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響いてきた低い唸り声は、聞きなれた狼型の魔物のものとは少し違っていた。
振り返った先には緑がかった肌を持つ小鬼が数体。それぞれの手には採掘用の道具から冒険者が持つような武器まで、様々な得物を手にしていた。しかし深く刻まれたシワに埋もれた赤い目は、一様に爛々と光ってダンジョンへの侵入者を見据えている。
「ゴブリンのお出ましか。先遣部隊のようだが」
ダンジョンに潜む小鬼は洞窟や鉱山の奥に集団で出現する事が多い。
こういった類のものが出てくる時は、森や洞窟といった魔物の発生する自然地形の奥、本格的なダンジョンに足を踏み入れた時だ。
「依頼はアイツらの牙だ。一個」
「なら、大将が出る前に集めてしまおう」
組織的に動くゴブリンは数が集まると厄介だ。上手く牙を回収できるかは運次第だが、目的物は早々に回収してしまうに限る。
仲間に知らせる警戒音を上げようとした小鬼との距離を一気に詰めて蹴り飛ばし、沈黙させる。そこへ放たれたリレイの魔術が倒れ込んだ相手を引き裂いて戦闘は終了した。
「んー……あんまり牙が無い奴らだな」
事切れた小鬼の口の中をまさぐってみるが、特異的に発達しているはずの牙が小さすぎて他の歯と大して変わらなかった。あっても欠けていたりと納品出来そうなものは見当たらない。アイテムドロップ頼りの採集依頼はこういう所が厄介である。
「もう少し発達の良い個体のものが必要そうだな」
リレイの言葉に頷いて、もう少し奥へ進む事にした。
ゴブリンの集団は、人間の軍隊に近い階級社会を形成している。
見回りと索敵の先遣部隊、防衛や侵入者排除の戦闘部隊、戦闘部隊の援護をする後方部隊。それらを統率するのがひときわ大きな体と比較的高い知能を持つ大将。大きな群れでは大将を補佐する中将クラスが居る事もある。
大将はダンジョンの奥深くに留まる事が多いが、そいつが出てくると一気に攻略難易度が上がる。二人パーティのハーファ達からすれば、可能な限り遭遇を避けたい相手だ。
「思ったより大きな群れだったみたいだな」
目の前に立ち塞がるゴブリンの群れを率いる個体は、今まで遭遇したものよりも少し体格が大きい。おまけにじゃらじゃらと装飾品をつけていて、明らかに下っ端ではなさそうな雰囲気をさせている。
「大将か?」
「いや、中将……というよりは軍師のような雰囲気だな」
言われてみれば手に持っているのは武器じゃなくて扇だ。踊り子とかが持ってるアレ。さすがにあの武器で戦うのは無理そうだ。
そんな事を話していると、扇を持ったゴブリンが何か声を上げた。
瞬間、空気が揺らいで局地的な強風が巻き起こる。咄嗟にリレイを範囲外に押し出したけれど、相手の巻き起こす風は執拗に相棒を狙って発生しているように見えた。
「リレイ!」
「俺と魔術比べか。小鬼のくせにいい度胸だ」
器用に自分の起こした風の魔術で攻撃を打ち消していたリレイが、ぺろりと舌で唇を舐めて杖を握り直した。相手の挑発に乗る事にしたらしい。ならば自分は他の小鬼を近付けないようにしようと前に出ると。
【眼】を開いた瞬間、見えてしまった。
扇を持ったゴブリンがリレイによからぬ意識を向けている気配が。
ぞわりと背筋を違和感が走り抜ける。息をつめて目を凝らしていると、長い舌がニタニタと笑みに歪んでいる口を舐め、荒い息を吐きながらごくりと生唾を飲み込んだ。ギトギトと輝く赤い目は真っ直ぐに魔術を打ち合う人間だけを見つめている。
――相棒を打ち負かして、何かする気だ。
そう理解したハーファに扇を持つゴブリンがちらりと視線を向けた。興奮状態に見える顔がにんまりと笑って、周囲の小鬼を一斉にけしかけてくる。
ほんの一瞬のこと。たったそれだけだったけれど、全身がぶわりと熱くなった。
速攻で相棒に向かっていったから勘違いをしていた。喧嘩を売られたのはリレイじゃない。ハーファの方である。
「何なんだアイツ……!」
