刀剣遊戯

飼育係

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1st game

P.M. 16:00

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 再び意識を取り戻したとき、隆二は薄暗い牢獄に閉じ込められていた。


「ここは……どこなんだ?」


 錆びた鉄格子に異臭を放つ便器。すぐに身体を動かそうとしたが、鉄製の椅子に両手足を縛り付けられており身動きの出来ない状態になっている。殺人罪で警察に捕まったのかもと考えたが、それにしては扱いがおかしい。
 服装を確認してみるが、まったく汚れていない。あんなに大量の血を被ったにも関わらず――あれもすべて夢だったというのか。ならばこの抜き差しならない現状も、もしかしたら夢なのだろうか。


「ようやくお目覚めかい。遅いじゃあないか」


 牢獄には隆二の他にもう一人居た。
 ぶくぶくに太った体躯と禿かかった頭が特徴的な醜悪な男だった。人間の形をした豚のようだというのが第一印象だ。どこかで見たことがあるような顔の気もするが、どうしても思い出せない。


「まっ、立て続けにあんなことがあったんだから無理もねえか。まったく、おめえもとんだ災難だなあ」


 男はポテトチップスを片手に、にやにやと軽薄な笑みを浮かべながら隆二に話しかけてくる。


「なあ、あんた。いったいここはどこなんだ? 俺はどうしてこんなところに縛られているんだ?」


 尋ねると男は「そんなこたぁ俺が知りてえよ」とゲラゲラ笑う。どうもこの男がここに連れてきた訳ではないらしい。
 ――何がなにやらさっぱりわからない。
 隆二の頭は混乱していた。


「あんたもここに捕らわれているのか?」

「んなわけねえ。見りゃわかんだろ」


 確かに男の言う通り。わざと破いたジーンズとジャケットというラフな出で立ちで、近場にある机に菓子を山積みにして食べている男が捕らわれているはずがない。


「俺の名前は楽車天漢だんじりギンガ。天の漢と書いてギンガって読ませる。ちなみに本名、所謂キラキラネームって奴だ」


 我ながらだせえ名前だが改名するのも面倒くせえとまた笑いながら、天漢は持っていたポテトチップスの袋の中身をすべて口の中に放り込み、今度はドーナッツの袋に手を伸ばした。
 こんな薄汚い牢の中でよく食が進む。隆二は嫌悪感を覚えるよりもむしろ感心してしまう。


「なあおめえ、『楽車』って苗字に聞き覚えない? 珍しい苗字だから印象に残ってると思うんだがなあ」


 あるわけない――言いかけて、隆二は口をつぐむ。


「……もしかして、楽車星夜議員のご子息か?」


 父親が懇意にしている関西の政治家の中に、そんな名前があったことをようやく思い出す。
 こんな珍しい苗字がそうたくさんいるはずがないと思ったが案の定「ピンポーン、大正解でーす」と盛大に拍手される。


「うちの親父はおめえの親父にずいぶんと世話になってるからな。息子のほうも覚えてくれていて良かったぜ」

「あんたが何者かはわかったけど、この状況についてはさっぱりわからない。何か知っていることがあればなんでもいいから教えてくれ」

「まあいいじゃねえか。今はこの状況を楽しめよ」


 ――楽しめるかっ!
 隆二はドーナッツを食い終えてケーキに手をつけようとしている天漢をにらみつける。


「わかった。いや、わからないけど、わからないことがわかった。とりあえずこの拘束を解いてくれないかな。あんたが縛りつけたわけじゃないんだろ?」

「悪ぃけど、それはできない」

「なんで?」


 訊くと天漢はクリームでべとべとになった手でボリボリと頭を掻きながら、


「単刀直入に言うと、俺は今からおめえに恐怖を与えなきゃなんねえんだ」


 と、よくわからない答えを返してきた。


「俺は恐怖ってもんは人の生命が死の危機に直面したときに放つ信号みたいなもんだって思ってる。だけどおめえに直接危害を加えちゃなんねえんだと。まったく、わけわかんねえって思わね?」


 話がまったく見えてこないが、それについては同意せざるをえない。


「だから俺は考えたんだ。どうしたらおめえを傷つけずに恐怖を与えられるかって」


 天漢がパチンと指を鳴らすと鉄格子が鈍い音を立てて開き、黒服の男が台車を押してやってきた。


「人っていうのは他人に感情移入する動物だ。他人が喜ぶ姿を見れば自分も嬉しくなるし、辛い目にあっていれば悲しくなってくる。俺には理解できない習性だがね」


 台車には人が乗っていた。
 四十代ぐらいの年齢で中肉中背の髪の長い女性だった。太い縄で身体を台車に縛りつけられ、口には猿ぐつわをかまされている。薬で眠らされているのか暴れることもなく瞳を閉じたまま台車の上でぐったりと横たわっている。


