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第十話「魔の夜」
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夏の温室は太陽光で温められた空気が充満して、花が落ちて葉の生い茂る薔薇の茎から湿った吐息をふんだんに吐き出させていた。むせかえるほどの湿気と葉の青臭さ。天を見上げると、分厚いガラスで遮られた遠く向こうに夏の太陽が輝いているのが見えた。
夏の太陽の灼熱の光に打たれたようにうつむくエゼキエルに、ヘンリーは一通の書状を差し出した。細長く丸められ、ウィンチェスターの家紋をかたどった封蝋が押されている。
エゼキエルは書状を、何も言わずに受け取った。迷うようにゆっくりとした動作で。書状の端を軽く握ると、ヘンリーが手を離した。エゼキエルは取り残されたように書状を宙に掲げ、少しして諦めたように腕を下ろし、唇を震わせながら嘆息を漏らした。
「なかったことにしたくありません。ここでの日々も、あなたとの出会いも──」
ヘンリーがエゼキエルをじっと見つめる。硬質な光をたたえた瞳でエゼキエルを見つめるヘンリーがたまらなく憎らしくなった。幾重にも本心を覆い隠そうとするこの男のすべてを暴きたいと思った。実際、この男の心の深いところまで、この身を沈めていたはずだった。そこは暗く、悲しみに満ちていたが、それがなぜか暖かくて心地よかった。
「きみには神の愛も聖職者としての将来も約束されている。家と共に滅びゆく老いぼれの残り少ない人生に巻き込むわけにはいかない」
エゼキエルはヘンリーに背を向けた。濃緑に色づく薔薇のしげみが瞳に映る。
「……あなたは私の生き方を、炎のようだと仰った。私をそんなふうに評したのはあなただけ……私はそのように生きたいと思いました。炎はいつか消える。けれど生きているあいだは何もかも焼き尽くすほどに燃え盛るのです」
温室の熱気と湿気がじりじりと二人を焼いた。ヘンリーはこちらに背を向けるエゼキエルに気づかれないように、ぐっと拳を握りしめた。俯いて身を固くするエゼキエルに手を伸ばしたい。その体に触れたい。そんな衝動が腹の奥底から湧き上がってくる。エゼキエルの細身の体はいま悲しみに固く閉ざされていて、何かの拍子に折れてしまいそうなほどだ。それでいて、触れれば火傷しそうなほどの情念をただよわせてもいる。いまにもエゼキエルが炎に巻かれて、あっというまに骨も残らぬほど焼け尽くされてしまいそうな、そんな幻覚を見そうになるほどだ。そうなる前にこの腕の中に抱きしめたい。それが許されぬことだとわかっていても。
ふと、エゼキエルの巻き毛の黒髪に、どこから落ちたのか薔薇の萼がついているのが目に入った。するどい棘のような形状をもつ萼。棘のように皮膚を突き刺しはしないが、肌に触れれば小さな痛みをともなうだろう。ヘンリーはゆっくりと手を伸ばした。指先はエゼキエルの背中のラインを、触れることなくなぞりながらのぼってゆく。髪の隙間から見える首筋はうっすらと汗ばんでいた。恐れるような、迷うような指先がもう少しで髪に触れそうになった、その時。何かに気づいたようにすばやくエゼキエルが振り返った。エゼキエルのすぐ後ろに立って、じっと見下ろしていたヘンリーの瞳とかちあった。二人とも動きを止めて、一瞬の緊迫が張り詰めたあと、ヘンリーは温室の熱気の中に逃すように熱い息を短く吐き、エゼキエルに口付けた。その口付けはほんの一瞬で、ヘンリーは逃げるようにすぐに唇を離した。後ろに下がろうとするヘンリーの肩をつかみ頬に手を添え、今度はエゼキエルから口付けた。深く、長い口付けを交わす。二人の湿った吐息が、薔薇の茂みの中にまぎれていく。
名残惜しさをなんとか振り解いて、ようやく唇を離した。二人とも、胸の奥底から湧き起こる切なさに追い立てられるように息が上がっていた。
「君は言ったな。この家の秘密を知っているのは私と君だけだと。だから私は君を巻き込みたくないんだ」
エゼキエルはヘンリーから目を離さずに首を振った。
「いいえ。私のすべてはあなたのもの。この屋敷に足を踏み入れた時から……」
「神の徒を犠牲にするなど、許されぬことだ」
「神の怒りなど恐れません。私が恐れるのは、この愛を葬り去ってしまうこと。あなたからの愛を得られず、一生をこごえて過ごすこと……。この愛が許されぬというなら、罰がほしいのなら、私を思って苦しんでほしい。そうすれば私を忘れることはないでしょう。私が塔にとらわれたあとも……」
