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俺たちはこの手を決して離さない
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宿へ戻る道すがら、俺たちは言葉少なに歩いていた。
さっきまでの雨はすっかり上がり、道端の水たまりには、夕空の残光がぼんやりと映っていた。あたりを包むのは、濡れたアスファルトの匂いと、静けさ。観光地の喧騒は遠のき、どこか夢の後のような穏やかさが漂っていた。
佐々木さんと俺の間に、気まずさや気負いはなかった。ただ――やけに胸の奥が、落ち着かなかった。
「……濡れたままだと風邪引くよね」
佐々木さんがぽつりと言った。
「うん。宿戻ったら、まず着替えないとな」
「そうだね……あの、さっきはありがとうね」
「さっき?」
「ほら、雨のとき……手、引っ張ってくれたでしょ。ああいうの、慣れてないから、ちょっと……ドキッとした」
佐々木さんは、頬を少しだけ赤らめながら笑った。
そんな笑顔を見ていると、こっちまで照れてしまいそうになる。
「俺も……ちょっと緊張したけど、手が自然に動いた。佐々木さんが濡れるの、嫌だったから」
「……優しいんだね、やっぱり」
彼女の声は、少しだけ揺れていた。
そのままふたりで黙って歩く。隣を歩く佐々木さんは、ずっと手をポケットに入れたままだったけれど、時々その指先が、俺の指先に触れそうになるたび、何か言い出しそうになって、やめているように見えた。
きっと俺も、同じだった。
話したいことは山ほどあるのに、言葉が追いつかない。 ただ、その一歩一歩が、たしかに今の距離を物語っていた。
そんなときだった。
「ねぇ、裕貴くん」
不意に、佐々木さんが立ち止まった。
「今日みたいな日、……なんだか、忘れたくないなって思ったの」
振り返った彼女は、濡れた制服のまま、でも不思議と凛とした表情をしていた。
「文化祭のダンスも、今日の雨も、さっきの静かな時間も……全部、全部、私にとって大事な思い出で。……でも、それってきっと、裕貴くんがそばにいてくれたから、なんだよね」
「佐々木さん……」
「だから……」
言いかけた彼女の言葉が、ふっと風にさらわれるように消えた。
その代わりに、そっと差し出されたのは、彼女の右手。
「……手、繋いでもいい?」
俺は少しだけ驚いて、それでも迷わず手を伸ばした。
指先が重なり、ゆっくりと絡む。
それは不思議なほど自然で、だけど確かに、特別な感触だった。
温かくて、やわらかくて――俺たちはまだ、何も言葉にしていないのに、心だけが先に進み始めていた。
「……ありがと」
佐々木さんがそう囁いたとき、その声はまるで小さな決意のようだった。
俺も答えるように、小さく握り返す。
いくつもの出来事を越えて、こうして繋がった“今”を、絶対に大事にしたいと思った。
夕暮れに染まる街並みの中、ふたりは静かに歩き出した。
その手を、もう離さないようにと願いながら――。
※
宿に戻ったあと、俺たちはそれぞれの部屋に引き上げた。
男子部屋に入ると、春樹がベッドに仰向けになったまま、天井を見つめてぼそりと呟いた。
「なあ裕貴……」
「ん?」
「……俺さ、もしかしたら本気で佐々木さんのこと、好きになってきたかも」
その言葉に、思わず手に持っていたタオルが落ちそうになった。
「……マジで?」
「うん。最初は、まあ綺麗だし優しいし、モテるの分かるよなーって感じだったけどさ……文化祭のときから、なんか気になってて。最近は話してるだけで、ドキドキしてる」
春樹は真剣な顔をしていた。 冗談でも、気まぐれでもなく――本気の、告白。
俺は一瞬、言葉に詰まりかけたけれど、無理に笑うことも、気まずくすることもせず、ただ静かに答えた。
「……そっか。春樹が本気なら、それはちゃんと応援したいと思う」
「……ありがとな。でも、同時にちょっと怖いわ」
「何が?」
「……だって、お前がいるからさ」
春樹はそう言って、目を閉じた。
その言葉が重く胸に響いたのは、きっと俺自身が、同じように佐々木さんに心を寄せていたからだ。
※
夜が更けても、どこか落ち着かないまま、宿の外に出ると、星空が広がっていた。
ふと視線をやると、月明かりの下で、誰かが縁側に座っていた。
佐々木さんだった。
「……眠れなかった?」
俺が声をかけると、佐々木さんはふわっと微笑んだ。
「うん、ちょっとだけ。……夜の風が気持ちよくて」
隣に腰を下ろすと、ほんの少しだけ、肩が触れ合う。
今日、雨の中で手を繋いだときよりも近い距離。
「明日は最終日だね」
「そうだね。あっという間だったな」
「……なんか、さみしいな」
ぽつりとこぼれた言葉に、俺は驚いた。
「佐々木さんが、さみしいなんて言うなんて、意外かも」
「そう? でもね、こんなに毎日が新鮮で、楽しくて、誰かと心を通わせられたって思える日々って、あまりない気がして」
彼女の声は、静かだけど、確かに届いていた。
「俺も、そう思ってるよ。修学旅行じゃなくても、日常でも、これからも……ずっと一緒にいたいなって」
その言葉に、佐々木さんはゆっくりとこちらを向いた。
その目に映る俺の顔が、どんな表情だったかは分からない。
けれど、彼女の顔は――涙ぐみそうなほど、綺麗だった。
「……ありがとう、裕貴くん」
夜風が、二人の間を優しく通り抜ける。
