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迷子
しおりを挟む「理玖、柊斗くん。明日の学校が終わった後ってなにか予定ある?」
ある日の夕飯。食卓を家族みんなで囲んでいると、母親が唐突にそんなことを聞いてきた。
「ないけど……」
「俺もないです」
俺と柊斗が首を横に振ると、母親が目を輝かせた。
「明日、家族みんなでディナーに行かない?」
「でぃなー?」
聞き返すと、母親は大きく頷く。
母は隣にいる柊斗のお父さん、守さんと目を合わせた。
「せっかく家族になったのに、家族らしいことしてなかったからね。みんなで晩ご飯を食べに行こう」
朗らかに言う守さんに、柊斗は水を一口飲み頷いた。
「俺はいいけど、理玖は?」
「俺も大丈夫です」
「じゃあ決まりだね。学校が終わったら、ここに来なさい」
守さんがスマホの画面を見せてくれる。
どうやら学校から少し離れた場所にあるホテルのようだ。
「りょーかい」
「わかりました」
ホテルでディナーなんておしゃれなこと、今までしたことがないので少し緊張する。
「楽しみだね」
「うん」
隣の柊斗にそう言うと、柊斗は優しく微笑んだ。
グッと心臓から変な音が鳴る。最近、柊斗の笑顔を見るとずっとこの調子だ。
普段はあまり表情が変わらないから、笑ったときのギャップが激しい。
柊斗の笑顔に慣れるまで、あとどれくらいの時間が必要なのだろうか。
ーーーー
次の日。
あっという間に放課後になる。
なんとなくスマホのロックを解除すると、メッセージが来ていることに気づいた。
タップして見てみると、家族4人のグループに、母親がメッセージを送信していた。
『理玖、柊斗くん。お母さんと守さん、仕事が少し長引きそうなので、先にホテルのレストランに行って待っててね。予約は17:30なのでそれまでに!』
今の時刻を確認すると、16:30を過ぎていた。
ここからホテルに行くには、駅まで歩いて、電車で30分、そして到着した駅からホテルまで歩かなければならない。
今出ないと結構ギリギリじゃない?と気づき、教室を出る。
ちなみに柊斗はまだ教室にいるようだ。スマホを見ているからメッセージは確認しているだろう。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、前から担任が歩いてきた。
「日永!ちょっといいか?」
「…なんですか?」
「ちょっと職員室まで荷物を運ぶのを手伝ってくれないか?多分10分もかからないから」
顔の前で手を合わせて頼み込む担任に、断りの言葉は出てこなかった。
『柊斗、先行ってて。俺ちょっと遅れる』
柊斗にメッセージを送り、担任に向き直る。
「わかりました。手伝います」
1人が予約の時間に間に合えばいいだろう。
柊斗が予約の時間までに間に合ってくれることを信じて、俺は担任に着いて行った。
ーーーー
「日永、ありがとな!」
「いえ…じゃあ、俺もう行かなきゃなんで」
担任の手伝いは10分ほどで終わったので、急いで学校を出る。
駅まで走り、なんとか電車に乗ることができた。
スマホを確認すると、俺が送ったメッセージに対して柊斗から返信が来ていた。
『なんかあった?大丈夫?』
文面からして、俺を心配しているのがわかる。
『担任の手伝いしてた。今電車乗ったよ。柊斗は?』
『もうすぐホテルの最寄駅に着く。なんとか間に合いそう』
柊斗の返信を見てホッとする。
柊斗に任せておけば問題ないだろう。
そんなことを考えながらスマホを閉じた。
ーーーー
電車に揺られること30分。ホテルの最寄駅に着いた。
今の時刻は17:20。あと10分で予約の時間だ。
駅からホテルまでは歩いて15分の距離にある。
この辺りは初めてなので、マップアプリを起動して目的地を検索する。
問題はここからだ。
マップを見れない、という致命的な欠点を抱えている俺がすぐに向かえるわけもなく、画面とにらめっこをしていると、バナーにメッセージが表示された。
『ホテル着いたよ』
柊斗が家族のグループに送っていたようだ。
それに返信する形で、母親が『私も守さんもあと少しでつく』と送ってきた。
じゃあ一番最後なの俺じゃん。と、焦りを感じ始める。
マップアプリの画面に戻って、周りの建物と照らし合わせながら少しずつ進む。
5分ほどマップと格闘しながらほとんど誤差程度の距離を進んでいると、画面に文字が表示される。
『充電が残り10%です』
信じられない、と画面の上部にある充電の残量の表示を見てみると、赤色に変わっていた。
なかなかマップ通りに進まない自分に苛立つと共に、じわじわと絶望感と焦燥感が自分の中に広がっていく。
ある記憶がフラッシュバックして、心臓が嫌に音を立てながら鼓動を速めた。
そんな俺のスマホに、着信が入る。
柊斗からだ。俺は通話ボタンをタップする。
『理玖?今どこ?』
俺を心配しているようなその声に、なぜか泣きそうになる。
「わかんない。充電ないし、マップ見てもどこ行けばいいかわかんない」
焦りと絶望で子供のような言葉遣いになる。
心の内を吐露したことで、感情に歯止めが効かなくなっていく。
『落ち着いて、理玖。父さんたちと合流して、一旦店入ったし焦らなくていいよ。俺が迎えにいくからそこで待ってて。目印になるものある?』