熱に浮かされたように語るエゼキエルから目が離せない。若かりし日は、妻への愛を押し殺していられるだけの鉄壁の理性を持っていたのに、長年の孤独と失った愛の痛みがヘンリーをすっかり弱くしていた。体を覆い尽くすほど強く湧き起こる衝動と愛おしさにすべてを任せてしまいたい。愛するものを二度も失って、一生の後悔に苛まれたとしても。いまこの一瞬にすべてを賭けられないなら、燃え尽きるほどに命の炎を燃やせないなら、なんのための生だというのだろう。なんのための愛だというのだろう。
再び二人はゆっくりと頬を寄せ合って、長く静かな口付けをした。慈しむように。別れを告げるように。悲しみをわかちあうように。いまこの瞬間を、この世の何よりも愛するかのように。
天蓋の中はせわしない吐息で満たされていた。吐息と、衣ずれの音と、時折聞こえる二人の呻き声。苦しげに熱を吐き出しながら、絶えることのない官能に翻弄される。
エゼキエルは腕を伸ばして、じっとりと汗ばんだヘンリーの裸の背を抱いた。長い手足が蜘蛛のようにヘンリーの体に絡みつく。肉を割り込んで猛り立った欲望がエゼキエルの中に侵入してくる。
「あ……! ああ……!」
エゼキエルは喉を反らせて嘆息する。愛しさと悲しみが、同じくらいの熱量でエゼキエルの体を駆けめぐった。体を小さく震わせながら、暗闇の中でエゼキエルはヘンリーを見上げて、熱のこもった視線を交わし合った。
明かりを落とした室内の、さらに天蓋で区切られた寝台の中だけが、二人を隠す最後の砦だった。最初で最後の夜。魂の炎をほとばしらせて、命も肉体も残された時間も、すべて燃やし尽くしてもかまわないとすら思える。ヘンリーを全て受け入れてもまだ足りないというふうに、エゼキエルはヘンリーの腰に絡めた脚に力をこめて、ねだるように動いた。快感に身を震わせるヘンリーが吐いた熱い息が、エゼキエルの頬をかすめていく。
ヘンリーが何度も腰に力を入れて、エゼキエルの中を愛撫する。つながった場所、触れ合った箇所すべてから切なさが湧き起こって、エゼキエルは絶え間なく喘いだ。いまだけは誰にも邪魔されないこの時間がいとおしかった。ヘンリーの熱い指が、エゼキエルの頬や唇、首筋を撫でる。触れられるたびにエゼキエルは引きずるような声を上げ、それすらも口付けで奪われる。
これほどまでのほとばしるような幸福を、情事で感じたことなどなかった。エゼキエルにとって情事とは、屈辱に耐える時間であり、ぞっとするほど低俗な欲望を浴びせられる行為でしかなかった。その苦しみすべてが報われたような気がしていた。いまやっとエゼキエルは、愛し合うことを知ったのだ。
一晩中続くのではないかと思うほど、二人の官能はとどまることを知らなかった。向かい合ったまま一度果てても、情欲の火が消えることはなかった。二人は寝台の上に起き上がり、エゼキエルはヘンリーの膝の上にまたがった。そのまま体を密着させて抱き合い、エゼキエルは腰をヘンリーの猛った欲望の上に下ろしていく。
ヘンリーを腕の中に抱き、彼の顔を見下ろすような格好になると彼を征服したような気持ちになって高揚した。何度もエゼキエルから逃げようとした男。憎らしいほど愛したこの男をようやく捕まえられた。エゼキエルが腰をくねらせるたびにヘンリーが苦しげな顔をしてみせるのが愉快ですらあった。優越感がエゼキエルを焚き付けて、さらに欲望を掻き立てていく。
欲望が深まり、そして終わりが見えてくるにつれ、二人の動きは野蛮なものになっていった。ヘンリーはエゼキエルを寝台の上に這わせ、腰をつかんで杭を打つように背後から欲を叩きつけた。エゼキエルは枕をつかみながら、垂れ下がった髪の中で激しく喘いだ。
「はあっ、はあっ……! あッ! ああっ!」
歯を食いしばっても逃しきれないほど、狂乱のような欲望が湧き起こって全身を支配する。エゼキエルの激しい喘ぎのなかに、肉のぶつかる音とヘンリーの呻き声が混じり合う。
快楽に翻弄されながら、エゼキエルはふと、右足に小さな違和感をおぼえた。足首に何かが這っている。そう、それはちょうど蛇のような……思わず振り返って自分の足を見る。そこには何もいない。再び枕に顔を埋める。しかし幻影の蛇は消えることはなかった。ひやりとした蛇の肌がエゼキエルの足の上を滑り、ゆっくりと巻き付くように這っていく。
「あっ……あ、……」
