ウィンチェスター家の呪い

四ツ谷

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第十二話「大地に舞う風」

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 ベッドの上に、一人の女が寝そべっている。絹糸のように細く空気を含んだ金髪を、白い裸体やシーツの上にゆたかに降り注いでいる。ベッドの上にいる女、マリアは、セシルの持ってきた砂糖菓子を口に含みながら、けだるげに身を投げ出してほとんど独り言のような長話をしていた。肩は小さく、一見華奢に見えるマリアの体は、腰にかけておおらかなカーブを描き、肉付きのいいふとももは薄桃色に色づいていた。

「この家、呪われてるんですって。気味悪がって誰も寄りつかないの。だからお給金がいいのかしらね。あたしは呪いなんか気にしないからかえって都合が良かったわ。たしかに薄気味悪いけど、塔にさえ近づかなきゃいいんだもの。ただ、お屋敷が広すぎるのは考えものね、仕事が多すぎるわ。これでも前当主のヘンリー様の頃は執事もいたし、もっと使用人が多かったって話よ。」

 セシルは開け放した窓の窓枠に腰掛けて、外を眺めていた。夕暮れに沈みゆく空の下に、陰気な塔の遠景が静かに佇んでいる。

 マリアの話を聞き流していたセシルが、窓の外から目を離さずに呟いた。

「呪いって、どんな?」

 マリアは肩をすくめる。

「さあ、詳しくは知らないわ。でも、この一族は呪いのおかげで栄えたって噂よ。なんでも塔に棲む妖魔に生贄を捧げることで繁栄を手にしたんですって。」

 セシルはなおも振り向かずに答えた。

「ふうん。でもそれって変だよね。生贄で繁栄するなんて、どう考えてもおかしいだろう? それじゃ、この家の人間は、何にも努力なんかしなくたって輝かしい未来が保証されてるってことなのかい?」

 まさかじぶんの主人の批判をするわけにはいかないので、マリアはたじろぎながら話をはぐらかす。

「さ、さあ……よくわからないけど、貴族なんてみんなそんなものじゃないの? あたしたちみたいにあくせく働かなくたって、いい暮らしができるじゃない。」

 濃くなっていく夕闇に、セシルの顔も沈んでいく。マリアからは彼がどんな表情をしているのかよく見えない。

「そうだね。貴族なんてそんなものだ。だったら、貴族なんてなくなってしまったほうがいいと思わないか? 能力も実力もなく、既得権益にあぐらをかいているだけの穀潰しだろう?」

 淡々とした声音が、ほんのわずかに低く、暗くなっていく。マリアがその背にうっすらと寒気を感じたのは、夜の訪れとともに空気が冷えているからだけではない。



 あれは十年ちかく前、アレクシスがまだウィンチェスター・ムーアにいて、アレクシスの母も生きていたころだ。ノアにはアレクシスも知らない友達がいた。名前はセシル・メイナード。出会った日は秋の頃で、色づき始めた木立の下にたたずむ飴色の髪をしたセシルが、まるで秋の森に迷い込んだ妖精のように見えた。その頃のセシルは今の姿からは想像もつかないほど華奢で、すらりとした体躯をしていた。セシルはノアに気づくと、ほんのり微笑んで挨拶をしてくれた。その笑みもまた可憐に見えたものだ。

 セシルはノアの一つ年上で、二人はすぐに友達になった。セシルはたびたび森を訪れては、幼い頃のノアと遊んだ。セシルが言うには、セシルの父がアレクシスの父ヘンリーに、事業の運営か土地の売買か何かの話をつけるためにこの屋敷に通っていて、そのたびにセシルをここに連れてきているのだそうだ。ノアはセシルをアレクシスに紹介したいと言ったが、セシルに止められた。

「ぼくたちが友達でいることは、ふたりだけの秘密だよ」

 幼い日のセシルはノアにそう言った。

「どうして?」

「僕の父さんは、ウィンチェスターのヘンリー様とは『商売がたき』ってやつらしいんだ。ならヘンリー様の息子と僕が仲良くするわけにいかないだろう?」

「それをいうなら、俺だってヘンリー様の息子だよ。アレクシスとは母さんがちがうけど。」

 セシルはかがやく瞳を細めて笑い、その笑みにノアの胸はわずかに高鳴った。セシルは手をのばしてノアの頬を撫でた。

「きみは特別だよ、ノア。ぼくはね、この友情を二人きりのものにしたいんだ。誰にも邪魔されずに君とこうやって過ごしたい」

 そう熱っぽく懇願されては、言う通りにするほかなかった。ノア自身、アレクシスも知らない秘密の友達がいることが、まるで自分だけの財産のように思えて嬉しかったのだ。どこか都会的な雰囲気をただよわせる年上の少年と、森の中で育むふたりだけの友情……秘密を持つことで、少しだけ大人になったような気持ちになれた。アレクシスはノアにとって愛しい弟のような存在だが、セシルは憧れの兄のような存在だった。泥だらけで森の中を走り回っている自分が恥ずかしいと思ったこともあったし、セシルにがっかりされたり幻滅されたくないと思ったのも事実だ。

