異世界居酒屋「陽羽南」~異世界から人外が迷い込んできました~

八百十三

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本編~3ヶ月目~

第64話~異世界交流カフェ~

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~新宿・歌舞伎町~
~居酒屋「陽羽南ひばな」 歌舞伎町店~


「寮長、もう八時五十分っすよ」
「あっ、ちょ、やばっ! マウロちゃんお会計ー!」
「はーい」

 時計の針がカチリと動いたのを見て、アンバスが声をかけた途端、澄乃は慌てて立ち上がりカウンター下に置いたかばんを掴んだ。
 苦笑しながらレジに向かう僕の背中で、ジーナが話す声が聞こえてくる。

「慌ただしいねー、新宿西口店の店長さん。いつもあんなんだっけ?」
「いや……今回は状況が違うと言いますか……というかジーナさん、新宿西口店は行ったことあるんですか?」

 困惑した様子で話すエティが問いを投げると、会計を行う僕の視界の端で、ジーナが楽し気に尻尾を振るのが見える。

「先週に、一度ね。あっちも料理美味しかったなー、あっちはあっちで、どこだっけ、色んな世界の料理がたくさんあってさ」
「へぇ……」

 そこから、あんな料理があった、こんな酒があったと話し始めるジーナ。エティはそれを聞きつつカウンターのお客さんに料理や酒を運んでいる。真面目でいいことだ。
 「陽羽南」新宿西口店は、そちらに勤務する入植者の故郷の料理が出てくるので、歌舞伎町店とはいくらか料理や酒のラインナップが異なる。「メニューは各店自由にしていい」というのはリンクス全体で共通することだが、「陽羽南」は特にその傾向が強かった。
 気付けばシフェールもカウンター付近にやってきていて、ジーナの話の輪に加わっていた。

「気になるけれど、営業時間が被っているから私達は行けないわね」
「特にマウロがな……週休一日状態だから……」

 困った表情でエティとシフェールが、会計を終えて澄乃を見送った僕を見る。
 僕以外の全員は日曜日の他に、それぞれ一日休みを取っているが、僕にはそれがない。リンクスは週休二日が基本だが、店長は例外的に週休一日も認められているため、どうしても休めないのだ。
 もう一人厨房担当を雇って、シフェールあたりを副店長にして僕の不在をカバーしてもらうことも考えているが、まずは僕が店長業務に慣れることが先決、と考えて、そうはしていない。

「仕方ないよ、店長という立場上、どうしたって店にいなきゃならないし。それにそんなに苦でもないからさ……あ、と、B卓チキンボール1、C卓水餃子1出まーす!」
「了解ー!」

 カウンターに置かれていた料理を手に取りながら声を張れば、パスティータの声が返ってくる。
 こちらに駆け寄ってチキンボールの皿と水餃子の皿を取りながら、彼女は心配そうに僕を見てきた。

「まぁ……楽しいならいいんだけどさ。たまにはアタシ達に任せて、休みを取ってもいいんだよ?」

 一瞬だけ見せた申し訳なさそうな表情に苦笑を返すと、すぐにテーブル席の方に向かっていく。それを見ていたジーナが、これまた苦笑しながらカウンター中に入る僕を見た。

「相変わらず真面目だねぇ、頑張りすぎるといつか限界が来るよ。私んとこみたいに不定休でも、お客さんはついてきてくれるんだから」

 ひらひらと手を振りながら笑うジーナ。それにむっとした表情になりながら、僕はカウンターで包丁を握る。

「姉貴のところはカフェだろ、業態が違うから何とも言えないよ……それに、僕達のところは親会社がいるから」
「母体はリンクスだっけ? 頑張ってるよねー。入植者どんどん受け入れてるって聞くしさ」

 マルチェッロが注文していたマグロの刺身を手早く切って盛り付けながら、僕が応える。
 実際、うちの会社はだいぶ頑張っていると思う。「陽羽南」に限らずあちこちに新店舗をオープンしているし、雇用も活発に行っている。特に入植者の雇用については、今日にマルチェッロが話した通りだ。
 その話を既に聞いていたゴフィムも、ぐい呑みに日本酒を注ぎながらにこにこと笑って頷いている。

「受け皿があるのはいいことです。働き口が見つかれば、世界に放り出されても心に余裕が出来ますからね」

 そう言って、ぐい呑みの中をぐーっと干した彼が、ゆっくり椅子から立ち上がった。ビジネスバッグを手に取り、僕とジーナに視線を向ける。

「さて、そろそろ私もお暇しましょうか。ジーナさん、明日また、よろしくお願いします。店長さん、お会計を」
「え、あ、はい。あ、クズマーノさんこちら、お刺身です」
「あ、どうも」
「はーい、お疲れ様でーす」

