召喚された世界でも役立たずな僕の恋の話

椎名サクラ

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第一章 聖者召喚と騎士団

03.聖者、街へ出る1

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 聖者が行うことは、――なにもない。
 ただ魔獣討伐に着いていき祈るだけと説明されているが、では討伐に行かない間はなにをしたら良いかと言えば……本当になにもない。ただあの、なにもない部屋でゆっくり休めと言われるのだが、暇を持て余してむしろ苦痛だ。

「僕にできることって何かありませんか?」

 長い回廊を通る神官に尋ねるが、みな一様に困った顔をするばかりだ。

「特に困ってることはありませんし……この間のように掃除とかはしないでください。仕事を奪ってしまったらあの者たちが食べるのに困ってしまう」

 そう、衣食住を賄って貰う代わりに何かしようと、自分の部屋を始め色んな所を掃除した途端、怒られたのだ。下働きのものたちの仕事を奪うなと。彼らはそれで日々の食料を得ているのだと。大司教まで出てきて、それはもうこっぴどく叱られた真柴は、余計に何をしたらいいのか分からなくなる。

 生まれてこの方、じっと座っているのなんて学生時代以外ないのだ。社会人になってからは息をつく間もなく動き回り、立ったまま眠ることすら当たり前の日々。ただ部屋でじっとしているなんてできるはずがない。

「お暇でしたら……そうですね、市井をご覧になってはいかがですか? 聖者様はまだこちらのことをよくご存じないでしょう。護衛を手配しますのでちょっと待ってくださいね」
「いや、護衛なんてそんな大仰なことは」
「なにを言っているんですか。御身に何かありましたら僕たちが殺されますから」

 と言うわりには神殿内での扱いは杜撰だと思うのだが、日本の由緒正しいサラリーマンである真柴はしっかりと口を噤み、いつものように少しだけ口角を上げた。
 それを是と受け取った神官がすぐ傍に侍っている、日本なら中学生くらいの子供に指示を出すと、彼はすぐにどこかへと走って行った。小さい背中を見送るしかできなかった。

 あれくらいの子供なら学校は?
 親はどうした?
 働きに出るには低年齢過ぎないか?

 疑問は次から次へと浮かんだが、どうしても訊ねることができない。
 それで相手が不快に思ってしまうのを怖れてだ。

「外出するのであれば、その格好は目立ちすぎます。すぐに着替えてください」

 確かにそうだ。なんせ真柴が身につけているのは、ここへとやってきたときに着ていたスーツの一式なのだから。
 それ以外の服が、ない。
 着た切り雀で早十日、そろそろ着替えが欲しいところだが、真柴はそれすら言えずにいた。
 ズボンをはいている男性は多いが、ボタンで留める服など存在せず、しかも綿シャツが珍しいのかチラチラと見られる。生地の薄い服を身につけているのは王侯貴族だけ、らしい。
 神殿にやってくる人々の服装は簡素で、麻でできたごわついたものばかり。しかも服はすべて紐で縛られ、飾り気はない。

(大体十三世紀頃のヨーロッパくらいの文明かな……懐かしいな)

 大学で中世ヨーロッパ史を専攻していた真柴には懐かしく、大変興味深かったが、これが人生の役に立ったかと問われれば苦笑するしかない。

(だって、社会に出たらなんの足しにもならなかったからな)

 研究職で食べていければ良かったが、そこまでのめり込んでやれるだけの学費がなかった真柴は就職で随分と苦労したものだ。
 思い出してまた口角を上げた。
 誰しも好きを仕事にできるとは限らないと思い知ったときには時すでに遅し。
 でもがっつりと学べた四年間は本当に楽しかった。教授ともゼミの仲間ともずっと語り合っていた時間を取り戻したくなった。

(せっかく興味のある時代に似た場所に来たんだ、たっぷりと楽しまないと損だよな)

