その恋はモラルに反してますから!? のんきな彼は野獣上司に溺愛される

嘉多山瑞菜

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8ページ目 不確かだからこそ

中編②

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 さすがに笹倉も近藤のブリザード級の冷ややかな空気にからかうことを止め、ひとしきり業務や業界の話で座が盛り上がる。
 
 近藤との関係さえ仄めかされなければ、社内きってのカリスマ達の話は圭介にとっても当然魅力的な裏話で、圭介もいつしか話にのめりこんでいた。
 
 起業当時の、笹倉の買い付けミスで4000万の不良在庫を抱えた話。
さぁ、どうやって借金をチャラにするかの佳境の場面で、笹倉の話が止まった。
 
 女将が連れの到着を告げたのだ。
 
 連れ?と圭介が訝しむ間もなく、部屋に入ってきたその人に仰天したのは圭介だけだった。
 
「しゃっ、しゃっ、社長っ!!!」
 
 圭介の叫び声に、軽く頷いて見せながら、笹倉の隣に腰を下ろした堂々たる人物は、今や経済誌にも頻繁に登場する知らないものなど誰もいないYc.net agent株式会社のCEO、遠野 宰トオノ ツカサだった。
 
「相変わらず、遅ぇーな、宰は。」
 
 笹倉の遠慮の無い言葉に、圭介は冷やりとしたものが走るが、肝心の社長殿は気にしていないのか、悪いな、と笑った。
 
 女将からおしぼりを受け取って手を拭きながら、遠野は近藤に待たせたな、といい、圭介には「お疲れ」と声を掛けてきた。
 
「しゃ・・・社長・・・おっ、おっ、お疲れ様ですっ!!!」
 
 酒を注がないと、と下っ端リーマンの性で立ち上がりかけた圭介を、遠野は手を上げて制した。
 
「吉崎、今日は無礼講だ。それに俺は、こいつらといる時は社長じゃない」
 
 そう言ってにやりと笑いながら、乾杯と、お猪口を軽くかざすと、もう口に含んでいた。

 恐縮、萎縮しまくる圭介に、近藤も気にするな、と到底無理なことを言ってきて、圭介はもう一度念仏のように、考えない、考えないと心の中で唱え続けた。
 
 社長まで登場した、この会食の意味を、本当に本当に考えたくなかったのだ。
なのに、社長の興味は当然「近藤と圭介のご関係」だったわけで・・・・・・・・・・・・・・・・。
 
「吉崎、災難だったな。ミネストローネスープは」
 
 しめ鯖を口に放り込みながら、社長は生真面目に爆弾を投下した。笹倉はひゃひゃひゃと笑い転げている。
 
「宰、お前まで、いい加減にしろよ」
 
 近藤は憮然としたまま疲れたような声音で言うが、社長はどこ吹く風といった様子で、鯖を咀嚼すると、言葉を継いだ。
 
「芳弘、俺には、お前の恋人とのなれ初めを聞く権利があるだろうが。なんと言っても、あの日の亜由美を宥めてやったのは、この俺だからな。」
 
 言って、ニヤッと圭介にウィンクしてみせる。

 ぞぞっと圭介の背に悪寒が走り抜ける。断じて社長のウィンクがキモかったわけではなく、「なれそめ」と言うところが恐ろしかったのだ。

 いやいや、それは・・・と圭介は口を挟もうとして、はたと思考が停止した。
遠野の言った中に含まれていた単語が引っかかったのだ。
 
 あの日・・・?亜由美・・・?宥める・・・?
 
いつだ・・・?亜由美って、あの「亜由美」・・・?何で社長が宥めるんだ・・・?