 マルチェッロが僕の手から刺身の皿を受け取ると同時に、ジーナがゴフィムへひらりと手を振った。
 その短い会話に、レジに向かうべく手を洗いながら首を傾げる僕である。

「明日?」
「うん、ゴフィムさんと相談してて、明日にちゃんと皆に説明する時間を作ろうってなったのよ。私の開けるようになったホールの話も含めて」
「ひぇ……!?」

 気軽な口調でさらりと「ホールを開けるようになった」ことを言ってのけるジーナに、マルチェッロがぐりんとそちらを見ながらひきつった声を出した。
 まぁ、そうもなろう。つい先日に「地元がヤバいって聞いたんでホール開けられるように訓練してくんない!?」と押しかけて来た当人が、しれっと開けられるようになっているのだから。
 細かく震え始めるマルチェッロをよそに、シフェールが腕を組みながらため息をつく。

「なるほど……確かに私達が全員揃って休みを取れるのは、日曜日だけだ」
「あ、別の用事が既にあるってんならいいのよ、そっちを優先して。ただ、まぁマウロは連れてきてほしいかな、あんな大見得切ったんだし」

 ジーナの気軽な物言いに、僕達はすぐさま互いに視線を交わした。
 用件が用件だ。なるべくなら全員揃って話をしに行きたい。レジから戻りながら、僕は姉の横顔を見つつカウンターに手をついた。

「……まぁ、分かったよ。明日の何時だ?」
「明日のー、お昼前、10時ってことにしといてる。大丈夫そう?」

 昼前、10時。確か「Gina's Cafe」の開店が10時からだったか。となれば、彼女が開けるというホールについても開く条件を満たすことになる。
 僕は厨房の中に戻りつつ、調理を続けるシフェールに声をかけた。

「シフェール、確か明日に御苑さんと会うんじゃなかったか?」
「午後からだから、午前中は大丈夫だ。途中抜けさせてもらうかもしれないが」

 答えつつ、シフェールが笑う。彼女は明日に、アシュトンとデートの約束が入っていると前々から話をしていた。それに被らないよう動けるならいいことだ。
 うんうんと二度頷いたジーナが、カウンター上のドリンクメニューに手を伸ばす。

「大丈夫っぽいわね。じゃ、明日また話しましょ。じゃー次はー、あ、これくれる?」
「生絞りレモンサワーっすね? かしこまりました。3席様レモンサワー入りましたー!」
「あれ、マルチェッロさん? どうしました、大丈夫ですか?」
「う、うぅーん……?」

 アンバスが声を張り上げれば、すぐにキッチンでシフェールが動き出し。パスティータがカウンターに突っ伏すマルチェッロに声をかけ。
 そうしてまた、いつも通りの営業時間が流れ始めた。



 翌日、9月16日の日曜日、午前10時。
 僕達は五人揃って東京メトロ丸ノ内線、四谷三丁目駅を降りて地上出口の前にいた。
 そこから市街地の方に入って、歩くこと数分、「Gina's Cafe」に到着した。
 店先には黒板、ドアプレートは「OPEN」。日曜日でありながら、本当に開いているらしい。さすが、不定休営業の店。
 ゆっくり、手に力が入るのを感じながら木製ドアを引くと、カランとドアベルが鳴って。先日にそうだったように、有線放送が聞こえてくる。
 だが、中に入ると。

「えっ……」
「んん……?」

 この店に訪れたことのある、僕とエティが揃って戸惑いの声を上げた。
 空気が違う・・・・・
 前はもっと、カジュアルで、明るい印象の店だったと思うのだけれど、今はほんのり、シックで落ち着いた空気感を醸し出している。
 この短期間で、内装のマイナーチェンジでもしたのだろうかと思ったが、そうではない。テーブルも椅子も壁も、前と同じだ。
 違う点があるとすれば。

「あ、いらっしゃーい」
「ようこそ、皆さん」

 店主であるジーナの他に、ゴフィムがいること。
 そしてもう一つ、店の中に明らかに前回とは違う点が、一つあった。

「あのドア……前、あんなところに、あったか?」

 僕が目にしたのは、店内入って左奥、入り口のドアと同じ側の壁に据えられた、木製の扉だった。
 素材はすぐそばにある扉と大差ない、至って普通のドアだ。
 しかしすぐさま、エティが僕のシャツの裾を引く。

「ねえマウロ、変じゃない?」
「何が?」

 振り返った僕の顔を見上げながら、彼女は不安そうに目尻を下げつつ、扉を指さした。

外から見た時・・・・・・あそこにドアなんて・・・・・・・・・無かったはずだわ・・・・・・・・

 その言葉に、僕は目を見張った。
 確かに、普通の扉なら道路側にも扉があるはずだ。しかし店に入る時、このカフェの建物に入るための扉は一つだけ。僕達が入るために使った木製の扉しかない。
 本来なら、あんな場所に扉など、あるはずがない・・・・・・・のだ。
 頭を戻して前を向くと、ジーナとゴフィムが感心したように笑っていた。

「お、さっすがー。エティちゃん鋭いわね」
「これから説明いたします。皆さん、こちらへどうぞ」

 ゴフィムが椅子から立ち上がり、問題の扉の方に手を伸ばす。
 五人揃ってそちらに向かい、扉の前に立つゴフィムを囲むように立つと、扉に手をかけながらゴフィムが口を開いた。

