東京ナイトスパロウ

狗嵜ネムリ

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東京ナイトスパロウ・19

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「それにしても玲司、あんな仕事しか見つかんなかったのか? お前、頭良かっただろ。大学行ってないのか」
「あは……。あんな仕事なんて言い方しないでよ。俺にとっては一大決心だったんだから」
 だけど、それももう終わってしまった。売り専にも戻れない。俺にはどこにも居場所がない。
 だったら、もうどうなってもいいじゃないか。
「お、お父さんは何の仕事してるの?」
「まぁ、色々とな」
「ちゃんとご飯食べてる?」
「金融屋の毎月の利息返済だけで給料殆ど消えちまうからな。玲司が金貸してくれるなら、今日は飯が食えるなぁ」
「………」
 金を渡したところで、どうせ酒代に注ぎ込むくせに。
「……お父さん」
 俺は歩くスピードをゆっくり落としながら、その背中に呟いた。
「お金、必要ならあげるよ。いくら?」
「あ?」
 眉を顰めてはいても、振り向いたその目は期待に光っている。
「いくらでも、僕が払える額ならすぐに用意する。だ……だからさ、こんなことするの、やめようよ……」
「玲司、何を言ってんだお前」
「だって……顔色も良くないし、ご飯もあんまり……」
「お前の体は金で買えないだろう?」
「っ……!」
 もう駄目だ。何を言っても無駄だ。俺の中で僅かに残っていた「父親を想う気持ち」も、この男には伝わらない。
 やりきれなくて、涙が溢れそうになった。
「そんな顔すんなよ、玲司。すぐ良くしてやるからよ」
 しっかりと腕を掴まれ、引きずられるようにして歩く。向かっているのは十数メートル先にあるホテルだ。今までも俺はこんなふうに、引きずられ、流されてきた。この男に。同級生に。先輩に。
 結局のところ、俺は過去の檻から抜け出せていなかった。いくら名前を変えて環境を変えても、与えられた玲司の運命には抗えない。サイの目がピンならそれは変わらないし、引いたのが大凶ならそれも変えようがない。決まっているなら、受け入れるしかない。
 自分にそう言い聞かせてホテルに入ろうとしたその時、頭の中に雀夜の声が響いた。
 ──全部自分が望んで決めて行動した結果だろうが。
「………」
 望んでない、こんなこと。
 昔から俺は、一度だって望んでない──。
「……だ」
「どうした、玲司」
 俺は首を振り、その場で足を踏ん張った。
「……嫌だ! 俺、行かない! もう嫌だ!」
「あ……?」
 奥田の顔が鬼の形相に変わる。五年前の、あの恐ろしくて醜い顔に……。
 怖くて仕方ない。膝が震え、涙が滝のように頬を伝っている。それでも俺は怯まなかった。
「絶対に嫌だ! 妹達にも母さんにも、俺にももう関わるな!」
「突然どうした。中で話せばいいだろ、な」
「触んじゃねえっ!」
「このガキっ……!」
 奥田が拳を振り上げた、その瞬間──。
「えっ……」
 何の前触れもなく背後から急に肩を掴まれ、俺は危うく後ろへ倒れそうになってしまった。
「な、何っ?」
 ふわ、と体が軽くなる。地面から足が浮き、目線が一気に高くなった。
「だ、誰だお前っ? 玲司、てめぇ俺を騙したのかっ……!」
 つい数秒前まで俺の腕を掴んで鬼のような顔をしていた奥田が、恐怖に青ざめた顔で俺を見上げている。
「悪いな、オッサン。どこの誰だか知らねえが……俺の方が先約なんだわ」
 ぶっきらぼうな喋り方。俺の体を奥底から震わせる、不機嫌な低い声。
「さ、……」
 雀夜──。
「どっ、どうして? 雀夜、どうしてここにっ!」
 雀夜だった。軽々と俺を抱き上げているのは、確かに雀夜だった。愛しくて怖くて堪らない、今の俺が一番会いたくなくて、それでいて一番会いたかった男──。
「雀夜ぁっ!」