人様の相棒を嫌な目付きで見つめ続けるゴブリンに一撃を食らわせるべく、ハーファは向かってくる小鬼をまず蹴散らしにかかった。
「こら、あまり突っ込むな!」
「平気! あの野郎、絶対ぶん殴ってやる!!」
魔術の打ち合いを続けるリレイの声を尻目に、ハーファは身軽にダンジョンの中を動き回りながら小鬼を沈めていく。だいぶ数が減って【眼】を閉じても動きやすくなってきた。懲りずに向かってくる残党を殴り飛ばしながら距離を詰め、扇を持ったゴブリンに殴りかかる。
目を付けた獲物に夢中になっていたらしいゴブリンは、一気に迫ってきたハーファにギャッと短い悲鳴を上げた。そのまま顔面に全力を込めた拳を食らって吹っ飛び、リレイの追い討ちをまともに食らってぐたりと地面に倒れ伏した。
「ハーファ! 無事か!?」
「ん、平気」
一瞬起き上がりかけたゴブリンにトドメの一撃を食らわせ、力尽きたその口の中に手を突っ込む。巨大な牙を探り当て、ナイフで開いた歯肉から少々力ずくで根本から抜き取った。
ゴブリンの牙を袋にしまう様子を見ていたリレイは、はぁっと一つ溜め息をつく。
「まったく……急に飛び込んできて。肝が冷えたぞ」
「今ならクリティカル食らわせられると思って」
「そんな博打はやめろ」
――博打なんかじゃない。
あのゴブリンはリレイをずっと狙っていた。しかも実力差を見抜かれて、ハーファは数がいれば小鬼で十分だと判断されたのだ。
だから近寄る事が出来れば一撃が決まる状況だった。ずっと【眼】を通して相手を観察していたのだから、その確率は冒険者の勘に頼るよりも遥かに高い。
けれど。
「……勝手なことして、ごめん」
アンタがゴブリンに狙われてたんだぞとは言えなかった。
リレイを見つめていたあの表情が、ごくりと生唾を飲むやけに大きな音が物凄く不快だったから。……わざわざそんな事を本人に教えるのも、何だか嫌だったから。
無事に依頼の品も入手し、早々に鉱山から脱出することにした。
内部が思った以上に荒れておらず、見取り図が正確だった事もあり、通った道を引き返すのはさほど苦労することはなく。足を踏み入れて半日と経たずに探索終わったのは、東の森での苦行を引きずるハーファにとっては奇跡にすら思えた。
「すぐに見つかってよかったな」
「うん。中の探索より来る途中の方がキツいな、ここ」
手に持った革袋にはざっと清掃処理をしたゴブリンの牙が入っている。思い出すほど腹が立つ、さっさと納品しておさらばしてしまいたい品物。
その一心で足を早める――けれど。
「さて……野営するなら隣の洞窟だと思うが」
リレイののんびりとした声が後ろからかけられた。
……何となく、嫌な予感がする。
「ここで野営するか、俺の魔力を受け取って進むか……どっちがいい?」
さっきの戦闘で無茶していたしなぁ、と意地の悪い顔が猫なで声で呟きながら、じいっとハーファを見つめてくる。何でそんな事をダンジョンから出て言うのかと思わなくもないけれど、無茶して突っ込んだのは事実で。
言われてからやっと身体が疲れを認識したらしい。ずしりと全身に重だるい疲労感が充満し始める。
「や、野営で! 野営でお願いします!!」
このままではまたキスになると察したハーファは、慌ててそう叫んだ。
リレイが魔力を口移しで分け与えてくるようになってから、何とかそれを回避しようとハーファは悪戦苦闘していた。反応を見て面白がっているのだと、反応すれば負けなのだと分かっていても、やっぱり動揺してしまうから。
お陰で無茶に進もうとする焦りは消えて、休憩をきちんと取る習慣がついた。きっかけがきっかけだけに、少し複雑だけれど。
だと、いうのに。
「そうか。残念」
つうっとリレイの指がハーファの下唇を撫でた。
一瞬何を言われたか分からず、一拍置いてからドッと顔が熱くなっていく。
動揺したら、負け、だって。
ちゃんと分かっているのに。
からかわれていると理解していても悪戯に対する抗議の言葉が何も出てこない。ただただ顔が熱くて、前に触れた唇の感触がよみがえって。また一層頬が熱くなる。