 圭介の顔にいくつも浮かんだ「?」が可笑しかったのか、社長もははっ豪快に笑い始める。

 怪訝なまま、近藤を見つめれば、彼の表情はなぜか赤くなっていて、圭介を無視したまま近藤は言い返した。
 
「あれは、セキュリティのトラブル対応でチャラにしたはずだ」
 
 近藤のその言葉に、さらに?が頭の中をグルグル回る。耐え切れず圭介は口を出した。

「トラブルって、あのSSLの奴ですか?」
 
 酔いのせいか、会話の着地点を見失い始めた圭介は論点のずれた質問してしまう。

 笹倉は、世話が焼けるな、といった感じで近藤を見た。
 
「おい、あの日のこと何も話していないのか?大事な恋人に」
「言う必要は無いと判断した」
 
 にべもない近藤の回答。
 
「かわいそうに・・・それは良くないだろう、大事な恋人に対して」
 
 遠野がニヤニヤ笑いのまま茶々を入れる。
 
 誰も彼もが「大事な恋人」と言う。なんだか自分がバカにされているようで、とうとう圭介は切れたように大声を出した。
 
「一体、何がどうなっているんですか?!俺にもわかるようにしてください!!」
 
 大きな声を出した圭介に、近藤は「お前、酔ってるだろ」と眉を顰めた。
 
「いいじゃないか、俺も聞きたいなー芳弘」
 
 笹倉もニヤニヤ。
それに、近藤はらしくなくチッと舌打ちすると、同じくニヤニヤしている遠野を睨みながら、話を始めた。
 
 あのトラブルの日・・・
ようは圭介が近藤とその妻の仲睦まじい姿にショックを受けて乙女になってしまった日のことだ。
 
「あいつが、いきなり、離婚の話をしに会社にやってきたんだ」
 
 え・・・?離婚?
思いがけない言葉に圭介は声を上げた。
 
「嘘・・・だって、二人は笑って話していたじゃないですか・・・?」
 
 そう、笑っていた。顔を寄せ合って話し合う二人の姿は親密そのもの・・・いかにも仲のよい夫婦といった風情だった。

 だからこそ、自分はその姿に激しいショックと悲しみを覚えたのだから・・・。
 
「まぁ、近藤もそうだが亜由美は筋金入りの見栄っ張りなんだ」
 
 遠野が答える。近藤はそれに「お前、それじゃ答えになってないだろう」と突っ込むと、話を続けた。
 
「さすがに俺が家を出たことで、あいつも観念らしきものはしたらしくてな。で・・・当然、次に考えるのが金さ」
「おおーー、怖いねー女は」
 
 笹倉がおどけて見せるが、圭介はもうそれを怒るどころではなかった。
 
「お金って・・・?」
「慰謝料だ、3億と言ってきやがった」
 
 思い出して腹が立つのか、忌々しげに近藤が吐き捨てるように言う。
 
「意味が分かんねー要求に、俺が払うかって突っぱねたら、あいつは、どういうわけか訴えてやるっていいやがって」
「順番がおかしくなってるな。普通は協議、首尾が悪ければ調停、最後に家裁だろう」
 
 遠野が真面目に離婚の手続きの順番を言うのに、近藤がさすがに吹き出した。
 
「宰、お前、それ変だぞ。関係ないだろ、順番なんて」
「そうだな、亜由美は家裁に持ち込む気満々だったからな。あの自信が理解出来ん」
 
 気安い仲間内の会話に、圭介はますます分からなくなってくる。
 
「じゃ、なんで笑って話していたんですか・・・?」
 
 辛抱強く、もう一度問いかける。
 
 それに笹倉が、当たり前だろう、と口を挟んだ。
 
「会社中の人間が見てるんだ。人前で言い争うことなんか、あの高ビーな女はしないさ」
「確かに、とりあえず近藤夫人として現れてるからな」
 
 遠野が頷くのを見て、二人が何を納得しているのかが分からず、圭介は困った表情のまま近藤を見た。そもそも、笑いながら憎憎しい会話をするっていう神経が理解できない。

 それを近藤が優しいような困ったような面持ちで見返すと、諦めたように言葉を継いだ。
 
「圭介には理解出来ないだろうな・・・ようは見せ掛けを演じただけだ、お互いにな。俺もあいつも人目を気にして、いかにも仲の良い夫婦です、って振りをしていたんだ。だが、話の中身は言ったとおり、下衆な話だ」
「そ、そうなんですか・・・」
 
「つまり、狐と狸の化かしあいだよ、吉崎」
 
 笹倉がのんびりと補足してくれた。
 
 狐と狸の化かしあい・・・笹倉の奇妙な例えにようやく状況が飲み込めてきた。
 
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