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第六話「夏の日」
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この出会いは偶然なのだと思っていた。少しばかり運命がずれていたら、ウィンチェスター家を訪れたのが別の司祭だったかもしれないし、屋敷に奥方や一人息子が残っていたかもしれない。
けれど今となっては、これは始めから定められた運命だったと思える。その運命を定めたのは、神でも悪魔でも人でもなく、塔に住む妖魔だったのだと。妖魔がエゼキエルをウィンチェスター・ムーアに呼び寄せ、ヘンリーと引き合わせ、ひと夏を過ごさせ、生涯忘れられぬ愛と傷跡を残させたのだと。
よく晴れた初夏の日だった。濃緑の葉の生い茂る森を横目に見ながら、エゼキエルは乾いた道の上を屋敷の門に向かって歩いていた。近づくにつれ、屋敷とその奥にある塔が見えてくる。古びた煉瓦造りの塔は、太陽に照らされてただそこに建っていて、噂されているような呪いの元凶であるとは思えなかった。
正面玄関の前に立っていた執事に案内されて屋敷の中に足を踏み入れる。主人であるヘンリー・ウィンチェスターは出かけているのだという。人嫌いだと聞いていたから、歓待は期待していなかった。それよりも、ヘンリーが教会から派遣される司祭を受け入れはしたものの、気が変わってエゼキエルを追い出したりしないか、それが懸念だった。気に入られるとまではいかないものの、少なくとも機嫌を損ねないよう振る舞わなければならないだろう。
屋敷の中は人気がなく、静かだった。清潔は保たれていたから下働きの使用人たちがいるのだろうが、家人らしきものの姿は見えなかった。話に聞いていた通り、奥方を亡くし息子を国外に送ってからは、親族も客人もなく、一人で暮らしているのだろう。
エゼキエルは客間に通されたが、館の主人がいないのでは何もすることがない。エゼキエルは応接用のソファから立ち上がり窓から外を見渡すと、中庭の隅に小さな建物があるのを見つけた。
「あの建物は?」
部屋の隅に立っていた執事に声をかける。
「礼拝堂です。長い間使われていませんが」
「私は司祭です。懺悔や礼拝を行える場所があるなら願ってもないことです。礼拝堂を拝見しても?」
「構いませんが、古びていますから危険があるかもしれません。あの礼拝堂をお使いになりたいなら人をやって修理させてからのほうが良うございましょうから、わたくしから旦那様にお伺いをいたします」
「わかりました。では──お庭を拝見しても?」
執事に許可をもらい、エゼキエルは一人で中庭へと出た。綺麗に切り揃えられた生垣の間を縫って歩く。先刻、窓から見えた礼拝堂の前までたどり着いた。石造りの小さな小屋で、たしかに古びてはいるが、執事が心配するほど朽ちているわけでもないように見える。中を見てみたかったが、勝手に入るのはためらわれた。窓に近づいてそっと中を伺ったが、暗くてよく見えない。
「この家には秘密の場所が多い」
背後から声をかけられ、驚いて振り向いた。そこには口髭をたくわえた紳士が立っていた。服装や年齢、たたずまいから、この男がヘンリー・ウィンチェスターその人なのだろうとエゼキエルは察した。
「侯爵様でいらっしゃいますか?」
「いかにも、私がこの家の主人だ。出迎えもせず失礼をした」
「いいえ、お気になさらず……私はエゼキエル・クロフォード。アルヴェリクス大聖堂の司祭です。このたびは訪問のお許しをいただき感謝します」
初めて会ったヘンリー・ウィンチェスターは、貴族らしい礼節をそなえてはいるものの、愛想はなく、誰のことも信じていないといった顔をしていた。心を閉ざし、自らを孤独の中に埋もれさせているようにエゼキエルには見えた。
「秘密の場所だと仰いましたが……お許しいただけるならば、この礼拝堂を使わせていただけませんでしょうか。司祭としてこのお屋敷に滞在する以上、礼拝や懺悔の儀を行う場所が必要なのです」
エゼキエルの懇願に、ヘンリーは少し考えてから「いいだろう」と言った。
「寛大なお心に感謝いたします。修理が必要だと執事の方が仰っていましたが」
ヘンリーは首を横に振った。
