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第10章 後日談 終わりの始まり
(79)因子の消滅
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「ナイジェル。これで終わりにしたいんだ」
日曜日。俺はいつも週末にはナイジェルの部屋を訪れ、体を重ね、月曜日の朝まで過ごしていた。ここ十年、ずっと変わらず。時には喧嘩もしたし、冷たい空気が流れたりもした。大体俺が考えなしで、ナイジェルに説教されるパターン。彼はいつもそっけない態度で、馬鹿な俺に呆れながら、それでもいつも俺を叱り飛ばして、ずっと一途に愛してくれた。
だけどそれも、今日で終わりだ。
十年前、俺に突如「真祖の因子」という呪いが発現した。これは不死種マガリッジ伯爵家の血筋に脈々と受け継がれるものだが、まさか淫魔の俺に発現するとは誰も想像していなかった。しかし、不死種ではなく淫魔の俺に発現したのは、不幸中の幸いだった。不死種に因子が発現すれば、多大な犠牲を払って討伐するしか道はなくなる。しかし淫魔の俺なら、情愛を注ぐことで因子を中和し、いずれ因子そのものを浄化できる可能性がある。
そして実際、十年かけて浄化に成功した。
俺はこの十年、後宮に拠点を移し、真祖の因子に関わる中枢メンバーに代わる代わる魔力と精を注がれた。数年で終わるのか、それとも何十年何百年かかるのか。全てが手探りの中、彼らは俺のことを精一杯慈しみ、心も身体も満たしてくれた。
「———消えているね」
先日、俺にそう告げたのは王太子のオスカー。俺にも分かった。身体から、冷たい何かがフッと抜ける感覚。そして自分で鑑定しても、それは明らかだった。「真祖の因子」の表示が消えている。
終わったんだ。
俺の役割は、自分の中に因子が発現している間に浄化し、次代に受け渡さないこと。さもなくば、出来るだけ長生きして、最大限まで中和させることだった。しかしその役割も唐突に消えた。俺は、彼らの寵愛を受ける理由を失った。
俺に魔力を注いだのは、マガリッジ伯爵こと父メレディス。次期プレイステッド公爵パーシヴァル。王太子オスカー。元レイ子爵家ラファエルと、恋人のロドリック。そして、ノースロップ侯爵家長男のナイジェル。
メレディスには、家族がある。義母はタウンハウスに住み義弟は領地で次期伯爵として采配を振るい、家族仲は円満だ。前妻の子であり淫魔の俺は、異物でしかない。それはマガリッジ領の伯爵邸も同じだ。俺を蔑むことなく親愛の情を注いでくれたメイドのマーサは、老齢により隠居。ミアは良縁に恵まれて嫁いで行った。メレディスからは王都の私邸を借り受けているが、俺の居場所はどこにもない。
神狼の血を色濃く引き、次期プレイステッド公爵に決まっているパーシヴァルには、同じく神狼の血統の許嫁がいる。俺の因子の問題で、婚姻が先延ばしになっていただけだ。オスカーも同じ。彼にはまだ決まった相手はいないが、いずれ王太子としてもオヴェット伯としても、彼の優れた遺伝子を残さなければならない。二人とも、世間での苛烈な評判とは裏腹に、とても誠実で愛情深い性質だ。同じように貞淑で誠実なパートナーが見つかれば、きっと幸せな家庭を築くだろう。
ラフィとロッドは、十年の間に正式なパートナーとなった。貴族の間では、優れた血統を残すのが暗黙の了解だ。通常は、同性同士の婚姻は認められない。しかし彼らには、俺の因子を浄化する役割があった。オスカーは、レイ子爵家ライアン男爵家の両家と政治的なやりとりと手続きを経て、ラフィにリース準男爵という一代限りの爵位を与え、ロッドを養子に迎える許可を出した。二人ともちょっと癖があるけどいい奴だ。お互い一途に想い合っているし、幸せになってほしい。
そしてナイジェル。
俺は十年前、彼との仲を認めてもらうために、両家に挨拶に行った。事前に何も知らされず、半ば騙し討ちのように連れて行かれたノースロップ家で、いきなりお父上のノースロップ侯爵の拳が飛んで来たのを、まだ昨日のことのように覚えている。それから、伯爵邸で父上の執務室に向かい、一瞬で面会が終わったのも。