快楽の中に冷たい恐怖が混ざり始めた。この蛇は、あの狩の日に、森の中でエゼキエルに噛みついた蛇かもしれない。情念の炎でもってしても蛇を振り払うことはできなかった。脚に巻きついた蛇はその肢体と鱗を蠕動させ、肉と骨が軋むほどエゼキエルの脚を絞めあげていく。
ヘンリーが激しく腰を打ち付ける。絶頂へと突き進む快感の高まりと、狂乱しそうなほどの恐怖が同時にエゼキエルを襲った。蛇はエゼキエルの脚を絞めあげて、そのまま暗闇へとひきずりこんでいくようだった。蛇に片足をとられて、果てのない運命の暗闇へと飲み込まれていく。どんなにもがいても抗っても、蟻地獄の砂が落ちるようにひきずりこまれて、無力感すらおぼえる。エゼキエルは激しく首を振った。
「いやッ……嫌……! ああぁっ、あああ!」
恐怖と絶頂の荒波がエゼキエルを飲み込んだ。エゼキエルは暗闇の中で叫び、雷のような絶頂に体を打たれて、気絶するように果てた。
長いこと気を失っていたのか、ほんの一瞬眠っていただけなのかわからなかった。エゼキエルがふと目を覚ますと、ヘンリーは寝台から出てガウンを羽織り、窓のそばに立って外の暗闇を見つめていた。力の入らない体を無理やり起こし、裸の上にカソックを羽織ったエゼキエルは寝台を出てヘンリーのそばへ寄った。
ヘンリーの視線の先を追うと、屋敷の向こうに塔が顔をのぞかせていた。塔の最上階の窓から緑色の光がぼんやりと明滅しているのが見える。
「塔が呼んでいる。行かなければ」
ヘンリーが苦渋を抑えた声でつぶやいた。窓枠を掴む冷えた手の上に、エゼキエルはそっと自らの手を重ねた。ヘンリーがエゼキエルを見る。エゼキエルは空いた手を伸ばしてヘンリーの頬に触れて微笑んで見せた。
「わたしを連れて行ってください。……わたしは何も恐れません。あなたに愛されたから……ほかに望むものはなにもありません」
塔の最上階へ辿り着くと、階の中央に置かれた鏡の扉は開かれていて、鏡の中から緑色の光が放たれているのが目に入った。二人で近づき、鏡の前に立つ。二人の身長よりも高い大きな鏡の中では、緑色の炎がとぐろのように渦巻いていた。鏡の周りでは、床に描かれた円状の紋様が弱い光を放っている。
やはり、この世ならざるものの力がこの中に封じ込められていたのだ。呪いは、伝承だけなら否定してしまえる。しかしこうして目の当たりにすると、その存在を受け入れるほかなかった。
緑の炎の渦を見ていると、その中にゆっくりと何かが蠢いているように見えた。それは人魚のように優雅に炎の中を漂っている。久しぶりの獲物の姿を察知して、生贄が屠られるのを待ち構えているようにも見えた。
二人は床に描かれた魔法陣のような紋様の輪の中に入り、鏡の前に向かい合って立った。ヘンリーはじっとエゼキエルを見下ろして、その唇は何か言いたげに薄いたあと、言葉を押しとどめるようにぐっと引き結ばれた。
エゼキエルは微笑んだ。
「ヘンリー様……最後に、口づけを……」
ヘンリーがエゼキエルの肩に触れ、エゼキエルはヘンリーの胸にそっと手をあててゆっくりと顔を寄せ合った。あと少しで唇が触れ合おうかというその時、エゼキエルが強くヘンリーの体を強く押して離れ、紋様の外へ出た。
その瞬間、床の紋様から何本もの青白い炎の筋が立ちのぼってヘンリーを取り囲み、二人の間は炎の壁で分かたれた。
ヘンリーが炎の中からエゼキエルを見つめている。エゼキエルは妖魔がもたらす現象の恐ろしさにおののきながらも、魅入られたように炎を見つめて独り言のように言った。
「塔に囚われるのは私じゃない」
ヘンリーは魔法陣の中で、困惑の色をたたえてエゼキエルを見た。その足は妖魔の力で氷のように凍え、動かせなかった。
エゼキエルは顔を上げて、ヘンリーの瞳を見つめ返した。
「塔に囚われるのは私じゃない……この屋敷で最も愛されたのは私じゃないから」
「エゼキエル……?」
恐れと困惑に震えるヘンリーの声を聞いて、エゼキエルは青白い炎に照らされながら目を見開き、乾いた笑い声をあげた。
「あなたは、私との賭けに負けたんだ。私を本当に愛しているならあなたが自ら犠牲になると言ってくださってもよかったはずだ」
エゼキエルは肩で息をして、ヘンリーを睨んだ。
「でもあなたはそうしなかった! 私はあなたのためなら犠牲になってもよかった、それくらい愛してた……! この屋敷で最も愛を受けたのも、塔に囚われるのも私じゃない。塔の生贄になるのはお前だ、ヘンリー・ウィンチェスター!」
「エゼキエル……!」
