刀剣遊戯

飼育係

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1st game

12 Oct.  A.M. 6:30

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 目覚まし時計ですら遮ることのできなかった桐崎隆二きりざきりゅうじの惰眠は、一本の携帯の着信音によって打ち砕かれた。


『もしかして、まだ寝てるなんてことはないよね?』


 神無月のモーニングコールに混濁していた意識が一気に覚醒する。隆二は慌てて言い訳するが、受話器の向こうから返ってきたのは深いため息だった。


『あなたのことだからどうせそんなところだと思ってたわ。とりあえず服を着替えて家から出てきてよ。今、あなたの家の前まで来てるから』


 ――やらかした!
 隆二は布団を蹴り飛ばすと、すぐに着替えてアパートから飛び出した。


「あいかわらず朝は弱いのね。知ってたけど」


 セダンのドアが開くと運転席に乗っていた黒髪の女性がふくれっ面で出迎える。


「約束の時間を十五分もオーバーしているわよ」

「ご、ごめん! 昨夜はなかなか寝付けなくて……」


 嘘ではない。無月と祭りに出かけるのが嬉しくて、さながら遠足の前日の小学生のように興奮して眠れなかったのだ。
 しかしそんな言い訳が通用するはずもなく、


「もういいわ。その様子だと朝食もとっていないだろうからコンビニで何か買っていきましょう」


 隆二はうなだれながら助手席に乗った。


「ホントにごめん。寝坊なんてもう二度としないから」

「別に怒ってなんかいないわよ。ただ出発の一時間以上も前から起きて、がんばって支度してきた自分が馬鹿みたいだなあって思っただけ」


 ――むちゃくちゃ怒ってるじゃないか。
 コンビニで買ったおにぎりをほうばりながら隆二は小さく肩をすくめる。針のむしろに座るというのはこういう気分なのだろうか。

 神無月じんむつきは名古屋の大学で知り合った女性で隆二のひとつ上の先輩だ。サークル仲間ということで隆二はよく遊んでもらっている。
 今年で二十二歳だが、くりくりとした大きな瞳と低い身長のせいで実年齢より幼い印象を受ける。腰まで伸びた美しい黒髪が自慢でファッション雑誌に取り上げられたこともあったそうだ。
 贔屓目抜きにしても美人だと思うし、多少……いや、かなり口は悪いが天真爛漫な性格も魅力的だ。健全な男なら誰だって彼女のことを放ってはおかないだろう。


「私が約束を守らない男のことを嫌いだって知ってるでしょう。電話したらちゃんと起きてきてくれたから特別に許してあげるけど」


 にこりとも笑わずに言う。困ったことに無月は未だにへそを曲げているようだ。
 なんとかご機嫌をとらないと――と思ったときに隆二はようやく気付く。


「今日はスカートなんだ」


 いつもはショートパンツかジーンズしか穿かない無月が珍しい。服装も普段より女性らしいフリルのついたブラウスを着用していた。


「すごくかわいい」


 思ったままの感想を口にすると、無月はクラクションを一度鳴らす。


「もう一度言って」

「えっ、なんで?」

「いいから」

「今日の無月はすごくかわいいよ」


 言われた通りにすると、無月は「言われなくても知ってるわよう」と朗らかに笑いながら顔をハンドルにこすりつけた後、アクセルを思いきり踏み込んだ。


「いくら高速だからって、ちょっと速すぎ……!」


 青ざめる隆二を横目に無月は鼻歌を歌いながら周囲の車をごぼう抜きしていく。
 オービスに引っかかるんじゃないかと隆二が警告しても大丈夫の一点張り。仕方がないので開き直ってこのスリルドライブを楽しむことにした。
 甚だ不可解ではあるが、とりあえず無月は機嫌を直してくれたようだった。

 途中パーキングエリアで買い物をしながら、名古屋高速と名神高速道路を爆走すること約一時間。無月の運転する車は無事、目的地である関市に到着した。


「……生きた心地がしなかった」


 車は無事だったが中の隆二は無事では済まなかった。
 ジェットコースターをはるかに上回る恐怖を存分に堪能しながら、隆二は早く運転免許を取ってこれからは自分が運転しようと心に決めた。
 市役所に駐車してから二人は徒歩で目的地である刃物まつりの会場へと向かう。バスも出ているが出店以外の場所も回りたいとのことだった。