あの後、少しずつ交流を深めて行って、いずれ円満に事実上のパートナーシップを結ぶつもりでいたんだ。俺は呪われたマガリッジ家のはぐれ者、彼は虎人族の特徴を持たない長子。お互い、家を継ぐわけにも子を生すわけにも行かない。誰にも祝福されないかも知れないけど、それでも二人で生きて行くならちょうどいいんじゃないかって。
でも、そんな矢先に天使族に囚われ、俺に真祖の因子が発現してしまった。
俺もナイジェルも、表向きは王太子直属の騎士として、変わらず王宮に勤めていることになっている。しかし、ごく一握りの人間は知っている。因子を持つ俺に、後宮で何が行われているかっていうこと。
王宮の最深部にある、円卓の間。そこは、度々国を脅威に陥れる呪われたマガリッジ家と、それを監視する諸侯のための部屋だ。そしてマガリッジ家の誰かに真祖の因子が発動すれば、すなわち円卓を囲む諸侯の知るところとなる。王家、二つの公爵家、四つの侯爵家、そしてマガリッジ。そこには当然、次席侯爵ノースロップ、つまりナイジェルのお父上も含まれる。
俺がもし子を持つ親なら、伝説の怪物の因子を持つ呪われた男に、自分の子を番《つが》わせたりしない。しかも、他の男と関係を持ち、寄ってたかって精を注がれる淫魔なんか、死んでも御免だ。それも父親のマガリッジ伯が混じってるとか。しかし、お父上のノースロップ侯ナサニエルは、「倅が選んだことだ、親が口を挟むことじゃない」と俺を擁護してくださった。そして俺が時々泣いて落ち込んで別れてくれと我儘を言っても、ナイジェルはそんな俺に呆れながら、いつもぐずぐずに甘やかして包み込んでくれた。
だけど。
「兄を解放してください」
次期ノースロップ侯、ノエル・ノースロップ。ナイジェルの年の離れた弟だ。白虎のDNAを色濃く反映した見事な銀髪に、アクアマリンのような涼やかな瞳の精悍な少年。何度かお会いしたナイジェルのお義母上そっくりだ。彼は腹違いの兄弟とはいえ、ナイジェルをこよなく慕っていた。双子の妹、ニコールもだ。ノースロップ家の今後のことを考えて距離を置いていたのはナイジェルだけで、義母も含めて、彼らはナイジェルを家族の一員として心から愛している。もちろんナイジェルも。
彼の真摯な面持ちに、俺には答える言葉がなかった。俺がずっと欲しかったもの、でも生まれつきこの手になく、いくら望んでも手に入らないものを、ナイジェルは持ってる。それを、俺がずっと奪って来た。でももう、彼を俺に縛り付けておく理由なんてない。そして、そんな大事なものを捨てさせるわけにはいかない。
本当は、ずっと分かってたんだ。俺はナイジェルに相応しくない。だって最初は、俺を見つけたナイジェルが、俺を辱めるつもりで———いや、もっと前から。俺は呪われた出来損ないの子で、彼にはずっと冷たい言葉を投げかけられていた。セックスと魅了が発端で、何故だか流れで恋人のようになってしまったが、そもそも何もかもが正反対で。
初めて抱かれて、抱いて、惚れちゃって。何回も別れようとしたんだけど、離れられなくて、離してくれなくて。そもそも因子が消えるまでは、別れるわけにはいかなかった。だけどそれが無くなったら、俺が彼の幸せを邪魔するわけにはいかない。
ノエルと初めて会った時、彼が俺を見て、尻尾を逆立ててナイジェルの影に隠れたのを、昨日のように覚えている。あの時はナイジェルに「キモい」と言われたんだっけ。その後も何度か顔を合わせるたび、妹のニコールと一緒に、そそくさと逃げられてしまった。本当なら、彼らはもっとナイジェルと過ごす機会はたくさんあったろうに、俺が全部奪ってしまったんだ。
「———ごめんね」
俺はノエルに、そう返すしかなかった。そして今度こそ、ナイジェルを本来いるべき場所に返さなければ。
彼が俺に面会を求めて来たのは、因子が消えたと内々に発表されて、すぐ。つい三日前のことだ。だけど未練たらしい俺は、そのまま王宮を去ることは出来なかった。最後にもう一度だけ、ナイジェルに抱かれたかった。抱きたかった。
ナイジェルが起きるまでに、身支度を済ませて。彼が目覚めるまで、寝顔を眺めているくらいは、許してほしい。
「さよなら」
ずっと好きだ、ナイジェル。俺の初めての男。
大丈夫。十年前、マガリッジから出て来たあの日に戻るだけだ。寄る方もなく、居場所もなく、ただ生き延びるために人間界を目指したあの日。時折メレディスを満たしに帰って来るけれど、みんなが幸せそうにしてるのを、遠くから見守るくらいなら、許してもらえないだろうか。
