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気づきたくない感情
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「このセシル・バートンから奪えるものならいつでも奪いにいらして。喜んで受けて立ちますから」
セシルが言い放った痛快なこの一言に、フレデリックは非常に不本意ながら魂が痺れそうなほどの衝撃を受けていた。
フレデリックの地位と見た目に寄ってくる女は星の数ほどいる。
たとえ婚約者がいようとお構いなしに、彼女らは愛妾でもいいからとしつこく擦り寄ってくる。
ドロテアもその中の一人だ。
無駄に財力の有り余る家門の令嬢だったから、邪険にすることも出来ず適当に相手はしたが、ずっと心の奥底に燻り続けた不快感が、セシルの一言によって霧散した。
セシルはむしろ「奪えるものなら本気で奪って私に自由を寄越せ」という心境なのだろうが、自ら盾となり守られた――フレデリックはそんな錯覚すら覚え、身じろぎもできずにいた。
(馬鹿馬鹿しい……血迷ったとしか思えない……)
馬車に乗るなり秒で寝てしまったセシルの重みを右半身に感じながら、フレデリックは小さく舌打ちをする。
ずっと媚を売り、捨てないでと縋りつき、なんでもフレデリックの言いなりだった頃のセシルは殺意が湧くほど嫌いだったが、「嫌い」だと本音を曝け出す今のセシルはむしろ面白い……そう感じてしまっている事実は認めざるを得ない。
たしかに体の関係を持って以後、フレデリックの気は百八十度変わった。
今のセシルにはフレデリックにとって、確実に離し難い「何か」がある。
だから別れるなど論外だ。
その底に潜む感情などフレデリックにとってはどうでもいい。
怒りと嫌悪と屈辱と……ドロドロとした醜い感情に蝕まれるその顔さえ見られればそれでいい。
「……セシル」
フレデリックはセシルの顎を掴んで上向かせ、じっとその寝顔を覗き込んだ。
たとえ嫌悪という私的感情が混じろうと、セシルは文句のつけようがないほど美しい女だ。
猛々しい父親にはまったく似たところがないので、母親に似たのだろうか。
婚約をしてから十年も経つというのに、フレデリックはセシルのことをまるで知らないことにようやく気づいた。
しかし……あまりに綻びがなく完璧すぎて、ただひたすら惨めさと劣等感を植え付けるだけの憎らしい存在――そんな女にどう興味を持てというのか。
以前は息苦しさから離れたくて逃れたくて堪らなかった。
なのに……手放せなくなっている現状を自嘲する。
そういえば、婚約破棄後はどうするつもりだったのかとセシルは問うた。他に好いた女がいるのではないかと。
馬鹿か。
そんなものがいようがいまいが誰と結婚するつもりもなかった。
ひたすら縛り付け、貶め、搾取され続けるだけの人生を強いるチェスター家などいっそ……フレデリックの代で滅んでしまえばいいのだ。
ゾフィーが並々ならぬ愛情を注ぐ元凶たる女を、ゴミのように捨ててやれば少しは溜飲が下がるかと思いきや……まさか翻意させられるとはこちらとしても大誤算だ。
しかも歯止めが効かなくなるほど肉欲に溺れたのも初めてだ。
(本当に……忌々しいな……)
「……ま……」
不意にセシルの唇が言葉にならない声を発した。
夢でも見ているのだろうか。
やがて瞼が小さく震え出し、涙が一筋頬を伝い落ちる。
「……お母、さま……」
切なくやるせない声音と共に、セシルの閉じられた瞼から、涙が止めどもなく溢れ出る。
これまでセシルの嘘泣きは腐るほど見てきたが、本気の涙を見るのは初めてだった。
普段なら決して見せることのない、セシルが抱く心の傷。
抱きしめたい――そんな衝動が突如湧き上がり、困惑する自分にすら激しい苛立ちを覚えた。
勇ましくドロテアをやり込めた時とは真逆の痛々しさが、フレデリックの中の『何か』をどうしようもなく揺さぶり掻き乱すのだ。
何故、今更こんな気持ちになるのか。
相手は散々フレデリックを苦しめてきた、あの『セシル・バートン』だというのに。
「……やめろ……お前なんて嫌いだ……」
フレデリックはセシルの涙を掌で乱暴に拭う。
「……どこ……おか、ぁさま……」
「……煩い」
そして心を惑わす忌々しい唇を口付けで塞いでしまう。
「ん……」
意識のないセシルが抵抗などできるはずもなく、素直に口付けを受け入れ、まるで甘えるようフレデリックの胸にしがみついてきた。
その瞬間、訳のわからない感情がフレデリックを飲み込み、頭の中が焼き切れてしまいそうになる。
きっと、ここが屋敷なら滅茶苦茶に犯していた。
もう止めてと懇願するまで隅々まで貪り、前後不覚になるまで貫き啼き善がらせて――