「それはならん。修理するとなれば、大勢の人間がここへやってきてあちこち掘り返すだろう。古い堂だが倒壊するほど朽ちてはいないから問題はない」
ヘンリーが口にした「掘り返す」という言葉が気になった。ヘンリーはこの礼拝堂を「秘密の場所」だと言った。もう一つはおそらく、あの塔のことだろう。しかしこの礼拝堂の秘密とは何なのだろうか。きっと誰にも知られたくない、誰にも見られたくないものが地下に埋まってでもいるのだろうか。
ヘンリーはエゼキエルをじっと見てから、再び口を開いた。
「君のような若い司祭が来るとは思わなかった。このような怪しいいわくつきの館に派遣されるなど、不本意だろう」
「……ウィンチェスター家は長く教会を支えてくださった一族です。こうしてお訪ねできたことを光栄に思っています」
模範解答のようなエゼキエルの言葉を嘲るように、ヘンリーは口の端を釣り上げた。
「この屋敷で君や教会の望むものは何も手に入らないだろう。だが君も教会からの命令で、仕事でここへ来ているのだ。教会へは君の都合のいいように報告するといい。私は世情にも政治にも興味がない、何と報告されても私は気にしない」
きっとどのように言い訳しても、この男には全て見抜かれる。エゼキエルはそう思った。
「……私の事情をお考えくださるならば、さいわいにも、私にとっても侯爵様にとっても都合の良い報告ができそうです。教会へはこう報告します。『ウィンチェスター侯爵は、改革には興味がなく、これからも教会と良好な関係を築きたいとお考えになっている』、と。……教会からこれ以上探りを入れられるのは不本意でしょう。侯爵様は静寂がお好きなようですから」
ヘンリーは再び笑った。
「ならば私と君は共犯というわけだ」
夕食はヘンリーと共にすることになったが、ヘンリーはほとんど口を開かず、静寂の中にカトラリーの音だけが静かに響いた。エゼキエルから何かと話しかけることもできたが、それをきっとヘンリーは好まないだろう。エゼキエルも黙って食事を続けた。
長らく黙っていたヘンリーが、ふと口を開いた。
「君のように、神にその身を捧げる生涯というのは、不信心者の私からは想像もつかない」
「……私は孤児として教会施設で育ちました。神に救われたこの命を捧げる以外の生き方を知りません」
エゼキエルが元孤児だと明かすと、ヘンリーは少し顔をあげてエゼキエルの顔を見た。
「ならば君も、運命の中に生きているのだな」
「どういう意味です?」
「我が家のいわくは知っているだろう。我が家は百五十年もの間、さだめと呪いに囚われてきた。この家に生まれた者は誰一人、そんなさだめは望んでいない。それでもこれが宿命なのだ」
「神はすべてを計画しておられます。さだめから逃れられる者などおりません」
「ならば私が憎むべきは神か?」
ヘンリーはワイングラスに口をつけながら、エゼキエルを試すように言った。聖職者であるエゼキエルを不愉快にさせて、荒れた心をつかのま慰めようとするかのように。
エゼキエルは少し考えてから答えた。
「怒りという感情もまた、神がお与えになった。時には怒りで己を鼓舞しなければ生きていけないときもありましょう。それもまた神の試練です。試練に立ち向かう者を神は否定なさいません。その原動力が信仰や希望ではなく、怒りや憎しみであったとしても」
「まるで君も怒りの中に生きているかのような口ぶりだ」
ヘンリーのその言葉に、エゼキエルの指が少しだけ震えた。怒り。ヘンリーが指摘するように、エゼキエルもまた心の奥底に怒りの炎を灯して生きている。境遇への怒り。エゼキエルを利用する者たちへの怒り。そして、こんなさだめをエゼキエルに与えた、神への怒り。
「……さっき、ご自身のことを不信心だと仰いましたね。私からはそうは見えません。神を恨むのは、大いなるものからの救いを求める心の裏返しです。神を信じておられるから神を恨むのです。……私も同じかもしれません。待っているのです、神が私を見出してくださる日を」
「誰からも見出されないというのは、孤独なことだ」
こんな問答をしているのが、だんだんと辛くなってきた。ヘンリーの言葉は鋭すぎる。心を幾重にも覆う鎧を、無理やり剥がしていくかのようだ。