鏡の中の緑の炎が弾けるように鏡の外へと飛び出した。鏡の前で立ち尽くすヘンリーをあっというまに包み込み、その体を炎の中に飲み込んだ。エゼキエルは恐ろしさに思わず腕で顔を覆う。炎は瞬く間にヘンリーの体を燃やし尽くし、ヘンリーの身体は一瞬で灰となった。炎はヘンリーの魂を恐ろしい速さで鏡の中に引きずり込み、鏡の扉が音を立てて閉ざされた。その瞬間に魔法陣の炎も消え、あとには沈黙した鏡と、うずたかく積み上がった灰の山だけが残された。
「あぁ……」
エゼキエルは震えながら、その灰の山に近づく。ひざまずいて、灰を両手ですくった。指を握り込むと、灰は儚く指の隙間から漏れて、床にぼろぼろと落ちた。
滂沱の涙がエゼキエルの瞳にあふれた。灰を握った両手を額に当てて、エゼキエルはうずくまった。嗚咽の声が堰を切ったように唇から漏れ、エゼキエルは声を上げて泣いた。涙が灰の山の上に落ちる。すべて鏡の中に飲み込まれてしまった。二人の愛も、思い出も。瞼の中にヘンリーの姿が浮かんでは消える。礼拝堂で、蝋燭の炎に照らされながらエゼキエルを見上げていた顔。向日葵畑の前で佇む姿。そして最後の夜に、情熱的にエゼキエルを愛したヘンリーの姿──
塔の窓から、うっすらと陽がさしてきた。夜の闇が朝日によってすみれ色に染められていく。
エゼキエルは煤にまみれた顔で、ぼんやりと灰の前に座っていた。指をほどいて、手のひらの上の煤に息を吹きかけると、煤は宙へと舞い上がり、かき消えていった。
「……愛とは奇跡のようなもの」
エゼキエルは疲れきった表情でつぶやいた。
「そして、呪いのようなもの……」
エゼキエルは鷹揚な手つきで灰の山に手を伸ばし、指を差し込んで中を探った。エゼキエルの指は一本の鍵を探りあて、灰の山の中から拾い上げた。その鍵は、礼拝堂の床下に眠る碑文の石板がおさめられた箱の鍵だった。エゼキエルは、鍵を手の中に握り込んだ。
朝日はみるみるうちに高くなり、空を日の光で照らしていく。エゼキエルは荷物をまとめた鞄を手に、森の中を早足で歩いていた。朝日に追い立てられるように。敗走するように。死体を隠して逃げる殺人鬼のように。
ふと茂みから足音がして、エゼキエルははっとして振り返った。森番小屋のそばに森番のグレイが立っていて、エゼキエルの方を見ていた。
「司祭さんか。教会に戻りなさるのかね。こんなに朝早く」
エゼキエルは動揺を隠しながら笑った。
「グレイさん。ええ、そうなんです。昨夜、大聖堂から早馬が来まして、私に戻るよう命じたのです。なんでも、急用があるとかで……。とにかく急ぐようにとのことでしたので、朝一番にお屋敷を出ることにしたのです」
グレイは表情を変えずに、皺と髭にたたまれた顔でじっとエゼキエルを見ていた。何を考えているのか、何を見抜いているのか読めない老人だ。
「……ゆうべ遅く、塔のてっぺんが緑に光っているのを見た。司祭さんは何も見なさらんかったかね」
エゼキエルはつとめて何でもないふうを装いながら、小さく首を振って「ええ、見ませんでした。何も」と言った。
そのとき、森番小屋の中から声がした。少年の声で、「父さん、どうかした?」とグレイを呼んでいる。グレイは振り返ってその声に答えた。
「大丈夫だ。ノア」
そのまま踵を返して小屋に戻ろうとするグレイを、エゼキエルが呼び止めた。
「グレイさん、ヘンリー卿にお会いしたら私の代わりにお詫びを申し上げておいてはくれませんか。急なことでしたのでご挨拶もせずにお屋敷を出てしまったことを」
寡黙な森番は何も言わずに無表情のまま頷き、小屋へと戻って行った。
エゼキエルはそのまま森を抜けて、大聖堂へと戻った。急な帰還にリュシアンたちは驚いたが、エゼキエルはヘンリーがしばらく屋敷を開ける旨と、それにともない大聖堂に戻るようヘンリーに命じられたことをリュシアンたちに報告した。エゼキエルが持っていた書状にはヘンリーの字で、エゼキエルが報告したことと同じ内容、さらにはエゼキエルの司祭としての働きに対する謝辞が礼儀正しい文章で書かれており、リュシアンたちはエゼキエルの報告を信じるほかなかった。
ヘンリーが姿を消したことに、しばらくは誰も気が付かなかった。ヘンリーはよく誰にも行き先を告げず屋敷を空けていたからだ。主人がいっこうに戻らず、執事をはじめ使用人たちはほうぼうを探したが、ヘンリーが見つかることはなかった。エゼキエルが屋敷を去って数ヶ月してから、ヘンリーが失踪した報せが大聖堂にも届いた。