 気持ちを盛り上げていきたいが、その前に服だ。

「あの……服って……」

 貸して貰えませんか?
 と続けたかったが、上手く言葉が出ない。誰かに何かを借りるということに馴れていない。

「着替えを持ってきていないのですか? ……ああそうでしたね、すみません。今すぐ用意します」

 一瞬非難めいた音にビクリと肩が震え、それを見た神官がはっとして頭を下げすぐにどこかへと行ってしまった。
 着替えなどあるはずがない。
 なんせ勝手に召喚したのはそちらだろうに。着替えなど持ち合わせていないし、そういう所を気遣ってほしいなと思うけれど、やっぱり口には出さない。

「あの……聖者様、準備が整うまではお部屋に戻られてはいかがですか?」

 見習い神官の少年がおずおずと声をかけてきた。小学生ほどの小さな子供だ。身なりが良いのは実家が貴族なのかもしれない。

「ありがとう、そうさせてもらうよ」

 やはり静かにしているのが一番かな。
 なにもしていないと、自分がとても無力な人間になったような気持ちになり、落ち込んでしまう。けれど何かをすれば迷惑だと怒られる。

(いつもこの繰り返しだ……本当に僕って使えないな)

 ふと過去のことが思い出されて慌てて掻き消した。
 もう思い出したところでどうしようもないのだが、いつだって一人になると昔の自分が、上司や同僚の声と共に頭に蘇ってくる。慌てて頭の四隅に残るものまで消していき、長い嘆息をする。
 すぐに先程の神官がやってきて、真白い服を渡された。

「これを着て下さい。神官の服しかなくて申し訳ないのですが」
「いえ、助かります。ただ被れば良いのかな?」
「着方はこの子が分かってますから聞いて下さい。それと、騎士団の方がお待ちです、お早めに」

 そうだ、街に行くための護衛の手配がされていたのだ、早くしなければ。真柴は受け取った服に慌てて着替え始めたがやはり勝手が分からない。

(こんなことだったら服飾史もちゃんと頭に叩き込めば良かった)

 歴史ばかりを追いかけすぎて細部を疎かにしていた自分が恥ずかしい。これでは研究職として残っても芽が出なかっただろう。
 また口角を上げた。
 この子と先程の使い走りの少年が慌てて手伝ってくれた。よく見れば、まだ幼さの残る顔にはそばかすが浮かんでいる。

「ごめんね、君も忙しいのに」
「いえ。聖者様のお役に立てるなら光栄です! これから何かありましたらオレに言ってください」
「でも君にも他の仕事があるんだろう。悪いよ」
「大丈夫です! ちょっと他の神官様に呼ばれたら行かなきゃいけないんですけど、そうじゃなかったらなんでも! だって聖者様って魔獣を倒せる存在なんですから」

 鼻息荒く唾を飛ばす勢いで語られたら、思わず下がる。

「あ……ありがとう。ところで、君のご両親は?」
「えっと……、とーちゃんもかーちゃんも死んじゃって……運よく騎士団の人たちに助けて貰ったからここにいるけど、そうじゃなかったらと思うと……だから聖者様、お願いですから……その手伝いだったらオレなんでもするから!!」

 名前も知らない少年の熱意が、真柴の心を締め付けた。

(ごめん、多分僕は君に期待されるほどの人間じゃないよ)

 こっそりと心で呟いて顔は笑顔を作り「ありがとう」と告げた。それだけで少年は嬉しそうに笑い、服を着せていってくれる。
 内着は浴衣のように前身頃を左右に重ねて紐で縛り、その上をワンピースのような麻の白衣を纏う。そして今度は飾りの付いた紐でウエスト部分を縛るという簡易的な服装だ。
 次からは自分でできる。これからは彼を煩わせないことにホッとした。きっと自分よりも仕事はたくさんあるだろう彼に頼り過ぎてしまったらすぐに嫌われてしまうから。

「ありがとう、助かったよ。君のおかげで恥ずかしくない格好になれた」
「これくらいどうってことないです! では聖者様、行ってらっしゃいませ!」

 彼に見送られ、真柴は神殿を出た。すぐさま護衛だろう騎士達が近づいてくる。その中には随分と恐い顔をした背の高い男がいた。
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