 しかし、二人の友情は長くは続かなかった。アレクシスが国外に旅立ってすぐのころ、寂しさを胸に秘めて耐えるノアに追い討ちをかけるように、セシルに突然別れを告げられたのだ。セシルは彼の父と一緒に、遠い異国の地へ行くことになったのだそうだ。

 動揺して駄々をこねるノアに、セシルは悲しげな顔をしてみせた。

「しかたがないんだよ、ノア。父さんはこの土地にいられなくなってしまったらしいんだ」

「いられないって、どういうこと?」

「わからない。大人の話だから……。でも、父さんたちが話しているのを聞くに、これ以上ウィンチェスター・ムーアに父さんがいることを、ヘンリー様がお許しくださらないらしいんだ」

「なら、俺がヘンリー様に話してみる。思い直してくださるかもしれないよ」

 父や当主ヘンリーを取り巻く事情までは理解できなくても、すでに大人たちの間で決まった取り決めが覆らないことくらいは、幼いセシルにもわかっていたようだった。セシルは諦めのこもった笑みを見せて首を横に振った。ノアは別れを受け入れたくなくて食い下がった。

「きみと離れたくないよ、セシル。俺は一人ぼっちになってしまう。」

 子供のように駄々をこねるノアをなだめるセシルの微笑みがたまらなく悲しかった。セシルも別れが悲しいのだろう、光をたたえる瞳がいつもより潤んでいた。

「大丈夫だよ、ノア。僕はかならずここへ戻ってくる。何年先になるかわからないけれど……君を迎えにくるよ。約束だ」

 そう言ってセシルは柔らかい指でノアの涙の滲む目元をぬぐった。飴色の長い睫毛を一本一本数えられそうなほどセシルの顔が近づいてきて……二人は口付けをした。




「セシルと会ったのはそれきりだ。手紙も来なかったから俺のことなんてすっかり忘れたとばかり思ってたけど、まさか本当に戻ってくるなんて」

 アレクシスの書斎で、セシルの記憶をたどるノアの話を聞きながら、レティシアは隣に立つアレクシスから火傷しそうなほどの怒気を感じて思わず身をすくめた。セシルとノアがアレクシスの知らない秘密の関係を育んでいて、しかも別れ際にキスなんか交わしたとなれば、当然アレクシスは面白くないだろう。しかしこのセシル・メイナードという謎めいた青年のことをもっと知るためには、唯一彼を知っているノアから情報を聞き出すほかない。

 レティシアは咳ばらいを一つしてノアに尋ねた。

「彼、他に何か言ってなかったの?」

 ノアはアレクシスの怒りに気づいていないようすで、当時の記憶を探りながら言葉を紡ぐ。

「キスしたのなんてそれが最初で最後だし、彼が俺のことをどう思ってたかなんて……」

 レティシアは慌ててノアを制する。

「いえ、いいのよノア。キスのくだりはもういいから。彼の父親が前当主と商売敵だったって言ってたわよね。それについて彼から何か聞いてないの?」

「特に何も……二年ほどの短い付き合いだったし、二人ともまだ子供だったから……」

 アレクシスが怒りと苛立ちを隠しきれない低い声で言葉を挟んだ。

「それで君はその商売敵の息子と仲良くして、我が家の家業に支障が出ると考えなかったのか?」

 突然叱責されて、ノアはばつのわるそうな顔をあげた。

「すまないアレクシス、当時はそんなことまで気が回らなかったんだ」

「そのメイナードの息子とやらがいまさら戻ってくるのも妙だ。しかも君を迎えにくるってどういうことなんだ?」

 アレクシスの怒りの正体はほぼ嫉妬だろうが、その疑問自体はレティシアも気になるところではあった。メイナードとは何者で、ヘンリー・ウィンチェスターとどのような因縁があったのか。その息子セシルの思惑は何か。