そして俺たちは、何も言わずに、静かに空を見上げた。
満点の星の下で、言葉よりも確かな想いが、確かにそこにあった。
さっきまでの雨はすっかり上がり、道端の水たまりには、夕空の残光がぼんやりと映っていた。あたりを包むのは、濡れたアスファルトの匂いと、静けさ。観光地の喧騒は遠のき、どこか夢の後のような穏やかさが漂っていた。
佐々木さんと俺の間に、気まずさや気負いはなかった。ただ――やけに胸の奥が、落ち着かなかった。
「……濡れたままだと風邪引くよね」
佐々木さんがぽつりと言った。
「うん。宿戻ったら、まず着替えないとな」
「そうだね……あの、さっきはありがとうね」
「さっき?」
「ほら、雨のとき……手、引っ張ってくれたでしょ。ああいうの、慣れてないから、ちょっと……ドキッとした」
佐々木さんは、頬を少しだけ赤らめながら笑った。
そんな笑顔を見ていると、こっちまで照れてしまいそうになる。
「俺も……ちょっと緊張したけど、手が自然に動いた。佐々木さんが濡れるの、嫌だったから」
「……優しいんだね、やっぱり」
彼女の声は、少しだけ揺れていた。
そのままふたりで黙って歩く。隣を歩く佐々木さんは、ずっと手をポケットに入れたままだったけれど、時々その指先が、俺の指先に触れそうになるたび、何か言い出しそうになって、やめているように見えた。
きっと俺も、同じだった。
話したいことは山ほどあるのに、言葉が追いつかない。 ただ、その一歩一歩が、たしかに今の距離を物語っていた。
そんなときだった。
「ねぇ、裕貴くん」
不意に、佐々木さんが立ち止まった。
「今日みたいな日、……なんだか、忘れたくないなって思ったの」
振り返った彼女は、濡れた制服のまま、でも不思議と凛とした表情をしていた。
「文化祭のダンスも、今日の雨も、さっきの静かな時間も……全部、全部、私にとって大事な思い出で。……でも、それってきっと、裕貴くんがそばにいてくれたから、なんだよね」
「佐々木さん……」
「だから……」
言いかけた彼女の言葉が、ふっと風にさらわれるように消えた。
その代わりに、そっと差し出されたのは、彼女の右手。
「……手、繋いでもいい?」
俺は少しだけ驚いて、それでも迷わず手を伸ばした。
指先が重なり、ゆっくりと絡む。
それは不思議なほど自然で、だけど確かに、特別な感触だった。
温かくて、やわらかくて――俺たちはまだ、何も言葉にしていないのに、心だけが先に進み始めていた。
「……ありがと」
佐々木さんがそう囁いたとき、その声はまるで小さな決意のようだった。
俺も答えるように、小さく握り返す。
いくつもの出来事を越えて、こうして繋がった“今”を、絶対に大事にしたいと思った。
夕暮れに染まる街並みの中、ふたりは静かに歩き出した。
その手を、もう離さないようにと願いながら――。
※
宿に戻ったあと、俺たちはそれぞれの部屋に引き上げた。
男子部屋に入ると、春樹がベッドに仰向けになったまま、天井を見つめてぼそりと呟いた。
「なあ裕貴……」
「ん?」
「……俺さ、もしかしたら本気で佐々木さんのこと、好きになってきたかも」
その言葉に、思わず手に持っていたタオルが落ちそうになった。
「……マジで?」
「うん。最初は、まあ綺麗だし優しいし、モテるの分かるよなーって感じだったけどさ……文化祭のときから、なんか気になってて。最近は話してるだけで、ドキドキしてる」
春樹は真剣な顔をしていた。 冗談でも、気まぐれでもなく――本気の、告白。
俺は一瞬、言葉に詰まりかけたけれど、無理に笑うことも、気まずくすることもせず、ただ静かに答えた。
「……そっか。春樹が本気なら、それはちゃんと応援したいと思う」
「……ありがとな。でも、同時にちょっと怖いわ」
「何が?」
「……だって、お前がいるからさ」
春樹はそう言って、目を閉じた。
その言葉が重く胸に響いたのは、きっと俺自身が、同じように佐々木さんに心を寄せていたからだ。
※
夜が更けても、どこか落ち着かないまま、宿の外に出ると、星空が広がっていた。
ふと視線をやると、月明かりの下で、誰かが縁側に座っていた。
佐々木さんだった。
「……眠れなかった?」
俺が声をかけると、佐々木さんはふわっと微笑んだ。
「うん、ちょっとだけ。……夜の風が気持ちよくて」
隣に腰を下ろすと、ほんの少しだけ、肩が触れ合う。
今日、雨の中で手を繋いだときよりも近い距離。
「明日は最終日だね」
「そうだね。あっという間だったな」
「……なんか、さみしいな」
ぽつりとこぼれた言葉に、俺は驚いた。
「佐々木さんが、さみしいなんて言うなんて、意外かも」
「そう? でもね、こんなに毎日が新鮮で、楽しくて、誰かと心を通わせられたって思える日々って、あまりない気がして」
彼女の声は、静かだけど、確かに届いていた。
「俺も、そう思ってるよ。修学旅行じゃなくても、日常でも、これからも……ずっと一緒にいたいなって」
その言葉に、佐々木さんはゆっくりとこちらを向いた。
その目に映る俺の顔が、どんな表情だったかは分からない。
けれど、彼女の顔は――涙ぐみそうなほど、綺麗だった。
「……ありがとう、裕貴くん」
夜風が、二人の間を優しく通り抜ける。
そして俺たちは、何も言わずに、静かに空を見上げた。
満点の星の下で、言葉よりも確かな想いが、確かにそこにあった。
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