真実を知るものは誰もいない。ヘンリーがどのように姿を消したのか。何者によってそれが引き起こされたのか。ヘンリーとエゼキエルがひと夏の屋敷の中で、どのような感情を交わし合ったか。ヘンリーがエゼキエルを愛したことも、エゼキエルがすべてを賭けてヘンリーを愛したことも誰も知らない。誰も証明するものはいない。ただエゼキエルと、鏡の中の妖魔以外には。
夏の太陽の灼熱の光に打たれたようにうつむくエゼキエルに、ヘンリーは一通の書状を差し出した。細長く丸められ、ウィンチェスターの家紋をかたどった封蝋が押されている。
エゼキエルは書状を、何も言わずに受け取った。迷うようにゆっくりとした動作で。書状の端を軽く握ると、ヘンリーが手を離した。エゼキエルは取り残されたように書状を宙に掲げ、少しして諦めたように腕を下ろし、唇を震わせながら嘆息を漏らした。
「なかったことにしたくありません。ここでの日々も、あなたとの出会いも──」
ヘンリーがエゼキエルをじっと見つめる。硬質な光をたたえた瞳でエゼキエルを見つめるヘンリーがたまらなく憎らしくなった。幾重にも本心を覆い隠そうとするこの男のすべてを暴きたいと思った。実際、この男の心の深いところまで、この身を沈めていたはずだった。そこは暗く、悲しみに満ちていたが、それがなぜか暖かくて心地よかった。
「きみには神の愛も聖職者としての将来も約束されている。家と共に滅びゆく老いぼれの残り少ない人生に巻き込むわけにはいかない」
エゼキエルはヘンリーに背を向けた。濃緑に色づく薔薇のしげみが瞳に映る。
「……あなたは私の生き方を、炎のようだと仰った。私をそんなふうに評したのはあなただけ……私はそのように生きたいと思いました。炎はいつか消える。けれど生きているあいだは何もかも焼き尽くすほどに燃え盛るのです」
温室の熱気と湿気がじりじりと二人を焼いた。ヘンリーはこちらに背を向けるエゼキエルに気づかれないように、ぐっと拳を握りしめた。俯いて身を固くするエゼキエルに手を伸ばしたい。その体に触れたい。そんな衝動が腹の奥底から湧き上がってくる。エゼキエルの細身の体はいま悲しみに固く閉ざされていて、何かの拍子に折れてしまいそうなほどだ。それでいて、触れれば火傷しそうなほどの情念をただよわせてもいる。いまにもエゼキエルが炎に巻かれて、あっというまに骨も残らぬほど焼け尽くされてしまいそうな、そんな幻覚を見そうになるほどだ。そうなる前にこの腕の中に抱きしめたい。それが許されぬことだとわかっていても。
ふと、エゼキエルの巻き毛の黒髪に、どこから落ちたのか薔薇の萼がついているのが目に入った。するどい棘のような形状をもつ萼。棘のように皮膚を突き刺しはしないが、肌に触れれば小さな痛みをともなうだろう。ヘンリーはゆっくりと手を伸ばした。指先はエゼキエルの背中のラインを、触れることなくなぞりながらのぼってゆく。髪の隙間から見える首筋はうっすらと汗ばんでいた。恐れるような、迷うような指先がもう少しで髪に触れそうになった、その時。何かに気づいたようにすばやくエゼキエルが振り返った。エゼキエルのすぐ後ろに立って、じっと見下ろしていたヘンリーの瞳とかちあった。二人とも動きを止めて、一瞬の緊迫が張り詰めたあと、ヘンリーは温室の熱気の中に逃すように熱い息を短く吐き、エゼキエルに口付けた。その口付けはほんの一瞬で、ヘンリーは逃げるようにすぐに唇を離した。後ろに下がろうとするヘンリーの肩をつかみ頬に手を添え、今度はエゼキエルから口付けた。深く、長い口付けを交わす。二人の湿った吐息が、薔薇の茂みの中にまぎれていく。
名残惜しさをなんとか振り解いて、ようやく唇を離した。二人とも、胸の奥底から湧き起こる切なさに追い立てられるように息が上がっていた。
「君は言ったな。この家の秘密を知っているのは私と君だけだと。だから私は君を巻き込みたくないんだ」
エゼキエルはヘンリーから目を離さずに首を振った。
「いいえ。私のすべてはあなたのもの。この屋敷に足を踏み入れた時から……」
「神の徒を犠牲にするなど、許されぬことだ」
「神の怒りなど恐れません。私が恐れるのは、この愛を葬り去ってしまうこと。あなたからの愛を得られず、一生をこごえて過ごすこと……。この愛が許されぬというなら、罰がほしいのなら、私を思って苦しんでほしい。そうすれば私を忘れることはないでしょう。私が塔にとらわれたあとも……」
熱に浮かされたように語るエゼキエルから目が離せない。若かりし日は、妻への愛を押し殺していられるだけの鉄壁の理性を持っていたのに、長年の孤独と失った愛の痛みがヘンリーをすっかり弱くしていた。体を覆い尽くすほど強く湧き起こる衝動と愛おしさにすべてを任せてしまいたい。愛するものを二度も失って、一生の後悔に苛まれたとしても。いまこの一瞬にすべてを賭けられないなら、燃え尽きるほどに命の炎を燃やせないなら、なんのための生だというのだろう。なんのための愛だというのだろう。
