劉封(リュウホウ)の出自について後編
ここに利害が一致し、劉備と寇氏や長沙劉氏が結びつき、劉封の養子縁組みとなったのだろう。
彼が養子になったのは207年に劉備の子劉禅が生まれる前だが(演義だと順番が逆)、仮に生まれた後でもこの状況は変わらないのではないか。
劉禅が成人するまでに劉備が生きている保証はないし、仮に生きていても傭兵集団の長が務まるような人物に育つ保証はない。
劉備がこのまま傭兵集団の長として生涯を終えたら、劉氏の家を劉禅が、軍団を劉封が継ぐ未来もあったかもしれない。まあ、そんな未来はなかったのだが。
本編に話を戻すが、この辺の事情がややこしい上に、劉封の親や伯父(叔父?)の名前もわからん、記録もないから掘り下げられないなどの理由から、長沙に縁がある劉磐にその役を引き継いでもらい、彼の弟として登場させた。おかげで正史に記述が少ない劉磐の出番がめっちゃ増えた。
彼が養子になったのは207年に劉備の子劉禅が生まれる前だが(演義だと順番が逆)、仮に生まれた後でもこの状況は変わらないのではないか。
劉禅が成人するまでに劉備が生きている保証はないし、仮に生きていても傭兵集団の長が務まるような人物に育つ保証はない。
劉備がこのまま傭兵集団の長として生涯を終えたら、劉氏の家を劉禅が、軍団を劉封が継ぐ未来もあったかもしれない。まあ、そんな未来はなかったのだが。
本編に話を戻すが、この辺の事情がややこしい上に、劉封の親や伯父(叔父?)の名前もわからん、記録もないから掘り下げられないなどの理由から、長沙に縁がある劉磐にその役を引き継いでもらい、彼の弟として登場させた。おかげで正史に記述が少ない劉磐の出番がめっちゃ増えた。
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登録日 2021.04.04 21:00
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