泣き顔を見られたくなくて、俺はそそくさと身を翻した。
日曜日。俺はいつも週末にはナイジェルの部屋を訪れ、体を重ね、月曜日の朝まで過ごしていた。ここ十年、ずっと変わらず。時には喧嘩もしたし、冷たい空気が流れたりもした。大体俺が考えなしで、ナイジェルに説教されるパターン。彼はいつもそっけない態度で、馬鹿な俺に呆れながら、それでもいつも俺を叱り飛ばして、ずっと一途に愛してくれた。
だけどそれも、今日で終わりだ。
十年前、俺に突如「真祖の因子」という呪いが発現した。これは不死種マガリッジ伯爵家の血筋に脈々と受け継がれるものだが、まさか淫魔の俺に発現するとは誰も想像していなかった。しかし、不死種ではなく淫魔の俺に発現したのは、不幸中の幸いだった。不死種に因子が発現すれば、多大な犠牲を払って討伐するしか道はなくなる。しかし淫魔の俺なら、情愛を注ぐことで因子を中和し、いずれ因子そのものを浄化できる可能性がある。
そして実際、十年かけて浄化に成功した。
俺はこの十年、後宮に拠点を移し、真祖の因子に関わる中枢メンバーに代わる代わる魔力と精を注がれた。数年で終わるのか、それとも何十年何百年かかるのか。全てが手探りの中、彼らは俺のことを精一杯慈しみ、心も身体も満たしてくれた。
「———消えているね」
先日、俺にそう告げたのは王太子のオスカー。俺にも分かった。身体から、冷たい何かがフッと抜ける感覚。そして自分で鑑定しても、それは明らかだった。「真祖の因子」の表示が消えている。
終わったんだ。
俺の役割は、自分の中に因子が発現している間に浄化し、次代に受け渡さないこと。さもなくば、出来るだけ長生きして、最大限まで中和させることだった。しかしその役割も唐突に消えた。俺は、彼らの寵愛を受ける理由を失った。
俺に魔力を注いだのは、マガリッジ伯爵こと父メレディス。次期プレイステッド公爵パーシヴァル。王太子オスカー。元レイ子爵家ラファエルと、恋人のロドリック。そして、ノースロップ侯爵家長男のナイジェル。
メレディスには、家族がある。義母はタウンハウスに住み義弟は領地で次期伯爵として采配を振るい、家族仲は円満だ。前妻の子であり淫魔の俺は、異物でしかない。それはマガリッジ領の伯爵邸も同じだ。俺を蔑むことなく親愛の情を注いでくれたメイドのマーサは、老齢により隠居。ミアは良縁に恵まれて嫁いで行った。メレディスからは王都の私邸を借り受けているが、俺の居場所はどこにもない。
神狼の血を色濃く引き、次期プレイステッド公爵に決まっているパーシヴァルには、同じく神狼の血統の許嫁がいる。俺の因子の問題で、婚姻が先延ばしになっていただけだ。オスカーも同じ。彼にはまだ決まった相手はいないが、いずれ王太子としてもオヴェット伯としても、彼の優れた遺伝子を残さなければならない。二人とも、世間での苛烈な評判とは裏腹に、とても誠実で愛情深い性質だ。同じように貞淑で誠実なパートナーが見つかれば、きっと幸せな家庭を築くだろう。
ラフィとロッドは、十年の間に正式なパートナーとなった。貴族の間では、優れた血統を残すのが暗黙の了解だ。通常は、同性同士の婚姻は認められない。しかし彼らには、俺の因子を浄化する役割があった。オスカーは、レイ子爵家ライアン男爵家の両家と政治的なやりとりと手続きを経て、ラフィにリース準男爵という一代限りの爵位を与え、ロッドを養子に迎える許可を出した。二人ともちょっと癖があるけどいい奴だ。お互い一途に想い合っているし、幸せになってほしい。
そしてナイジェル。
俺は十年前、彼との仲を認めてもらうために、両家に挨拶に行った。事前に何も知らされず、半ば騙し討ちのように連れて行かれたノースロップ家で、いきなりお父上のノースロップ侯爵の拳が飛んで来たのを、まだ昨日のことのように覚えている。それから、伯爵邸で父上の執務室に向かい、一瞬で面会が終わったのも。
あの後、少しずつ交流を深めて行って、いずれ円満に事実上のパートナーシップを結ぶつもりでいたんだ。俺は呪われたマガリッジ家のはぐれ者、彼は虎人族の特徴を持たない長子。お互い、家を継ぐわけにも子を生すわけにも行かない。誰にも祝福されないかも知れないけど、それでも二人で生きて行くならちょうどいいんじゃないかって。
