共に歩む人を探し続けてきたのだ。
独り身で居た甲斐があったと、初めてその時、彼は思った。天の使いであるかのような美しさを全身に纏い、まさしく慈悲とはこの事かと頷かざるを得ないほどの優しき心を持ち合わせたその人。理想だ。全てに於いて。自分の隣に居て貰う事が出来たら、それが申し訳ないくらいに、一層自分が精進し励まなくては釣り合わなかろうと思えるくらいに。
だが・・・。
「・・・無論・・・諦める心積もりでおります。この事は一生心に秘め、口に出す事など致しません」
慈悲深き女神は、全ての人に慈悲の心を捧げるのだと言う。だがそんな女神でも、祝福できないものがあった。
まず一つ。それは、女神にも、人と呼ばれる種族の全てにも、等しく被害を与える害物でしかないイキモノ。悪魔である。勿論、慈悲深き女神は、悪の限りを尽くす悪魔達にも慈悲の心を捧げる。慈悲の名の下に、その存在を抹消するのだ。悪魔は等しく、『悪い魔』である。善きものは悪魔と呼ばないし、悪魔が善い事をしたとすれば、それは、次にそれを上回る悪事をする為だ。例外は無い。全ての悪魔は、悪しき存在なのである。
二つ目。それは、異種族同士の恋愛だ。この世には、人間以外の多種多様なる知的人型生命体が存在する。勿論知能が低くて話にならない種族も多いが、エルフを始めとした知的生命体は、人間社会で当たり前のように暮らしていた。そうなると、何時しか恋愛に発展する事もある。やがて結婚を考える事も。だが、神はそれをお赦しにはならない。異種族同士の結婚。それはつまり、異種族間の子供を授かると言う事だ。新しい命の誕生は祝福の瞬間でもあるが、異種族間の子供が必ずしも美しい生命体として誕生するとは限らない。そもそも神は、異種族間での婚姻を想定していなかったのだ。元々、彼らは住まいを別として接触する事など殆ど無い暮らしをしていた。それが、文明の発達によって交流が始まり、共に暮らし始めるようになった。神がお決めになった世界のルールから外れるから、そこに生まれた命は歪なものとなる。故にそれは呪われた子供として世間に知られ、迫害を受ける。
彼にとって、ここまでは当たり前の事だった。他の人はともかく、敬虔なる神の僕、神の教えを広める立場にある者として、他者の模範とあらねばならない。悪魔の事は言うに及ばず、異種族の事だって、友は沢山居るが、彼女達と恋愛を始めるつもりは端から無い。
問題は。
問題は・・・。
三つ目。
「・・・我が胸の内には惑いもございます。恐れも、迷いも未だ。されど、何時か克服してみせます」
同性との恋愛を禁ず。
当然と言えば、当然の事だ。無論自分だって、この教えに一度だって違和感を持った覚えは無かった。そう、少し前までは。そう。彼と会うまでは。
そしてやはり当然ながら、『彼女』と思っていた人物が『彼』だと分かった後は、その淡い想いを否定したのだ。さりげなく姉妹が居ないかも尋ねてみたが、それもこれも、同性相手では話にならないと思ったからで。だが。だが・・・。
「えぇ、いつか必ず克服を・・・」
「珍しいですね、神父様」
膝を付き両手を組んで祈っていた彼は、後方から掛けられた声に大きく振り返った。
「まっ・・・魔術師殿・・・」
「あっ・・・ごめんなさい。びっくりさせてしまいましたか・・・?」
声を掛けられたほうも大いに驚いたが、掛けたほうも、相手の反応に驚いたらしい。目を大きく見開き、ひそとした柔らかい声で尋ねた。その控えめな微笑。だが彼の目には神の後光を携えているのかと思わんばかりに眩しく映るのである。
「いえ、神との対話をしておりましただけで・・・。まぁ、多少は驚きもしましたが・・・そんな事よりも今日はどうしました?」
「会いに来てはいけませんか?」
小首を傾げて、魔術師は彼・・・神父を見上げた。媚びるような声では勿論無い。ただ静かで、そしていつでも人を気遣うような優しさを内包する、そんな声と表情だ。