柊斗のその言葉と優しさに半泣きになりながら、近くの店の名前を伝えると「おっけ」と短く返された。
『お兄ちゃんがちゃんと行くから安心して。ね?』
「うん……」
柊斗は声のトーンを上げて、俺に問いかけた。
溢れそうな涙を堪えるのに必死で、頷くので精一杯だった。
ーーーー
電話も充電も切れて、心細くなる。
フラッシュバックした記憶が、脳にこべりついて離れない。
6歳の時。母親と2人で出かけている時に、病気で入院していた父が危篤だという連絡が入った。
母親からそのことを告げられた俺は、「お父さんのところに早く行かないと!」と無我夢中でその場から走り出した。
自分がいる所さえ把握していなかったのに、病院の場所などわかるわけもなく、急に走り出した俺を母親は見失い、俺は迷子になっていた。
父の元に早く行かなければいけないという焦りと、母親から離れてしまった絶望感に苛まれた俺はその場で座り込んで泣きじゃくった。その時の感情は、計り知れない。
周りの人がそんな俺を見て、警察に連絡し、間もなくして母親が俺の元へ迎えに来た。
「ごめんね」と涙を流しながら俺を撫でる母親に、俺は震える体を預けた。どうしようもないほど嫌な予感がして、胸の奥がざわついた。
その後すぐに父の病院へ向かったが、俺と母親が着いた頃には父は亡くなっていた。
その時の俺は、幼いながらも両親に対して申し訳なさにいっぱいになったのを覚えている。
最期の挨拶すら交わせないまま、父を見て泣いている母親になんて言葉をかけたら良いのかわからなかった。こうなったのは、紛れもなく自分のせいだから。
それから俺は、1人で知らない場所に行くのが苦手になった。どうしても、その時の焦りや絶望、自分に対する怒りや悲しみを思い出してしまい、動けなくなってしまうからだ。
最近はあまり1人で知らない場所に行くという機会がなかったので、気を抜いていたのかもしれない。
グッとうつむくと、少し離れたところから声が聞こえてきた。
「理玖!」
聞き馴染みのある声に、ハッと顔を上げる。
柊斗の姿を見た瞬間、胸の奥が熱くなって何かが込み上げてきた。
「柊斗……」
ポツリと呟いた自分の声が震えていて驚く。
柊斗がギョッとした表情で俺を見つめた。
「大丈夫?どっか痛い?」
こちらに走ってきた柊斗が、そう言いながらおもむろに俺の頬に触れる。意図が読めなくて体が硬直した。
「だ、いじょうぶ……」
「ほんとに?泣いてるからびっくりした」
柊斗は優しく指で俺の目の下を撫でる。
どうやら俺は無意識のうちに泣いてしまっていたらしい。高校生にもなって恥ずかしいと思いながらも、それを止めるのは難しかった。
涙が止まらない俺を、柊斗はどうすればいいかわからない、という風に見つめる。
柊斗を困らせたくないと、強引に止めようとするが、呼吸が荒ぶっていてうまく止められない。
「無理に止めようとしないでいいよ」
柊斗がそう言った直後、一瞬で目の前が真っ暗になる。なにか温かいものに包まれている感じがして、体がビクンと跳ねた。
状況を把握するまでに、少し時間がかかった。
俺、今、柊斗に抱きしめられてる。
それを意識した瞬間、身体中に熱が駆け巡る。
涙のことなんて一瞬で脳裏から消え、脳内はそのことで埋め尽くされた。
心臓がバクバクして、それどころじゃない。
柊斗はそんな俺の背中を優しく撫でる。
しばらくそうされた後、柊斗が口を開いた。
「落ち着いた?」
「う、うん」
心臓は落ち着いてないが、おそらく柊斗は涙に対して言っているので大人しく頷く。
柊斗はゆっくりと俺から離れた。
顔は赤くなってないだろうか。柊斗は離れたはずなのに、さっきまで触れられていたところが燃えているように熱かった。
「そろそろ行こ」
柊斗はそう言うと、俺の腕を引いて歩き出した。
慌ててそれに着いていく。
「柊斗、迎えにきてくれてありがとう」
「ん、いいよ。理玖がマップ見るの苦手って知ってたし」
そういえばこの前2人でアイスを食べに行った時も、俺がマップを見て困っている時に柊斗が来てくれたのだ。
「前も柊斗が一緒に行ってくれたよね」
「そりゃあ、理玖が困ってたらいつでも行くよ」
そんなことをサラッと言えるのが羨ましい。
同時に、顔が熱くなったのは言うまでもない。
「ほんとに?」
「うん。だから何かあったら俺にすぐに言って」
信頼感のある言葉に、無理を承知でお願いする。
「じゃあ、どこか行く時は、俺と一緒に行って欲しい」
1人だと、動けなくなるから。と心の中で付け足す。
俺が言うと、柊斗がピタッと動きを止める。
「え」
「いや……だった…?」
恐る恐る柊斗の顔をうかがおうとすると、くしゃっと頭を撫でられた。おかげで柊斗の顔を見ることはできない。
「嫌じゃない。全然嫌じゃない」
その言葉にホッとする。
柊斗が俺のことを受け入れてくれてるんだと嬉しくなった。
安心したと同時に、グーっとお腹が鳴る。
柊斗は微かに笑って歩き出す。
「お腹空いたね」
「……うん、そうだね」
柊斗が笑ったせいか、はたまたそうじゃないのかわからない。
ただ、俺は隣で歩く一軍男子兼義理の兄に、胸が早鐘を打って仕方がなかった。
この感情の名付け方を俺は知っている。
でも、名付けてしまったらもう戻れないような気がして、俺は目を逸らした。
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