「侯爵様は……聡明な方ですね。思慮深く、人生というものをよく知っておられる。だからこそ人を遠ざけるのですね。何よりも恐ろしく残酷なのは、さだめではなく人間だとご存知だから」
ヘンリーは大きく息を吐いた。
「そうかもしれんな。さだめに飲まれれば、人はあらがうことを諦め、希望を失い、冷酷になっていく。せめて怒りの感情でもあったなら、人間らしくあがいてみせることもできたろうに。私は君を羨ましく思うよ。君はこれからもきっと、炎のように生きていくのだろうから」
客室に戻り、寝台の前に跪き神に祈りを捧げながら、エゼキエルは先ほどのヘンリーの言葉を思い出していた。
『炎のように生きていく……。炎のように……』
怒り、燃え上がる闘志、野心、それらはたしかに炎のように、エゼキエルを焼き尽くそうとしていた。炎に飲まれてしまえば、心はきっと灰になってしまうだろう。だがこの炎を失えば、境遇にあらがう力も消えてしまうかもしれない。心の半分は炎に焼かれながら、もう半分は氷のように冷静に。そんな危うい綱渡りのような生き方を、これからもしていかなければならない。あるいは、エゼキエル自身が炎となって、周りのものすべてを焼き尽くすか。
エゼキエルはヘーゼルの瞳で、寝台の横に置かれた燭台の炎をじっと見つめていた。
ヘンリーは一人、サロン室で酒を飲みながら、ランプの火を眺めていた。
今日初めて会った、エゼキエルという男。穏やかで誠実な聖職者という強固な殻の中に、自らを閉じ込めている。しかし彼には若さゆえの危うさがあった。きっと強固な檻を自分自身に課さなければならないほどの激情が、彼の中に渦巻いているのだろう。彼を突き動かしているものは怒りか、孤独か、それとも飢餓感か。
深入りするつもりはない。教会から監視役として派遣されてきた司祭の人間性など、どうでもいいことだ。だが教会がもたらす伝統や政治に、なんの疑問も感じずただ従うだけの男には見えなかった。彼は何かを得ようともがいている。そんなふうにあがいてみせたことが、自分の人生の中であっただろうかとヘンリーは思いをめぐらせた。自分の心の中は、冷たい雨のような後悔と罪悪感で満ち満ちている。炎に触れれば少しは暖まるのだろうか。自分もただ一人の人間であったことを、思い出せるようになるのだろうか──
けれど今となっては、これは始めから定められた運命だったと思える。その運命を定めたのは、神でも悪魔でも人でもなく、塔に住む妖魔だったのだと。妖魔がエゼキエルをウィンチェスター・ムーアに呼び寄せ、ヘンリーと引き合わせ、ひと夏を過ごさせ、生涯忘れられぬ愛と傷跡を残させたのだと。
よく晴れた初夏の日だった。濃緑の葉の生い茂る森を横目に見ながら、エゼキエルは乾いた道の上を屋敷の門に向かって歩いていた。近づくにつれ、屋敷とその奥にある塔が見えてくる。古びた煉瓦造りの塔は、太陽に照らされてただそこに建っていて、噂されているような呪いの元凶であるとは思えなかった。
正面玄関の前に立っていた執事に案内されて屋敷の中に足を踏み入れる。主人であるヘンリー・ウィンチェスターは出かけているのだという。人嫌いだと聞いていたから、歓待は期待していなかった。それよりも、ヘンリーが教会から派遣される司祭を受け入れはしたものの、気が変わってエゼキエルを追い出したりしないか、それが懸念だった。気に入られるとまではいかないものの、少なくとも機嫌を損ねないよう振る舞わなければならないだろう。
屋敷の中は人気がなく、静かだった。清潔は保たれていたから下働きの使用人たちがいるのだろうが、家人らしきものの姿は見えなかった。話に聞いていた通り、奥方を亡くし息子を国外に送ってからは、親族も客人もなく、一人で暮らしているのだろう。
エゼキエルは客間に通されたが、館の主人がいないのでは何もすることがない。エゼキエルは応接用のソファから立ち上がり窓から外を見渡すと、中庭の隅に小さな建物があるのを見つけた。
「あの建物は?」
部屋の隅に立っていた執事に声をかける。
「礼拝堂です。長い間使われていませんが」
「私は司祭です。懺悔や礼拝を行える場所があるなら願ってもないことです。礼拝堂を拝見しても?」