再び二人はゆっくりと頬を寄せ合って、長く静かな口付けをした。慈しむように。別れを告げるように。悲しみをわかちあうように。いまこの瞬間を、この世の何よりも愛するかのように。
天蓋の中はせわしない吐息で満たされていた。吐息と、衣ずれの音と、時折聞こえる二人の呻き声。苦しげに熱を吐き出しながら、絶えることのない官能に翻弄される。
エゼキエルは腕を伸ばして、じっとりと汗ばんだヘンリーの裸の背を抱いた。長い手足が蜘蛛のようにヘンリーの体に絡みつく。肉を割り込んで猛り立った欲望がエゼキエルの中に侵入してくる。
「あ……! ああ……!」
エゼキエルは喉を反らせて嘆息する。愛しさと悲しみが、同じくらいの熱量でエゼキエルの体を駆けめぐった。体を小さく震わせながら、暗闇の中でエゼキエルはヘンリーを見上げて、熱のこもった視線を交わし合った。
明かりを落とした室内の、さらに天蓋で区切られた寝台の中だけが、二人を隠す最後の砦だった。最初で最後の夜。魂の炎をほとばしらせて、命も肉体も残された時間も、すべて燃やし尽くしてもかまわないとすら思える。ヘンリーを全て受け入れてもまだ足りないというふうに、エゼキエルはヘンリーの腰に絡めた脚に力をこめて、ねだるように動いた。快感に身を震わせるヘンリーが吐いた熱い息が、エゼキエルの頬をかすめていく。
ヘンリーが何度も腰に力を入れて、エゼキエルの中を愛撫する。つながった場所、触れ合った箇所すべてから切なさが湧き起こって、エゼキエルは絶え間なく喘いだ。いまだけは誰にも邪魔されないこの時間がいとおしかった。ヘンリーの熱い指が、エゼキエルの頬や唇、首筋を撫でる。触れられるたびにエゼキエルは引きずるような声を上げ、それすらも口付けで奪われる。
これほどまでのほとばしるような幸福を、情事で感じたことなどなかった。エゼキエルにとって情事とは、屈辱に耐える時間であり、ぞっとするほど低俗な欲望を浴びせられる行為でしかなかった。その苦しみすべてが報われたような気がしていた。いまやっとエゼキエルは、愛し合うことを知ったのだ。
一晩中続くのではないかと思うほど、二人の官能はとどまることを知らなかった。向かい合ったまま一度果てても、情欲の火が消えることはなかった。二人は寝台の上に起き上がり、エゼキエルはヘンリーの膝の上にまたがった。そのまま体を密着させて抱き合い、エゼキエルは腰をヘンリーの猛った欲望の上に下ろしていく。
ヘンリーを腕の中に抱き、彼の顔を見下ろすような格好になると彼を征服したような気持ちになって高揚した。何度もエゼキエルから逃げようとした男。憎らしいほど愛したこの男をようやく捕まえられた。エゼキエルが腰をくねらせるたびにヘンリーが苦しげな顔をしてみせるのが愉快ですらあった。優越感がエゼキエルを焚き付けて、さらに欲望を掻き立てていく。
欲望が深まり、そして終わりが見えてくるにつれ、二人の動きは野蛮なものになっていった。ヘンリーはエゼキエルを寝台の上に這わせ、腰をつかんで杭を打つように背後から欲を叩きつけた。エゼキエルは枕をつかみながら、垂れ下がった髪の中で激しく喘いだ。
「はあっ、はあっ……! あッ! ああっ!」
歯を食いしばっても逃しきれないほど、狂乱のような欲望が湧き起こって全身を支配する。エゼキエルの激しい喘ぎのなかに、肉のぶつかる音とヘンリーの呻き声が混じり合う。
快楽に翻弄されながら、エゼキエルはふと、右足に小さな違和感をおぼえた。足首に何かが這っている。そう、それはちょうど蛇のような……思わず振り返って自分の足を見る。そこには何もいない。再び枕に顔を埋める。しかし幻影の蛇は消えることはなかった。ひやりとした蛇の肌がエゼキエルの足の上を滑り、ゆっくりと巻き付くように這っていく。
「あっ……あ、……」
快楽の中に冷たい恐怖が混ざり始めた。この蛇は、あの狩の日に、森の中でエゼキエルに噛みついた蛇かもしれない。情念の炎でもってしても蛇を振り払うことはできなかった。脚に巻きついた蛇はその肢体と鱗を蠕動させ、肉と骨が軋むほどエゼキエルの脚を絞めあげていく。
