どっちも好き♡じゃダメですか?~After Story~

藤宮りつか

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一章 笠原兄弟の恋愛事情 前編 ~笠原伊澄視点~

   兄の失態(5)

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(マジか……)
 現在、時計の針は午後十一時を回ったところである。
 本当なら、この時間にはもうとっくに家に帰っていて、自宅の自室にてのんびり寛いでいるか、明日に備えてさっさと寝てしまっている頃だ。それなのに――。
「伊澄さん。ベッドと床のどっちがいい?」
「床でいい」
「そうなの? 別に遠慮しなくてもいいんだよ? 伊澄さんはお客さんなんだから、今日は僕が床で寝てもいいよ?」
「いや、床で。床がいいです」
 なのに、どうして俺はまだ七緒家にいて、雪音から「ベッドと床のどっちがいい?」なんて質問を浴びせられているのだろうか。
 答えは簡単だ。俺は今日、伊織共々七緒家に泊まることになってしまったからである。
 夕飯が済んだ後も俺達の会話はわりと弾んでいたし、宏美さんや稔さんは俺達兄弟に始終ウェルカムモードだった。
 だから、もうすぐ九時になろうかという頃になって、「そろそろおいとまを……」と思っていた俺に向かって
『もう遅いから今日は泊まって行ったらどうかな?』
 と言ってきたのは稔さんだった。
 夕飯をご馳走になった挙げ句――半分は伊織が作ったが――、今日は泊まって行けばいいだなんて……。いくら今が夏休みだとは言っても、いきなり過ぎる話に戸惑ってしまった。
 まあ、それだけ俺達兄弟を歓迎してくれているということなのかもしれないが、言っても俺は稔さんとは今日が初対面だからな。さすがに少し気を遣ってしまうところはある。
 さり気なく、そしてやんわりと断ろうと思ったのだが、俺が口を開くより先に、伊織が
『そうしよっ♡ ね? お兄ちゃん、いいよね? 今日はここに泊まって、また明日僕と雪ちゃんの勉強見てよ♡』
 と言い出してしまい、結局今夜は七緒家に泊まることになってしまった。
 既に伊織が何度か七緒家に泊まりに来ていることと、うちの両親と宏美さんの仲がいいせいで、俺達兄弟が急遽七緒家に泊まることになっても、うちの両親はあっさり承諾。俺が断る理由もなくなってしまった。
(何でこんな事に……)
 伊織はどうであれ、俺は言うほど七緒家の人間と交流があるわけじゃねーのに。
「あ、そうか。僕がこのベッドで深雪とセックスしてると思うと気が引けるんだ。心配しなくても、僕の部屋で深雪とセックスするのってまれなんだよ? シーツだってちゃんと替えてるから、伊澄さんは心置きなく僕のベッドで寝れるよ」
「やかましいっ! 床でいいっつってんだろっ!」
 しかも、何で雪音の部屋で一緒に寝るのが俺なんだよ。確か、一階に客室みたいなものがなかったか? 俺はそこで寝る方が良かったんだけど。
 まあ、そこで伊織と一緒に……って言われると困るっちゃ困るんだけど。
 でも、せめて俺達三人で一緒に、ってことにならない辺りが謎過ぎる。
「っつーか、深雪の部屋を勝手に伊織が使ってもいいのか? 自分の留守中に他人が自分の部屋に入るのって嫌じゃね?」
 今日は深雪の部屋で寝ることにした伊織が気になるから聞いてみたが
「うん。さっき深雪にも確認取ったし、伊織がうちに泊まりに来た時、伊織はいつも深雪の部屋で深雪と一緒に寝てるからね。僕の部屋で寝るより、深雪の部屋のベッドで寝る方が落ち着くみたい」
 という返事が返ってきた。
「ああ、そう。そうなんだ……」
 何でガキの頃からの幼馴染みではなく、最近知り合ったばかりの深雪と一緒に寝る方がいいんだよ。伊織にとっての深雪って何なの?
「僕と一緒だと僕が伊織と一緒に寝てあげないからね。伊織は自分と一緒に寝てくれる深雪の方がいいんだってさ。朝起こしに行ってあげたら、二人してくっついて寝てる姿が微笑ましいよ」
「へー……」
 一緒に寝るってそういう事かよ。同じ部屋で一緒に寝るだけじゃダメなんだな。伊織にとって、自分と同じベッドで一緒に寝てくれるかどうかが重要なのかよ。すなわち、深雪は伊織の抱き枕要素も含んでいるわけだ。
(それで伊織がやたらと深雪に懐いているのか……)
 付き合いがそんなに長いわけでもないのに、やたらと伊織が深雪にべったりな理由がよくわかった。
 元々伊織は恋愛において自分と同じ立場である深雪に親近感を覚え、それで深雪に懐いているのかと思っていた。
 しかし、自分と同じ立場だということは、深雪相手だと恋愛を抜きにした付き合いができるということだ。
 伊織と雪音も物心つく前からの付き合いだから仲がいいっちゃ仲がいいんだが、雪音は見ての通り顔がいいからな。伊織の中ではどうしても恋愛対象から外しきれないものがあるのかもしれない。
 だが、深雪はあまり男らしくないし、自分と同類だと思っているから、伊織は深雪に対して一切の恋愛感情がなく、極々普通の友達付き合いができるから嬉しいんだろう。
 俺としては、雪音も伊織の恋愛対象に入っていると考えることが嫌で仕方ないのだが。
