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君の未来をくれないか?
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この場から逃げてしまいたいが動くこともできず、かと言って露口と向き合うこともできずに、彼に背を向けたまま大人しく髪を巻かれていると、彼がくつくつと笑う。
「冗談ですよ。そんなことしません。原田さん、とりあえず座りませんか? 話したいこともあるので」
「……わ、私はありません」
「俺はあるんです」
きっぱりと言われて、体が強張る。
(話したいことって、やっぱりお見合いのことよね? 今までどうして隠してたんだって追及されるのかな……。でも私は最初から結婚なんてするつもりなかったから……。ちゃんと断ったし)
バレてどうしようという気持ちと何て言い訳をしようという気持ちが、綯い交ぜになる。何も答えられずに無言で椅子に座り直すと、露口がまた瑞希の髪に触れる。彼は慣れた手つきで髪を巻いていった。
「原田さんはやはり可愛いですね。そういう反応をされると、つい揶揄いたくなってしまうのですが……」
「そ、そういう反応って?」
「それは貴方が一番ご存知なのでは?」
「う……」
もうバレていることを悟り、白衣の裾をぎゅっと掴む。
(いつからバレてたんだろう。まさか最初から?)
変な汗が出てくる。瑞希が体を強張らせていると、彼がまた「可愛いな」と笑う。
「貴方がなぜ隠そうとしているのかは分かりませんが、別に怒ったりしませんよ。貴方が俺と見合いをした原田瑞希さんであってもなくてもどちらでも構わないので」
「じゃ、じゃあ、どうして?」
驚きのあまり振り返ってしまうと、彼の真摯な目とかち合う。慌てて顔の向きを戻すと、頭上から彼の笑い声が聞こえてきた。
「貴方と交わす挨拶や話が楽しいからというのが、答えだったらいけませんか? 見合い相手だから最初は気になった――というのは否定しませんが、今となってはそれは動機にすぎません。俺は貴方自身が気に入ったんです。たとえ今本物の原田瑞希さんが俺の前に現れたとしても、俺の原田瑞希さんは今目の前にいる貴方です」
てっきり見合いのことを責められると思っていたのに、思いがけない彼の言葉の数々に唖然となる。瑞希がおずおずと振り返ると、いつもの柔らかい表情で笑いかけてくれる。
「俺に見つかったら無理矢理結婚させられると思いましたか?」
「はい……」
「貴方が政略結婚を嫌っているのは知っています。俺たちの結婚に企業間の利益が絡むことも否定しません。ですが、俺は利益よりも貴方との関係を大切にしたい」
「どういう意味ですか?」
「貴方と接して感じた心のほうを大切にしたいということです。俺は原田さんに運命を感じているんですが貴方は違うんですか? 普通見合い相手が社長と社員だったなんて、そうそうないと思いますよ?」
困ったように笑いながら髪に触れる彼に、なんと答えていいか分からなくて……整理のつかないまま自分の気持ちを話しはじめた。
「お見合いで……運命的な恋をしたいと言ったけど、実はあれ嘘なんです。私、もう恋はしないと決めているんです。社長が誠実な人だというのは、貴方と接してみてよく分かりました。噂みたいな人じゃなく、すごく優しいというのも今は知っています。でも、私もう恋はしないんです」
「ならば、愛せばいい」
「は……い?」
予想もしていなかった言葉が返ってきて、キョトンとする。
瑞希が目を大きく見開いたまま呆気にとられていると、露口がカールアイロンを置いた。そして、「できましたよ」いう声と共に鏡を渡してくれる。
「わぁ!」
(すごい……!)
脅しどおりの縦ロールじゃなくて、ゆるくふんわりと巻かれていてメイクと合っていた。鏡を見て感嘆の声を漏らすと、露口が膝をつく。ぎこちなく彼のほうに体ごと向けると、彼の手が頬に伸びてきた。
「恋をしないと決めたならしなくていいです。その代わり愛し合えばいい」
「何を言って……」
「恋と愛は似て非なるものです。俺は貴方と愛を育んでいきたいです」
「で、でも……私……」
「貴方に忘れられない人がいるなら、別に構いません。過去を忘れさせてやるなんて、そんな無責任で勝手なことも言うつもりはないです。過去は今の貴方を作る一部です。なら、俺はそんな貴方も引っ括めて受け止めたい」
(……っ!)