ヘンリーが激しく腰を打ち付ける。絶頂へと突き進む快感の高まりと、狂乱しそうなほどの恐怖が同時にエゼキエルを襲った。蛇はエゼキエルの脚を絞めあげて、そのまま暗闇へとひきずりこんでいくようだった。蛇に片足をとられて、果てのない運命の暗闇へと飲み込まれていく。どんなにもがいても抗っても、蟻地獄の砂が落ちるようにひきずりこまれて、無力感すらおぼえる。エゼキエルは激しく首を振った。
「いやッ……嫌……! ああぁっ、あああ!」
恐怖と絶頂の荒波がエゼキエルを飲み込んだ。エゼキエルは暗闇の中で叫び、雷のような絶頂に体を打たれて、気絶するように果てた。
長いこと気を失っていたのか、ほんの一瞬眠っていただけなのかわからなかった。エゼキエルがふと目を覚ますと、ヘンリーは寝台から出てガウンを羽織り、窓のそばに立って外の暗闇を見つめていた。力の入らない体を無理やり起こし、裸の上にカソックを羽織ったエゼキエルは寝台を出てヘンリーのそばへ寄った。
ヘンリーの視線の先を追うと、屋敷の向こうに塔が顔をのぞかせていた。塔の最上階の窓から緑色の光がぼんやりと明滅しているのが見える。
「塔が呼んでいる。行かなければ」
ヘンリーが苦渋を抑えた声でつぶやいた。窓枠を掴む冷えた手の上に、エゼキエルはそっと自らの手を重ねた。ヘンリーがエゼキエルを見る。エゼキエルは空いた手を伸ばしてヘンリーの頬に触れて微笑んで見せた。
「わたしを連れて行ってください。……わたしは何も恐れません。あなたに愛されたから……ほかに望むものはなにもありません」
塔の最上階へ辿り着くと、階の中央に置かれた鏡の扉は開かれていて、鏡の中から緑色の光が放たれているのが目に入った。二人で近づき、鏡の前に立つ。二人の身長よりも高い大きな鏡の中では、緑色の炎がとぐろのように渦巻いていた。鏡の周りでは、床に描かれた円状の紋様が弱い光を放っている。
やはり、この世ならざるものの力がこの中に封じ込められていたのだ。呪いは、伝承だけなら否定してしまえる。しかしこうして目の当たりにすると、その存在を受け入れるほかなかった。
緑の炎の渦を見ていると、その中にゆっくりと何かが蠢いているように見えた。それは人魚のように優雅に炎の中を漂っている。久しぶりの獲物の姿を察知して、生贄が屠られるのを待ち構えているようにも見えた。
二人は床に描かれた魔法陣のような紋様の輪の中に入り、鏡の前に向かい合って立った。ヘンリーはじっとエゼキエルを見下ろして、その唇は何か言いたげに薄いたあと、言葉を押しとどめるようにぐっと引き結ばれた。
エゼキエルは微笑んだ。
「ヘンリー様……最後に、口づけを……」
ヘンリーがエゼキエルの肩に触れ、エゼキエルはヘンリーの胸にそっと手をあててゆっくりと顔を寄せ合った。あと少しで唇が触れ合おうかというその時、エゼキエルが強くヘンリーの体を強く押して離れ、紋様の外へ出た。
その瞬間、床の紋様から何本もの青白い炎の筋が立ちのぼってヘンリーを取り囲み、二人の間は炎の壁で分かたれた。
ヘンリーが炎の中からエゼキエルを見つめている。エゼキエルは妖魔がもたらす現象の恐ろしさにおののきながらも、魅入られたように炎を見つめて独り言のように言った。
「塔に囚われるのは私じゃない」
ヘンリーは魔法陣の中で、困惑の色をたたえてエゼキエルを見た。その足は妖魔の力で氷のように凍え、動かせなかった。
エゼキエルは顔を上げて、ヘンリーの瞳を見つめ返した。
「塔に囚われるのは私じゃない……この屋敷で最も愛されたのは私じゃないから」
「エゼキエル……?」
恐れと困惑に震えるヘンリーの声を聞いて、エゼキエルは青白い炎に照らされながら目を見開き、乾いた笑い声をあげた。
「あなたは、私との賭けに負けたんだ。私を本当に愛しているならあなたが自ら犠牲になると言ってくださってもよかったはずだ」
エゼキエルは肩で息をして、ヘンリーを睨んだ。
「でもあなたはそうしなかった! 私はあなたのためなら犠牲になってもよかった、それくらい愛してた……! この屋敷で最も愛を受けたのも、塔に囚われるのも私じゃない。塔の生贄になるのはお前だ、ヘンリー・ウィンチェスター!」
「エゼキエル……!」
鏡の中の緑の炎が弾けるように鏡の外へと飛び出した。鏡の前で立ち尽くすヘンリーをあっというまに包み込み、その体を炎の中に飲み込んだ。エゼキエルは恐ろしさに思わず腕で顔を覆う。炎は瞬く間にヘンリーの体を燃やし尽くし、ヘンリーの身体は一瞬で灰となった。炎はヘンリーの魂を恐ろしい速さで鏡の中に引きずり込み、鏡の扉が音を立てて閉ざされた。その瞬間に魔法陣の炎も消え、あとには沈黙した鏡と、うずたかく積み上がった灰の山だけが残された。