「いけない事などありませんよ。ここは教会です。誰にでも心広く門戸を開き、迎え入れる。我らの女神の慈悲は、どのような人にでも・・・それで、魔術師殿は」
言いかけて、後の言葉を飲み込む。魔術師自身には自覚は無いだろう。これは惚れた弱みであり、惚れたからこそ歪んで見える、人の煩悩だ。ただ会いに来たと言われただけで、あらぬ想像まで抱いてしまう。相手に他意など無いのは百も承知なのに。
「はい。お茶のお誘いに」
水を向けられたと思ったか。にっこり笑い、魔術師はそう答えた。
「昨今、穏やかな日々が続いておりますでしょう?騎士団の皆さんも、この前大層退屈だとおっしゃっていましたので、お茶会を開きましょうかと申し出ました。団長を始めとして、都に残っておられる20名の団員様方が参加なさいますから・・・神父様も是非に、と」
「そういう話でしたら勿論、喜んで。しかし、昨今の平穏が退屈などとは。1年前の戦いで先代団長を失い、数多くの同士を失ったとは思えない口ぶりですね、全く」
呆れたように言うと、魔術師は表情を曇らせる。その陰影さえもぞっとするほどに美しい。
「・・・傷は・・・簡単に癒えるものでは無いと思います。その傷を癒す為に・・・茶会で穏やかな日常をお過ごしになりたいのではないかと」
「そうですね。隠す為かもしれませんが・・・。どちらにせよ、貴方の誘いを無碍に断るような男ではありませんよ、私は」
「ありがとうございます」
軽く含みを加えたが、勿論相手には届かなかったようだ。いつもと同じ微笑が返ってきて、神父は同じように笑みを返した。
言うわけにはいかない。今はこの人の事は諦めきれないが、友人として付き合っていればいつかその想いも薄れるだろう。そう、信じるしかない。
●
思えば、騎士団主催の茶会に参加する事はもう、2年ぶりの話だった。
騎士団と共に行動し時には戦場をも共に駆け抜ける。そんな従軍司祭である神父は、他のどの神職者よりも騎士団とは懇意の仲だ。騎士団所属の医療班。その班長職と従軍司祭長職を兼ねているのは、彼が元々医療班の一員だったからである。1年前の大戦で、多くの騎士団員とそれに付随する多くの班員を、この国は失った。その中には医療班員も含み、命を失った医療班長の代わりに班長職に就き・・・。
「やぁ。久しぶりだね」
茶会が開かれている宿舎の中庭で真っ先に2人を出迎えたのは、常に楽しそうな笑顔を見せる男だった。騎士団の副団長を務める男だ。先の大戦での数少ない生き残りの1人。大戦で命を落とした団長の傍で最後まで戦い続けていた男だが、本性は戦いを嫌い、このような平時に輝きを見せる。
「副長も相変わらずお元気で何よりです」
「嫌味かい?あぁ魔術師さん。君のお茶を待っていたんだ。宜しく」
「はい。お待たせして申し訳なく・・・」
「気にしなくて構いませんよ、魔術師殿。せっかちな騎士の速度に合わせる必要はありませんから」
「で、ですけれど・・・」
「先に、団長に挨拶をして来ましょうか」
誘って、庭の中心に立っている男へと歩み寄った。
大戦で命を落とした先代は人間の女だったが、1年前に就任したばかり今代の団長は、エルフの男だった。月夜に煌くハープの弦のように細く、されど美しくも鋭く輝く金の髪。深き湖畔のように静かな色を湛える蒼の双眸。神父よりも些か背も低く、人間の騎士たちの間にあってはその細い身体がやけに目立つ。エルフとしては標準的な体型と言えようが、こうして囲まれると女のようにも見えた。
彼は、2人が近付いてくると気付いて目線をよこす。
「お久しぶりです、団長。如何です?団員達には慣れましたか?」