そう言われた途端、決壊でもしたかのように涙がだばっと出てきた。慌てる露口のジャケットを掴んで泣くと、彼が困惑したまま抱き締めてくれる。
「す、すみませんでした。泣かせるつもりでは……」
「ち、違うんです。社長は何も悪くないです。わ、私……大学の時に付き合っていた人が、すごく気の多い人で……最初から遊び相手の一人でしかなかったんです。それなのに浮かれて……夢中になって……」
目の前で平気な顔で浮気を繰り返す彼を問い質すと、『数回寝たくらいで彼女面をするな』と言われてしまった。あの時の心底面倒臭そうな顔と声が今でも忘れられない。彼と過ごした一年間は彼からしたら、ただの戯れでしかなかったのだ。
思い出すだけで悔しい気持ちでいっぱいになる。もうあんな男に未練なんてないが、いっ時でも夢中だった自分が許せないのだ。唇を噛むと、露口が瑞希の唇に触れる。
「唇を噛んではいけません。傷になる。以前、言ったでしょう。許可できませんって」
「社長……」
「貴方の気持ちはよく分かりました。そのようなことがあれば男性を信じられなくなり、新しい恋に踏み出せなくなっても無理がないと思います。ですが、安心してください。貴方を傷つけてのうのうと生きているクズ男は必ず見つけ出して処すので」
「しょ、処す!?」
とても真剣な露口の表情に泣いていたのも忘れて、つい噴き出してしまう。
「も、もうやだ。社長ったら。そんなことしなくていいです」
「ですが……」
「こうやって話を聞いて、そう言ってくれただけで充分です。救われました。ありがとうございます」
露口の胸から顔を上げてニッコリと微笑むと、彼の手が瑞希の頬に触れた。
「原田さん……いいえ、瑞希さん。貴方を必ず幸せにすると誓います。もちろん結婚や出産で不安になる気持ちも分かります。ですが、貴方が積み上げてきたキャリアは決して失われることはないとお約束します。俺に未来を預けてみませんか?」
「未来を預ける……?」
「お恥ずかしい話、父との関係があまりよくありません。本当なら貴方の気持ちが追いつくのを待ちたいのですが、そうはいきません。すぐに貴方からいい返事をもらえなければ、俺はまた見合いをさせられてしまう。でも、俺は貴方以外は嫌だ。貴方と結婚したい。瑞希さん、お願いします。俺を選んでください。損はさせませんので」
ストレートな言葉に赤面してしまう。
彼の話を聞きながら、そういえば桜井が――露口が会長のお気に入りの部下を辞めさせたと言っていたことを思い出す。
(そっか。あれ以来、お父様と仲が悪くなってしまったのね)
今の働きやすい環境は親子間の仲違いにより得られたものなんだと思うと、そんなの知らないと突っぱねることができなかった。
「じゃ、じゃあ、社長がもうお見合いしなくていいように、会長が諦めるまで偽装婚約でもしますか? それなら協力できそうです」
「偽装? 俺は偽装なんて嫌です」
ぎゅうっと痛いくらいに抱きついてきて駄々を捏ねる露口に「でも私、結婚は……」と返答に窮す。
「なら、俺に一年ください」
「一年?」
「研究開発という仕事は長期的な視野が必要だ。それは俺たちの関係にも言えます。一年――俺にできる精一杯で貴方を愛します。なので、一年経った時にこのまま俺といても悪くないと思えたなら結婚してください。でももし気持ちが変わらないようであれば、貴方を解放します」
(えっと……)
確かに研究というものは長期的に向き合わなければならない。早期で結果を得ようとしても失敗するだけだ。
研究に喩えられたせいか、妙に納得してしまって嫌だと言えなくなり、瑞希はうーんと唸った。それに何より最近よく見る夢が嫌だと言わせてくれないのだ。
瑞希が考え込むと、露口が髪にキスを落とす。体をびくつかせると、ゆっくりと彼の顔が耳に近づいてくる。
「頼む。俺に君の未来をくれないか?」
「~~~っ!」
掠れた声でいつもとは違う口調で囁かれて、瑞希はボンッと頭から湯気が立った。
「そ、その言い方はずるいです……社長、自分がかっこいいの分かってやっているでしょ」
「社長じゃありません。康弘。名前で呼んで」
「や、康弘さん……」
「いい子ですね。では、瑞希。返事は?」
とても真剣な眼差しに射貫かれる。
しれっと呼び捨てで呼んでくる夢と同じ彼に文句を言うこともできずに瑞希は真っ赤な顔で何度か口をパクパクさせたあと、消え入りそうな声で「はい……」と答えた。
「冗談ですよ。そんなことしません。原田さん、とりあえず座りませんか? 話したいこともあるので」
「……わ、私はありません」
「俺はあるんです」
きっぱりと言われて、体が強張る。
(話したいことって、やっぱりお見合いのことよね? 今までどうして隠してたんだって追及されるのかな……。でも私は最初から結婚なんてするつもりなかったから……。ちゃんと断ったし)
バレてどうしようという気持ちと何て言い訳をしようという気持ちが、綯い交ぜになる。何も答えられずに無言で椅子に座り直すと、露口がまた瑞希の髪に触れる。彼は慣れた手つきで髪を巻いていった。
「原田さんはやはり可愛いですね。そういう反応をされると、つい揶揄いたくなってしまうのですが……」
「そ、そういう反応って?」
「それは貴方が一番ご存知なのでは?」
「う……」
もうバレていることを悟り、白衣の裾をぎゅっと掴む。
(いつからバレてたんだろう。まさか最初から?)