唇を撫でる手を何とか引っ剥がし、相棒から逃げるように洞窟へ駆け込んだのだった。
振り返った先には緑がかった肌を持つ小鬼が数体。それぞれの手には採掘用の道具から冒険者が持つような武器まで、様々な得物を手にしていた。しかし深く刻まれたシワに埋もれた赤い目は、一様に爛々と光ってダンジョンへの侵入者を見据えている。
「ゴブリンのお出ましか。先遣部隊のようだが」
ダンジョンに潜む小鬼は洞窟や鉱山の奥に集団で出現する事が多い。
こういった類のものが出てくる時は、森や洞窟といった魔物の発生する自然地形の奥、本格的なダンジョンに足を踏み入れた時だ。
「依頼はアイツらの牙だ。一個」
「なら、大将が出る前に集めてしまおう」
組織的に動くゴブリンは数が集まると厄介だ。上手く牙を回収できるかは運次第だが、目的物は早々に回収してしまうに限る。
仲間に知らせる警戒音を上げようとした小鬼との距離を一気に詰めて蹴り飛ばし、沈黙させる。そこへ放たれたリレイの魔術が倒れ込んだ相手を引き裂いて戦闘は終了した。
「んー……あんまり牙が無い奴らだな」
事切れた小鬼の口の中をまさぐってみるが、特異的に発達しているはずの牙が小さすぎて他の歯と大して変わらなかった。あっても欠けていたりと納品出来そうなものは見当たらない。アイテムドロップ頼りの採集依頼はこういう所が厄介である。
「もう少し発達の良い個体のものが必要そうだな」
リレイの言葉に頷いて、もう少し奥へ進む事にした。
ゴブリンの集団は、人間の軍隊に近い階級社会を形成している。
見回りと索敵の先遣部隊、防衛や侵入者排除の戦闘部隊、戦闘部隊の援護をする後方部隊。それらを統率するのがひときわ大きな体と比較的高い知能を持つ大将。大きな群れでは大将を補佐する中将クラスが居る事もある。
大将はダンジョンの奥深くに留まる事が多いが、そいつが出てくると一気に攻略難易度が上がる。二人パーティのハーファ達からすれば、可能な限り遭遇を避けたい相手だ。
「思ったより大きな群れだったみたいだな」
目の前に立ち塞がるゴブリンの群れを率いる個体は、今まで遭遇したものよりも少し体格が大きい。おまけにじゃらじゃらと装飾品をつけていて、明らかに下っ端ではなさそうな雰囲気をさせている。
「大将か?」
「いや、中将……というよりは軍師のような雰囲気だな」
言われてみれば手に持っているのは武器じゃなくて扇だ。踊り子とかが持ってるアレ。さすがにあの武器で戦うのは無理そうだ。
そんな事を話していると、扇を持ったゴブリンが何か声を上げた。
瞬間、空気が揺らいで局地的な強風が巻き起こる。咄嗟にリレイを範囲外に押し出したけれど、相手の巻き起こす風は執拗に相棒を狙って発生しているように見えた。
「リレイ!」
「俺と魔術比べか。小鬼のくせにいい度胸だ」
器用に自分の起こした風の魔術で攻撃を打ち消していたリレイが、ぺろりと舌で唇を舐めて杖を握り直した。相手の挑発に乗る事にしたらしい。ならば自分は他の小鬼を近付けないようにしようと前に出ると。
【眼】を開いた瞬間、見えてしまった。
扇を持ったゴブリンがリレイによからぬ意識を向けている気配が。
ぞわりと背筋を違和感が走り抜ける。息をつめて目を凝らしていると、長い舌がニタニタと笑みに歪んでいる口を舐め、荒い息を吐きながらごくりと生唾を飲み込んだ。ギトギトと輝く赤い目は真っ直ぐに魔術を打ち合う人間だけを見つめている。
――相棒を打ち負かして、何かする気だ。
そう理解したハーファに扇を持つゴブリンがちらりと視線を向けた。興奮状態に見える顔がにんまりと笑って、周囲の小鬼を一斉にけしかけてくる。
ほんの一瞬のこと。たったそれだけだったけれど、全身がぶわりと熱くなった。
速攻で相棒に向かっていったから勘違いをしていた。喧嘩を売られたのはリレイじゃない。ハーファの方である。
「何なんだアイツ……!」
人様の相棒を嫌な目付きで見つめ続けるゴブリンに一撃を食らわせるべく、ハーファは向かってくる小鬼をまず蹴散らしにかかった。
「こら、あまり突っ込むな!」
