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1章 嘘つきはカウンセリングの始まり
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「わ、私があのとき、家を飛び出さなきゃ……」
病院のソファの上で、灯美は縮こまり、震えた。そこは事故現場のすぐ近くにある市民病院の、救急外来処置室の前の廊下だった。灯美の母は事故の後、ただちに救急車でここに運ばれてきたのだった。今は扉の向こう、処置室の中で緊急の治療を受けているはずだ。
「なんで、あいつ、私を助けたのよ……。これじゃ、まるで私の身代わりじゃない……」
不安で頭が割れそうだった。このまま死んでしまったらどうしよう。冷たい汗が手のひらににじんだ。
と、そんなとき、
「やあ、灯美さんじゃないですか。どうしたんですか、そんな、この世の終わりのような顔をして?」
廊下の向こうから、一人の男が近づいてきた。やせぎすで長身で猫背の、白衣姿の不健康そうな顔立ちの男、ウロマだ。
「あんた……なんでここに?」
さすがに不意打ちのエンカウントすぎて、灯美はぎょっとした。
「なーに。ただの偶然ですよ。ついさっき、ちょうどこの病院の前を通っていたら、出入り口のところに救急車が止まっているのが見えたのでね。それで、なんとなく気になって、首を伸ばして様子を伺ってみたら、救急車の中から灯美さんが出てくるじゃあないですか。いかにもただごとじゃないって空気で。そりゃあ、ますますどういう事情なのか、気になるってものですよねえ?」
「それで、あんたもどさくさに入ってきたわけ?」
「はい。この格好のおかげで、ほぼフリーパスでここまで来れましたよ」
ウロマは白衣の襟をつまんでひらひらと動かした。確かに、その格好なら、いかにも病院関係者という感じだ。顔色が悪いのもなんとなくそれっぽいし。
「で、灯美さんはいったい誰の付き添いでここに来たんですか?」
「実は――」
どうせ黙っていても、鬱陶しく詮索されるだけだ。灯美は正直に、事情を話した。
「ほほう。それはまた、お気の毒な話ですね。灯美さんのせいで、お母さんはバイクに轢かれたんですから。灯美さんのせいで」
「わ、わかってるわよ! いちいち繰り返さないでよ!」
相変わらず隙あらば人を煽る男だ。灯美は声を荒げずにはいられなかった。
「しかし、おかしなものですね。灯美さんは、以前、僕のところに来たときは、お母さんのことをとても悪く言っていたじゃないですか。それなのに、どうしてそんな心配そうな顔をしているのでしょう? 嫌いな人が、自分の身代わりにバイクにひかれたのなら、それはむしろ、ラッキーなことでは――」
「ラッキーなわけないでしょ! バカなこと言わないで!」
人の神経を逆なですることしか言えない縛りでもあるのか、この男は。
「嫌いな人だろうと、私のせいでそうなったのよ! 責任を感じるものでしょ!」
「そうですねえ。普通は、良心の呵責とか罪悪感もセットできますね。大いに心苦しくなるというものですよねえ」
ウロマの口調はねっとりしていて、いかにもほかに何か言いたいことがあるふうだった。その瞳は相変わらず濁りきっていたが、なんだか心を全て見透かされているようにすら感じられた。灯美は次第に息苦しくなってきた。
「そもそもなぜ、お母さんが家を出て行くという話になって、あなたは素直に喜ばなかったのでしょう? あなたの行動はまるで、お母さんに出て行って欲しくなかったとしか――」
「ええ、そうよ! あんたの思っている通りよ! 全部! なにもかも!」
ついに耐えられなくなり、灯美は声高に叫んだ。瞬間、心の中で何かがはじけたようだった。
「だって、あれだけ私にやさしくしておいて、今さら急に家を出て行くなんて、ひどいじゃない! あんまりじゃない! お母さんがいなくなっちゃったら、私、一人になっちゃう! そんなの……絶対やだもん!」
言いながら、涙が目からあふれてきた。熱い涙だった。
「では、灯美さんはお母さんを引き止めるために、また自殺の真似事を?」
「そうよ……。ただ、一緒にいて欲しかったの。もうどこにも行ってほしくなかったの」
そうだ。どうして今まで気づこうとしなかったのだろう、自分の本当の気持ちに。なにもかも、前に、目の前の男に言われたとおりだった。自分はただ、あの人に、新しい母に、構って欲しかったのだ。やさしくされたかったのだ。
けれど、素直になれなかった。自分にとって母と呼べるのは、二年前に他界した実母だけだという思い込みにとらわれていた。どんなにやさしくされても、心を開いてはいけないと思っていた。子供だった。だから、自殺の真似事なんて、馬鹿な真似をしてしまったのだ。
「どうしよう……。私、もうお母さんに死んで欲しくない……」
