刀剣遊戯

飼育係

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終幕

A.M.11:30

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 県内の医療施設にて応急処置を行った後、彼の身柄は本格的な手術のために都内某所の大病院へと移送された。
 幸いなことに腹部の傷は浅く大事には至らなかった。二週間の絶対安静が言い渡されたが、生命に別状はないとの診断だった。
 意識を取り戻した彼はVIP専用の個室でぼんやりとテレビを眺めていた。
 テレビではどの局も昨夜関市で起きた大量殺人事件の話題で持ちきりだった。現場のアナウンサーは悲鳴にも似た声で事件の凄惨さを視聴者に訴え、局内のタレントたちは怒りに声を荒げながら正体不明の犯人像を口々に予想し合っていた。今のご時世は殺人事件すら視聴率稼ぎのクイズ番組。平和ボケの証だ。


「入室よろしいでしょうか」


 ――コンコンコン。
 ノックの後に低い男の声。聞き覚えのある声だ。彼はすぐに了承する。


「失礼します。お加減はいかがでしょうか」


 花束を持って現れた学は、彼の姿を認めると深々と頭を下げた。
 全身黒ずくめのサングラス、顔には生々しいいくつもの刀傷と、明らかに堅気ではない雰囲気を醸し出している学だが、桐崎組の息のかかったこの病院内ではその事に言及する関係者は誰一人としていない。


「今回の刀剣遊戯は大規模でしたからね。今は国中大騒ぎですが、一ヶ月もすれば沈静化するでしょう。それまで隆一さまはこの部屋でごゆるりとおくつろぎください。この病院は我らの根城。警察の手が届くことは万に一つもございません」

「……俺は隆一じゃないよ」


 学に向き直った彼――桐崎隆二は、心底疲れきった声でその事実を伝えた。


「『刀剣遊戯』――それが隆一がやっていた殺戮ゲームの名前なんだね。テレビで流れているこの惨状も、ぜんぶ隆一が……いや、俺がやったことなのか」


 ――迂闊な発言だったか。
 学は能面のような表情は崩さず、しかし隆二に聞こえないよう小さく舌打ちした。
 隆二の前で隆一や刀剣遊戯の話をするのはタブーだ。後から記憶を改竄できるとはいえ完璧にとはいかないし、主の手を煩わしては従者として失格だ。
 しかし――今まで自分への報告なしに隆二に戻ったことのない主が、今回はいったいどうした風の吹き回しなのだろうか。
 学は訝しみ、わずかに首を捻る。


「すみません、つい呼び間違えてしまいました。あなたの亡きお兄さまの世話も私が担当していましたもので。刀剣遊戯というのは現在我が組で推進しております少し特殊な事業でして……」

「下手な言い訳はいらないよ。もう大方の事情は理解したから。それと俺の記憶なんていくらでも改竄できると高をくくらないでね。隆一はもう、死んだから」


 その一言で、今まで保っていた学のポーカーフェイスがわずかに崩れた。


「傷は軽傷でした。そのようなことがあろうはずもございません」

「傷の軽重は関係ないよ。あの夜、自らの短刀が腹に刺さった瞬間、隆一は大好きだったはずの刃物のことが嫌いになってしまったんだ。自らの存在意義を否定してしまった以上、もうこの世にはいられない」


 自ら転んで自らを刺し、自らを否定して退場する。それは死神の道化師の、実に道化師らしい滑稽な最期だった。
 学は怒り任せの反論を唇を噛むことでぐっとこらえた。
 苗床にすぎない隆二の言葉など、どこまで真実なのかわかったものではない。
 それに仮にすべてが隆二の言うとおりだとしても、彼がこの世に存在しているかぎり第二、第三の隆一が生まれないとも限らないのだ。
 ここは大人しく隆二に従うべき――それが学の下した判断だった。