「平気! あの野郎、絶対ぶん殴ってやる!!」
魔術の打ち合いを続けるリレイの声を尻目に、ハーファは身軽にダンジョンの中を動き回りながら小鬼を沈めていく。だいぶ数が減って【眼】を閉じても動きやすくなってきた。懲りずに向かってくる残党を殴り飛ばしながら距離を詰め、扇を持ったゴブリンに殴りかかる。
目を付けた獲物に夢中になっていたらしいゴブリンは、一気に迫ってきたハーファにギャッと短い悲鳴を上げた。そのまま顔面に全力を込めた拳を食らって吹っ飛び、リレイの追い討ちをまともに食らってぐたりと地面に倒れ伏した。
「ハーファ! 無事か!?」
「ん、平気」
一瞬起き上がりかけたゴブリンにトドメの一撃を食らわせ、力尽きたその口の中に手を突っ込む。巨大な牙を探り当て、ナイフで開いた歯肉から少々力ずくで根本から抜き取った。
ゴブリンの牙を袋にしまう様子を見ていたリレイは、はぁっと一つ溜め息をつく。
「まったく……急に飛び込んできて。肝が冷えたぞ」
「今ならクリティカル食らわせられると思って」
「そんな博打はやめろ」
――博打なんかじゃない。
あのゴブリンはリレイをずっと狙っていた。しかも実力差を見抜かれて、ハーファは数がいれば小鬼で十分だと判断されたのだ。
だから近寄る事が出来れば一撃が決まる状況だった。ずっと【眼】を通して相手を観察していたのだから、その確率は冒険者の勘に頼るよりも遥かに高い。
けれど。
「……勝手なことして、ごめん」
アンタがゴブリンに狙われてたんだぞとは言えなかった。
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無事に依頼の品も入手し、早々に鉱山から脱出することにした。
内部が思った以上に荒れておらず、見取り図が正確だった事もあり、通った道を引き返すのはさほど苦労することはなく。足を踏み入れて半日と経たずに探索終わったのは、東の森での苦行を引きずるハーファにとっては奇跡にすら思えた。
「すぐに見つかってよかったな」
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手に持った革袋にはざっと清掃処理をしたゴブリンの牙が入っている。思い出すほど腹が立つ、さっさと納品しておさらばしてしまいたい品物。
その一心で足を早める――けれど。
「さて……野営するなら隣の洞窟だと思うが」
リレイののんびりとした声が後ろからかけられた。
……何となく、嫌な予感がする。
「ここで野営するか、俺の魔力を受け取って進むか……どっちがいい?」
さっきの戦闘で無茶していたしなぁ、と意地の悪い顔が猫なで声で呟きながら、じいっとハーファを見つめてくる。何でそんな事をダンジョンから出て言うのかと思わなくもないけれど、無茶して突っ込んだのは事実で。
言われてからやっと身体が疲れを認識したらしい。ずしりと全身に重だるい疲労感が充満し始める。
「や、野営で! 野営でお願いします!!」
このままではまたキスになると察したハーファは、慌ててそう叫んだ。
リレイが魔力を口移しで分け与えてくるようになってから、何とかそれを回避しようとハーファは悪戦苦闘していた。反応を見て面白がっているのだと、反応すれば負けなのだと分かっていても、やっぱり動揺してしまうから。
お陰で無茶に進もうとする焦りは消えて、休憩をきちんと取る習慣がついた。きっかけがきっかけだけに、少し複雑だけれど。
だと、いうのに。
「そうか。残念」
つうっとリレイの指がハーファの下唇を撫でた。
一瞬何を言われたか分からず、一拍置いてからドッと顔が熱くなっていく。
動揺したら、負け、だって。
ちゃんと分かっているのに。
からかわれていると理解していても悪戯に対する抗議の言葉が何も出てこない。ただただ顔が熱くて、前に触れた唇の感触がよみがえって。また一層頬が熱くなる。
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