そう尋ねたのは、半壊以上全壊未満の被害を出した騎士団員の補充に、半年を費やしたからだ。数少ない生き残った者の半数は、戦う為の力を失った。五体満足で居る者が少なかったくらいだ。その為、都の復旧に力と時間を費やすと同時に、彼は団員を集める仕事に着手したのである。とりあえず最低限、形に出る程度の騎士を集めて団員に組み込むことが出来たのが、ようやく半年前、というわけだ。
「慣れねばならない。これから共に戦っていく仲間だ」
「まだ先代全盛期の半数程度ですしね。医療班のほうは、概ね補充し終わりましたが」
「あの・・・団長。ご無理、なさらないで下さいね」
大戦が始まった時、悩みながらも魔術師が戦場に立った事を、神父は知っている。彼は戦いを好まない。だから騎士団所属の魔術師ではあるけれども、彼自身が戦場に出る事は余り多く無かった。だが先の大戦で後方支援をしていた彼も、余りの被害に言葉を失い、そして自ら前線に赴く事を決意したのだ。大事な友達、仲間、多くの民の命。これ以上失いたくないと彼は呟いた。だから、傍に居なさいと彼に告げたのだ。多くの人の命を救う為に行動するのが神父の役割だったが、魔術師を失う事だけは、絶対に避けたかった。万が一怪我をしたとしても、即座に治療できる。自分が傍に居れば、彼を死なせる事は無い。
そうして生き残った2人だけれども、魔術師は想像以上の被害に心を痛め、人の心を癒す事に心を配って各地を回った。慈悲の体現とはこういう事なのだろうと。神父はその姿を見ながら思い続けたものだ。彼こそ正に、天が遣わした使いではないかと。姿形だけではなく、その心までも。
そんな魔術師だから、団長が忙しなく働いている様を見れば心痛め、手伝わせて欲しいと言うであろう事は分かっていた。そして。
「無理はしていないよ。心配り感謝する」
団長のほうも又、簡単に人の助けを借りるような人間では無いという事も、分かっていた。
「いえ、団長に何かあれば皆さん心配なさいますし・・・。大戦が終わってようやく1年です。まだまだお仕事も山積みでは無いかと・・・」
「そうだね。大丈夫。団員達にも手伝って貰っている。君こそ未だ各地の被災者の救援を行っているとか。私達は騎士だ。まだ体力もある。だが君は魔術師だ。くれぐれも無理せぬように」
「ふふ・・・そうですね。私も、気をつけるように致します」
穏やかな会話には勿論他意はない。神父とて分かってはいるのだが。
「ささ、魔術師殿。そろそろお茶を淹れねば」
「あ!そうでした。申し訳ありません、団長。又、後ほど・・・」
優雅にお辞儀を残し、魔術師は茶を淹れる為にテーブルへと向かった。その後を追いながら、神父は複雑な自らの心境について考える。
自分のようにこの人に心奪われる男はきっと、他にも居るだろう。何と言っても女性と見紛うばかりか、女性でさえ滅多にお目に掛けられぬレベルの美しさだ。優雅な仕草に優しい笑みと言葉を掛けられて、ころっと落ちない男女はそうは居ないに違いない。だからこそしっかり守らねばと思う一方で、それが泥沼化を引き起こしている要因でもあると分かっていた。
離れれば、神の教義に反するこの想いはきっと、薄れる。だが分かっていても、離れ難い。自分のものになど成り得ないのに、女性ならばともかく他の男と何らかの関係になるかもしれないなど。そのような事になったら、自分が相手の男に何をしでかすか・・・想像もつかなかった。
「私は・・・どこまでも愚かだ」
空を仰いで呟く。
分かっていてもどうにもならない自身の心を持て余して、彼は深く嘆息した。
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だが、彼はその頃想像さえしていなかった。
愛する人の前から自分が姿を消す想像は幾度と無くしていたが、愛する人が先に姿を晦ませる事など。
そう。魔術師は。
それから僅か1ヶ月後に、忽然と姿を消したのである。
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