「だったら目の前で恐怖し死にゆく人間を間近で見れば、おめえも感情移入して恐れを感じてくれるんじゃね?
 ……って思ったんだけど、どうよ?」

「ばっ……ッ!」


 ――馬鹿なことはよせ!
 状況はわからないが目の前の男が人殺しをしようとしていることだけは理解できた。隆二は大声で叫んで非人道的な行為に及ぼうとする天漢を非難したが、彼はまったく意に介さない。


「思いのほか不評で心外だわ。ああ、感情移入するなら同性のほうが良かったか。すまねえ、ちょっと配慮が足りんかった」

「そういう問題じゃねえよ! この外道が、そんなことしていったい何になる! それでも同じ人間か!?」

「いやぁ、おめえにだけは言われたくねえんだけどなあ……まあいいや、面倒くせえからもう始めちまおう」


 天漢はお菓子の山の中から一振りのサバイバルナイフを取り出すと、何の躊躇もなくその肉厚な刃を台車に縛りつけられた女性の胸に突き立てた。
 女性の身体がびくんと大きく反り返る。あげた悲鳴は猿ぐつわのせいで声にはならなかった。

 ――ほっ、本当にやりやがった!
 台車に寝かされた女性は実はマネキンか何かで、自分を驚かせるためのブラックジョークではないかと心のどこかで思っていたが、あの反応を見る限り本物の人間としか考えられない。


「安心しろよ、ちゃんと急所は外してあるから。簡単に殺しちゃつまんねえしな。本当は悲鳴も聞かせてやりてえところなんだけど、俺ってばうるせえのは嫌いなんで勘弁な。ヘッドホン使って大音量の音楽をバンバン聞いてる奴がいるけど気が知れねえよ。耳が馬鹿になるっつうの」


 口笛を吹きながら天漢がナイフを引き抜くと、傷口からまるで噴水のように鮮血がほとばしった。
 あまりに凄惨な光景に、隆二は思わず顔を背ける。


「駄目だよ、ちゃんと見なきゃ。おめえのためにやってるんだからさ。黒服さん、ちょっとそいつの顔をこっちに向けてやってよ」


 天漢の言葉に、しかし台車を運んできた黒服は答えない。自分の仕事ではないと言わんばかりに無言を貫き、腕を組んだままその場から一歩も動かない。


「ちぇっ、無視か。まあいいよ、このまま続けていればどうせすぐこっちに顔を向ける。人間っていうのは基本『見たがり』だからね。怖ければ怖いほどね」


 だからホラー映画は本日も大盛況だ。そう嘯き天漢は、もう一度ナイフを女性に突き立てる。
 隆二は顔を背けたまま、なんとか身体の自由を取り戻せないかと懸命に足掻いた。
 しかし縛りつけられた縄は強靱で、どれだけ身体を揺すろうともビクともしない。隆二は歯軋りしながら女性のうめき声とナイフが肉に突き立てられる音を聞いているしかなかった。
 やがてうめき声が聞こえなくなり静寂が訪れる。隆二はそこでようやく視線を戻す。


「飽きた」


 天漢はナイフを無造作に放り捨てると、血塗れになった手で再び菓子を喰い始めた。


「狂人め! なんでそんなことが平気でできる!?」

「そうかあ? 俺ってば生まれつき人の血を見るのと肉を削ぐのが好きってだけで、それ以外は酒もギャンブルも反社会的行為も一切やらない。親父の金で日々をぼんやりと生きているだけの、ただの親の脛かじりよ? どっちかと言えばまっとうなほうだと思うんだけどなあ」


 ――完全にイカれてやがる。
 この男とまともな会話は不能と隆二は判断した。


「俺をどうするつもりだ?」

「いや、だからどうもしねえんだって。俺はおめえにビビってもらえりゃそれだけでいいんだよ。でもおめえ、せっかく俺が楽しい催しを開いてるのにぜんぜん見やしねえんだもん。それはねえわ」


 確かに恐怖は覚えた。しかしそれ以上に隆二は目の前の男に怒りを感じていた。
 一発ぶん殴ってから警察につき出してやろうと激しく肩を怒らせていると、後方から首筋に硬く冷たいものを押し当てられる。