「あぁ……」
エゼキエルは震えながら、その灰の山に近づく。ひざまずいて、灰を両手ですくった。指を握り込むと、灰は儚く指の隙間から漏れて、床にぼろぼろと落ちた。
滂沱の涙がエゼキエルの瞳にあふれた。灰を握った両手を額に当てて、エゼキエルはうずくまった。嗚咽の声が堰を切ったように唇から漏れ、エゼキエルは声を上げて泣いた。涙が灰の山の上に落ちる。すべて鏡の中に飲み込まれてしまった。二人の愛も、思い出も。瞼の中にヘンリーの姿が浮かんでは消える。礼拝堂で、蝋燭の炎に照らされながらエゼキエルを見上げていた顔。向日葵畑の前で佇む姿。そして最後の夜に、情熱的にエゼキエルを愛したヘンリーの姿──
塔の窓から、うっすらと陽がさしてきた。夜の闇が朝日によってすみれ色に染められていく。
エゼキエルは煤にまみれた顔で、ぼんやりと灰の前に座っていた。指をほどいて、手のひらの上の煤に息を吹きかけると、煤は宙へと舞い上がり、かき消えていった。
「……愛とは奇跡のようなもの」
エゼキエルは疲れきった表情でつぶやいた。
「そして、呪いのようなもの……」
エゼキエルは鷹揚な手つきで灰の山に手を伸ばし、指を差し込んで中を探った。エゼキエルの指は一本の鍵を探りあて、灰の山の中から拾い上げた。その鍵は、礼拝堂の床下に眠る碑文の石板がおさめられた箱の鍵だった。エゼキエルは、鍵を手の中に握り込んだ。
朝日はみるみるうちに高くなり、空を日の光で照らしていく。エゼキエルは荷物をまとめた鞄を手に、森の中を早足で歩いていた。朝日に追い立てられるように。敗走するように。死体を隠して逃げる殺人鬼のように。
ふと茂みから足音がして、エゼキエルははっとして振り返った。森番小屋のそばに森番のグレイが立っていて、エゼキエルの方を見ていた。
「司祭さんか。教会に戻りなさるのかね。こんなに朝早く」
エゼキエルは動揺を隠しながら笑った。
「グレイさん。ええ、そうなんです。昨夜、大聖堂から早馬が来まして、私に戻るよう命じたのです。なんでも、急用があるとかで……。とにかく急ぐようにとのことでしたので、朝一番にお屋敷を出ることにしたのです」
グレイは表情を変えずに、皺と髭にたたまれた顔でじっとエゼキエルを見ていた。何を考えているのか、何を見抜いているのか読めない老人だ。
「……ゆうべ遅く、塔のてっぺんが緑に光っているのを見た。司祭さんは何も見なさらんかったかね」
エゼキエルはつとめて何でもないふうを装いながら、小さく首を振って「ええ、見ませんでした。何も」と言った。
そのとき、森番小屋の中から声がした。少年の声で、「父さん、どうかした?」とグレイを呼んでいる。グレイは振り返ってその声に答えた。
「大丈夫だ。ノア」
そのまま踵を返して小屋に戻ろうとするグレイを、エゼキエルが呼び止めた。
「グレイさん、ヘンリー卿にお会いしたら私の代わりにお詫びを申し上げておいてはくれませんか。急なことでしたのでご挨拶もせずにお屋敷を出てしまったことを」
寡黙な森番は何も言わずに無表情のまま頷き、小屋へと戻って行った。
エゼキエルはそのまま森を抜けて、大聖堂へと戻った。急な帰還にリュシアンたちは驚いたが、エゼキエルはヘンリーがしばらく屋敷を開ける旨と、それにともない大聖堂に戻るようヘンリーに命じられたことをリュシアンたちに報告した。エゼキエルが持っていた書状にはヘンリーの字で、エゼキエルが報告したことと同じ内容、さらにはエゼキエルの司祭としての働きに対する謝辞が礼儀正しい文章で書かれており、リュシアンたちはエゼキエルの報告を信じるほかなかった。
ヘンリーが姿を消したことに、しばらくは誰も気が付かなかった。ヘンリーはよく誰にも行き先を告げず屋敷を空けていたからだ。主人がいっこうに戻らず、執事をはじめ使用人たちはほうぼうを探したが、ヘンリーが見つかることはなかった。エゼキエルが屋敷を去って数ヶ月してから、ヘンリーが失踪した報せが大聖堂にも届いた。
真実を知るものは誰もいない。ヘンリーがどのように姿を消したのか。何者によってそれが引き起こされたのか。ヘンリーとエゼキエルがひと夏の屋敷の中で、どのような感情を交わし合ったか。ヘンリーがエゼキエルを愛したことも、エゼキエルがすべてを賭けてヘンリーを愛したことも誰も知らない。誰も証明するものはいない。ただエゼキエルと、鏡の中の妖魔以外には。
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