涙をぽろぽろ流しながら、灯美はうつむいた。実母との別れは突然だった。だからこそ、もう二度と母を失いたくはなかった。
病院のソファの上で、灯美は縮こまり、震えた。そこは事故現場のすぐ近くにある市民病院の、救急外来処置室の前の廊下だった。灯美の母は事故の後、ただちに救急車でここに運ばれてきたのだった。今は扉の向こう、処置室の中で緊急の治療を受けているはずだ。
「なんで、あいつ、私を助けたのよ……。これじゃ、まるで私の身代わりじゃない……」
不安で頭が割れそうだった。このまま死んでしまったらどうしよう。冷たい汗が手のひらににじんだ。
と、そんなとき、
「やあ、灯美さんじゃないですか。どうしたんですか、そんな、この世の終わりのような顔をして?」
廊下の向こうから、一人の男が近づいてきた。やせぎすで長身で猫背の、白衣姿の不健康そうな顔立ちの男、ウロマだ。
「あんた……なんでここに?」
さすがに不意打ちのエンカウントすぎて、灯美はぎょっとした。
「なーに。ただの偶然ですよ。ついさっき、ちょうどこの病院の前を通っていたら、出入り口のところに救急車が止まっているのが見えたのでね。それで、なんとなく気になって、首を伸ばして様子を伺ってみたら、救急車の中から灯美さんが出てくるじゃあないですか。いかにもただごとじゃないって空気で。そりゃあ、ますますどういう事情なのか、気になるってものですよねえ?」
「それで、あんたもどさくさに入ってきたわけ?」
「はい。この格好のおかげで、ほぼフリーパスでここまで来れましたよ」
ウロマは白衣の襟をつまんでひらひらと動かした。確かに、その格好なら、いかにも病院関係者という感じだ。顔色が悪いのもなんとなくそれっぽいし。
「で、灯美さんはいったい誰の付き添いでここに来たんですか?」
「実は――」
どうせ黙っていても、鬱陶しく詮索されるだけだ。灯美は正直に、事情を話した。
「ほほう。それはまた、お気の毒な話ですね。灯美さんのせいで、お母さんはバイクに轢かれたんですから。灯美さんのせいで」
「わ、わかってるわよ! いちいち繰り返さないでよ!」
相変わらず隙あらば人を煽る男だ。灯美は声を荒げずにはいられなかった。
「しかし、おかしなものですね。灯美さんは、以前、僕のところに来たときは、お母さんのことをとても悪く言っていたじゃないですか。それなのに、どうしてそんな心配そうな顔をしているのでしょう? 嫌いな人が、自分の身代わりにバイクにひかれたのなら、それはむしろ、ラッキーなことでは――」
「ラッキーなわけないでしょ! バカなこと言わないで!」
人の神経を逆なですることしか言えない縛りでもあるのか、この男は。
「嫌いな人だろうと、私のせいでそうなったのよ! 責任を感じるものでしょ!」
「そうですねえ。普通は、良心の呵責とか罪悪感もセットできますね。大いに心苦しくなるというものですよねえ」
ウロマの口調はねっとりしていて、いかにもほかに何か言いたいことがあるふうだった。その瞳は相変わらず濁りきっていたが、なんだか心を全て見透かされているようにすら感じられた。灯美は次第に息苦しくなってきた。
「そもそもなぜ、お母さんが家を出て行くという話になって、あなたは素直に喜ばなかったのでしょう? あなたの行動はまるで、お母さんに出て行って欲しくなかったとしか――」
「ええ、そうよ! あんたの思っている通りよ! 全部! なにもかも!」
ついに耐えられなくなり、灯美は声高に叫んだ。瞬間、心の中で何かがはじけたようだった。
「だって、あれだけ私にやさしくしておいて、今さら急に家を出て行くなんて、ひどいじゃない! あんまりじゃない! お母さんがいなくなっちゃったら、私、一人になっちゃう! そんなの……絶対やだもん!」
言いながら、涙が目からあふれてきた。熱い涙だった。
「では、灯美さんはお母さんを引き止めるために、また自殺の真似事を?」
「そうよ……。ただ、一緒にいて欲しかったの。もうどこにも行ってほしくなかったの」
そうだ。どうして今まで気づこうとしなかったのだろう、自分の本当の気持ちに。なにもかも、前に、目の前の男に言われたとおりだった。自分はただ、あの人に、新しい母に、構って欲しかったのだ。やさしくされたかったのだ。
けれど、素直になれなかった。自分にとって母と呼べるのは、二年前に他界した実母だけだという思い込みにとらわれていた。どんなにやさしくされても、心を開いてはいけないと思っていた。子供だった。だから、自殺の真似事なんて、馬鹿な真似をしてしまったのだ。
「どうしよう……。私、もうお母さんに死んで欲しくない……」
涙をぽろぽろ流しながら、灯美はうつむいた。実母との別れは突然だった。だからこそ、もう二度と母を失いたくはなかった。
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