「手ぬるい手ぬるい手ぬるいなあ『脛かじり』。そんなショーではオーディエンスは恐怖など感じないよ」


 首筋からうっすらと血がにじみ出る。
 突きつけられた極細の剣は鈍い光を放ち隆二の生命を絶とうと虎視眈々と狙っていた。


「……誰だよ?」

「よくぞ聞いてくれた。私の名前はギヨーム五世。かの有名なフランスの貴族、アヴェーヌ家の末裔である」


 ギヨームと名乗る男は小剣を下ろすと隆二の前に回り込み「以後お見知りおきを」と仰々しく一礼してみせた。
 金髪碧眼。長身痩躯に彫りの深い顔立ち。男の隆二から見ても惚れ惚れするほどの美男子だった。さすがは貴族の血をひいているだけのことはあるということか。


「ああ、こいつの言ってること全部真っ赤なウソだから。本名は新島たかし。年齢は二十六歳。フランスの貴族を気取っているが歴とした日本人だよ。顔は自前だそうだが髪は染めてるだけだし瞳の色もただのカラコンだ」

「その名で呼ぶのはやめたまえ!」


 鬼のような形相で鼻先に剣を突きつけられて天漢は眉をひそめる。


「ギヨーム様は終始このような調子で高貴な自分に見合った仕事を探して職を転々としていらっしゃる。典型的な青い鳥症候群で、ついたあだ名が『ちるちる』だ」

「君が総理の椅子を用意してくれればこのようなことをせずに済むのだがね」

「地方の一政治家のボンボンに何アホな期待してんだよ。仕事を紹介してやってるだけありがたいと思ってくれよ。
 あーあ、ホント俺の周りはこんな奴らばっかり。なあ、俺ってまっとうなほうだって思わね?」


 ――知るか。
 返答代わりに隆二は床に唾を吐き捨てる。単に頭のおかしい奴には頭のおかしい友人ができるということがわかっただけだ。


「話がそれてしまったから戻そう。『脛かじり』よ――」

「もう本名名乗っちゃったからハンドルネームで呼ばなくてもいいよ」

「では天漢、君のやりかたでは幼稚園児ですら恐怖を覚えない。まさしく児戯だ」

「え~? なんでなんで?」

「なぜなら君はそこの少年に手を出さないことを明言してしまっているからだ。板前がまな板の上の鯉を捌く様を見て誰が恐怖する? 安全の保証された殺人など出来の悪いショー以外の何者でもない。ジェットコースターのほうがまだマシだろう」


 あれは事故る可能性があるからねとギヨームはおどけた口調で言う。


「じゃあどーすりゃいいんだよ。これ以上俺たちにできることってなくね?」

「なに簡単なこと」


 ギヨームは剣を隆二の喉元に突きつけながら冷たい視線を向ける。


「この場に安全などないということを、彼の身体に直接刻みつけてやればいいだけのことだ」


 言うが早いかギヨームは、持っていた細剣を隆二の肩口に深々と突き立てた。


「この剣はフルーレ。フェンシング用の細身の剣だ。もちろん競技用ではない。きちんと実刃がついている」


 肩から全身に向けて稲妻のような痛みがほどばしり隆二は絶叫した。
 天漢が血相を変えて止めようとするがギヨームは彼を蹴り飛ばすことで黙らせる。


「私はそこのデブのように甘くはないぞ」


 ギヨームは剣を引き抜くと再び同じ場所に突き立てる。今度は骨にまで刃が到達し、ゴツリと嫌な音が聞こえてきた。


「徹底的に痛めつけて、君に死の恐怖というものを教えてさしあげよう」

「やめろ馬鹿! おまえそいつの親父の職業を知らねえのか」


 傷口からじわりじわりと広がってくる燃えるような激痛に耐えながら、隆二は二人の狂人の会話を一言一句逃さずに聞いていた。

 ――絶対に許さない。
 もちろん恐怖はある。しかしそれ以上に怒りが勝った。人の生命をゴミのように扱う彼らに、そして何よりもこんな社会の害虫どもに好き放題されている自分自身に腹が立った。
 彼らがどうしてこんな馬鹿げた事を続けているのか、会話の中に何かヒントはないか。隆二は痛みで苦しみ呻いているフリをしながらずっと聞き耳を立てていた。


「……その眼、気に入らないな」


 ギヨームは引き抜いた剣を隆二の眉間に突きつける。


「まさか私が本当に殺さないとでも思っているのかな?」

「やるならやってみろよ。このインチキ貴族が」


 その一言でギヨームの眼の色が変わった。眉間に触れた剣から腕に籠もった力が伝わってくる。
 本気の殺意というものを隆二はこの時初めて味わった。しかし怒りのせいか心は不思議と挫けてはいない。


「貴族への侮辱は――死罪に値する!」


 ギヨームが小剣フルーレを大きく引いた。隆二は恐怖をかみ殺し覚悟を決めて目を瞑る。


 刃が、放たれた。
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