「学さんは感情的になると思っていることがすぐに顔に出る。ポーカーフェイスは崩さないほうがいいよ」


 かつて隆一に指摘された欠点を隆二にも指摘され学は顔を強ばらせる。すぐに愛想笑いを浮かべたが、慣れないその表情は哀れなほどにひきつっていた。


「たぶん学さんが考えているようなことにはならないよ。俺はこの怪我が治ったら警察に自首するつもりだからね」


 学は大きく目を見開いた。
 とうとう我慢できずに声を荒げてしまう。


「ご冗談を! そのようなことをすればあなたは――ッ!」

「死刑だろうね。これだけ多くの悲劇を生み出したんだから当然の報いさ」


 学は怒りを必死に抑えた。激昂は逆効果。人は反発されればされるほど意固地になる生き物だということを彼は知っている。
 しかし、ここで隆二を失うわけにはいかない。学は呼吸を整え冷静さを取り戻してから隆二の説得にかかった。


「どうかお考え直しを。あなたがいなければ組の存続が危ぶまれます」

「組には学さんがいるじゃないか。親父のことをよろしく頼むよ」


 ――つくづく主とは正反対のことを考える人だ。
 気に入らないな――学はサングラスを外し、その鋭く切れ上がった双眸で隆二を睨みつける。


「これ以上、私を困らせるようなことは言わないでください。隆二さまがその気なら私にも考えがございます」

「脅しても無駄だよ。学さんが止めるようならここで舌を噛んで自殺する。だけど人を裁くのは法であるべきだって思うから、できれば邪魔して欲しくはないな」


 ――やってみろよ。
 拘束のための手を動かしかけて、学ははっと息を呑む。
 まっすぐにこちらを見つめる隆二の瞳は、鋭利な光を放つ真剣そのものだった。その顔には覚悟の二文字が張り付いていた。
 今、目の前にいるのは甘ったれの坊やだった隆二ではない。強い決意を持った一人前の戦士。そのことに学はようやく気付いた。


「……本気なのですね」


 学は手の動きを止めた。
 隆二のような眼をした人間を学は何度も拷問し、結局何も吐かせることができずに殺している。もちろん今回はそういうわけにはいかない。
 断固たる決意を持つ者は手強い。学が隆二を拘束しようともくろめば、彼は躊躇なく自ら死を選ぶことだろう。


「どうしても考えを改めてはくれませんか?」

「学さんには悪いけど、もう決めたことなんだ」


 すべての殺人は隆一という別人格が行ったこと。精神異常ということで情状酌量の余地はないだろうか――学は思案したが、すぐに無駄だと否定し頭から打ち消す。
 現在の隆二は安定しているように見える。精神鑑定は意味を為さない。それ以前に娘を殺された神宗一郎が彼を決して許しはしないだろう。出頭は死とイコールである。


「学さんは、本物の隆一兄さんのことを覚えてる?」


 学は諦観の念と共に頷いた。


「兄さんは文武両道を絵に描いたような人だった。そのうえ優しくて面倒見がよくて、子供の頃の俺はずっと兄さんに甘えて頼りきりだった」


 そしてその依存関係は、組の抗争に巻き込まれた隆一が、刺殺により他界した後も続いていた。
 心中に亡き兄の幻想を生みだしてまで、心優しかった兄の性格を醜く歪めてまで、隆二は隆一にすがり頼り続けたのだ。


「だけどそれももうおしまい。ここから先は俺自身でけじめをつけないといけない。そうでなければ俺のせいで死んだ人たちに――無月に顔向けできないよ」


 窓際に置かれた花瓶。そこに挿された一輪の造花を眺めながら隆二は言った。
 学は言葉を失い、ただその場に立ち尽くすより他なかった。


「学さん、刃物って本当に恐ろしいですよ。あれは俺からすべてを奪っていきました。隆一のおかげでずいぶんマシになったけど、俺の刃物嫌いはきっと生涯治ることはないと思う。もう二度と見なくて済むかと思うとせいせいしますよ」


 隆二は微笑んだ。それはすべての重荷を降ろした人間の安堵の表情だった。
 最初からこうしておけば良かった――隆二はゆっくりと息を吐く。
 狂気と凶器を以て人に死を運ぶ者の救いは、やはり自らの死によってもたらされるのだ。
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