「構いませんが、古びていますから危険があるかもしれません。あの礼拝堂をお使いになりたいなら人をやって修理させてからのほうが良うございましょうから、わたくしから旦那様にお伺いをいたします」
「わかりました。では──お庭を拝見しても?」
執事に許可をもらい、エゼキエルは一人で中庭へと出た。綺麗に切り揃えられた生垣の間を縫って歩く。先刻、窓から見えた礼拝堂の前までたどり着いた。石造りの小さな小屋で、たしかに古びてはいるが、執事が心配するほど朽ちているわけでもないように見える。中を見てみたかったが、勝手に入るのはためらわれた。窓に近づいてそっと中を伺ったが、暗くてよく見えない。
「この家には秘密の場所が多い」
背後から声をかけられ、驚いて振り向いた。そこには口髭をたくわえた紳士が立っていた。服装や年齢、たたずまいから、この男がヘンリー・ウィンチェスターその人なのだろうとエゼキエルは察した。
「侯爵様でいらっしゃいますか?」
「いかにも、私がこの家の主人だ。出迎えもせず失礼をした」
「いいえ、お気になさらず……私はエゼキエル・クロフォード。アルヴェリクス大聖堂の司祭です。このたびは訪問のお許しをいただき感謝します」
初めて会ったヘンリー・ウィンチェスターは、貴族らしい礼節をそなえてはいるものの、愛想はなく、誰のことも信じていないといった顔をしていた。心を閉ざし、自らを孤独の中に埋もれさせているようにエゼキエルには見えた。
「秘密の場所だと仰いましたが……お許しいただけるならば、この礼拝堂を使わせていただけませんでしょうか。司祭としてこのお屋敷に滞在する以上、礼拝や懺悔の儀を行う場所が必要なのです」
エゼキエルの懇願に、ヘンリーは少し考えてから「いいだろう」と言った。
「寛大なお心に感謝いたします。修理が必要だと執事の方が仰っていましたが」
ヘンリーは首を横に振った。
「それはならん。修理するとなれば、大勢の人間がここへやってきてあちこち掘り返すだろう。古い堂だが倒壊するほど朽ちてはいないから問題はない」
ヘンリーが口にした「掘り返す」という言葉が気になった。ヘンリーはこの礼拝堂を「秘密の場所」だと言った。もう一つはおそらく、あの塔のことだろう。しかしこの礼拝堂の秘密とは何なのだろうか。きっと誰にも知られたくない、誰にも見られたくないものが地下に埋まってでもいるのだろうか。
ヘンリーはエゼキエルをじっと見てから、再び口を開いた。
「君のような若い司祭が来るとは思わなかった。このような怪しいいわくつきの館に派遣されるなど、不本意だろう」
「……ウィンチェスター家は長く教会を支えてくださった一族です。こうしてお訪ねできたことを光栄に思っています」
模範解答のようなエゼキエルの言葉を嘲るように、ヘンリーは口の端を釣り上げた。
「この屋敷で君や教会の望むものは何も手に入らないだろう。だが君も教会からの命令で、仕事でここへ来ているのだ。教会へは君の都合のいいように報告するといい。私は世情にも政治にも興味がない、何と報告されても私は気にしない」
きっとどのように言い訳しても、この男には全て見抜かれる。エゼキエルはそう思った。
「……私の事情をお考えくださるならば、さいわいにも、私にとっても侯爵様にとっても都合の良い報告ができそうです。教会へはこう報告します。『ウィンチェスター侯爵は、改革には興味がなく、これからも教会と良好な関係を築きたいとお考えになっている』、と。……教会からこれ以上探りを入れられるのは不本意でしょう。侯爵様は静寂がお好きなようですから」
ヘンリーは再び笑った。
「ならば私と君は共犯というわけだ」
夕食はヘンリーと共にすることになったが、ヘンリーはほとんど口を開かず、静寂の中にカトラリーの音だけが静かに響いた。エゼキエルから何かと話しかけることもできたが、それをきっとヘンリーは好まないだろう。エゼキエルも黙って食事を続けた。
長らく黙っていたヘンリーが、ふと口を開いた。
「君のように、神にその身を捧げる生涯というのは、不信心者の私からは想像もつかない」
「……私は孤児として教会施設で育ちました。神に救われたこの命を捧げる以外の生き方を知りません」
エゼキエルが元孤児だと明かすと、ヘンリーは少し顔をあげてエゼキエルの顔を見た。