熱く滾りはじめた身体を一抹の理性で押し留め、フレデリックはセシルを抱きしめた。
芽生えはじめた悍ましい想念から逃れるべく、強く、深く――
セシルが言い放った痛快なこの一言に、フレデリックは非常に不本意ながら魂が痺れそうなほどの衝撃を受けていた。
フレデリックの地位と見た目に寄ってくる女は星の数ほどいる。
たとえ婚約者がいようとお構いなしに、彼女らは愛妾でもいいからとしつこく擦り寄ってくる。
ドロテアもその中の一人だ。
無駄に財力の有り余る家門の令嬢だったから、邪険にすることも出来ず適当に相手はしたが、ずっと心の奥底に燻り続けた不快感が、セシルの一言によって霧散した。
セシルはむしろ「奪えるものなら本気で奪って私に自由を寄越せ」という心境なのだろうが、自ら盾となり守られた――フレデリックはそんな錯覚すら覚え、身じろぎもできずにいた。
(馬鹿馬鹿しい……血迷ったとしか思えない……)
馬車に乗るなり秒で寝てしまったセシルの重みを右半身に感じながら、フレデリックは小さく舌打ちをする。
ずっと媚を売り、捨てないでと縋りつき、なんでもフレデリックの言いなりだった頃のセシルは殺意が湧くほど嫌いだったが、「嫌い」だと本音を曝け出す今のセシルはむしろ面白い……そう感じてしまっている事実は認めざるを得ない。
たしかに体の関係を持って以後、フレデリックの気は百八十度変わった。
今のセシルにはフレデリックにとって、確実に離し難い「何か」がある。
だから別れるなど論外だ。
その底に潜む感情などフレデリックにとってはどうでもいい。
怒りと嫌悪と屈辱と……ドロドロとした醜い感情に蝕まれるその顔さえ見られればそれでいい。
「……セシル」
フレデリックはセシルの顎を掴んで上向かせ、じっとその寝顔を覗き込んだ。
たとえ嫌悪という私的感情が混じろうと、セシルは文句のつけようがないほど美しい女だ。
猛々しい父親にはまったく似たところがないので、母親に似たのだろうか。
婚約をしてから十年も経つというのに、フレデリックはセシルのことをまるで知らないことにようやく気づいた。
しかし……あまりに綻びがなく完璧すぎて、ただひたすら惨めさと劣等感を植え付けるだけの憎らしい存在――そんな女にどう興味を持てというのか。
以前は息苦しさから離れたくて逃れたくて堪らなかった。
なのに……手放せなくなっている現状を自嘲する。
そういえば、婚約破棄後はどうするつもりだったのかとセシルは問うた。他に好いた女がいるのではないかと。
馬鹿か。
そんなものがいようがいまいが誰と結婚するつもりもなかった。
ひたすら縛り付け、貶め、搾取され続けるだけの人生を強いるチェスター家などいっそ……フレデリックの代で滅んでしまえばいいのだ。
ゾフィーが並々ならぬ愛情を注ぐ元凶たる女を、ゴミのように捨ててやれば少しは溜飲が下がるかと思いきや……まさか翻意させられるとはこちらとしても大誤算だ。
しかも歯止めが効かなくなるほど肉欲に溺れたのも初めてだ。
(本当に……忌々しいな……)
「……ま……」
不意にセシルの唇が言葉にならない声を発した。
夢でも見ているのだろうか。
やがて瞼が小さく震え出し、涙が一筋頬を伝い落ちる。
「……お母、さま……」
切なくやるせない声音と共に、セシルの閉じられた瞼から、涙が止めどもなく溢れ出る。
これまでセシルの嘘泣きは腐るほど見てきたが、本気の涙を見るのは初めてだった。
普段なら決して見せることのない、セシルが抱く心の傷。
抱きしめたい――そんな衝動が突如湧き上がり、困惑する自分にすら激しい苛立ちを覚えた。
勇ましくドロテアをやり込めた時とは真逆の痛々しさが、フレデリックの中の『何か』をどうしようもなく揺さぶり掻き乱すのだ。
何故、今更こんな気持ちになるのか。
相手は散々フレデリックを苦しめてきた、あの『セシル・バートン』だというのに。
「……やめろ……お前なんて嫌いだ……」
フレデリックはセシルの涙を掌で乱暴に拭う。
「……どこ……おか、ぁさま……」
「……煩い」
そして心を惑わす忌々しい唇を口付けで塞いでしまう。
「ん……」
意識のないセシルが抵抗などできるはずもなく、素直に口付けを受け入れ、まるで甘えるようフレデリックの胸にしがみついてきた。
その瞬間、訳のわからない感情がフレデリックを飲み込み、頭の中が焼き切れてしまいそうになる。
きっと、ここが屋敷なら滅茶苦茶に犯していた。
もう止めてと懇願するまで隅々まで貪り、前後不覚になるまで貫き啼き善がらせて――
熱く滾りはじめた身体を一抹の理性で押し留め、フレデリックはセシルを抱きしめた。
芽生えはじめた悍ましい想念から逃れるべく、強く、深く――
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