「郷土研究会のメンバーなら当然知ってると思うけど、ここ関市は700年以上も続く伝統ある刃物造りのメッカなのよ」


 隆二は軽く車酔いした頭をゆっくりと横に振る。
 岐阜県関市の刃物まつり――日本中の刃物業者が集う年に一度のビッグイベントらしいが、刃物嫌いの隆二にはとりわけ興味も関心もない。


「ドイツのゾーリンゲン、イギリスのシェフィールドと並んで刃物の3Sなんて呼ばれることもあるわね。他にも名産品としてうなぎがあるわ。お昼になったら食べに行きましょう」


 そんな隆二がなぜこのような祭りに参加しようと思ったかというと、単純に無月に誘われたからだ。ついでに言えば郷土研究会なる爺くさいサークルに入ったのも、入学時に無月に勧誘されたからというのが主な理由だった。
 要するに隆二は無月のことが好きなのだ。世間一般で言うところの一目惚れという奴である。


「ところで隆二。あの約束……もちろん覚えているよね?」

「もちろん。いいよ、無月の好きなもの何でも一つ買ってあげるよ」


 本日、十月十二日は無月の誕生日である。神無月に生まれたからそのまま名付けられたと自己紹介の時に得意げに語っていた。
 そしてそれを聞いた当時の隆二は冗談混じりに無月にこう言ったのだ。


「なら誕生日にはプレゼントを用意しないといけないね」と。


 今から半年ほど前の話なのだが、無月は本人すら忘れかけていたその言葉をしっかりと覚えていた。そして取られた言質を下敷きに再度プレゼントの約束をかわしたのが、つい数日前の話である。
 ――まあ、そのぐらいならいいか。
 貧乏学生ではあるが、好きな女の子にプレゼントを贈ること自体はやぶさかではない。こうして二人きりでデートできるのだからむしろお得なのではないだろうか。
 そんな隆二の甘い考えは早々に打ち砕かれることになる。


「ねえ隆二、このナイフなんてなかなかいいんじゃない?」


 会場に向かう前に立ち寄った店で、ショーケースに飾られた刃渡り15センチほどのナイフを見て隆二は驚愕する。


「じゅ……十三万……五千円?」


 桁が一つ違うのではないかとゼロを数え直すが、どう数えても、何度数えても、ナイフの値段は変わらなかった。


「冗談みたいに高いなあ……」


 ――こんな鉄の塊が、俺の一ヶ月のバイト代よりも高いのか。
 ナイフの値段なんて数千円がせいぜいだろうと考えていた隆二は己の認識を改めざるを得なかった。


「あら、これでも遠慮して安いものを選んだつもりなんだけど。どちらかと言えば私はそっちの百徳ナイフのほうが欲しいかな」


 無月はショーケースの上に無造作に置かれてある銀色を指さす。
 一本のナイフで百通りの使い道のあるお得なナイフらしいが、値札を見て顎をはずす。


「ひゃ……百万えんんんんんっ!」


 桁が二つ違うんじゃないかと目を疑いたくなるが、よくよく考えれば一万円でも充分すぎるほど高い。
 百通りものナイフの使い方をする機会なんて果たしてあるのだろうか。そもそもこれは使い物になるのだろうか。これでは百万損する百損ナイフだ。


「これでも日本刀を買うよりずいぶん安いんだけどね」


 隆二はショーウィンドウの後ろに鎮座する『藤原友重作』と紹介された拵えのない日本刀を一瞥する。
 価格は要相談らしいが、おそらくは天文学的な数字であろうことは火を見るより明らかだ。どれほどのローンを組めば買えるのか、考えただけで身震いが止まらない。
 隆二は視線を無月に戻すと言葉を詰まらせる。
 こんなに高いものはとても買えないと正直に言うべきか。しかしすでに欲しいものを何でも一つ買ってあげると約束してしまっている。口にすれば約束を破られることを嫌う無月に失望されてしまうだろう。
 冷や汗を垂らしながら目を泳がせる隆二を、無月は意地悪そうな目つきで笑う。


「冗談じょーだん。私だって隆二の財布の中身ぐらい知ってるわよう。そんなに無茶な要求はしないから心配しないで」


 その言葉を聞いて隆二はほっと胸をなで下ろした。


「あっ、でもこのナイフはちょっと面白そうだから買ってこっと」


 言うが早いか無月は百徳ナイフを掴んで店のレジまで持って行くと、百万もするそれをキャッシュカードを使ってポンと一括で買ってしまったのだ。
 あまりに庶民離れしたその光景を間近で見ながら隆二は思う。


「俺がプレゼントを買ってあげる必要ってホントにあるの?」と。
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