「ならば君も、運命の中に生きているのだな」
「どういう意味です?」
「我が家のいわくは知っているだろう。我が家は百五十年もの間、さだめと呪いに囚われてきた。この家に生まれた者は誰一人、そんなさだめは望んでいない。それでもこれが宿命なのだ」
「神はすべてを計画しておられます。さだめから逃れられる者などおりません」
「ならば私が憎むべきは神か?」
ヘンリーはワイングラスに口をつけながら、エゼキエルを試すように言った。聖職者であるエゼキエルを不愉快にさせて、荒れた心をつかのま慰めようとするかのように。
エゼキエルは少し考えてから答えた。
「怒りという感情もまた、神がお与えになった。時には怒りで己を鼓舞しなければ生きていけないときもありましょう。それもまた神の試練です。試練に立ち向かう者を神は否定なさいません。その原動力が信仰や希望ではなく、怒りや憎しみであったとしても」
「まるで君も怒りの中に生きているかのような口ぶりだ」
ヘンリーのその言葉に、エゼキエルの指が少しだけ震えた。怒り。ヘンリーが指摘するように、エゼキエルもまた心の奥底に怒りの炎を灯して生きている。境遇への怒り。エゼキエルを利用する者たちへの怒り。そして、こんなさだめをエゼキエルに与えた、神への怒り。
「……さっき、ご自身のことを不信心だと仰いましたね。私からはそうは見えません。神を恨むのは、大いなるものからの救いを求める心の裏返しです。神を信じておられるから神を恨むのです。……私も同じかもしれません。待っているのです、神が私を見出してくださる日を」
「誰からも見出されないというのは、孤独なことだ」
こんな問答をしているのが、だんだんと辛くなってきた。ヘンリーの言葉は鋭すぎる。心を幾重にも覆う鎧を、無理やり剥がしていくかのようだ。
「侯爵様は……聡明な方ですね。思慮深く、人生というものをよく知っておられる。だからこそ人を遠ざけるのですね。何よりも恐ろしく残酷なのは、さだめではなく人間だとご存知だから」
ヘンリーは大きく息を吐いた。
「そうかもしれんな。さだめに飲まれれば、人はあらがうことを諦め、希望を失い、冷酷になっていく。せめて怒りの感情でもあったなら、人間らしくあがいてみせることもできたろうに。私は君を羨ましく思うよ。君はこれからもきっと、炎のように生きていくのだろうから」
客室に戻り、寝台の前に跪き神に祈りを捧げながら、エゼキエルは先ほどのヘンリーの言葉を思い出していた。
『炎のように生きていく……。炎のように……』
怒り、燃え上がる闘志、野心、それらはたしかに炎のように、エゼキエルを焼き尽くそうとしていた。炎に飲まれてしまえば、心はきっと灰になってしまうだろう。だがこの炎を失えば、境遇にあらがう力も消えてしまうかもしれない。心の半分は炎に焼かれながら、もう半分は氷のように冷静に。そんな危うい綱渡りのような生き方を、これからもしていかなければならない。あるいは、エゼキエル自身が炎となって、周りのものすべてを焼き尽くすか。
エゼキエルはヘーゼルの瞳で、寝台の横に置かれた燭台の炎をじっと見つめていた。
ヘンリーは一人、サロン室で酒を飲みながら、ランプの火を眺めていた。
今日初めて会った、エゼキエルという男。穏やかで誠実な聖職者という強固な殻の中に、自らを閉じ込めている。しかし彼には若さゆえの危うさがあった。きっと強固な檻を自分自身に課さなければならないほどの激情が、彼の中に渦巻いているのだろう。彼を突き動かしているものは怒りか、孤独か、それとも飢餓感か。
深入りするつもりはない。教会から監視役として派遣されてきた司祭の人間性など、どうでもいいことだ。だが教会がもたらす伝統や政治に、なんの疑問も感じずただ従うだけの男には見えなかった。彼は何かを得ようともがいている。そんなふうにあがいてみせたことが、自分の人生の中であっただろうかとヘンリーは思いをめぐらせた。自分の心の中は、冷たい雨のような後悔と罪悪感で満ち満ちている。炎に触れれば少しは暖まるのだろうか。自分もただ一人の人間であったことを、思い出せるようになるのだろうか──
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