変な汗が出てくる。瑞希が体を強張らせていると、彼がまた「可愛いな」と笑う。
「貴方がなぜ隠そうとしているのかは分かりませんが、別に怒ったりしませんよ。貴方が俺と見合いをした原田瑞希さんであってもなくてもどちらでも構わないので」
「じゃ、じゃあ、どうして?」
驚きのあまり振り返ってしまうと、彼の真摯な目とかち合う。慌てて顔の向きを戻すと、頭上から彼の笑い声が聞こえてきた。
「貴方と交わす挨拶や話が楽しいからというのが、答えだったらいけませんか? 見合い相手だから最初は気になった――というのは否定しませんが、今となってはそれは動機にすぎません。俺は貴方自身が気に入ったんです。たとえ今本物の原田瑞希さんが俺の前に現れたとしても、俺の原田瑞希さんは今目の前にいる貴方です」
てっきり見合いのことを責められると思っていたのに、思いがけない彼の言葉の数々に唖然となる。瑞希がおずおずと振り返ると、いつもの柔らかい表情で笑いかけてくれる。
「俺に見つかったら無理矢理結婚させられると思いましたか?」
「はい……」
「貴方が政略結婚を嫌っているのは知っています。俺たちの結婚に企業間の利益が絡むことも否定しません。ですが、俺は利益よりも貴方との関係を大切にしたい」
「どういう意味ですか?」
「貴方と接して感じた心のほうを大切にしたいということです。俺は原田さんに運命を感じているんですが貴方は違うんですか? 普通見合い相手が社長と社員だったなんて、そうそうないと思いますよ?」
困ったように笑いながら髪に触れる彼に、なんと答えていいか分からなくて……整理のつかないまま自分の気持ちを話しはじめた。
「お見合いで……運命的な恋をしたいと言ったけど、実はあれ嘘なんです。私、もう恋はしないと決めているんです。社長が誠実な人だというのは、貴方と接してみてよく分かりました。噂みたいな人じゃなく、すごく優しいというのも今は知っています。でも、私もう恋はしないんです」
「ならば、愛せばいい」
「は……い?」
予想もしていなかった言葉が返ってきて、キョトンとする。
瑞希が目を大きく見開いたまま呆気にとられていると、露口がカールアイロンを置いた。そして、「できましたよ」いう声と共に鏡を渡してくれる。
「わぁ!」
(すごい……!)
脅しどおりの縦ロールじゃなくて、ゆるくふんわりと巻かれていてメイクと合っていた。鏡を見て感嘆の声を漏らすと、露口が膝をつく。ぎこちなく彼のほうに体ごと向けると、彼の手が頬に伸びてきた。
「恋をしないと決めたならしなくていいです。その代わり愛し合えばいい」
「何を言って……」
「恋と愛は似て非なるものです。俺は貴方と愛を育んでいきたいです」
「で、でも……私……」
「貴方に忘れられない人がいるなら、別に構いません。過去を忘れさせてやるなんて、そんな無責任で勝手なことも言うつもりはないです。過去は今の貴方を作る一部です。なら、俺はそんな貴方も引っ括めて受け止めたい」
(……っ!)
