アンタじゃないとダメなんだ

むらくも

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希求

39.施術

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 想定外の展開にはなったけれど、何はともあれ相棒は殺されずに済んだ。
 考え方を変えれば、相棒に異変があれば早めに分かるという事だ。暴走の気配を早く察知する事ができるなら、取れる対策も増えるかもしれない。
 
 イチェストとノリューアからひとしきり説教を受け終えたハーファは、早々に思考を切り替えた。
 ……嫌だけれど。
 神殿のやたら指示が細かい仕事に付き合わされるのは、嫌だけれど。
 そんな事をぐるぐる考えながら向かうのは、滅呪を施すための施術室。
 罪状を貰うほどの事をしでかした奴らを取っ捕まえて連行する任務には、何度かあたった事がある。けれどそれは扉の外までで、部屋の中がどんなものなのかは正直よく分かっていない。
「まさか入る側になるとは」
 何だか不思議な気持ちで扉を開ける。
 中に居たのは作業服を着た……神官、だろうか。審判長の脅しなんて無かったように朗らかな笑顔で手招きをされ、緊張が少しだけほぐれるのを感じながら足を踏み入れた。


 今になって思えば、あの笑顔は完全に悪魔のそれだったと思う。

 
「う、ぐッ……うぅうウゥう……!!」
 唸り声を上げるハーファの口には猿轡。体と両手は施術台にベルトでぐるぐる巻きに拘束され、指を動かすのがやっとなほどに堅い。
 首に当たっているのは先端が丸い棒。そう頭では理解しているのに、皮膚の奥底に届く魔力はまるで刃が皮膚を裂いているような錯覚を呼ぶ。
「さすが元神官兵、我慢強いねぇ。やり直し無しで半分終わったよ」
 冷や汗が止まらないハーファに、朗らかで楽しげにすら聞こえる声が呼びかけてくる。普通もう少し気遣って声をかけるもんじゃないんだろうか。
 心の中で文句を言いつつも、丸い棒が首から離れてホッとひとつ息を吐いた。
 
 けれどすぐに体が持ち上がり、うつ伏せにされて嫌な予感が増していく。
「さあ、残りもやってしまおうか」
 床以外は何も見えない状態で聞こえてくる、相変わらずの楽しげな声。うなじにひたりと触れた硬く冷たい感触。
 心臓がばくばくと鳴り始めた頃、首に突きつけられた丸い球体の感触が刃のようなそれに変わって。音もなく静かに、皮膚の奥へするりと入り込んでくる。
「……ッ!」
 もはや声も出なかった。
 首が断ち落とされるかもしれない。それは違うと分かっているのに、錯覚を否定する情報がないハーファを恐怖が静かに覆っていく。

 ――施術の間、意識を飛ばしてはいけない。
 小難しい説明を受けたけれど、詰まるところはそういう事だった。けれど施術中に気絶してしまう人間が大半らしくて、そうなるとまたやり直しになるんだそうだ。
 何度も気絶してはやり直しを繰り返して、遂には発狂してしまった人間もいるらしい。
 聞いていた時は気絶するような奴も居るのかと他人事で聞いていたけれど、今となっては痛いほどその気持ちが分かる。
 怖いのだ。
 恐怖で息が詰まって、呼吸を忘れそうになるくらいに。
 相棒を殺すなら自分も殺せと言った時の気概はもう、どこにもない。ただただ恐怖に体が震えている。
 
『ハーファ』
 ふと聞こえてきたのは、そこに居るはずのない相棒の声。聞きたくてたまらなかった声。
 声に気づくのと同じくらいのタイミングで、シーツしか見えていなかった視界が白くなる。すると首に突きつけられていた鋭い感触も、拘束されている圧迫感も、何もかもが一瞬で消え去った。
 戸惑うハーファの前には、ひとつの影が佇んでいる。
「……リレイ……?」
 少しずつ形を作っていった影は相棒の形をしていた。穏やかな微笑みを浮かべながら、相棒の姿になったそれはハーファをそっと抱きしめる。 
 暗闇の中に居た時と同じ気配。
 本人に近いけれど、そうじゃない。消えたはずのリレイの魔術だ。
 まるで相棒に抱きしめられているようで、ずっと詰めていた息を吐いた。ゆっくりと頭を撫でられる感触にまどろんで目を閉じる。
 次に目を開くと、あの悪魔のように朗らかな笑顔がすぐそこに浮かんでいて。
 驚きに飛び上がった反動で文字どおり施術台から転がり落ちてしまった。


 未だにどこかボンヤリとした頭で、施術室からノリューアの執務室に向かって歩いていた。 
「ハーファ!」
 前の方からかけられた声に思わず足を止める。
 廊下の少し先には何故か息の上がった様子のイチェストが立っていた。ばたばたと小走りで近付いてきて、人の顔をジロジロと見て。
 一体何事かと思えば「生きてる」と。
 たった一言、それだけを呟いて床に座り込んでいった。
「勝手に殺すなよ」
「だってさぁお前……滅呪彫られてるのに出てくるの早いんだよ……てっきり失敗してショック死したのかと思った」 
「そんな簡単に死んでたまるか」
 むっとして睨むけれど、そんな視線を気にする様子はない。くたびれた雰囲気の苦笑が力なくハーファを見つめている。
 
「そうは言うけどさ。滅呪を刻まれる人間は生存率低いんだぞ。呪術に命を握らせるって、そういう事なんだから」
 イチェストの言いたい事は、何となく分かる。
 物理的に傷つけられる訳じゃない。けれど首を這う刃物の感触が、まるで体を真っ二つにしようとしているような恐怖を連れて襲いかかってくるのだ。
 それだけで自分は死んだのだと勘違いしてしまいそうだった。恐怖に負けて命を落としたとしても納得できてしまう。
 相棒を救うのだと意気込んで臨んだハーファだって、果たしてどこまで耐えられたのか分からない。それでも、何とか耐えられたのは。
「…………リレイが」
「うん?」
「リレイが、助けてくれた。魔術が包んで、施術の感覚がなくなって」
 何もかも感じなくなった後、気がついたら全てが終わっていた。気を失っていた訳でもなく、我慢強いと覚えのない事でやけに褒められて。
   
 ふと、ちらりと身につけたままだった腕輪を見た。
 彫られている装飾はいつも銀色に光っていたのに。施術を終えた今はもう、力を失ったのかすっかり黒ずんでただの溝になってしまっている。
「ほんとにトルリレイエが好きだなぁ、お前」
 呆れたようなイチェストの声。その声音は軽くて、気軽で。大して意味もなく言っているんだと分かる。
 なのに。
「……ん……」
「え……なんだその顔」
 改めて言葉で聞かされて、一気に顔が熱くなって。どんな顔で返事をすればいいのか分からなくなってしまった。
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