「メイナード……」

 同席していたエゼキエルが思案げに呟いた。レティシアは話の流れを変えたくてエゼキエルに水を向ける。

「エゼキエル司祭、何か心当たりがあるのかしら?」

「いえ、あいにくと……ですがこの地に住んでいた者であれば教会に記録があるかもしれません。すぐに使いをやって調べさせましょう」

 エゼキエルの返事を聞いて、思いついたようにレティシアは両手を鳴らした。

「そうだわ、記録よ。メイナード氏とヘンリー卿は、事業か土地の話をしていたと言っていたわよね。台帳か、土地の売買記録に何か残っているかもしれないわ。」

 レティシアの提案に、正体のない不安や困惑から脱却できそうなきざしが見えて、アレクシスとノアの顔に少しだけ安堵が戻った。 

「その資料はこれからじっくり調べるとして……まずセシル・メイナードがどんな人なのか、私もこの目で見てみたいわ。」

* * *

 あらゆる疑念や不可思議に立ち向かい、まず己の目と耳で実態を知ろうとするレティシアの姿勢は賞賛すべきものだが、今回ばかりはその性質が裏目に出たと言うほかないだろう。

 セシル・メイナードはアレクシスからレティシアを紹介されると、わざとらしいほど大仰な態度でレティシアを褒めちぎってみせた。

「これはこれは、こんなに美しい女性にお会いできるとは思ってもみませんでした。僕のような根無し草には一生お目にかかれないような方ですよ。僕がこれまで出会ってきた女たちとは比べものになりません。アレクシス様もすみにおけないな、未来のウィンチェスター夫人ですか?」

 そんなことを言いながら大きな笑い声を立てるものだから、レティシアは表情をひきつらせ、アレクシスは不快を隠さずに咳払いした。

「セシル。彼女は僕の顧問であり客人でもあるんだ。無礼な物言いはやめてもらおう」

 そう言い返されるとセシルは芝居がかった仕草で驚いて見せた。

「おや、お気に障りましたか? レティシア・ウィンチェスター、すばらしい響きだ! 彼女の才気があればウィンチェスター家も末長く安泰でしょう。ああ、これは失礼しました。この国の方々は奥ゆかしい方ばかりなのだということをすっかり忘れていました。僕は長く新天地にいましたからね。自由の風に長く触れていたものですから、思ったことはなんでも、率直に話してしまうのですよ。」

 新天地。この国の未来を見限って、多くの人々がまだ見ぬ発展を求めて旅立ったと聞く。すでに現地で成功を収め、富を築いた者もいるらしい。その噂がまた人々を焚き付け、夢を追いかける労働者や実業家、新しい土地に起死回生をかける落ちぶれた貴族などが続々と移住し始めている。

 セシルの物言いに不快感をあらわにしていたレティシアも、すぐに切り替えてセシルの言葉を拾った。

「新天地へは、あなたのお父様と?」

「ええ、その通りです、レディ。荒々しい土地ですが僕には水が合っていたようです。砂埃の舞う果てのない大地、土地や家畜の奪い合いと暴力。あの地では力こそが全てなのです。財産や土地を掠め取ろうとする者をいかに屈服させるか。主人は誰なのかをいかにして思い知らせるか? そこでは、拳と銃と鞭だけがものを言うのです。しがらみも、しきたりもそこでは通用しない。ただ己の築いた力だけで道を切り開けるのです」

 アレクシスの脳裏に、新天地の赤茶けた大地に太陽が照りつける光景が浮かび上がった。何のしがらみも、しきたりもなく──セシルの言葉が反響する。セシルが大仰に振り回す太い腕から、ボタンを一つ二つ開けたシャツの襟に覗く小麦色の肌から、むせ返りそうなほどの男らしさが立ちのぼってくる。憧れを抱きそうになる心を理性で諌める。暴力だけが趨勢を決める世界など、ただ野蛮でしかないと自分に言い聞かせる。

 そんな野蛮な世界で十代を過ごしたこの男が、いったいアレクシスに、そしてノアに何の思惑があってこの地へ戻ってきたのか。いっそ単刀直入に聞いてしまいたかったが、レティシアとエゼキエルの調査を待つほうが賢明だろう。アレクシスは、自分が老獪な者たちの一部になったような気分に陥った。目の前に危機が迫っていながら、手をこまねいていて何もできない、ただ奪われるのを待つだけの遺物になったような……そうして衰退していくのだろうか。この家も、貴族も。この国も。
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