そう言われた途端、決壊でもしたかのように涙がだばっと出てきた。慌てる露口のジャケットを掴んで泣くと、彼が困惑したまま抱き締めてくれる。
「す、すみませんでした。泣かせるつもりでは……」
「ち、違うんです。社長は何も悪くないです。わ、私……大学の時に付き合っていた人が、すごく気の多い人で……最初から遊び相手の一人でしかなかったんです。それなのに浮かれて……夢中になって……」
目の前で平気な顔で浮気を繰り返す彼を問い質すと、『数回寝たくらいで彼女面をするな』と言われてしまった。あの時の心底面倒臭そうな顔と声が今でも忘れられない。彼と過ごした一年間は彼からしたら、ただの戯れでしかなかったのだ。
思い出すだけで悔しい気持ちでいっぱいになる。もうあんな男に未練なんてないが、いっ時でも夢中だった自分が許せないのだ。唇を噛むと、露口が瑞希の唇に触れる。
「唇を噛んではいけません。傷になる。以前、言ったでしょう。許可できませんって」
「社長……」
「貴方の気持ちはよく分かりました。そのようなことがあれば男性を信じられなくなり、新しい恋に踏み出せなくなっても無理がないと思います。ですが、安心してください。貴方を傷つけてのうのうと生きているクズ男は必ず見つけ出して処すので」
「しょ、処す!?」
とても真剣な露口の表情に泣いていたのも忘れて、つい噴き出してしまう。
「も、もうやだ。社長ったら。そんなことしなくていいです」
「ですが……」
「こうやって話を聞いて、そう言ってくれただけで充分です。救われました。ありがとうございます」
露口の胸から顔を上げてニッコリと微笑むと、彼の手が瑞希の頬に触れた。
「原田さん……いいえ、瑞希さん。貴方を必ず幸せにすると誓います。もちろん結婚や出産で不安になる気持ちも分かります。ですが、貴方が積み上げてきたキャリアは決して失われることはないとお約束します。俺に未来を預けてみませんか?」
「未来を預ける……?」
「お恥ずかしい話、父との関係があまりよくありません。本当なら貴方の気持ちが追いつくのを待ちたいのですが、そうはいきません。すぐに貴方からいい返事をもらえなければ、俺はまた見合いをさせられてしまう。でも、俺は貴方以外は嫌だ。貴方と結婚したい。瑞希さん、お願いします。俺を選んでください。損はさせませんので」
ストレートな言葉に赤面してしまう。
彼の話を聞きながら、そういえば桜井が――露口が会長のお気に入りの部下を辞めさせたと言っていたことを思い出す。
(そっか。あれ以来、お父様と仲が悪くなってしまったのね)
今の働きやすい環境は親子間の仲違いにより得られたものなんだと思うと、そんなの知らないと突っぱねることができなかった。
「じゃ、じゃあ、社長がもうお見合いしなくていいように、会長が諦めるまで偽装婚約でもしますか? それなら協力できそうです」
「偽装? 俺は偽装なんて嫌です」
ぎゅうっと痛いくらいに抱きついてきて駄々を捏ねる露口に「でも私、結婚は……」と返答に窮す。
「なら、俺に一年ください」
「一年?」
「研究開発という仕事は長期的な視野が必要だ。それは俺たちの関係にも言えます。一年――俺にできる精一杯で貴方を愛します。なので、一年経った時にこのまま俺といても悪くないと思えたなら結婚してください。でももし気持ちが変わらないようであれば、貴方を解放します」
(えっと……)
確かに研究というものは長期的に向き合わなければならない。早期で結果を得ようとしても失敗するだけだ。
研究に喩えられたせいか、妙に納得してしまって嫌だと言えなくなり、瑞希はうーんと唸った。それに何より最近よく見る夢が嫌だと言わせてくれないのだ。
瑞希が考え込むと、露口が髪にキスを落とす。体をびくつかせると、ゆっくりと彼の顔が耳に近づいてくる。
「頼む。俺に君の未来をくれないか?」
「~~~っ!」
掠れた声でいつもとは違う口調で囁かれて、瑞希はボンッと頭から湯気が立った。
「そ、その言い方はずるいです……社長、自分がかっこいいの分かってやっているでしょ」
「社長じゃありません。康弘。名前で呼んで」
「や、康弘さん……」
「いい子ですね。では、瑞希。返事は?」
とても真剣な眼差しに射貫かれる。
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