「率直に申しますと、この扉が、ジーナさんのホールです。この扉を開けば、異世界に繋がっているわけですが……接続先の世界がどこになるかは、ジーナさんには決められません」

 そう言いながら、扉のドアノブをひねるゴフィム。抵抗なく開いた扉の向こうにはグンボルトやゴフィム、転移課の職員たちがホールを開いた時のような空間のねじれはなく、ただぽつぽつとランタンの明かりがともる石壁の通路が見えるばかりだ。
 ただ、その通路の向こう。明らかに明るい光に照らされた石畳が見えるし、なんなら人の喧騒も聞こえてくる。人間が生きていることは間違いなかった。

「今日はどこに繋がっているか、っていうのは、姉貴には分かるのか?」
「うん。どの世界の、どの国の、どの町に繋がっているか、ってところまでね。
 たとえば今日は、ワールドコード1C3F『ショスタク』のグラミリアン帝国東部、ロレって町に繋がってるわ。多分、行ってみれば大通りにでも繋がってるんじゃないかしら?」

 ジーナに問いを投げると、存外に詳細な答えが返ってきた。
 曰く、接続先こそ選べないものの、接続した先の情報はしっかり彼女の中に入って来るらしく、なんならこの扉をくぐって向こうの世界に行くことも、何ら問題はないらしい。
 これはこれで、もの凄い能力を得たものだと思う。
 はーっと僕以外の四人がため息をつく中、僕は扉を閉めたゴフィムへと視線を投げた。

「ゴフィムさん、一つ聞きたいことがあるんですが……」
「はい、どうぞ」

 にこやかに笑い、僕の言葉を待つゴフィム。彼の視線を真正面から受けながら、僕は恐る恐る問いかけた。

「世界って、いくつ・・・あるんですか?」

 僕の、ある意味では基本的な、常識の域から出ないような問いかけに、ゴフィムは一つ頷くと。

「まさしく、星の数ほど・・・・・

 断定するように、そう答えた。
 星の数ほど。
 その答えの意味するところを理解できないほど、僕は無知ではない。いくらこの新宿から見える夜空に、星が見えないとしてもだ。
 息を呑む僕達に、ゴフィムがゆっくりと説明をしてくる。

「アースで、国が管理しているデータベースに登録され、ワールドコードを振られている世界は、えーとそうですね、7D00番台まで行ってましたからだいたい三万二千ほど・・・・・・と言われています。それでも本当にごくごく一部、氷山の一角にすぎません」
「三万二千……」

 その解説に、ぽかんと口を開いて言葉を漏らしたのはパスティータだった。
 気持ちは分かる。シュマルにいた頃を思うと、万単位の数なんてそうそう触れてくることもなかった。大きな大規模討伐レイドに参加した時の報奨金で、そのくらいの額を貰ったことがあるくらいである。
 腕組みをしたジーナが、頷きながらため息をついた。

「そういうこと。アースの一日が365日だか366日だかでしょ? 毎日お店を開けてても、存在が分かっている世界を総浚いするだけで何十年とかかっちゃうわけ。
 その間にまだつながったことの無い世界に繋がることだって充分にありうるから、私のホールじゃチェルパに帰れる見込みは無いのよ」

 そう話す彼女に、僕達は肩を落とすほかなかった。
 なるほど、これは確かに、このホールでチェルパに帰るのは無理がある。広大な砂漠で無作為に一粒の砂粒を拾い上げるようなものだ。

「なるほど……」
「それは確かに、現実的ではないですね……」

 アンバスもシフェールも力なく言葉を漏らすと、ジーナがぽりぽりと頭を掻いた。
 彼女としても、きっと歯がゆいのだろう。これでチェルパに気軽に繋げられる世界転移術を身につけられたら、僕達の帰還も世界の位相を動かすのも、もっとずっと楽だったのだから。

「ね? だからまぁ、私のホールはとりあえず私のお店を運営することに使っていくわ。区役所の転移課にも昨日に申請は出してて、許可が下りたら本格的に『異世界交流カフェ』としてやっていくことになるわね」

 そう話しながらまたため息をつくジーナだ。
 曰く、日本在住の人間がホールを人為的に、役所の外で空ける場合、役所に届け出を出さなければならないらしい。おまけにジーナの場合はゲートの性質上どこに繋がるか彼女にも分からない。ホールの観測は彼女自身が出来るからいいが、いろいろと届け出る書類が多いのだそうだ。
 それを提出したのは昨日、転移課の窓口が閉まるぎりぎり。マルチェッロの耳に届いていなくても不思議ではない。
 昨日のマルチェッロの狼狽ぶりに納得がいったところで、ゴフィムが笑みを消した。真剣な表情で、僕達を見てくる。

「状況がお分かりいただけたかと思います。
 それでは、次の話に移りましょう……すなわち、皆さんの身体に内なるホールを開け、世界転移術のやり方を身につけていただくことについて、です」


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