でも、そんな矢先に天使族に囚われ、俺に真祖の因子が発現してしまった。
俺もナイジェルも、表向きは王太子直属の騎士として、変わらず王宮に勤めていることになっている。しかし、ごく一握りの人間は知っている。因子を持つ俺に、後宮で何が行われているかっていうこと。
王宮の最深部にある、円卓の間。そこは、度々国を脅威に陥れる呪われたマガリッジ家と、それを監視する諸侯のための部屋だ。そしてマガリッジ家の誰かに真祖の因子が発動すれば、すなわち円卓を囲む諸侯の知るところとなる。王家、二つの公爵家、四つの侯爵家、そしてマガリッジ。そこには当然、次席侯爵ノースロップ、つまりナイジェルのお父上も含まれる。
俺がもし子を持つ親なら、伝説の怪物の因子を持つ呪われた男に、自分の子を番《つが》わせたりしない。しかも、他の男と関係を持ち、寄ってたかって精を注がれる淫魔なんか、死んでも御免だ。それも父親のマガリッジ伯が混じってるとか。しかし、お父上のノースロップ侯ナサニエルは、「倅が選んだことだ、親が口を挟むことじゃない」と俺を擁護してくださった。そして俺が時々泣いて落ち込んで別れてくれと我儘を言っても、ナイジェルはそんな俺に呆れながら、いつもぐずぐずに甘やかして包み込んでくれた。
だけど。
「兄を解放してください」
次期ノースロップ侯、ノエル・ノースロップ。ナイジェルの年の離れた弟だ。白虎のDNAを色濃く反映した見事な銀髪に、アクアマリンのような涼やかな瞳の精悍な少年。何度かお会いしたナイジェルのお義母上そっくりだ。彼は腹違いの兄弟とはいえ、ナイジェルをこよなく慕っていた。双子の妹、ニコールもだ。ノースロップ家の今後のことを考えて距離を置いていたのはナイジェルだけで、義母も含めて、彼らはナイジェルを家族の一員として心から愛している。もちろんナイジェルも。
彼の真摯な面持ちに、俺には答える言葉がなかった。俺がずっと欲しかったもの、でも生まれつきこの手になく、いくら望んでも手に入らないものを、ナイジェルは持ってる。それを、俺がずっと奪って来た。でももう、彼を俺に縛り付けておく理由なんてない。そして、そんな大事なものを捨てさせるわけにはいかない。
本当は、ずっと分かってたんだ。俺はナイジェルに相応しくない。だって最初は、俺を見つけたナイジェルが、俺を辱めるつもりで———いや、もっと前から。俺は呪われた出来損ないの子で、彼にはずっと冷たい言葉を投げかけられていた。セックスと魅了が発端で、何故だか流れで恋人のようになってしまったが、そもそも何もかもが正反対で。
初めて抱かれて、抱いて、惚れちゃって。何回も別れようとしたんだけど、離れられなくて、離してくれなくて。そもそも因子が消えるまでは、別れるわけにはいかなかった。だけどそれが無くなったら、俺が彼の幸せを邪魔するわけにはいかない。
ノエルと初めて会った時、彼が俺を見て、尻尾を逆立ててナイジェルの影に隠れたのを、昨日のように覚えている。あの時はナイジェルに「キモい」と言われたんだっけ。その後も何度か顔を合わせるたび、妹のニコールと一緒に、そそくさと逃げられてしまった。本当なら、彼らはもっとナイジェルと過ごす機会はたくさんあったろうに、俺が全部奪ってしまったんだ。
「———ごめんね」
俺はノエルに、そう返すしかなかった。そして今度こそ、ナイジェルを本来いるべき場所に返さなければ。
彼が俺に面会を求めて来たのは、因子が消えたと内々に発表されて、すぐ。つい三日前のことだ。だけど未練たらしい俺は、そのまま王宮を去ることは出来なかった。最後にもう一度だけ、ナイジェルに抱かれたかった。抱きたかった。
ナイジェルが起きるまでに、身支度を済ませて。彼が目覚めるまで、寝顔を眺めているくらいは、許してほしい。
「さよなら」
ずっと好きだ、ナイジェル。俺の初めての男。
大丈夫。十年前、マガリッジから出て来たあの日に戻るだけだ。寄る方もなく、居場所もなく、ただ生き延びるために人間界を目指したあの日。時折メレディスを満たしに帰って来るけれど、みんなが幸せそうにしてるのを、遠くから見守るくらいなら、許してもらえないだろうか。
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