【完結】初恋のアルファには番がいた—番までの距離—

水樹りと

文字の大きさ
38 / 44
第6章 健吾side

第三話

しおりを挟む
 治療も三ヶ月目に入ると、尚の表情も明らかに明るくなった。
 定期的な診察の後、いつものカフェで会った時の彼は、以前とは別人のように輝いて見えた。
 
「実は、職場の人に告白された」
 ある日、尚が恥ずかしそうに打ち明けた。
 コーヒーカップを両手で包み込みながら、頬を薄く染めている。
 
「へえ、そうなんだ。どんな人?」
 以前なら、尚が他の人に興味を持つことに複雑な気持ちを抱いただろう。
 胸の奥で嫉妬や所有欲のようなものが蠢いて、素直に喜べなかったかもしれない。
 でも今は、純粋に友人として尚の幸せを願っている。
 その変化を、健吾自身も不思議に思った。
 
「同じ部署のシステムエンジニアで、すごく優しくて頭が良くて」
 尚は話しながら、自然と笑みがこぼれる。
 
「いい人そうだね。付き合うの?」
「いや、まだそこまでは……」
 尚は首を振ったが、その表情には迷いよりも照れが勝っている。
 
「でも、久しぶりにそうやって誰かを意識している気がする。胸がドキドキするっていうか、その人のことを考えると嬉しくなるっていうか」
 尚の表情には、七年ぶりに見る本当の恋する人の輝きがあった。
 目を伏せて微笑む様子は、高校生の頃の彼を思い出させる。
 あの頃の尚は、こんな風に素直に感情を表現していた。
 
「付き合っちゃえばいいのに」
「でも……」
 尚の表情が少し曇る。
 
「まだ健吾への気持ちが完全になくなったわけじゃないから、その人に申し訳なくて」
 その言葉に、健吾は複雑な気持ちになった。
 罪悪感のようなものが胸をよぎる。
 七年間、尚を束縛し続けていた自分への後悔。
 
「それは、俺もわかる。ただ、治療が完了すれば、きっと整理がつくよ」
 健吾は尚を励ました。
 
「それに、俺はもう尚の人生を縛りたくない。尚が幸せになることが、俺にとって一番大切だ。俺のことは本当に気にしなくていい」
「ありがとう、健吾」
 尚の瞳に涙が滲む。
「本当に、ありがとう。健吾がそう言ってくれると、すごく楽になる」
 健吾は尚の言葉を聞きながら、同時に自分自身のことも考えていた。
 尚が新しい恋を見つけたように、自分にも——。
 
 その時、ふと蛍の笑顔が脳裏に浮かんだ。
 夏休み中の映画館での、嬉しそうな表情。
 スクリーンの光に照らされた横顔。
 「また誘ってもいい?」と言った時の、少し照れたような頬の赤み。
 研究室配属が決まった時の、緊張と喜びが入り混じった瞳。
 
 胸の奥で、何かが静かに形を成していく。
 温かく、切なく、そして確かな想いが。
 
「尚が幸せそうで、俺も嬉しい」
 健吾は心からそう言った。
 そして続けた。
 
「俺も、尚みたいに素直に自分の気持ちと向き合えたらいいんだけど」
「健吾にも気になる人がいるの?」
 尚が興味深そうに身を乗り出す。
 その瞳には、友人としての純粋な好奇心が宿っている。
 
「まあ、そんなところかな」
「どんな人?」
 健吾は少し迷った。
 蛍のことを話すべきかどうか。
 でも、尚が自分の気持ちを打ち明けてくれたのだから、自分も正直に話すべきかもしれない。
 
「昔からの知り合いで。優しくて、聡明で、一緒にいると心が安らぐ」
「素敵な人じゃない」
 尚が微笑む。
 
「でも、『昔からの知り合い』って?」
「幼馴染なんだ。ずっと疎遠だったけれど、今は後輩として大学にいる」
「へえ、運命的だね」
 尚の表情が一段と明るくなる。
 
「どんな子なの?」
「映画が好きで、研究熱心で……」
 健吾は蛍について語りながら、自分の声が自然と柔らかくなっていることに気づく。
 
「この前一緒に映画を見に行ったんだけど、感想を聞いていると、すごく感性が豊かで。普通の人が気づかないような細かいところまで見ている」
「健吾、顔が緩んでるよ」
 尚が楽しそうに指摘する。
 
「そんなに好きなら、なんで告白しないの?」
 健吾は苦笑した。
 
「好きっていうか……。番の問題があるからね。まだ治療中だし」
 尚が真剣な表情になった。
「健吾、僕たちみたいに、時間を無駄にしちゃだめだよ」
 その言葉に重みがある。
 七年という歳月を、お互いに愛し合うことなく過ごした二人だからこそ言える言葉。
 
「本当に大切な人なら、早く伝えた方がいい。僕たちが学んだのは、時間は有限だってこと」
 その言葉が、健吾の心に深く響いた。
 七年間、責任という名の檻に閉じ込められていた二人。
 だからこそ、尚の言葉には説得力がある。
 
「そんな素敵な人なら、早く捕まえないと。他の人に取られちゃうよ」
 尚が茶化すように言うが、その目は真剣だ。
「いや、まだそんなんじゃないから」
 健吾は慌てて手を振るが、心の奥では尚の言葉が響いている。
 他の誰かに蛍を取られる可能性——桜庭といた蛍の姿が脳裏をよぎる。
 考えただけで胸が締め付けられる。
 
 カフェを出て別れ際、尚が振り返った。
 
「健吾、僕たち、ようやく自由になれるんだね」
 夕日が尚の横顔を柔らかく照らしている。
 その表情には、長い間背負っていた重荷から解放される安堵が宿っていた。
 
「本当の関係を築けるようになる」
「そうだね」
 健吾は頷いた。
 
「お互い、新しい人生を歩もうね」
「うん。尚も、その人と幸せになってくれ」
「まあ、その人とかはわからないけれどね。健吾も頑張って」
 尚の後ろ姿が人波に消えていくのを見送りながら、健吾は自分の心と向き合っていた。
 
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね

舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」 Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。 恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。 蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。 そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした

鳥居之イチ
BL
———————————————————— 受:久遠 酵汰《くおん こうた》 攻:金城 桜花《かねしろ おうか》 ———————————————————— あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。 その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。 上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。 それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。 お呪いのルールはたったの二つ。  ■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。  ■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。 つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。 久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、 金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが… ———————————————————— この作品は他サイトでも投稿しております。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...