「どういうことだ、玲司! 最初から俺をハメるつもりだったのか。クソ、素直に来たからおかしいと思ったんだ、ふざけやがって……!」
 憤る奥田を、雀夜は冷静に見据えている。
「桃陽の本名を知ってるってことは……オッサン、あんた桃陽の身内か? こんな場所で、こいつをどうするつもりだった?」
「さ、雀夜っ! 下ろして。もういいから、下ろして!」
 暴れる俺を解放した雀夜が、自分の背中に俺を隠すようにして奥田の前に立った。
「ウチの大事な新人に何するつもりだったんか、って訊いてんだけど」
「う、うるせぇ! 急に現れて何様だてめぇはっ。玲司は俺の義理の息子だ、口出すんじゃねえ!」
「へぇ……」
 息子。それを聞いた雀夜の声が一層不機嫌に、一層低くなった。
「そんじゃ、てめぇがガキの頃の桃陽に好き勝手してたってことか」
「雀夜っ……」
 俺は雀夜のシャツを力一杯握りしめ、固く目を閉じて身を強張らせた。
「好き勝手? 玲司がそう言ったのか? ──おい玲司、違うよなぁ? お前、俺に乗られて悦んでたもんな?」
「っ……」
「そうだろ? 泣きながらイイ声出してたじゃねえか。ガキの頃から淫乱なんだよ。なんたって、二度も再婚した母ちゃんの息子だもんな?」
「あ……、う……」
 言わないで。雀夜の前で、言わないで……。
 俺はガタガタ震えながら雀夜のシャツから手を離した。
「俺にお仕置きしてほしくて、わざと反抗的な態度取ってたんだろ?」
 震える両手を握りしめ、頭に乗せる。下を向き、顔を庇う。
「なあ、玲司?」
「……そ、そうです。僕が悪い子で、お父さんのお仕置きが必要だったから……。だから、お仕置きされても仕方ないし、僕はインランな子だから……お父さんに可愛がってもらえて、う、……嬉しい、です」
「桃陽……」
 雀夜が悲痛な面持ちで俺を見下ろしている。
「お父さんごめんなさい。もう泣きません。だから許してください。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
「これで分かっただろ、玲司には俺が必要なんだよ。久々に会って積もる話もあるんだわ。悪いけど帰ってくれねえか、兄ちゃん」
「………」
「ごめんなさい、お父さんごめんなさいっ……」
「玲司よ、顔は殴らねえから庇わなくていいって、俺いつも言っ…」
 何の前触れもなく、鈍い音が響いた。
「ぐっ──」
「雀夜……」
 背中から後方へゆっくりと倒れてゆく、俺のお父さん──奥田正一。
 恐ろしいまでに無表情な、雀夜の横顔。
 握った拳。
 地面に落ちた白いもの。赤い色。
 遠くの方で、通行人の発した悲鳴。
 全てが長い一瞬だった。
「が、あぁっ……は、歯がっ……!」
 鼻と口元を押さえてのた打ち回る奥田。ボタボタと流れ落ちる血が、地面に赤い染みを作ってゆく。それを見下ろしていた雀夜が奥田の体を跨ぎ、身を屈めて何かを耳打ちした。
「……、………」
 そして今度は、俺にもはっきり聞こえるように雀夜が言った。
「……分かったか。二度と桃陽にも、こいつの家族にも近付くな。次は歯だけじゃ済まさねえ」
「うう、う……あ、う……」
 恐怖と痛みに顔を引き攣らせ、何度も頷いている奥田。雀夜は奥田に背を向けて、何事もなかったかのように俺の手を握った。
「帰んぞ、桃陽」
「あ……」
 何が起きたのか、突然すぎて理解できなかった。歩き出そうとした瞬間、足がもつれて倒れそうになる。雀夜が咄嗟に俺の体を抱きしめた。
「………」
「仕事サボってんじゃねえよ、馬鹿野郎」
「ごめんなさい……雀夜」
 もっと他に言うことがあるのに、どうしても瞼が重くて、俺は雀夜に抱かれたままで目を閉じた。意識がなくなる寸前、何とか声を振り絞って雀夜の耳元に囁く。
「……ありがと、う……」
「………」
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