 でもまあ、雪音も伊織と同じベッドで一緒に寝てやらないことを考えると、雪音もそういう気配を全く感じていないわけでもないんだろう。
 保育園時代からの幼馴染みだというのに、微妙に恋愛が絡んでしまう二人が複雑である。
 今のところ、二人が昔から変わらない関係を続けていられるのは、二人の間に何もなかった証拠だと思う。
「僕としては、思いの外に伊織が深雪にべったりなあたりが少し不満と言えば不満なんだけどね。でも、伊織にとっての深雪って初めてできた本当の友達って感じだからさ。僕もあまり二人を強引に引き離すことができないんだよね」
「そういう言い方をされると、お前は伊織の本当の友達じゃないのかよ、って言いたくなるんだけど」
 これまでずっと一緒に過ごしてきた相手に対して、雪音の言葉は少し冷たいようにも感じたが
「友達は友達だよ。僕は伊織のことが友達として好きだし、伊織に不満があるわけでもないよ。でもほら、伊織の恋愛対象は男で、僕がその対象から完全に外れているわけじゃないからさ。そういう意味では、深雪みたいに恋愛感情とは全く無縁の友情だけの付き合いができないじゃん」
 雪音の言葉を聞いて、雪音は伊織のことをちゃんと理解したうえで言っている言葉なのだとわかった。
 恋愛対象が男に限定されている伊織にとって、同性との関係は異性関係のようなものだ。
 男女の間に友情は成立しない、という人間も結構いるが、俺もどちらかと言えばそっち寄りの人間である。
 決して調子に乗っているわけではないのだが、女受けがいい俺はどうしても異性から恋愛対象として見られがちだ。女を友達として見られないのではなく、女から友達として見てもらえない俺には、男女の友情を成立させることが難しいと思ってしまう。
 そして、おそらく伊織もそれに近い立場の人間ではないかと思う。
 もう何度か言っていることだが、伊織には少し人とは感覚が違っていたり、変わったところがある。
 性格に難ありというか、あまり――どころか全く人に気を遣わなかったりするから、結構好き嫌いが分かれる性格をしていると思う。
 見た目は可愛いし、根はいい奴だから嫌われるほどじゃないが、「なるべく関わらない方が安全」と思っている人間は多いだろう。
 そんな伊織が親しくしている相手といったら雪音くらいのものだし、雪音以外に親しくなった人間となると、自分が恋人に選んだ歴代彼氏くらいのものだろう。
 それってつまりは伊織に下心があって近付いてきた相手ということだ。そういう相手と本当の友情は成立しない。
 雪音は辛うじて友人関係が成立しているが、その友情はいつ崩壊してもおかしくない爆弾つきの友情なのかもしれない。
 伊織にとって全く恋愛感情を抜きにした気楽な付き合いができる相手は深雪が初めてで、それなら伊織が深雪に異常なほど懐いてしまうのもわかる気がした。
 多分、伊織は嬉しかったんだ。自分と全く同じ立場からいろんな話ができる深雪の存在が。
 中学三年生になってから交流が始まった深雪や頼斗とのやり取りを見ていても、伊織の雪音や頼斗に対する態度と、深雪に対する態度は少し違っている。
 よく見ていないと気付けないほどの微妙な違いだったりもするのだが、その微妙な違いが決定的でもあり、深雪と一緒にいる時の伊織の姿というのは、俺にとってはある意味新鮮に映ったりもするんだよな。
「はぁぁぁ~……」
「ちょっと⁉ 何で溜息っ⁉ 今、思いっきり盛大な溜息吐いたよね⁉ 僕の言葉がショックだったの⁉ 違うよっ! 僕は伊織のこと、ちゃんと友達だと思ってるからねっ⁉」
 これ見よがしに盛大な溜息を吐いてしまったが、俺は何も雪音の発言にショックを受けたから、遣る瀬無い思いを溜息という形にして吐き出したわけではなかった。
 もちろん、雪音の発言に全くのノーダメージというわけでもなかったが、雪音の言葉を聞いて、改めて自分の弟が普通ではないというか、真っ当ではない人生を歩んでいることに気付かされたというか……。
 ガキの頃からずっと一緒だった雪音とも、純粋な友情を築けていない伊織のことを
(何だかなぁ……)
 と思ってしまう俺なのである。
 でもまあ、雪音にちゃんとした彼女ができたことで、これからは雪音とも純粋な友達関係を築けていけるかもしれない。俺はそこに期待したい。
「あのさぁ……」
「うん? 何?」
「ぶっちゃけた話、男と付き合うってどうなん?」
 正直な話、俺は未だに男同士の恋愛というものが信じられないところがあるし、どうしても自分とは無縁なものだと思ってしまう。
 だけど、「実際どうなの?」という気持ちが全く無いでもない。
 伊織、雪音、深雪、頼斗と、俺の周りに四人も男同士の恋愛に身を置いている人間がいりゃ、そりゃ俺だって「どうなん?」って思っちまうだろ。
 だから、本当は聞くつもりなんてなかったし、一生聞くこともないだろうと思っていた質問を俺は雪音にしてみることにした。
 どうしても聞きたいってわけでもなかったが、成り行きでこうして雪音の部屋で一晩過ごすことになったのだ。こういう時でもないとできない話を、俺は雪音としたくなったのかもしれない。


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